神霊による人生相談

ょっ言。

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-2016年3月19日-
今月は、お彼岸の月ですね。   お彼岸に入って、半ばにある三連休には、お墓参りや、お寺での供養や、お家の御仏壇での供養等をされてる頃だと思います。   私の方は、まだ完全には治ってはいませんが、久しぶりに風邪をひいてしまいました。   胃腸風邪による腹痛がようやく治りかけたと思ったら、次は本格的な風邪に移行してしまいました。   魔達は、こういう人の弱みにつけ込んで、一斉に魔の軍団が襲い掛かって責めてきましたので、お医者さんの薬を飲んでも、暫くの間は全く効きませんでした(>_<)   痛みは、お祓いで楽になったりしますが、体内にウィルスがある限り根本的には治らないので、悪さをしている魔の本体の部分とうか、根っこの部分を祓いで取り除いていく事をしたら、 フッと軽くなり、それ以降は急激に薬が効き始めて、それまで薬を飲んでも変わらなかった症状が、飲んで暫くしたら効いて来ているのが体感出来るほどに楽になってきました。   今回は、大きな魔の動きがあったので、久しぶりに弱ってるところを狙われたという感じでした(^^;)  今回の様に、しんどい風邪は初めてでした(^^;)   普段から身体に無理を重ねていたので、肉体的に弱っていたのがいけませんでした(>_<)  魔にエネルギーを吸われてましたし。。。   という事で、いつもの様に、元気に先祖供養は出来ていませんが、先祖様も「今は身体を治すように」と言われてますので、仕事を休んで、お家でゆっくりさせてもらってます。   ご先祖にも、今回は色々と心配をかけてしまいました。   西岡学校の子供達は、一生懸命にお祓いを手伝ってくれましたし、家族はそれぞれが出来る範囲で、お祓いをしてくれましたので助かりました。   また、信者さんにも霊的能力が有る方が居るので、その方に、私の見る角度と、また違った角度で魔の侵略具合を見て頂いたりして、私のお祓いの助けをしてくれました。   あと、海外の能力者さん(お互いに助け合う関係です)の方にもお世話になりました。   皆さんに助けて頂いて、私の身体の浄化に止まらず、広範囲な浄化をする事が出来ました。  皆さん、有難うございましたm(__)m   普段、一人でしている浄化も複数人ですると、違った角度や見方で発見できるものが多くなり、祓い残しの割合が減りますので、祓った後にまた攻めにやって来るという事が減ります。   そうして、お互いの能力を補え合える仲間が増えると、仕事の内容も深まりますね。  重ね重ね、有難うございましたm(__)m
さて、我が家の先祖さんは、お彼岸でも、普通の日でも、特に変わらずな感じです。   お彼岸だから、生きてる人の世界に出て来れるわー!とか、この機会に何とかしてもらわないと!っていう感じが無く、普段通りで十分という感じです。   どんどん、霊界で成長されていっているので、満ち足りてるという感じです。   先祖さん達の世界と、西岡学校は直ぐ近くにあるので、学校に居る子供たちの面倒も見てくれていますし、子供達も先祖さん達を慕ってくれています。   西岡学校を通じて、お互いに勉強し合えるので、良い環境だと思います。  西岡学校には、色んな世界から、様々な神様や仏様が来られるので、尚更、学びの幅は広がりますしね。   そういう環境を霊的に創り上げていけば、後は生きてる人間が、正しく真理の道を歩んで行けば良いだけという感じです。   我が家は、お仕事的に色んな不成仏霊や、魔達と対峙していかないといけないので、しっかりと護られた霊界で、先祖さん達が悪い影響を受けない様に過ごされる事を、日頃から心掛けています。   家族にも影響が及んで来ない様にしていますが、キツイ霊や魔界の団体さんが来ると、やっぱり皆がしんどくなります。   そういう影響から免れる方法も、アドバイスを頂きましたので、色々やってみています。   我が家のご先祖さんには、毎回手作りの「おはぎ」をお供えしています。   今は春のお彼岸なので、牡丹餅(ぼたもち)という呼び名でしたね。  今の時代、年中「おはぎ」でも通用しますし、言い方を分けてる人の方が珍しいですよね。   西岡学校の子供たちは、小豆の餡子を餅で包んで、その上に、きな粉をまぶした方が好きなので、そちらを多めにお供えしてます。   結局、普通のおはぎも、きな粉のおはぎも、どちらも食べるんですけどね。  食いしん坊だから(^^;)   好みがあるんですよね。  好みは、生きてる時の好みが、死んでからも続くので、お供え物に困ったら、生きてる時に好きだった物を供えれば大丈夫ですよ。   甘党の人は、死んでからも甘党なんです。  生前よく食べてた物を供えると、生前の好みを覚えていてもらえた、そして供えて貰えた、という二重の喜びを与えてあげる事が出来るので、 それだけでも大変良い供養になりますよ(^_-)-☆  人は死後、忘れられる事が一番悲しいので、覚えて貰える事の嬉しさや感謝の気持ちを出させてあげる事が大事です。   感謝の気持ちが出たら、有り難いという気持ちが湧いてくるので、それが供養する側との信頼関係を増幅させ、執着を取り除く為のアドバイスや教えに対し、素直になりやすくなるんですよ。   成仏して明るい世界に上がった魂は、皆が感謝の気持ちを心に持っているので、悲しいより感謝の割合の方が大きいんです。   そうなると、それまでの暗く悲しい世界と引き合う波動が崩れて、今度は明るい世界の波動を共感し合い、引き上げられる様に上がって行くという訳です。   これが成仏の基本的な上がり方です。   感謝や喜びの無い心では、妬みや嫉み、怒りや恐怖など、執着の強い世界の中で苦しまないといけないので、今生きてる人の心の中の状態が、そういった感じであれば、生きてる内から、胸の奥の 魂は地獄に繋がっているか、影響を受けやすい状態になってるかです。   死んで心が勝手に変わるという事はありませんので、死んでから心の状態を改善していく事を強要される様な世界(地獄)へは行きたくないですね。   生きてる時に、素直に感謝が出来るような心であったり、真理を取り入れて素直に正直な道を歩んでいく努力をしていけば、その姿を通して、先祖様の生前の努力の不十分さや、過った思いに 気付けなかった先祖さま自身の反省など、色んな気付きを与える事に繋がり、それらが全て尊い教えとなっていくんですよ。   頑張れなかった先祖は、頑張る姿を見て貰うという気持ちで努力を続けて行くだけでも、努力を続ければ道は少しずつでも開けて行くんだという気付きもされ、生前の自分を至らない点を反省され、 そこから、自分も霊界で努力して道を開いて行こうと思って貰えるかもしれません。  それだけで、もう前を向いて進んで行って貰えているという事になります。   成仏の階段を、自らの意思で上がって行かれてるという事ですね。  これが一番大事な事です。  他力に頼る事も大事ですが、その前に自力の想いを持つという事が何より大事です。
地獄には他力本願地獄という、他力に頼り切った魂の集まる地獄があります。   反省した後、自らも努力し成長しながら上がろうという意思を待たず、すべて仏様に任せて他力で上げて貰おうという 想いの者達の集まる地獄です。  心が暗いので、一番浅いですが、地獄という環境になってしまうんです。   ご供養は、お彼岸が過ぎても出来ますので、ご先祖様と向き合ってみて、執着の端っこからでも取り除く努力をしていけば、取り除いた分だけ道は明るく開けてきますよと、 アドバイスしてあげるだけでも良いと思います。   先祖は子孫の繁栄を願う事も一つの役目の内ですから、先祖さまに感謝してもらえる家庭を築いていく事も、子孫の大事な役目です。   そうして、お互いに役目を果たしやすい様に、助け合って努力していければ良いですね(*^^*)   お彼岸は、先祖・子孫を問わず、自分自身を見直す時期でもあるという事も、お互いの心に留めておくと良いと思いますよ(^_-)-☆     


-2016年3月6日-
今月、3月3日は、お雛様のお祭りでしたね。   我が家のお雛様には、雛人形の飾りが付いたケーキや、雛あられ、お菓子やジュース等をお供えしてお祝いしました。   今年のお雛様は、また一回り大きく成長されていました。   段々と大人のお雛様に近づくにつれ、話される事も少なく、口数も少なくなってきました。   その分、どっしりとして座られてる感じがあり、そんなに喋らなくても大丈夫という感じがあり、「喋らなくても居なくなったりしないし、ちゃんと見ていてあげるから、安心してね」という感じ があります。   我が家のお雛様は、ひな祭りの日が過ぎても、暫くは出したままになってます。   好きな所へ遊びに行ったり、我が家の神様に指導をしてもらったり、色んな経験と学びを受ける特別な期間という感じです。  私と一緒にお参りに出掛ける時もあります。   それも、人形界には無い経験と学びを得られます。  霊界では、人形界も同様に、同じ所では新たな経験という学びを得る事が難しいので、人間界へ出て来て学びを深めるという事が、とて も貴重な修行という事になります。  精霊たちが、人間界で決められた、僅かな期間に行える魂修業とも言えますね。   人間が、この世に生まれ出て来て行う「人生修行」と少し似ていますね(^^)   お雛さん達は、私が車で出掛ける前に一声掛けて出ると、皆でトコトコとついて来られます。   それで一緒に車に乗って行きます。  車の中という空間は狭いものですが、お雛様たち一人一人の意識が、私と一緒に車内に居るという認識で車内に座ってるという感じになってます。   なので、車内の空間は狭くても、皆それぞれの意識が独立して、私と一緒に乗っているという意識でいるので、ぎゅうぎゅうに詰まった感じではありません。   それでいて、皆とも一緒に居るという共感し合った意識も合わせ持っているので、それぞれが独りぼっちという感じもありません。   ただ、軽自動車の様な小さい車だと、見た目で受ける印象から、何か狭いね〜っていう感じになり、7〜8人乗りのワンボックスカーの様な車だと、広くて良いね〜って感じになります。   霊的な存在でも、先ずは見た目から入るという事になるんですね。  そこから意識世界の感覚へ切り替わります。  切り替わったら、狭いとか言わなくなります。   それが、この世の感覚と違う点ですね。   ( 余談ですが、狭い空間に詰められた状態でも、自分独りだという意識でいれば、広大な空間として認識され、この独りぼっち感を持つ集合体が孤独地獄を形成しています。)   という事なので、意識さえ切り替われば、車内の広さは気にせずに皆で歌を歌いながら乗っていたり、道中に珍しいものを見つけると「先生!あれ何?」ってリラックスして聞いてくる事もあります。   最初に、雛人形の中から出て来たばかりの頃は、人間の世界に慣れていなくて、何でも見るもの聞くものが珍しいという感じでした。   「人間の世界って、珍しいものがあるね〜♪」って、目をキラキラさせて喜んでました♪   まあ、最初から口を利ける「お雛人形の魂」など居ませんから、その家の霊格に応じて、人形の中で段々とお雛様達の霊力が増してきて、そこに家族の中で誰か霊力のある者が居ると、その者との 間に限り、意思疎通が出来るようになるんです。  神棚が祀られてあって、霊感のある人なら、自宅の人形に喋り掛けると返事するかも知れませんね。   年代物の雛人形などは、結構、霊力が高いと思います。  でも、人間の方に霊力が無いと、お雛様達と話せませんけどね。   雛人形の中に入る魂は、お人形さんの世界から来た魂です。  まあ、精霊の様な魂です。  木の精霊とか花の精霊とか、そういう感じで人形の世界(人の形をした物に入り人間を護る役目など) が存在しています。   以前、どこかの時代に亡くなった人間の魂ではありません。  我が家の雛人形は、幼い顔の子供さんの人形なので、そのお姿に見合う様な3歳〜5歳程度の精霊の魂が入ったと思います。   言ってくる言葉や、仕草などから推測したら、大体の年齢が判断出来ます。   お雛様のお祭りの期間が終われば、お人形の世界へ帰らなければならないので、だいぶ愚図ってましたが、ここ数年前より、雛人形に入られている魂の年齢が上がった事もあり、素直に帰られるよ うになりました。  それは、それで寂しいですけどね(^^;)   ひな祭りの日が終われば、日本中の雛人形に入られている魂達は、一斉に人形世界へ戻って行かれます。  帰らない魂は、人形の世界から連れ戻しの係の方が降りて来られ、色々と諭して 連れて帰られます。   でも、我が家は特別に、暫くの間(2〜3週間程度)居ても良いという事にしてもらってます。   でも、2度ほど我が家のお雛様にも連れ戻しの係の方が来られた時がありました。  それは、ひな祭りの期間を、まだ今の様な2〜3週間と決めていない頃、ひな祭りを過ぎて、もう1か月近くに なろうとしていて、人形世界の神様が予め決めていた猶予期間を過ぎてしまっていたからでした。  それで、そろそろ帰る期日が迫ってきましたよと、帰る事を諭されてる事がありました。   そして、いよいよ帰る日の当日には、私が握った「おにぎり」と、私が焼いた「卵焼き」を、色んなお菓子などと一緒にお供えして、それらをお土産として人形世界へ戻られて行かれます。   お人形世界では、他の魂達が経験出来なかった事を話して聞かせてあげたり、お土産のお菓子などを分けてあげてありして楽しまれています。   他の地域の雛人形の魂達は、我が家のお雛様たちが経験した貴重な話を、とても珍しくワクワクするような体験談として感じているようで、是非とも話して聞かせて欲しいと、せがまれているよう ですよ(^^)   雛人形は、家族や家を護ってくれる、大切なお人形さんです。  これからも、大切に保管してあげて、末永くお付き合いしてあげてくださいね(^_-)-☆