神霊による人生相談

ょっ言。

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-2015年2月23日-
ここ最近、仕事も落ち着いてきて、お参りに行ける余裕が出てきました。   今の内に、滞っていたお参りを再開していかないと、次はいつ行けるか分りませんからね。   これからも時間を見てお参りをしていく中で、神仏様達との交流を深めて行くつもりです。   家の中の神棚の前でお祈りすると、直ぐに来て下さる神仏様でも、それが当たり前になるといけません。   定期的に神仏様の祀られている神社やお寺にお参りしないとね。  神仏様との縁は、人間が繋げるものでは無く、神仏様に繋げて頂くんですからね。   そこを、わきまえておかないと、正しい信仰とは言えませんからね。  他人の話をよく聞き、謙虚な心を常に持ちながら、心は高みに在るという事を目指しましょう。   修行の最初の段階では、主に自分作りの修行を進め、自己改革を重ねて行く事によって悟りを積み重ねて行き、次第に他人を導けるような指導者への修行に移り変わっ ていきます。   そうして、悟りが深まると、この世での最終的な修行目標とは、大きな愛の下に幅広い知識と能力を有し、更なる慈愛の光(神理の光)を知り、大いなる愛の力で多く の悩める人を導き、救う事が出来る人物へと成長して行く事だと気付くでしょう。     そして、その道に精進し続けていく事が、自分達(修行者達)を応援してくれる神仏の願いでもあると確信してくると思います。   生きる事も、眠る事も、笑う事も、愛する事も、お参りに行く事も、全てが修行になってるんですね。   まあ、そういう事でお参りに行ってきました。  何か、軽いですよね(^^ゞ  まあ、修行は一生なので、あまり重く感じ過ぎてもいけませんしね(^^ゞ   私は、死ぬ時も、誰かの心を救ってから死になさいという事も示されてますが、それまでは、私の教えの様な、リラックスした修行も有っても良いと思いますよ。   リラックスする為には、しんどい事もありますが、楽に楽しく修行する為に頑張る事も必要ですし、そうした気持ちが心の余裕を生み出します。   心の余裕は素直さに繋がります。  素直で楽な心は、神様や仏様に繋がります。  神様や仏様に繋がれば、良い気を受けられますし、教えもいただけます。   そして色んな知識を受けて心が広くなります。  そうなると、神仏様とお友達になれます。  いつも合う友達との会話の様な感じで、色んな教えを受けられます。   神仏様と一緒に遊びに出掛けられます。  私が、ちょくちょく行ってた「霊界散歩」ですね。  それでまた、色んな神仏様と縁が繋がっていき、私がまだ訪れてない 霊界でも、私の事を知ってる神仏様が多く居られるみたいです。  こうして、更に色んな知識を得て、どんどん世界観が膨らんで行きます。   この世は、霊界の目(真理知識)を通して見ると、あまり深く悩まなくなります。  相談に来る人も、私が答えていく内に、考え方が定まってきて悩み事が軽く感じられる ようになり、心が楽になっていかれます。  それで、また勇気と希望が出て来て、頑張ろうという気持ちになっていきます。  特に、凄い事を言ってる訳では無く、 考え方のコツを教えて るだけで、段々と心に余裕が生まれてきて、心が納得すれば勇気も希望も湧いてきます。  立ち止まってしまったような心に、元気を送り込むように話して行けば、 心は、また元通り元気に動き出してくれますよ。  道が分からず、立ち止まってしまった人に、道を指示し、歩む元気を与えてあげる事が出来ます。   ここまでお話してきた事などが、仏教の「上求菩提 下化衆生」という教えでもあります。   これは、日々悟りを極める修行をしながらでも、同時に多くの人々の救済に励んで行くという事ですね。   これを一生の修行の本道としていく事で、真の仏に近づいていくとう事でもありますね。   死ぬ間際にも、その時にしか悟れない悟りがあると思います。  その悟りを得て、更に、その悟りで人を救って、この世の終わりとするという事、それで良しとする 事が、今の時点での悟りとしてあります。  出来れば、最後の悟りを後世に伝え残す事、それも計画しておかないとね。   その為に、元気に生きてる内に、悟りを深めていく事、準備を整えておく事を怠らない様にしていかないといけませんね。   修行は色々とありますが、相談を受けてる時も修行ですし、お参りも修行ですので、相談での修行が無い時は、お参り修行をしたいと思い、先日、京都の「伏見稲荷大社」へ お参りに行ってきました。  伏見稲荷は眷属の狐さんが居ます。  いつも私がお参りすると、「先生が来たー♪」ってピョンピョン跳ねながら神様に伝えにいきます。   稲荷の山には、真っ白な大きな狐さんがいます。  私が、その狐さんの頭の上に乗って、ゆったりと座れる位の体の大きさです。   その狐さんは、長老夫婦の狐さんの息子に当たる狐さんで、数年前に代替わりして、今は稲荷の狐さんの代表を務めてます。   大きな尻尾はフサフサの長い毛があり、私は狐さんの体にもたれるのが好きなので、そういう時は、フサフサの長い尻尾で私の身体を巻いてくれます。   温かいですよ(^−^)  お昼寝したくなります。  あとは、人間位の大きさの狐さんや、中型犬くらいの大きさの狐さんが多いです。   嬉しい時は、ピョンピョン跳ねます。  狐の舞を踊る時もあります。  稲荷の本殿を過ぎて千本鳥居に入る前の辺りに、神馬の像が祀られてます。   お供えする人参に、熨斗(のし)巻いて、感謝の気持ちと共にお供えします。  神馬さんは、後ろ足二本で立ち、前足をこちらに向けて、ヒヒィーン!って何度も鳴いて 喜んでました♪  最近は、神馬さんに人参をお供えする人が増えました。   まだ、「熨斗」を巻いて供える人は見かけませんが、その内、出てくると良いな〜と思います。   千本鳥居をくぐって奥の院にお参りします。  伏見稲荷は、相変わらず外国の観光者が多いですね。  本殿と奥の院でも、お酒をお供えし、祝詞を唱えて神様に挨拶し ました。  「おもかる石」も持ち上げました。  頭の上まで上げて、2〜3回ポ〜ンポ〜ンと上に投げるようにして、願望達成の感じを窺いました。   まあ大丈夫でしょう(^−^)v  他の人達は、皆一様に重そうに上げてます。  上がらなければ、お願い事を短期で出来そうなものに変えて、再度上げてみると、 上がるかも知れませんよ。  長期の願いは、総体的に重く感じます。  だから短期の願いに変えてみて、考え方や、目標を見直すんですね。   それで、目標(願望)の設定度合いを判断して、進めていけば良いかなと思います。   「おもかる石」は、そういうヒントになると思ってくださいね。  皆さんも、日々、心の修行に精進していきましょうね(*^▽^*)   さて、次はどこへお参りに行こうかな〜(*^-^*)  


-2015年2月6日-
今年も、もう2月に入り、節分も終わってしまいましたね。   これで、ようやく鬼の影響も軽減され、年末から続いていた影響も一段落した感じがあります。   節分とは「季節の分かれる日」という意味であり、本来は、立春、立夏、立秋、立冬の前日を指していましたが、今は一般的に立春の前日を「節分」と言う様になってますね。   それと、旧暦では立春(2月4日)が年の始まり(新年)にあたる事から、立春の前日(2月3日)の節分は、大晦日としての意味を持つようになったと思われます。   また、季節の変わり目には邪気(鬼)が生じるという考えから、昔より鬼払いなどの行事が行われていて、立春(新年)の前日、大晦日にあたる節分の日に邪気(鬼)を祓い、 新年を無事に迎えられるようにという、厄除けの行事的な意味合いが強い事から、現在の様に定着したと思います。   これに即して、実際、霊的に見ても本当に鬼が出回る時期に当たるので、鬼祓いをしないといけません。   我が家は、霊的な鬼の侵入を防ぐ意味や、家族や土地家屋に影響を与えている鬼を祓うためにも、豆に鬼祓い専用の念を入れて撒きます。   我が家では、節分の豆撒き行事は、世間一般的な行事事ではなく、実際に隠れて悪さしている鬼を祓うんですよ。   だから失敗すると、悪い影響が出ます。  念を集中して、豆に霊力を込めて鬼にぶつけるんですね。   外に豆を撒くと、時々「ギャー!」って声が聞こえます。  豆は夜に撒くんですが、夜の闇より、まだ暗い闇の部分があります。   そこに向けて撒くと、「ギャー!」ってなります。  「クソー! 何で見つかるんじゃー!」って声が聞こえ、もう一度撒くと気配も消えて行きます。   夜の闇は、普通の暗さに戻ります。  家には来ないで、外で離れて睨んでる鬼もいます。   数千年以上の怨念がこもった様な真っ赤な両目が、こちらを睨んでます。  今度は、見た目は何もない様な空間へ豆を投げます。   豆は、霊速の速さで飛んで行き、鬼の身体を貫通します。  投げた豆は数個ですが、霊的には数千個の豆がマッハの速度で飛んで行くような感じです。   その位しないと、数十メートルもある高さの鬼を祓うことは出来ません。   霊体には必ずエネルギーの中心部があるので、そこを狙うと消えます。   鬼は集団で来たりしますが、こういう時は、宗教霊が絡んでる事が多いです。   西洋の魔と、東洋の鬼が絡んで悪さをしている事も珍しい事ではありません。   最近は、そういうのが増えてきました。  それも、同時に祓って影響を消して行きました。   こうして、我が家も節分の日を無事に終えて、年末から不調だった身体も軽くなり、あちこちの痛みも改善されました。   ヤレヤレですわ(^^ゞ  節分は、後に来る新しい季節を楽に過ごせるようにと願い、今在る魔を祓うという大事な儀式ですね。   今在る魔という悪い影響を祓えば、未来も努力に応じて開けてくるという事ですね。   一応、お祓いの豆撒きが終わった後、西岡学校の子達が豆撒きしましたよ。  魔や鬼を祓う時は危ないので、終わってから子供達は出て来ます。   「鬼は〜!ちょとー!」まだ小さい子は、「鬼はー!そとー!」の「そとー!」が、ちゃんと言えないので、ちょとー!(; ・`д・´)/ って言って投げてます。   「さしすせそ」が「ちゃ、ちぃ、ちゅ、ちぇ、ちょ」になります(^_^;)  豆を投げる顔は、真剣ですよ。 (; ・`д・´)/ こんな感じ。   そして、「福は内」の豆撒きは、子供達皆で各部屋をワイワイ♪と賑やかに回りながら撒いていきます。   すると部屋の中が明るくなった感じがします。  目に飛び込んで来る蛍光灯の光が、何か明るく感じられるんです。   お祓いした後も、目の前がパッと明るくスッキリ見えるようになるのと同じですね。   部屋の中の気が浄化されたんでしょう。   これで、我が家の節分の行事も無事に終わりました。   次は、家の車をお祓いしてもらうのに、近くにある不動尊のお寺にお参りに行く予定です。   毎年、そこのお寺の不動明王様に家の車を見てもらってるのでね。  自分では、車の年始のお祓いをせずに、不動明王様にお任せしてあります。   早く持って行かないと「先生が、なかなか車を持って来んから、待ち切れんと見に来たわ!」って言われるので、待ち切れずに来てしまわれない内に行かないと。。   節分が終わったので、車にも悪い気の影響を受けない様にしてもらわないとね(^−^)   色々動きが始まるのも、今年の気運が動き始めるのも、節分が終わってから本格的に始まります。   今年も良い年になるように頑張りましょうね。  良い年か、悪い年かは自分次第ですけど、神仏様に応援して貰えれば、厄難も免れるとか、後押しをして貰えるとか、 色々と心強いですからね。  今年も心に勇気と希望を貰って頑張りましょう。