神霊による人生相談

ょっ言。

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-2015年10月26日-
今月も早いもので、もう月末に入りましたね。  月末に入ると、いつも忙しくなります。  忙しくなると、お腹が張ったり、風邪みたいな症状が出たり、 部屋の照明が暗く感じたりします。  お祈りの時間にお経を唱えますが、自分の声が小さく遠く聞こえるような感じ(耳を何かで覆われている様で耳が遠くなった感じ) になったりします。  そういう時は、身体に霊的影響が出ているだけなので、自分でお祓いをします。  影響元が分かってる時は、自分の身体と、影響元からの 念を切り離し、悪さをする霊の存在と、霊から出した念(悪さをしようとする想念)の、どちらも固め(霊的想念の動きを止める)てしまい、霊は別次元(影響に応じて、 適切な世界を神仏に判断してもらいます)へ送り、その世界で改心するまで修行させてもらえるように神様に頼んでから、こちらに影響が無い様に封印しておきます。   残った念は、消してしまいます。  祓いが進むにつれ、遠く小さく聞こえていたお経を唱える声も耳によく入ってくるようになり、視界は開けてきて目の前は明るく 感じられ、頭もスッキリして、何も影響の無い状態に戻ります。  これらは、お経を唱えてる間に済ませます。   私が錫杖を振りながらお経を唱えてる間、「錫杖の振り方やリズムが、急に変わってくるのは何故ですか?」とか、「お経を唱えてる間、何かされてますか?」 と信者さんに聞かれる事がありますが、先に書いた様な事をしていたり、信者さんと一緒の時、信者さんに影響を与えているものが、お経の力に押されて出てくるので、 お経を唱えながら祓ったりしているんですね。   それと、耳が遠くなったまま放っておくと、次の影響に発展していき、後々厄介な事に発展していく確率が上がってくるので、一つでも何かの影響を感じたら、 早めにお祓いをしておくようにしています。   もし、耳に影響が出て、それを放っておけば、次は目に出たり、鼻や喉にも調子の悪さが移って行き、頭全体から身体のあちこちが痛くなったり、ボーっとしたりして気力 まで削がれていきます。  気力が落ちてくると精神的に不安定になり、同時に霊的な防御力も落ちてきます。  人間に憑りつきたい霊は、そこに狙い目を付けて影響を 与えてきます。  そして、思考にも影響が出始めて、偏った考え方になっていったり、情緒不安定から鬱になっていく人もいます。   私のところに相談される時は、だいぶ影響が進んでる状態になっている場合が殆どです。
気付いた時(気付かせて頂いてるんです)早めにとる行動は、自分自身を護るという事であり、自分の未来を生きやすくするという事に繋がります。   今、面倒でやらなければ、数時間後や明日には影響が強く出始めて、それから慌てて祓い出しても時間が何倍も掛かります。   魔は、時間的余裕を与えると、どんどん複雑にしてくるので厄介ですからね。     あと、皆さんの中でもお経を唱えてる方が多いと思いますが、お経を唱えてる最中に、すご〜く眠くなってくる事があると思います。   寝不足でも眠くなりますが、それ以上に、ダルさを伴った眠気と無気力感が湧いてきます。  そうして、魔は時々、お経に集中する事を阻止しようとしてきます。   お経に集中していくと、神仏との繋がりが出来始めますから、それが出来ないようにしてくる訳です。  神仏と繋がれば、魔は簡単に手出しがし難くなるからです。   霊的影響は、身体に憑依する事だけではなく、遠く離れた所から念だけ飛ばして影響を与えてくる事もあります。   そういう場合は、一般的な不成仏霊ではなく、宗教霊や地獄霊の割合が多くなりますね。  みんな、それぞれに念を使い分けて送り込んできます。   魔界でも、ある程度の実力者が多いです。  その中でも結構多いのが、元修行者の霊です。  生前は頑張って修行に打ち込んでいたのに、早く法力を身につけたい、 早く上の段階に上がりたい等という気持ちが焦りを生み、魔の囁きに心を奪われてしまい、転落した修行者の霊です。   宗教地獄では、密教系は念力を使って身体を痛めつけてくる事が多く、力関係の高い低いで優劣を感じている者が大半で、魔界の弟子を送り込んできたりします。   念仏系は祈りの力で身体に念を埋め込んできたり、間違った教えを正しい教えと思わせ惑わせてきます。   生前、修行の段階で思い違いから道を外した修行者が、地獄では偉くなって威張ってる事があり、この世で正しい道を目指して頑張る修行者を、生前の自分と同じ様に道を 踏み外させようと、引き落としにかかります。  真理を学んで頑張る者は、必ずと言っていいほど、一度位は魔に狙われます。  でも、心を磨いて強くしていれば、 どんな者がやって来ても大丈夫です。   修行は偉くなる為ではなく、心を磨くために、色んな修行方法をとるという事なので、色んな方向から自分に合った修行形態を見つけ、その方面から真理の道を歩んで 行きながら、心を磨いていけば良いと思います。  それが荒行でも、地道に経文を唱えたり、教えを学びながら心を深めていくという修行でも構わないという事です。   皆、それぞれ魂の気質・性質が違うので、これが一番正しい修行であるとは一概に言えないと思います。  神仏の光の方へ向いた修行であれば良いと思いますよ。   日々、神仏の光を与えてもらってるイメージをして、身体の中に神仏の光を取り入れましょう。  イメージとして、日光浴する感じから始めて、その光を身体の中へ引 きこんでいく感じとか、光が身体の中に浸透してくる感じとか、それぞれ自分に合ったイメージ作りをして、自分の身体の中が神仏の光が充満して光ってる様にすれば、 エネルギー満タンという感じです。  それが、魔の影響から身を護る為の「力の基」になるエネルギーです。   それを沢山取り入れる事が出来る人は、抵抗力や防御力が大きいと言えます。   神仏の光を信じて頑張る力や、真理を学びながら成長して行こうとする努力の積み重ねが、神仏との繋がりを太くし、大きな力を享受する事も出来ますし、 心の成長に繋がります。  心の成長は、魂の霊格の向上です。  霊格が向上すると、それまで以上の大きく明るい光を受ける事が出来、それが一段上の真理の 理解を得る事が出来るようになります。  それは、気付きとして今後の悟りに繋がっていきます。  信じて焦らず、頑張って努力して行けば、自然と心は向上して くるので、大きな力を得る事だけに執着を持たないで済みます。  大きな力を得る事は、おまけ(付属)と考えましょう。   気付いたら、必要な時に使えてるわー!って感じです。   心は光輝いて生き仏の様でも、普段の生活は普通の人として、無意味に威張る事無く、悪い影響は受けにくい様にと努力し続け、サラッとした気持ちで過ごして行く事を 目標としていきましょうね(^_-)-☆
  偉いとか、凄いとかは、自分で決める事ではなく、周りがその様に認識し、決められていくものですからね。   次回の更新は、パソコンを修理に出すので、来月半ば頃になりそうですm(__)m  早めに戻ってきたらいいな〜(^^ゞ  


-2015年10月10日-
今年も早いもので、もう10月に入り、朝晩が涼しいとより寒く感じられる季節となってきましたね。   日中は、サラッとして爽やかなので、気持ちよく出歩けますね。  お参りには、とても良い季節に入りました。   これからが紅葉の季節なので、私の住んでる滋賀や、お隣の京都など各地の神社仏閣には立派な庭園や、近隣の山々が見事に紅葉してきて、仏様の仏像を眺めて 心を癒され、安らげて、見事な紅葉の景色を見ると、また新たな感動が生まれる事だと思います。
紅葉した同じ景色を見ても、心の状態によって見え方や感動の違いが出て来ます。   心がしんどい時に綺麗な景色を見ても、ただ目に映るものを見てる、または、ただ見えているだけ、という感じのものになり、感動するという心境にはなり難いですよね。   そして、気付かない内に、見えてる景色の視野まで狭くなってます。  心がしんどい時は、周りを見渡して眺めるという、心の余裕も無くなってる事が多いです。   また、心が不安や悩み等で、萎んで窮屈になって固まってしまった様な状態では、心の狭さが目の視野の広さに反映されるんです。   広く見ようとしないというか、広く見る事自体すらも負担に感じてしまい、広く見れない気持ちという感じです。   見えてるものを意識したり、イメージを巡らせたりする範囲も狭くなり、視野が狭いという感じになります。  見えてるけど、見えて無い様な状態ですね。   なので、視界の隅に映ってるはずの景色も、本人には見えてない状態のようになっていて、大事な事も見落としたり、注意力も散漫になり易く、正面に見えてるはずの物も 見誤ったり、見落としたりする事があります。  それら全ては、心の状態の良し悪しによるものからきているという事です。   そういう状態で綺麗な景色を見ても、感動は生まれてきませんね。  そういう状態の人に、綺麗なお花を見て綺麗と思える?って聞いた事があります。   その人は、「綺麗な花を見たら、綺麗な事は分かる。でも、それだけでしかなく、それ以上は何も感じません」と言われました。  綺麗な景色を見てもに何も感じない? って聞いたら、「綺麗な景色が見えてるというだけです」という感じの答えでした。  綺麗だなー!って思わないって聞いたら、「そういう感情は湧いてこない」 また、「余計に辛くなるので、感情を出さない様になった」という事を言われました。   そういう心の状態では、見るものも味気無く映りますし、耳も聴こえ難くなり易く、大事な事を聞き逃す事もあります。   五感(五つの感覚)に通じる、五官(五つの器官)の働きが鈍くなった様な感じになります。   五官は五つの器官(眼・耳・鼻・舌・皮膚)を通して外界からの情報を得る事により、それらが五感(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚)という五つの感覚にそれぞれに 結びつく事で、人間は色んな状況を判断したり行動に移します。   これは「般若心経」というお経の中の(無眼耳鼻舌身意)という件で出てきますね。  般若心経を唱えた事がある人は、ピン!と来てると思いますし、もう大体は 言いたい事が分かるだろうと思います。  その五感の働き全てに作用するものが「意識」というものであり、人間の「心」にあたる部分ですね。   人間は、この五官を通して得た情報で五感を働かせてます。   また、意識という「心」の状態により、感情や気持ちが良くなったり、悪くなったりしながら、感情のコントロールを行っています。   また、心の状態が悪くなると、五感の働きも悪くなり、五官から送られてくる大事な情報を正しく汲み取れなくなり、正しい判断に狂いが生じてきます。     人間は、心という意識があって、意識して見るという事で、眼は見たものを必要な情報として受け取り、他の感覚器官からも必要な情報を補ったりして、 総合的な判断が出来るようになります。  そうして、眼は眼を通しての役割を果たして行けますし、眼は眼であり続けられるという事が言えるんですね。   他の器官も同様に、結びつき合い助け合っているんですね。   心に大きな負担が掛かると、心の調子が悪くなり、色んな情報をしっかり汲み取れなくなったせいで、綺麗なものを見ても感情も感動も、思う様に湧いて来なくなります。   だから、綺麗なものを見たとしても、単に眼で見る「見えてる」という情報だけで止まってしまい、しっかりと心まで届かない為、相談者さんの様に、感動という感情が 湧いて来なかったんでしょうね。   まあ、「見る」という視点から、真理を踏まえて本当にザックリと話しましたが、般若心経を学ばれてる人は、更に深く想いを馳せて行かれると良いと思います。   それとね、冒頭で話した綺麗な物や景色を見て感動出来なかった人は、ちゃんと心を癒されて、私の所から帰られる頃には、目がキラキラされてましたよ(^_-)-☆   そして、心の状態が改善された後は、正面に飾られていた花に直ぐに気付かれて、綺麗な花ですね〜♪とか、アニメのキャラクターが飾ってありますね〜♪ 可愛いな〜♪ と、さっきまで、話し相手の私以外は、何も見えてなかったかの様な感じから、部屋の中を見渡して、あ〜こんな感じの部屋だったんだ〜!って、部屋の中をキョロキョロ 見渡してました。  部屋に入ってから、そうなるまで既に2〜3時間経ってました。  もう、視界に入ってくるもの全てに驚かれてる様子です。   そして、色んな事に気付かれ始めてました。  正面に飾ってある花を見て話していたのに、花がある事すら全く気付かなかった自分の状態にも驚かれていましたし、 それだけ視野が狭く、見ている様で見ていないのと同じだった事に、とても驚かれてました。   視野が広く見れるという事が、どれだけ楽で楽しい事だったのかを思い出して貰えたようでした。   視野が広いという事は、心が広いという事と同じです。  心が広い人は、物事を広く大きく捉える事が出来るので、色んな角度から見て判断出来るので、アイデアも 豊富に出て来るんですね。  そして、悩みという事に対しても、広く捉えるので、小さな事は流して考える事が出来る様になります。  心が狭いと、小さな事まで悩み の種になり、大きな苦しみの元になってしまいますからね。   広い心を持っていれば、常に心に余裕を持てる様になります。  心の余裕は、自分の中に停滞している事に対しての気付きを生み、その気付きから改善への道を開いて 行く事が出来ます。  自分を助けるには、心に余裕が必要です。  先ずは、余裕を持てる様に、余裕が持てないならば、その理由を何とかするように努力すれば、 改善への道へ導かれますよ。  もう駄目と思ったら、不動明王様や阿弥陀如来様などにお願いしてみましょう。  大丈夫ですよ(^_-)-☆  私の所へ来られても、 同じ様に仏さん達にお願いするんですからね(^_-)-☆  癒されて、心が固まった部分が溶けますよ。  そうして皆さん、元気への第一歩を踏み出すんですよ。   まだ時間が有ったので、琵琶湖を案内してあげると、琵琶湖の雄大さや自然の景色に、とても感動されてました。   本人的には、全てがすごく煌めいて見えくると、全て目に飛び込んでくる光の量が増えた様な感じらしく、いつもの自分じゃないみたいー(≧▽≦)♪って言われてました。   元気な頃の自分を思い出されたようです。  良かった良かった(^^♪    「また来ます! 今度は真理の勉強をしに!」って元気に帰られました(^−^)v   心が楽になると、考えも良い方向へ進みやすいですし、人間性も明るく前向きに変わっていけますね(^_-)-☆