神霊による人生相談

ょっ言。

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-2016年2月22日-
今月も早くも半ばを過ぎ、月末に入りましたね。   この記事を書き始めた時は10日も前だったので、時間の余裕がありましたが、月末に差し掛かると普段どりバタバタの毎日です(^^;)   それでも、空いてる日にお参りに行ってきました。   伏見稲荷は外国の観光客で一杯で、駐車場も満車続きのようなので、ゆっくりお参り出来る、三十三間堂の観音様達と、翌日は大阪の成田不動尊に行ってきました。   伏見稲荷は、「外国人に人気の日本の観光スポット」で第一位に選ばれたので、更に人出が多くなってます。   伏見稲荷の神様に、「今の時期のお参りはどうですか?」と聴いてみたら、「今は、まだ混んでるから、ゆっくりお祈りも出来んよ」と言われました。   色んな国から色んな人が来るから、その分だけ色んな気が境内に充満していて、中には良くないものもあるから、もう少しおさまってからの方が良いという感じです。   そういう事なら、こちらでも浄化しておいて、ある程度、気を鎮めてから行こうと思います。   伏見稲荷の境内には、沢山の狐さんの像があります。  それら、あちこちに配置されている狐さんに聴いてみると、 その場所の近辺に起きている霊的影響を教えてくれます。  人間は千本鳥居をくぐって山の奥に入って行きますが、狐さんの世界へ行くにも千本鳥居があります。   その鳥居をくぐって行くと、広い世界へ出ます。  そこが狐さんの世界です。  昔の農村のような風景が広がっています。  田んぼには、金色に実った稲穂が垂れていますし、 野原には、思い思いに飛び跳ねて遊ぶ小狐も居ます。   大きくて立派なお堂も建っています。  そこには、狐さんの「主」である白狐の大狐がいます。  その白狐は、九尾の狐で尻尾が9本あります。   余り知られていないと思いますが、普段は9本の尾を一つにまとめているので、太い1本の尾に見えます。  霊力を使う時だけ尻尾は広がります。  額に玉の模様があります。   大きさは、私が狐の頭の上に、ゆったり座って乗れる位ですから、背丈は20メートル位でしょうか。  真っ白で、フサフサした毛を撫でてると何故か落ち着きます。   あと、そのまま九尾の狐さんの身体をソファー代わりにしてウトウトするのも好きです。  太く長い尻尾を身体に掛けてもらってると暖かいです。   普段は優しい狐さんですが、怒ると数千匹の狐の大軍を引き連れて、悪さをする魔物達の中に突っ込んで行き、魔物達を食いちぎって霊力を消してしまうので頼もしいです。   決して怖くはありません。   稲荷山の狐さんは神道系の狐さんですが、愛知県の豊川稲荷の狐さんは、仏教系の狐さんになります。  豊川稲荷の狐さんは、軍隊のような戦闘部隊の狐さんです。   私も以前は、よくこの狐さん達に魔の退治を助けてもらってました。  物凄い数で魔を取り囲んで、食べ尽してしまいます。  後は、何も残りません。   戦いは統制が取れていて無駄が無く、魔を動けなくして全部食べてしまい、次の部隊と合流して更に多くの魔を食い尽くします。  全部食べたら、終わりましたー♪って言って、私がご苦労さん! と言うと、何かあったらまた呼んでください!って言ってくれたと思ったら、ブワー!っと一斉に引き上げて行かれます。  あっという間の出来事で済んでしまいます。   なので、ちゃんとしてないと、人間にも強く影響が出ます。  この辺りが、信仰するのは良いけど、ちゃんとしてないと怖いよ〜と言われるところでもあります(^^;)   ちょっと話が豊川稲荷の方へ逸れてしまいましたね。  では、話を戻しますね。
千本鳥居の周辺は、特に人間を狙う霊が潜んでるので、森の中を祓わないといけませんね。  伏見稲荷は、お参りに行く人が多いですから、ちょっとだけ書いておきますね。   最初の千本鳥居を抜けた所にある奥の院は、まだマシのようです。  おもかる石の辺りは、ちょっと人間に興味のある霊が近くに居ますが、まあ大丈夫そうです。   「おもかる石」は、石に向かってお願い事をしてから、石を上げてみて、その重さを軽く感じるか、重く感じるかで願い事の叶う割合を感じ取るという、占いみたいなものですが、 それをする為に、列になって待つ人間や、一生懸命やってる人間の姿を珍しそうに見てるんですね。  狐さんや、狸さんがいますが、もっと奥には蛇さんもいますね。   蛇さんは、あまり出て来ないので大丈夫です。  でも、人間の方が蛇の居る奥の方の場所まで行くので、そこで影響を受けてます。   まあ、死んで霊界へ行って動物化した、元は人間だった魂でしょうね。  滅多に悪さはしないですが、境内の中で人間が失礼な事をすると、何処からかバーッと出て来て仕返しされます。   四ッ辻の辺りは、京都市内を観望出来るスポットで、下から上がって来て、先ずは一服という最初の休憩場所です。  私が小さい頃は、よくここでお昼ご飯を食べてました。   俳優の西村和彦さんのご実家で、ご両親がされてる 「にしむら亭」というお店で、うどんが美味しいです。  甘味処でもあります。   私が、神様との交信を始めたくらいの時、西村さんが、まだ学生さんで、俳優業をされてない時、お父さんが息子が 東京に行って俳優を目指してるんですけど、そんな夢みたいな事、出来るもんですかね〜って仰ってました。  でも、行く言うたら聞かへんし、親としては応援しようと思てるんですわ〜とも 言われてましたね。  良いご両親だと思いました。  その時に、西村和彦さんが鞄を肩に掛けて学校から帰って来て、お客さんに挨拶せえよーと言われて、 私たちに向かってペコっとだけ頭を下げて部屋に入って行かれましたのを思い出しました。  ご両親は、息子さんの事をとても気にされてたのが印象に残ってます。   今は京都を代表する有名な俳優さんになられてますね。  その後、少しの間ご両親と神様やお店の話をした後、お店を出て、いつもの様に稲荷山を回りました。  ちょっと昔話でした(^^;)   稲荷山には、ぐるっと山中を巡る様に鳥居は続いてます。  道はゆったり並んで歩けない様な狭い所もあるし、その時には左右にある祠を見ないようにして通り過ぎましょう。   祠の中から狐さんが見てますからね。  空き缶や、手に持ったゴミ等を、捨てる所が無いからと、祠の横や、どこかの隙間に入れて帰ったりすると、山を下りる間や帰り道などで、怪我したり する事がありますよ。   たまに、小さな祠の中に空き缶が入れられてあったりするので、その人が後で酷い目に遭ってないか心配になります。   それと、山の中でのお供え物は、持って帰りましょう。  ローソクの火は消しておきましょう。  カラスがお供え物を散らかしたり、火のついたローソクをくちばしで加えて放り投げたりして、 ローソクの火が近くの物に燃え移ったりします。  それで火の無い場所から火が出て火事になったりしたらしいです。  カラスは毎日、火のついたローソクを見ているので、火を怖がらなくなり、 ローソクを口ばしで摘まんで放り投げたりして遊んだりしている内に、お供え物に火が燃え移ったりするそうです。   冬場のカラス達は、ローソクを並べて燈しておく専用ケースの上に乗って、温まった天井にうずくまって暖をとって休んでます。   それで、人間が近寄ると、「暖かい所で休んでるんだから邪魔するな」というような目で、絶対動かんからなーという態度で動かずにじっとしているカラスや、せっかく温まってたのに〜って 残念な感じを残して飛んでいくカラスもいます。   カラス達も、自分達の過ごしやすい様に知恵をつけてきているんですね。   あと、最近は「神馬」に人参をお供えしてくれる人が増えましたね。  神馬さんも喜んでました♪  普段、お水などは供えて貰えないので、人参は水分があって喉も潤うので嬉しいそうです。   伏見稲荷は、朝早くに参拝に行くようにすると、観光客も少ないようなので、まだマシのようですね。  早起きして行かないとね(^_-)-☆   そろそろ暖かくなってきたので、比叡山の無動寺や、鞍馬山の鞍馬寺へもお参りに行かないとな〜って思ってます(^^)   先ずは鞍馬寺ですかね。  久しぶりに宇宙からのパワーを貰いに行こうと思います。   鞍馬寺へ上がって行く道の途中にある「由岐神社」では、ご神木から生命のパワーと、木の根からは大地のパワーを貰えますしね(^_-)-☆


-2016年2月4日-
今日は、前回からの続きで「お滝場」からのお話です。
お滝場は、修行者さんが滝行(滝から流れ落ちる水に身をうたれる修行です)が出来る様に、滝つぼは平らな石が敷いてあります。   広さは4畳半位でしょうかね。  その石の上に立って身体に水を受けます。  流れ落ちる水量は、さほど多くなく、水を肩口から背中辺りに当てて経文を唱えます。   水量の多い時は、身体が押し潰されそうになる勢いで水が落ちてきます。  頭に直接受けてたら鞭打ち症になるか、弾みで首の骨が折れますよ。   滝行は、経文を唱えながら精神を統一する事で、邪念を祓い、精神と肉体を清浄しながら鍛え、磨いていく事で、神仏の心と一体になって行く修行です。   その中で、不動明王と一体になる感じを受けます。  そこから不動明王の教えを軸とした悟りが始まって行きます。   それを呼び起すのも修行での大事な部分です。  その為に、滝場の横には「大日大聖不動明王」という文字のプレートが貼られた石板の後ろに、石造りの不動明王が祀られてあり、修行者を護り、 正しい道へと導く指導をして下さっています。   私は小学校の頃から、このお滝場で遊んでたので、一番親しみのある場所でもあります。   その頃、一度だけですが、祖母が滝行をする際に放つ念の強さを実感した事があります。   それは、祖母が「これから滝に入るから、その間は結界を張って周りを金縛り状態にするから、滝つぼの周りから流れ出て来る水を触ったらあかんよ〜」って言われてたのですが、一人で遊んでいて も段々退屈になってきて、祖母の忠告がどういう意味なのか試してみたくなって、靴の先で、ちょっとだけ流れてる水を踏んでみたら、その瞬間、流れてる水に靴底が吸い付いたようになって 取れなくなってしまい、身動きが出来なくなってしまった経験があります。  何とか声は出たので、近くにいた親を呼んで、祖母に滝行を途中で止めてもらって、ようやく流れてる水から足が 離れました。  その感覚は、何か見えないものが足の裏に吸い付いて離さなくしているという感じでした。  その時、靴底は水に触れていましたが、その下の地面までは踏んでいませんでした。   流れてる水の表面が、靴底にちょっとだけ触れているという状態でしたが、もうベターッと吸い付くように、水自体が強力な磁石の様になって、靴底に張り付いてるという感じでした。   少し浮かした靴の下には、サラサラと水が流れてるのが見えているのに、離れないんです。  これが念を張って、寄ってくるものを金縛り状態にし、自分以外の者を寄せ付けないようにして身 を護るという「結界を張る」という事なんだと、その時に初めて身を持って体験しました。  今でも、結界を張る時の基本にしていて、そこから結界の発展型を作って使ってます。   お滝場には、色んな人が修行に来られますので、色んなもの(不成仏霊や魔の類など)を落としていかれます。  なので、お滝場の中や、その周囲には、そういった霊が沢山居て、お滝場に やって来る人に憑いてやろうと睨んでます。  念の弱い人などは、滝に入って逆に憑かれて帰るという事があるんです。  また、何も知らないで滝場近くに来た人にも憑いたりします。   そういう事で、私がお滝場に行く時は、そこに行くまでに色んな神様の後ろ盾や、守護神様等の援助も受けて、ある程度護られた状態を作って行くようにしています。   そして、持参したお酒を不動様にお供えし、念の発散と同時にお酒を滝つぼ内に撒いて、滝つぼを浄化します。   滝つぼの周囲の岩場には、色んな顔(大体は怖い顔が多く、時々苦しそうな顔があります)が浮かんで、こっちを見てる事が結構あったりするので、浄化する前に見て、うわっ!結構居るわー(^^;) ってなったりします。  浄化する時に、何か文句を言ってくる顔もありますし、苦しいので浄化をしてほしいという顔もあります。   浄化を待つ諸霊は、修行に来る人に供養して欲しくて頼ってる状態ですが、皆大抵は、不浄仏霊を寄せ付けない様にしているため、供養どころか追いやられてしまってる事が多いです。   怖い顔は、気の荒い修行者、自分のための修業をしてる修行者に憑いてる霊が多く、滝場で離れて、更に強い者を探して滝場に居座っている事もあります。   なので、私に祓われると、そういう事が出来なくなるので、怖そうな顔で私を睨みつけてるんですね。   はいはい。怖い怖い(^^;)  顔怖いよ〜(^o^)って言いながら、浄化していきます。   襲って来たら、その者の顔を掴んで変顔にしてあげます。  その時は、その者と、周りに居る者も全て金縛りにしてあるので大丈夫なんですよ。   両手で引っ張ったり、両目を垂れさせたりして、ほら!楽しい顔〜(^^♪ってしてあげたりします。   面白い顔にされてる本人の霊も、それを周りで金縛りにされ動けずに見てる霊も、段々やる気が無くなってきます。   次は誰にしようかな〜、怖い顔は消してしまおうかな〜って思ってると、周りの怖い顔が、不安な顔に変化していきます。   それで、この先生ならワシらの話を聴いてくれるかもしれんという想いが入ってきます。   それなら、初めから話を聴いてください!って言えば早いのに〜って言うと、「そういう訳にもいかんのじゃ!」って、さっきまで怖い顔して睨んでた霊が、ちょっとすねた様な感じで言います。   あぁ〜! 霊界にもメンツやプライドがあるんですね。  人間界と同じですね。  もう自分達の悩み事を聴いて欲しい、どうしたら楽になれるのか、これまでの修行で、どこがいけなかった のか、どうしても聴きたいというような顔になってましたので、真理を話して諭してあげていると、「なるほど、わかった! そこが良くなかったのか! これまで、もっと違うところに目を向け 過ぎて気付かんかった!」という事を言ってました。  自分が良いと判断して、長らく信じてやってきた事は、なかなか、それが間違いだとは気付かないものです。   それで判断基準が狂ってしまい、更に間違いを深くするという事で深みにはまって行くんですね。   周りに居た者達も、一様に理解をしていたので、全部まとめて浄化の光を与えて、正しい修業が出来る世界へ導いてあげました。   これで、お滝場の中や、その周辺が随分と綺麗に浄化されました。  不動様は、「先生、ご苦労じゃったなー!」ってご機嫌さんです。   滝行は、滝にうたれて精神を清浄化し鍛えますが、心も綺麗で温かくならないといけません。  厳しい中にも、必ず「温かみと大きな愛」を持った心が無いと、修行を超えた神仏の世界へは 通じません。  厳しい神仏の世界もありますが、その上には穏やかで、大きな愛の世界が開けています。  滝行という修行を超えて、不動明王と一体になり、更なる光の世界へ通じていくには、 心の調節をして、水に打たれる苦の中に心の楽を感じ取って、その心を昇華させていくと、レベルの高い修業となりますよ。   一般的には、その手前で終わる修行が多い様なので、精神と体を鍛えて終わってしまうようでは、せっかくの修業が勿体ないですからね。   という事で、お祈りを終えて、滝の流れ落ちる上まで階段を上って行って、小さな洞窟の中の将軍地蔵様や、お地蔵様等、それぞれにお酒を供え、お祈りをしました。   その洞窟の横には、大きな石の壁面に観音様のお姿が彫られた(彫の溝が浅いので、今では、お姿をハッキリ見る事が難しいです)のがあり、そこにもお酒とお祈りをして、全てのお参りは 終了となりました。   今回で、南禅寺の「駒ヶ瀧不動尊」でのお話は終わりです。  長々と読んでくださり、ありがとうございましたm(__)m   次回は、何のお話をしましょうかね〜(@^^)/~~~