神霊による人生相談

ょっ言。

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-2015年1月23日-
1月も終わりに近づき、お正月気分も抜けて、また日々の暮らしに追われる毎日になってきましたね。   私も、お正月休みが終わった途端、様々な相談や除霊・浄霊依頼が入ってきてますが、満足して貰えるような対応を心掛けて、じっくり話を聞いて、 アドバイスや、お祓いなどが出来るように頑張ってます。  年末から新年を迎えて2月の節分まで、約2ヶ月弱の間は、霊的影響が出やすい時期なので、信者さん達も そうでしたが、私も体調を崩したりと、毎年なかなか辛い時期ですが、1月も中頃から末に近づくと霊的影響も小休止します。   2月の節分まで、あと少しなので、もう暫くの辛抱ですね。   何とか、お仕事も普段のペースに落ち着いてきたので、そろそろ年始詣りを始めないといけません。   滋賀県の一之宮である「建部大社」と、住んでる地域の神社には新年のご挨拶に行きましたが、それ以外は全然お詣りに行けてないので、時間を空けて行きたいと思います。   神様や仏様は、「先生、忙しいから来れる時に来てくれたら良いよ〜」って言ってくださいますが、その言葉に甘えていると、なかなか実行出来ないので、 前もって日程が分かれば神様にお伝えし、段取りをつけて行く様にしてます。   出来るだけ急な決め方はしません。  神様も段取りがあるんです。  こちらも段取りがあります。  どちらも浄化や、お仲間の神様方への報告・伝達の段取りですね。   神様は、私が来る前に境内を見回して、厄介なものがあれば、封印して動けない様にしておいてくれます。   私の方は、神様にお聞きして境内の確認をして、良くない場所(封印された場所など)を教えて貰って、浄化を進めないといけないしで、双方の情報交換をして段取りを 取る必要があります。  この前準備を、神様と共にしておくと、当日は霊的影響も受けずに楽に参拝する事が出来ます。  神様は、境内が浄化されて、それまでの 気掛かりが無くなりますので、喜んでもらえます。   また、私が神社に参拝したり、お寺にお参りしたりする際には、他にも大勢の神様と同行するので、お迎えの対応と心づもりをされます。   そういう事が前もって伝えられ、準備が整っていると、神社に着く前から、神社方向に光の柱が天から降りていたり、お寺では、御本尊様が山よりでっかい大きさで、 こちらを見ておられたりして、私がやって来るのを確認されています。  既に準備が整って、皆で待っているよという事です。   神社やお寺に着いたら、門の前に並んで待っていてくださったり、境内の参道の両端にずら〜っと並んでお迎えして下さったりします。   本殿に向かって真っすぐに続く石畳の道の両端にも、神様方が並んで居られるので、私は敢えて真ん中を歩きます。  作法的(神様は真ん中を歩かれる事から、人は 端を歩く)には間違ってますが、当の神様が、「先生は、真ん中を歩いてくだされ!」って言われるので仕方ありません。   以前に一度、申し訳ないので端っこを歩いたら、並んでる神様は、更に端っこに寄られましたので、もっと申し訳ない気分になったので、今では有難く真ん中を歩かせて もらってます。  神様は、とても律儀で、敬う心、礼節を重んじて、通すというところがありますので、こちらは自然と頭が下がる思いをします。   お寺では、皆ニコニコして、「先生ー!よう来たな〜!」って迎えてくれます。  神社の神様に比べて、実にアットホーム的です。   女性の天部様達は、先生〜♪って呼びながら、手をブンブン振ってくれます。  今の若い女性たちの様で、はしゃいでおられて可愛いです。   菩薩様になると、大人の女性という感じで、「よくお出でくださいましたね。今日は、ゆっくりされてください。皆もお待ちしております」という感じで、おしとやかです。   仁王様や四天王様や明王様達は、「ご苦労じゃー! よう来た! しっかり頼んでいけよー!」って感じです。   そうして、本殿や本堂では、一番位の高い神様や仏様が待っていてくださり、「先生、久しぶりじゃの。 毎日忙しそうじゃから、身体に無理が掛かっとるぞ!」って、 毎回私の身体を心配してくださいます。  そして、「今日は、ここで色々と落として(祓って)おくと良いぞ!」と言われるので、毎回そうさせて頂いてます。   帰る頃には、身体はスッキリして軽くなってます。   今年は、日本の進むべき道と、その方向をしっかり定めて、それを邪魔するものを祓わないといけません。   日本は、いろいろと邪魔されやすいので大変です。   閻魔様は、今年は仕事が減ると良いなと言ってますが、無理の様な気がします(*´з`)   閻魔様は、「えぇー! やっぱりか〜(T_T) 仕方ないのぅ〜」って感じです。   でも、昨年より若干余裕が出る様に思います。   西岡学校の子供達にと、こちらでお供えした玩具の車の「ミニカー」が、西岡学校の世界では本物の車になって納車され、喜んで乗り回してるようです。   何時も出てくる子供に、新しく来た車に乗ってる?って聞くと、「僕ら、まだちっちゃくて乗れないから、大人の人が乗ってるー!」って言ってました。   ミニカーは、女性好みの、丸っこい可愛らしい車でしたので、「そっか! じゃあ、おねーさんに乗せてもらってね(^−^)」って言うと、「うん!そうするー♪」 って言ってニコニコしてました(●^o^●)   霊界は想念の世界でもあるので、こちらが強い想念で願えば、霊界に独自の世界を創る事も出来ます。   そういう事から、人間界に住む人間でありながら、霊界の進化も進めて行く事も出来るんですね。   時間も自由になるので、昔の人を呼ぶことも、友達に電話する感じで呼べます。   親近感を持ってご先祖様、気を鎮め敬う心を持って神仏様という感じで、心の調節さえ出来れば、自由に霊界に意識を飛ばす事も出来ます。   二次元を四次元以降に昇華せる事も出来ます。  これは写真鑑定をする際に、静止画の二次元である写真を、立体的で時間の軸を加えた四次元以降の動画に 変えて見るという事をします。  そうすると、写真の中に霊が動いていくという事も見えますよ。   霊界での出来事は、ある程度は人間界に降ろして見聞きする事が出来ます。  神社仏閣へのお参りも、西岡学校や神仏様との会話も、全て霊界での出来事を人間界に 降ろして再現されているというのを、私が捉えて見ているだけですからね。   この世は、色んな不思議な事がありますが、ちゃんと筋が通った出来事です。  現象の筋を理解出来てないから、分らないだけです。   また、そういう事も、ボチボチ書いていきますね(*^^*)v  


-2015年1月9日-
新年 明けまして おめでとうございます(*^▽^*)
本年も「ちょっと一言」を通して、皆様の真理の学びの足しにして貰える様、頑張って書いていきますので、どうぞ宜しくお願いしますm(__)m

新年が明けて、早くも今日で9日になってしまいましたね。  ようやく「ちょっと一言」の更新も出来て、ホッとしています。   昨年末から、魔の動きも活発になっていて、色んなルートからの攻撃を受けてましたが、そろそろ落ち着いてきました。   毎年決まって年末は魔が動きます。  それは、その年の一年間に供養が足りなかったという、物足りない想いを持つ魂達や、また今年も供養を受けれなかったという、 残念で悔しい念を持つ魂達が、年末になると一斉に、そのような想いから出る念を出し始めます。  その苦の念を魔達が求めに地獄から出て来ます。   それで、苦の念と魔のマイナス念が合わさって、地獄の想念が出来上がります。   その魔の想念を受けて、霊的な事に敏感な人達は体調が悪くなったりするんですね。  それでも、新年を迎えてしまうと、苦の想念は引いていきますので、魔の動きも 減ってきます。  魔は、苦の想念や、マイナスの想念、悪の想念を追って行くので、そういった地獄的な想念が無い所では魔の気配は感じません。   生きていると色んなマイナスの想いが出たりしますが、長引かせない様にしていれば、念にはなりません。  想いより、念の方が度合いが強く執着になりますので、 それは心に溜まります。  そういう苦しい心を長年持つ人を霊視すると、胸の真ん中に黒い塊が出来てます。  そこから黒い想念が吐き出されていて、呼吸が浅く なったり、身体の具合が悪くなったりする影響が出て来ます。  自分の心の状態(精神状態)が、体調の良し悪しに結びついているんです。   精神状態の良くない人は、胸の部分に黒い塊がある事が多く、色んな不安やストレスなどの悩みが原因である事が多いです。   あと、頭の脳下垂体の辺りにも、黒い塊を付けてる人もあります。  思考低下や、ホルモンバランスの崩れ(特に若い女性に多いです)等にも影響してきます。   お腹の張りや、ポッコリ出る下腹部、身体の浮腫み、下半身の浮腫み等、霊的影響の出やすい部分で、太っているのとは違います。   これらは、霊的影響を抜いてしまうと、結構楽になり、浮腫みが引いていったり、ポッコリお腹はへこんできます。   お医者さんに診てもらうと、お腹の張りや、出ているお腹は、ガスの溜まりと診断されましたと言われる方が多いですが、ガス抜きのお薬を飲んでも治らない事が多く、 こういう時は霊的影響を疑ってみて、身体の浄化を試してみると案外と治ってくる場合があるんですね。   身体の不調部分は、身体の発する波動が乱れているので、その乱れた波動に引き寄せられる様に、魔は何処からか近づいてきます。   心の乱れから出る波動や、身体の不調から出る波動、どれもマイナスな波動を出してると、知らない内に自分でマイナス材料を引き寄せて、しんどくなったり、運気を低下 させる原因となったりする事もあるので、心身共に健康である事が一番と言われるのは、霊的にみて判断した場合、こういう点に気をつけて過ごせば良いとも言えるでしょ うね。
  人間は、大きなもの、大きな存在を見聞きして、その全容を感じ取ろうとする時、大き過ぎて感じ取れない事があります。   そういう場合は、自分が大きな存在であると仮定し、大きく感じられたものを、逆に小さな存在として感じ取る様にすると、案外、楽にイメージが湧いてきます。   逆に、小さなものは、自分の感じやすい大きさまでイメージを大きく膨らませて、そこから見て感じ取るというやり方をすると、これもイメージが湧きやすいです。   自分に降りかかった問題事を対処する際に、どう処理していくのかを考え、イメージする場合も、これを上手く応用して使うと良いですよ。   大きく見える問題でも、案外その大きさに戸惑ったり、どこから手を付けて行くかが分らないだけで、問題を細かく分解して、それぞれを見たりしていくと、手を付ける所や、 ここは改善しないといけない部分だとかが分かってきます。   物事は全体で見ると解り難くても、部分部分に分割していくと、出来る所と出来ない所もハッキリしてきます。   なので、出来る所から始めるという事も出来る様になります。  なんでも、目を付けるポイントを自分なりに見つけるという事です。   その工夫が出来る人は、問題処理能力が高い人と言えると思います。   気力も対処も、大きく見たり、小さく見たり、工夫しながら、自分の世界に取り込んでから見るという事を実践していければ、何事にも対処法は見つかってきますし、 それの伴う気力も上げる事が出来ます。   大きく感じられた問題事が、案外さほどでもなかったと思える様なら、今後の人生において生き方も、良い様に変わってくるかも知れませんよ。
  また、これらは、霊的なものをイメージする際にも役立ちます。   霊的世界から人間界に影響してる問題事などを探ったりする時や、特に祓いをする際には、小さな点の様なヒントから入り込み、イメージで世界を大きくして、影響を探 したり、遠い世界を近くに引き寄せて探す時は、まるで顕微鏡で小さな世界を目の前に引き寄せて見るようなものに似ています。   特に魔の存在は、自分の存在を実際より大きく怖く見せる様に仕向けてきますので、それにビビッてしまうと、倒せる相手でも見た目や、脅しの怖さに気力が負けてしまい、 お祓いも出来なくなるので、それに飲み込まれないように、自分の気も上げて対処します。  魔を小さく見れば、相手の心情や力量が分かるんですよ。   相手が大きいままで見てしまうと、相手の力も大きく感じられ、力も計り知れなくなってしまうので、こちらの気力負けになりますので、出来るだけ、相手を上から見る という意識に切り替えれば、魔は怖くなくなります。  恐怖を与えられない魔は、魔としての力が十分発揮出来ないんですよ。   それで、こちらの気に飲み込まれ、負けてしまいますので、お祓いが出来るという訳です。
宇宙的な大きな事柄を見る時は、逆に宇宙は自分の体内の様に感じ取る位の大きさや近さの感覚で見ます。   そうすると、全体の様相がぼんやりと見えてきます。  宇宙を一つの世界として見た時に、全体の中での偏りや、絶対的な神理の流れの中で、それに反している存在や、 思想観、宇宙全体としての成長過程や、方向性等を感じ取るという事が出来てきます。   未来の方向性は、ある程度は決定された方向性で動いていますが、それでもハッキリとは 決められていません。  それは、宇宙の中の生命体の成長過程に合わせて、成長に余裕を持たせてあるからです。   宇宙は、融通無碍(ゆうずうむげ=とらわれる事無く自由である)という感じを受けます。   それぞれの意識を尊重し、それら善悪はあったとしても、大きな時間の中で許しながら成長していく過程を大事にしているという感じです。   善悪は両端の性質ですが、合わさって良し悪しの判別が分かるという事もあります。  一時的な悪は、善への切っ掛けになります。   悪い事があって初めて、良い事の大事さを知るという事もあります。  そういう普段の生活を通して、私達の心の宇宙は、神の宇宙へと繋がっていくんですね。   心が成長するという事は、宇宙が成長していくのと同じです。  人間の心が正しく成長していけば、先ず世界の平和が訪れ、地球環境も大きく改善され、それが宇宙の 平和にも繋がっていくんですよ。  閉じていれば小さな心ですが、開けば大きな宇宙と繋がっているんです。   普段の生活の中で、心に囚われるモノを持てば、心の自由が失われて苦を生みますね。  物に囚われれば、やはり自由が束縛されます。   人間は、出来るだけ心の執着や、物質(物欲など)に囚われないように、その時々で考えを訂正しながら反省しながら、正しい方向へ進んで行けば心に自由が出て来ます。   霊的に言うと、明るく楽な世界に生きるという事、様々な執着を取り去った自由な心の世界であり、満ち足りた世界、それが霊界であるんですね。   人間の心の成長も、とらわれる事無く自由であれるようにして、人生を明るく生きて行きたいですね。