神霊による人生相談

ょっ言。

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-2016年1月22日-
今日は、前回からの続きで、秋葉一尺坊様からのお話しをします。
赤い欄干(赤色の手すりです)の橋を渡って右手に、秋葉一尺坊さまが居られます。   私が小さい頃から、家の人が秋葉一尺坊様の事を「秋葉さん」と呼んでいたので、今でも親しみを込めて「秋葉さん」と呼ばせてもらってます。   そのお姿は、白狐に乗って、右手に剣と、左手に羂索(縄ですね)を持ち、背中に火炎を背負った烏天狗のお姿をされてます。   山中で不動明王の不動三昧の修業をされてた僧が変化してなった姿と言われてます。   確かに不動明王様と同じ様な火炎を背負って、不動様の持ち物と同じ「剣と羂索」を持ってますしね。   お山での不動三昧の修業では、山の神様、天狗等の神通力も合わせて体得された時に、不動明王に山の神や天狗の力が合わさった形をとるに至ったと思います。   それが、そのまま秋葉さん特有の霊力となってるんですね。   霊界は、その者の霊力の特徴に見合った姿をとるようになるので、修行の成果として体得された霊力を、その姿として現わされたという事も言えるでしょうね。   という事で、秋葉さんの後ろの山を見上げていくと、山の稜線にズラーッと並んだ天狗さんが、一斉に私のいる方を見下ろしてます。   「あー! みんな来てたんかー! お酒お供えするから、皆で飲んでやー!」って、周りに誰も居ないので声に出して伝えます。   声に出すのは、人間の意思表示を外に示すためのようなもので、実際の霊界とのやり取りは心の声で行います。   この時、自分の声と同時に心の声でも伝えますが、心の声の方が大きいです。  山全体に響き渡るようなイメージで行います。   お山全体の霊域に伝える訳なので、大きな声のイメージで伝えないと全体に伝わりませんからね。   後、同時に気を付けて行う事は、意識的に一歩引いて、お山の霊界に関わってるという感じです。  一歩引くという事が、霊界に取り込まれないという身の安全に繋がります。   霊界とのコンタクトは、自分の意識が全部そっちに行ってしまうと、何かの時に戻り難くなって、数時間も気絶してるような状態になったりするので、一歩引いているという感覚が大事です。   これは、霊的な仕事をする人には絶対必要な感覚です。  霊的作業の際に、相手の影響している霊界の引力に引っ張られて、戻れなくなるという事は避けないといけませんからね。   霊的なものに夢中になるという事は、自分の意識の大半が、そっち側へ行ってしまうという事ですから、気付いた時には、もう取り込まれてしまい、自由に戻れなくなる、そういう危険性を合わせ 持つという事を気に掛けておくと良いですね。  また、一歩引くと、自分を見失わずに済み、結果的に余裕を持って広く見れるので、大きな世界の中に居る自分という、小さな存在になった感覚に 陥らずに済みますので、しっかりと判断出来る意識を保ちやすくなります。   それが自分を護るという事にも繋がりますし、相手側との対応も容易に出来る様に持っていくという力にも繋がります。   という事で、ちょっと説明と注意点が長くなってしまいましたね(^^;)   (私の記事は、宗教者さん、神社仏閣の関係者さん、霊能者さん等も読まれたり、相談やご指導もさせて頂いているので、アドバイス的に書いておきました)  では、お話に戻りますね。   お山に対しての私の声掛けが、まだ来られてない者にも伝わって、暫くすると更に大勢の天狗さんや、山の神が来られます。   「先生が酒を供えてくれてるぞー!」って声も聴こえます。   「そうそう、供えておくから皆で飲んでやー!」って言います。   そういうやり取りを知らない人から見たら、私が独り言を呟いたり、誰かと喋って受け答えしてるという、変な人に見えるでしょうね。  そして、たまに一人で笑いますからね。   皆とのやり取りで笑うんですが、他の人には見えないので、一人でニヤニヤしたり、笑ったりするので、絶対、近寄ったらあかん人と思われるでしょうね。   普段は親と行っていて、解説しながら喋りますので独り言も理解してもらえてます。  ここにも、一緒に行けるような信者さんが居れば助かるんですけどね(^^;)   秋葉さんは、普段あまり人間と喋る機会がないので、私が来るとニコニコされます。   時々、頭を撫でてあげると嬉しそうですが、皆の手前(皆が一斉にこっちを見てるので)、恥ずかしいようなので「エヘン!」と咳払いをして、もういいよ という合図されたりします。   ここで、秋葉さんからの注意点が降りてきました。   お山を汚したり、荒したりする人間には、厳しい事をされるので、それが怖いという意識を持たせるという事もあるようです。  興味半分で、お山の神仏と対してしまうと危ないよという事を、 お山に上がって来る人間に、広く知っておいてもらいたいという秋葉さんの想いがあるようです。  お山の者の中には、人間に対して厳しい目で見てる者も居るので、そういう者が、人間に 霊力を使うと、結構な目に遭わされる事が昔からあるので、気を付けなさいよとも言われます。   なので、対応に気を遣うとか、ちゃんとしないと怖い事をされるとかいう噂が出たりするので、信心してる人以外は寄って来ないのかも知れません。  でも、気をしっかり張って、気持ち良く、 正直に接していれば、力を貸してくださいます。  「神とは、そういうもんじゃ!」と言われてます。  理屈や難しい事を考えるより、人間の基本精神が大事という事を言われてます。   という事で、秋葉さんのご意見を書かせて頂きましたm(__)m   まあ、こういう修行場に居られる神仏は、全体的に気性の荒い方が多いので、お世話や接し方が難しいという意識を人間の方が持ちますが、私の様にボヤ〜っとした人間でも大丈夫です。   神には、正直で、真っ直ぐに敬う気持ちと、信義の精神を持って対していれば大丈夫ですよ(^_-)-☆   後は信心からの愛情の精神を高めていけば、神仏様なので、自然とそういう気持ちを酌んでくれますよ。   何だか、秋葉さんの想いが沢山伝わって来て、話が真理指導みたいになってますね(^^;)  普段、そういう事を想われていて、この機会に言いたい事を伝えて来られたんだと思います。   「先生! すまんな〜!」という声が入ってきました。  ちょっと気持ちが落ち着いたので、秋葉さんも落ち着かれたんだと思います。  「さ〜て! では、これから宴会じゃのー!」と 嬉しそうな声がして、色んな神が降りて来られた感じがします。  宴会するほど、お酒供えてないんですが、、まあ、いいっか!  お酒なんか、勝手に増えますし。  樽もある様に感じます。   皆、好きなように増やしてるわ〜♪って思いながら、秋葉さんにもお祈りを済ませて、ようやくお滝場の所に着きました。   今回は、秋葉さんの所で沢山書いてしまいましたので、切りが良いところで終わせて頂き、次回は「お滝場」の所からのお話をしますね〜(@^^)/~~~  


-2016年1月17日-
前回、新年の挨拶をしてから、暫くゆっくり過ごしていたら、もうお正月も終わってしまいました。
今月は、これまでの年に比べて、ゆっくりと過ごせているので、身体の方は楽なはずなんですが、年末年始に動く魔の影響が続いて出ているので、色んなんところに影響が出て困りものです。   でも、時間がある分、普段行けてない神社仏閣へも、お参りに行けてるので良しとしましょう。   前回に書いた「駒ヶ瀧不動尊」へも、お参りに行けました。   年明け1週間以内にお参りするのは、ここ数年間で久しぶりでしたので、出会う仏様達からは「先生!今年は早いお参りじゃな〜!」って言われました(^^ゞ   私がお参りする駒ヶ瀧不動尊は、京都の南禅寺の山手の中腹辺りに位置し、テレビドラマにも出て来る有名な「水路閣」に沿って道を上がって行くと、直ぐに「駒ヶ瀧 最勝院」というお寺が 見えてきますので、そのお寺の奥の院という所になります。  この最勝院の本堂には「福徳円満大黒天」と「払災殖福不動尊」が安置されています。   そのお不動の横には、お地蔵さまが並んでます。  このお堂で、お酒をお供えし、お地蔵さまにはお酒とジュースをお供えします。   そしてお堂の前で「不動経」や「般若心経」を唱え、昨年1年間の無事と指導に感謝を述べて、新年の挨拶をし、今年一年間とそれ以降のご指導とお守りを祈願します。   お地蔵さまは、大人のお地蔵さまも居られますが、子供のお地蔵さんもいますので、飴や、お菓子やジュース等をお供えしてあげると、とても喜んでくれて、「何かあったらいけないから、お山を 下りるまで、先生について行ってあげるよ〜♪」って言ってくれます。  では、これから最勝院の右横手にある通用口を抜けて、山の中へ入っていく事にします。   ここから先が、宗教者や霊能者、修行者さん位しか行かない場所(たまに観光客やハイキングの人が上がって行かれますけどね)になり、歩き出して何時もの場所辺りで、山の霊気がフッと変わるの を感じます。   昔は、もっと木がうっそうと茂っていて、日中でも暗かったんですが、数年前から随分と木を伐採され出したので、昼間の日光が射し込むようになり、だいぶ明るくなりました。   これだけでも雰囲気が明るくなり、怖さが全然違います。  怖いというのは、道の両側には、色んな霊が無防備な人間にとり憑こうとこっちを見てるからです。   でも、陽の光が射してるので、チラホラ程度には減りました。   ですが、最近では、用心して前日より祓いを掛けておくので、私がその道を通る頃には霊の姿はありませんので、気持ちよく歩いて行けるようになりました。   でも、当日は何が出るか分かりませんので、用心だけはして歩いてます。  山道を少し上がって右手の所に、我が家が「大杉さん」と呼んでいる「大杉大神・豊作大神・豊丸大神」の 碑が建っています。  ここでも、お酒をお供えしてから、お祈りをして、新年の挨拶をします。  「久しぶりじゃのぅ〜、この前来てくれたのは、いつだったかのぅ〜」って珍しがられました。  まあ、1年ぶりですからね(^^;)   この数年、新年の挨拶しか行けてない状態なので仕方ありません。  お祈りをしてる間、周囲の気配が変わる時がありますが、山の者が様子を見に来てるだけです。   碑の建ってる裏側は、低い崖の様になって、その下は沢になってるので、裏に人は立つ事は難しいのですが、沢山の者の気が裏側から覗いてる感じがします。   この「大杉さん」の碑の場所から、修行の山に入るという境目なので、これから どんな人間が山に入ってくるのか見定めに来てます。   その情報が、山の上まで伝達されて行きます。  そういう役割分担等は、山でも、神社でも、お寺でも、ちゃんと整っているんですね。   なので、山の者達用に、もう一つ、コップに入れたお酒をお供えしてあげると、ザワザワした気配が大人しくなります。  お礼の言葉のイメージが入ってきます。   皆さんで飲んでくださいねー!って言って、大杉さんに頭を下げて、また山道を上がって行きます。  暫く歩くと、階段があるので、ボチボチと上がって行きます。   もう40年間は毎年通った山道や階段ですが、私のお婆ちゃんも生前、若い頃から通っていたので、代々100年間以上は西岡家の者が通ってる事になりますね。   この階段で、身体が少し重く感じる事がありますが、大体は私の先祖さんが一緒に付いて来てるからです。  今はもう亡きお婆ちゃんも、私と一緒に階段を上がってます。   暫く横に並んで上がりますが、階段が残り少なくなってくると、スゥ〜っと先に上がって行かれます。  そして、階段を上がった所にある「駒大僧正」が祀られてあるお堂に先に参られます。   そして、後から上がってくる私達の事を先に頼んでおいてくれます。  お婆ちゃんは、いつも先に、先に行って頼んでおいてくれるので、ありがたいです♪   私が小さい頃、このお堂の前を、よく箒で掃いてました。  今は、綺麗に掃かれてあるので、掃く事も無くなりましたが、たまに落ち葉が吹き込んで散らかってる時には、備え付けの箒で掃いたり、 モップを水で濡らして石の床を拭いたりしてます。  掃いてると、小さい頃の記憶が想い起されて、懐かしくなりますね。  ここでも、お酒をお供えしてお祈りをする中で、これから行く滝の 周囲や、通る道など全てを浄化する為に、駒大僧正様にお願いしながら、浄化の光を膨らませていって、残ってる厄介な気を消していきます。  これで更に修行場の浄化が出来たので、安心感が 大きくなります。  ここでも、お婆ちゃんが隣でお祈りしてるイメージがありました。  お祖父ちゃんも居ましたし、子供達も一緒にお祈りしてるようでした。   「今年は早いお参りじゃな! 寒い中、よう参ってくれたな〜! 皆も待っとるので、まあ、ゆっくり参っていけよ〜」って言ってくださいました。  私は感謝の言葉を述べて、 では行ってきます!と言って、お祈りを終えました。   駒大僧正さまの祠の上を見上げると、向こうに「お滝場」が見えて、その横に大日大聖不動明王様の姿が見えてます。  お正月なので、不動明王様の両側にお花が沢山活けて あって、お顔が半分隠れてますね。  では、そろそろ、赤い色の短い橋を渡って、お滝場へ向かいましょう。  次回は、橋を渡ったところに居られる「秋葉一尺坊」様からのお話です。  


-2016年1月4日-
皆様、明けまして おめでとうございます。
また今年も、「ちょっと一言」を読まれた皆様の心に、真理の光が届きますように ☆。。
本年も、どうぞ宜しくお願い致しますm(__)m

新年が明けたと思ったら、三が日も終わり、もう普段通りの生活に戻りつつありますね。   三が日の間は、地元の神社へ初詣に行ったり、車の御祈祷をしに行ったり、買い物したりしてました。   我が家に集結された神様や仏様方は、めいめいのグループに分かれてお酒飲んだり、お節料理を食べたりしながら、わいわいと賑やかに過ごされました。   年始のお祈りでは、不動様に直径50cm位の大きさの盃に、なみなみと注がれたお酒を勧められました。   毎年、恒例になってきたな〜と思いつつ、ちょっとだけ残す感じで、一気に飲み干して不動様へ御返盃です。  飲んでる最中に、周りの神様方が「おぉー! おぉー!」と、めいめいに歓声を 上げられ、「先生!今年は飲むのが早よ〜なったな〜♪」と、神様達は何となく嬉しそうです♪   不動様は、私が毎年、何回も分けて、フゥーフゥー言いながら飲んでる姿を見てるので、 ちょっとビックリされてましたが、「ワハハハー! よっしゃ!よっしゃ! それで良いんじゃー♪」って笑って盃を受け取られました。   そして、不動様が同じ盃(心なしか、私の時より大きくなったような気が。。)でお酒を飲まれ、それを隣の神様に渡されてました。   渡された神様達は、皆同じ様にお酒を飲まれて、また次の隣の神様へと順々に盃が回されて、何人居られるのか分からない位、遠くまで盃が渡って行きました。   「回した盃は、暫く戻って来んからのぅ〜」って、どこまで回されて行くんかな〜?  何か、遠くの方まで神様方が並んでるので、遠く見えなくなるまで盃が回っていくんだろうな〜 って思いました。   「これが無いと、正月が来た気がせんわ!」って、不動様はご機嫌です。  私は、神様がご機嫌さんならそれで良いので、そうですね〜♪って言いながら笑ってました。   そして次は、不動様が思い出したように、「先生!久しぶりに剣で身体を切ってやろうか!」って言われたので、「うわー! めっちゃ久しぶりですね〜! 修行していた頃を思い出しますね!」と 言うと、「ちゃんと切れるかな〜♪」って、喜んでるのか、面白がってるのか(^^;)  でも、そう言われると、最近は忙しくて修行とかも、ちゃんとしてないし、ちょっと心配になってきました。   綺麗にスパン!スパン!と空を切る様に、剣が何の引っ掛かりも無く身体を通せば良し、もし剣が引っ掛かったり、刺さってしまうと、そこの心の状態に悪いものがあるという事になります。   МRI検査の様に、身体(霊体です)を輪切りにする様に、切られて確かめられます。   まあ、不動様は笑いながら縦横斜めと、バシ!バシ!とめちゃくちゃに切られますので、どこかでグサッ!となったり、カツン!と剣が悪いものに刺さったりしたら、ヒェー!(゚Д゚;)!ってなって しまいます。  悪いとこは炎の剣で焼かれ、その後、悪い根源をつきとめ、繋がった縁が今後も繋がらない様にと、悪いものを留めた心の改善の修行をしていかないといけません。   「では、いくぞー!」という不動様の掛け声と同時に、私は目を瞑り、自身の気を空の状態に保ちました。   ブォーン! シュィーン! シャッ! シャッ!と、剣が風を切るような音だけが何回も聴こえています。  不動様の剣で、何回も私の身体を縦横無尽に切り刻まれても、剣は空を切る様に、 私の身体を通り抜けていくだけなので、「まあ大丈夫じゃな!」という事になりました。  やれやれ(^^;)   自分では気づかない、ちょっとした事でも剣は敏感に察知して反応するので少し怖かったです。   次は、家族や家土地に、でっかい火柱を立てて、それが透明な光の柱になるまで祓い清めをして、無事終了です(^^♪   お正月に悪いものを見つけて祓う儀式も無事に済みましたので、自分の分と合わせて、ホッと一安心です。   「まあ、大体終わったな 今年も頑張れよ」と不動様はそう言われて、「ワシは、そろそろ酒が切れてきたから、宴会場へ戻るとするか〜♪ ワハハハー!」って、また不動様や神様方は、 宴会の続きをするそうで、奥の宴会場へ帰って行かれました。   いつものお正月の一場面でした(^^♪   明日は、京都の南禅寺にある駒ケ瀧不動尊へお参りに行ってきます。