神霊による人生相談

ょっ言。

前ページへ戻る


-2015年9月26日-
秋のシルバーウィークも終わり、お彼岸も今日で終わりですね。   普段のお仕事では少ない先祖供養依頼も、お盆や、お彼岸の時期になると依頼が増えてきます。   普段では、お祓いや浄化の際に、先祖が絡んで障りを起こしてるという原因を見つけた場合に、先祖の中で苦しまれている方の魂を供養をしてあげるという事をします。   そういう場合は、先祖の中で苦しんでる人の心に執着として残っているものが、そのまま苦しみを招いているという事実を、苦しんでいる先祖自身の魂に認識してもらい、 真理の教えを伝えて行く事で、その執着からくる心の苦の世界(苦しみの地獄)から引き離してあげる事をしていきます。   そういう道理が分かれば、苦しみの中から離れて行く事が出来るからです。  これは「般若心経」のお経の中にも出ているので、般若心経の解説本を読まれると、 また深く道理が分かると思いますよ。  そうして、生きてる人、亡くなられた人、共に道理が分かり、心の状態を楽にしていく事で、この世あの世を通して、生き方の 参考になりますし、心の中に執着を溜め込まない様な生き方が出来る様になってきます。   西岡学校の子達は、既に死んで魂の状態でいますが、生き生きとして過ごしてます。   執着は、完全に無いというより、執着にまでならない程度、想い出程度に思います。  なので、辛い想い出も、ただ過去の記憶の一部という感じです。   子供達は、ケーキとか、お肉とか、大好きなので、執着と言うより好みとして残ってるという感じですね。   ケーキをお供えしたら、ダーッ!って走って来ますし、でも我先に 食べる訳でも無く、皆、ケーキの前でチョコンと座って、私が食べて良いよと言うまで、大人しく待ってるという感じです。  買って来ても、お供えしてない時は、 明日ねー!って言えば、明日まで待ってます。  何も言わなければ、誰も食べに来ません。  それ位の心情です。  何としても食べたいとか、欲しくてたまらない という感情は無いようです。  なので、執着とは言えないんですね。  ただ、ケーキが大好き!(甘い物全般ですが)っていう好みが残ってるという感じです。   西岡学校の子供達は、明治、大正、昭和の初め頃の子が多いので、ケーキや甘い物、お肉や、パスタ、オムライスにハンバーグ等、生きてた時代的には、無かった物や、 満足に食べれなかった様な、今時の食べ物が大好きですね。  いつの時代も、子供の好きな物(特に甘い物)は、基本的には変わりませんね。
執着というものは、残しておいても苦しいだけのものになります。  生きていても死んでいても、色んな種類での好き嫌いはありますが、それが 原因で苦しい状態になるまで持ち越してしまうという事が執着という事です。  今日忘れても、また明日思い出してしまいそうとか、今忘れても数分後には思い出して 悩み苦しむというのは、この世あの世を通して、どちらの世界に居ても執着があるという事です。  生きている人でも、執着を持って過ごしている人は多いです。   もし、急に亡くなったとしたら、その執着に見合った世界で住むという事になり、心の苦しい部分が、そのまま表現された景観として目の前に広がる世界となります。   その執着が苦しいものなら、苦しい世界へ逝くという事になります。  亡くなった時の心の状態が、その人の死後の世界を決めるという事です。   なので、生きてる時から自分の心の状態を見直して、出来るだけ良い状態で過ごせる様に気を付けて行くという事が大事になってきます。   浄土真宗の教えで、阿弥陀様にお願いするのは、そういう意味も含めての願いでもありますね。   生きてる内に、心を阿弥陀様に見られても恥ずかしくない様な行いをしていく事。   阿弥陀様に助けて貰えるような自分であるために、常日頃から自分の言動を悔い改めて、それを糧に努力して行く事で、明日の自分の発展に繋げていく事が大事ですからね。   ただ困った事に、そういう教えを生前から受けてない人が殆どなので、死んでからどうして良いかも分からずに、子孫に出て来て苦しみを訴えてくるので、皆さんしんど くなって相談に来られるという事が、お盆やお彼岸には増えてくるんですね。   そういう経験をされてる方々は、今回は前もって先祖供養をして下さいと言って、お盆やお彼岸前に供養を依頼されるという人も増えましたね。   そうした方々は、供養が終わると、何故か身体が軽くなられ、気持ちがスッキリ楽になったと言われます。  多分、先祖が満足されているからだと思います。   後で聞くと、今回のお盆やお彼岸は、身体に変調も起きずに楽でしたという返事が返ってきます。  供養は、ただお経を読んで唱えるだけでは無く、依頼者に連れ立って 先祖達も来られているので、一緒に聞いてもらうという感じで、死んだらどうするのかとか、考えをどうして行けば良いのかとか、真理の教えを伝えながら、疑問があれば 答えて行くという話を1時間ほどかけて、ゆっくり話してあげます。  そうすると、来られた人も、横で聞いてる先祖も理解されてきます。   その頃になると、先祖の気持ちも随分と和らいで、両手を合わせて大人しくなり、身体に変調や痛みの有った依頼者も楽になってる事が多いですね。   それから、お経の内容の話もしながら、その時々での先祖に必要な仏様(阿弥陀様やお釈迦様、薬師如来様等)をお呼びして、引き上げて貰います。   それら一連の事を踏まえて「先祖供養」となります。   道理が分からないまま、お経だけ上げても、先祖は理解してくれませんからね。   先ずは、心にある苦しみの原因を取り除くという作業が、先祖自身の成仏の為に必要なんですよという事もお伝えしていく必要があるんですね。   今日で、秋のお彼岸は終わりますが、お彼岸が終わった後も、先祖の苦しみは続きますので、供養してもらってないぞー!って先祖が出て来て、しんどくなられて相談に やって来られるという日が続くというのが、毎年恒例になってます。   中には、「ちゃんと供養したんですけど」と言われる方も居られますが、先祖に届いてない供養だったりする事が多く、先祖にすると満足されてないというか、理解されて ない為に、ちゃんと教えて欲しいとか、形式だけで済ませない、家族や親族の温かい供養を望まれる先祖も多いですね。   人間は、しっかり心で理解しないと、その後の判断にも影響が出ますし、心で納得しないと、生きていても亡くなっていても動かない生き物であるという事です。   先祖が理解を示し、子孫に感謝し、先ずは自分の為に正しく動こうと決心してくれれば、成仏の道は開け、その道を歩んで行けるんですよ。   そして、先祖と子孫が共に良い方向へと進める様になり、互いの未来は開けてくるんですよ(^_-)-☆   それを分って頂ければ、供養の仕方も自ずと分かって頂けると思います。   私は、お彼岸も明けたので、週明けにでも時間を調節して、お墓の掃除に行って来ようと思います。  


-2015年9月12日-
今月6日、久しぶりに「体験者の感想」を更新しました。   これまで、相談者の皆さんから、除霊や浄化、真理相談や供養などで改善された事での感謝のメールや、体験された感想をメールにて頂いてましたが、メールを頂いた 全ての方々にお返事を書いて済ませていたので、体験者の感想を更新する事を忘れていたようです(-_-;)   それで今回、体験者の感想に載せるとお伝えして了解を得て、4年ぶり(◎_◎;)に更新する事が出来ました(^^ゞ   この方は、何回も真理指導を受けて、自分の行いを訂正する様に指導され、自分では分かってるのに止められないとか、気を付けて行動しないと危ないよという忠告を 守る事が、なかなか出来なかった為、更に悪い悪魔に憑かれてしまいました。  それで、更に辛い日々(命の危険性までありました)を経験するにあたり、ようやく 改心を実行に移す事が出来始めました。  そして、辛い中でも苦労して自分の想いの悪い所を改善され、心の改善を進めて行く事で、何とか自分で祓いや浄化も、 少しずつ出来る様に成長され、今では随分と霊的影響も治まってきたので、そういう辛い思いを、自分の体験を通して知って(魔の存在など)もらい、他の人には そういう辛い経験をされない様に、もし、そうなった時は先生がいてくれるから安心するといいよ、という想いで書いてくださったようです。   今、意識の向上を図る事で影響を抑える事が出来る、力による祓いを行わなくても影響を受けなくする事が出来る、または既に受けてしまった影響を消して いく事が出来るという、更に上の祓いに繋がる修行をされているので、これからも頑張っていきましょうね。  楽に過ごせてる日が、きっと来ますよ(^_-)-☆   これからに向けての前向きなご感想を送って頂き、ありがとうございましたm(__)m
私の方では、毎日の電話相談や電話除霊、来客対応などの仕事の他に、毎日送られて来るメールのお返事に5〜6時間ほど掛かってるので、ついついホームページの更新が 遅れがちになり、読者の皆さんをお待たせしてる事に、申し訳ないな〜と思いながら、今「ちょっと一言」を書いてるところですm(__)m   霊的影響を受けてる人は、力による祓いをしていく事も最初の方は必要になりますが、更に力の強い魔が来た時には、太刀打ち出来なくなる事があるので、祓いの段階を 上げていく必要があります。  簡単な祓いは、息を吹きかけただけ、光を出した手で叩く等で追い払う事が出来ますが、ガッツリ身体に食い込んでるモノは念の力で 抜いて祓います。  更に大人数でやって来た魔の集団には、神仏の御力をお借りして、大きな光で包み込んで、ひとまとめにして祓います。   大抵は、そこまでで何とかなる事が多いですが、それ以上の祓いをしないといけない時があります。   霊的影響を受ける側にも、考え方や生き方、想いの偏りや、想いの執着傾向など、心の状態と、その実践方向に問題があります。   魔は、そういう心の偏った部分に深く食い込んで、その人自身の考えの中に、霊の考えを流し込んで、まるで自分が考えて判断して行動してる様な気にさせ、惑わせてきます。   だから、魔に影響されている事すら気付かずに、自分はそういう人間だからという意識になってしまってる人もいますし、誤りも改善しようとしないとか、気にしない人も いるので、魔を祓う事など思い付かない事も多いようです。   「魔が差す」という言葉は、インターネットの国語辞書を調べると「悪魔が心に入りこんだように、一瞬判断や行動を誤る。出来心を起こす」と書かれています。   これは、霊的に見ても本当にその様に見えます。  上手く捉えてる言葉だと思います。  心に魔が入り込むというのは、入り込まれるだけ、心に隙間があるという事です。   気をしっかりしていないとか、 心に迷いがあったり、悩みやストレスで心に暗い闇の様な隙間(空洞)が出来てしまい、そこに魔が入り込んで一瞬の判断を狂わせ、出来心を起こさせる様に誘導します。   この魔の誘導に乗ってしまうと、自分の意志で発言し、行動してる様に感じたりするんです。  魔に心を動かされ、自分の意志とは違った言い方や行動をしてしまい、 はっ!と気付いた後に、正気に戻るという事は、霊的影響を受けた人は経験があると思います。   また、心の迷いが、理性の制止を受け止められず、後先なしに行動してしまう。  出来心ですね。  これは心の闇の部分が作用しています。   この出来心を反省しないで放っておくと、悪いと思わずにやってしまう事が多くなり、慢性化して行って大きな過ちを犯す事にも繋がります。  慢性化するのは、大抵は 心の闇の部分に何らかの影響を受けての事が多いです。   自分でない自分が、自分の中に居座ってるんですと、必死に訴えてくる人がいますが、その仕組み(心に、魔か誰か分からない者が入り込んで起きてる事)に何となく気付か れて、どうして良いのか分からずに必死に訴えてこられるという相談事が、この仕事をしていると時々あります。   自分でない自分は、その人の心の中に隠れて、悪さを考える魔の存在だと気付いて貰うと改善が早いです。  気付きは、改善の第一歩ですからね。   信仰をし、心の修行をされてる人には、気付きは悟りの第一歩になりますね。  自分を見つめ直し、良い方向へ変えて行くという事を念頭に努力しながら進めて行けば、 苦手な部分を意識改革によって克服して行く事が出来ます。  苦手な部分の対処法を自分なりに気付けた時、少しずつ試しながら上手く運んだ時、心に自信もついてきます。   先ずは自分の置かれた環境や現状を受け入れ、その中で、どうして自分はこの現状にあるのか、それは自分の中の何が原因か、しっかり見ようとしてない事や、逃げてる事は ないかとか、見直す点を認識して、それらの改善点を前向きに進めていける事を探しながら努力していく事です。   それが、明るい自分を取り戻す第一歩になります。  その際に、私が力になれる事もあるでしょうし、神仏の加護を信じて行く中で勇気も貰えます。   自分一人で頑張ってるんじゃないという思いも湧いてきます。  神仏を信じて、力を貸してもらってるという意識で感謝して頑張る人には、必ず神仏の助けが入りますよ。   何でも、ちょっと助かったなと感じたら、まっ先に神様に感謝しとくと、神様にすれば、「いつも感謝されてるから、いつでも力になってやるぞ〜」って手助けしてくれますよ。   この「日々感謝」の想いを習慣にしとくと良いですよ。   それに出来れば、一日の終わりに「今日一日の無事に感謝」も加えると良いですよ。   神棚がある家は、神棚の前で感謝しましょう。  お仏壇のある家は、お仏壇の前で先祖に護って頂ける感謝をすると良いですよ。   心が辛くなると感謝が出来なくなります。  心が一杯一杯になり、そういう心情じゃなくなりますからね。  思い悩む前に、感謝の心を思い出して、何とかなる という気持ちで開き直れば、心に余裕が出るので、そこでまた自分を見直して、改善点や進む道を探していく事も出来る様になりますよ(*^▽^*)   そうして心が鍛えられ、強くなって行けますし、困難に遭っても、自分なりに何とか対処が出来る様になりますよ(^_-)-☆。。   皆さん、共に頑張りましょうね(*^▽^*)