神霊による人生相談

ょっ言。

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-2016年5月31日-
今日は、前々回からの「無動寺谷参り」のお話の続きをします。   弁天堂から来た道を少し引き返し、突き当たった分かれ道を、「明王堂」の立て札の方へ進んで行くと、直ぐに明王堂が見えてきます。   ご本尊は、お堂の名が示すとおり「不動明王」が祀られています。   ここ「明王堂」は、比叡山の千日回峯修験を行う行者さんが、回峯行を行う根本道場です。   千日回峯修験は、1000日間の途中、700日の回峯行を終了した行者が明王堂へ「堂入り」し、9日間の断食・断水・断眠・断臥を行い、不動明王のご真言を唱え続ける荒行をされます。   そして、無事これを終えて出堂すると「生身の不動明王」とも呼ばれる大阿闍梨となり満行となるといわれています。   (この明王堂の住職は「輪番」と呼ばれ、大阿闍梨が務めるという事になっていて、後に続く行者達の育成や、お参りに来られる信徒さん達への加持祈祷も務められています)  その後、残りの300日の回峯行を終了し、1000日間の全ての回峯行を満行すると、「北嶺大行満大阿闍梨」となります。   今は亡き酒井雄哉(さかい ゆうさい、1926年9月5日〜2013年9月23日 )は、この比叡山延暦寺の千日回峯行を2度満行した行者として知られています。   酒井大阿闍梨とは、お加持をしてもらったり、お話をさせてもらったりした思い出があります。  話し口調は穏やかで面白く、大満行を2度も果たされたという偉大さを感じさせない ような自然体の方でした。  私が今の仕事をする前の修業段階の時に、私の数珠を見て、「良い色になってるね〜 なかなか出ないんだよ〜 そういう色は〜 艶も良いね〜 そういうのは 全部、中から出てくるんだね〜」と声を掛けて頂きました。   私は直ぐにお礼を述べて、もう何年もお家修行を続けてるという事を告げると、「そうですか。 うんうん。なるほど。 良い修業をされてるようやね。 この先も修行は続きますよ。  頑張りなさいよ」と声を掛けて頂きました。   酒井大阿闍梨様には何か感じる所があった様な気がしましたが、その場は何も聞かず、「有難うございますm(__)m」とだけ言って終わりました。   あれから、私も色々と忙しくなり、なかなか無動寺谷の明王堂までお参りに行く機会が無く、3年前に亡くなられたという事を知って、大変残念な思いでした。   でも、後に続く行者さんも沢山居られますし、大阿闍梨になられた方も明王堂で輪番として務められていますので、行者の信念はこれからも引き継がれていくでしょうね。     また、無動寺谷明王堂は、近畿三十六不動尊霊場の第26番札所となっているので、不動霊場の札所巡りの人々も訪れる札所となっています。   今の代の大阿闍梨様にも、午前11時からのお勤めの時間に行けば、一緒に加持祈祷を受ける事も出来ますよ。  時間があれば、一緒にお昼の食事も出来ますよ。   では、そろそろ、お参りの続きをお話しますね。   私達がお堂に到着した時間は、11時を少し過ぎたあたりでした。  お堂には、先に二人の方がお経を唱えておられました。   明王堂の内部は、さほど広くなく、私的には丁度良い広さ加減という感じで、妙に落ち着くので、子供の頃はリラックスしてゴロゴロしていたり、山道を歩いた後なので体操をしていた 記憶があります。  今は大人になりましたので、疲れた足をこっそり揉む位ですかね(^^;)   大阿闍梨様の唱えるお経は早口なのと、独特な抑揚とリズムをつけた唱え方なので、何を言われているのか分かりません。   唱える方により、お経の調子に特徴があるので、お経は、こうでないといけないというような理屈は要らないんだなと感じます。   私もお経は早口ですが、色んな人と一緒にお経を唱えると、それぞれ微妙な調子の取り方や、息継ぎの間隔が違うので、全く一緒に合わせるというのは難しいと感じます。   大阿闍梨様がお経を唱えて暫くすると、不動明王様がこちらへ、ダン!ダン!ダン!と床を踏み鳴らして出て来られて、「よう来たのー!」って言われました。   私は「はい! お久しぶりです! なかなかお参りに来れなくてすいません」と伝えると、「まあよいわ! 先生も忙しそうだから仕方ないわい!」と言って「ワハハハー!」って笑われました。   「先生、今来たばかりじゃろ! 先程始まったばかりやから、まだ先は長いぞー! 最後まで居るんかー?」って言われましたが、折角の機会なので最後まで居ようと決めました。   お経が終われば「加持」もしてもらえますし、一緒に同行した方は、そういった経験が無いので、丁度良い経験が出来ますしね。   加持は、仲立ちする行者によって仏の大悲の力が衆生に加えられ、一方の衆生は信心をもって受け持つ事で、その心も仏に伝わり、両者一体となって効果を発揮するとされています。   不動明王様は、「先生と同行された方は、まだ学びが始まったばかりで、色々と教えてるようじゃから、この機に色々と経験して覚えておくと良いぞ!」と言われました。   何事も経験ですね。  知識は経験を伴って知恵となりますしね。  知識は学びの段階、それに経験や実践を踏んで行くと知恵という段階になります。   知識は普段の生活の中で活かしながら活用し、知恵として確立させて役立てて行き、後に続けて行くという事が大事になります。   私は、人の発する言葉の後ろに大きな力が宿って有るか無いかを判断します。  言葉の裏に隠された思考性や、偏り具合、それによる生き方も、その人の言葉を聴いていると見えてきます。   言葉は心に繋がるので、言葉の持つ力が弱いと心も弱いという事ですから、自信の無い言葉や、信念の無い言葉は何となく弱く感じますので、敏感な人はそういう点を感じ取りますね。   聴き上手な人は、そういう所を判断して、その人に適切な言葉を投げ掛けられます。   ただ知ってるという知識だけでは、自分をより高めようと知識を鍛錬していない為、自分のモノになってないので、本当の力になってないんです。   知識(学び)を得るという事は、それによって、その先にある膨大な力を獲得出来るチャンスを得るという事です。   知識は学んだ事を自分の力とする為に、修行や瞑想などを通して深めていきながら心に蓄え、それを集約して智慧の法力という大きな力とする事も出来ます。   神仏は、知識から知恵へと発展させようとする努力の過程を評価します。   お参りや、自宅で出来る瞑想などで、本で読んだ沢山の知識を、どんどんと昇華させていって、自分なりの悟りへ近づけていけば、言葉に自信と仏の力が加わってきます。   ある程度行きつくと「般若の知恵」となります。  それより高次元の宇宙の知恵と繋げていくにも、般若の知恵を体得していないと行きつく事が出来ません。   まだ経験していない事を、まるで自分が経験してきたような感覚で説明出来たりする事、自分の霊性から湧き出て来る智慧の情報や、多次元神霊界からの情報を汲み取って説明していく事が出来る というのが、般若の知恵という感じです。  それを地球次元より、はみ出して(色んな段階は在りますが)、更なる高次元の宇宙神界よりの情報を享受出来るようになれば、宇宙レベルの 般若の智慧という事になります。  そうして宇宙意識で物事を判断していけるようになると。。。 あっ、もうその位でストップだそうです。   それ以上の知識は、理解される方が極端に減るそうですので。  理解が怪しくなると、考え違いを招く恐れがありますから、この辺で止めておけという指示が降りてきました。  
明王堂でのお祈りの最中には、色んな事を考えながら、口は御真言を繰り返し唱えています。   不動明王様と話しながら、自分の疑問もぶつけたり、ヒントを貰ったり、そのヒントを元にシミュレーションをして間違いに気付いたり、上手い言い方を見つけたりと、未来の自分を今の段階で 制御していく事等をしていきます。  そういう事を、瞑想でもしますし、自分の中の内的宇宙に行く事もします。  そこから抜け出して、外的宇宙に出て学びを得る事もします。   ご祈祷等では、ご本尊の力が溢れてくるので、その場(お堂内部)が即、ご本尊の霊域になります。  そこに居合わせて貰って、本尊の所属する宇宙へお邪魔する事も出来ます。   そういった経験を積んで、自分の力とし、心の中に積み重ねて行けば良いと思います。   そういった瞑想を、明王堂の中で行い、スッキリした気持ちでお堂を後にしました。   帰りは上り道ですが、足も軽くなっていて、ケーブルカーの駅まで早く着く事が出来ました。   まだまだ、お参りも続けて、色んな経験を積んで、今の仕事に活かしていきたいと思います。  


-2016年5月8日-
今月に入って、もう一週間が経ってしまいましたね。   長いお休みの方は、先月末からのゴールデンウィークだったと思いますが、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまい、また明日からは普段通りの日常がやって来ます。   楽しい期間の後、普段と変わらない日常での生活で、またしんどい日々が続くと思うと心が憂鬱になり、精神的ストレスからくる心の病になる人も出てくるので、しっかりと気持ちの切り替えを していかないとですね。

その気持ちの切り替えとしてと言いますか、ちょっとご報告をさせて頂きます。   急な話なんですが、我が家で飼ってた猫のミーちゃんが、3月から何となく腎臓の調子が悪くなり、4月に入って急に容態が悪化してしまい、その後は毎日病院通いをして 点滴や注射をしていましたが、とうとう4月30日の夜に亡くなってしまいました。  8歳でした。   ミーちゃんは、全身が真っ白な長毛の毛並みで、これまで、我が家に相談等や遊びに来て下さってた方々、いつも「ミーちゃん♪ミーちゃん♪」と可愛がって頂き有難うございましたm(__)m   相談しに来てくださる方々は、「ミーちゃんに会えるのも、実は楽しみにしてるんですよ〜」と言われる方も多く、ミーちゃんの写真を撮られたりして帰られる方も多かったです。   ミーちゃんは、いつも私や家族を見守ってくれていました。  我が家に流れて来る悪い気を吸い取ってくれていたので、身体が早く弱った感じでしたが、ミーちゃん自身はやり切った感じで、 案外ケロッとしていました。   ミーちゃんは、弱って不便な体で居る方が、護りが満足に出来なくて嫌だったようで、身体が無い今は、寂しい気持ちはあるようですが、力を発揮した護りが出来るので満足みたいです。   亡くなった次の日、ペット霊園の霊柩車が来てミーちゃんを送り出す時に、ふと私の横に気配が感じられたので見てみると、ミーちゃんが私の横にチョコンと座っていました。   ペット霊園の方が、私達と一緒にお別れのお祈りをする時、ミーちゃんは、お花に囲まれた自分の身体が入った箱を不思議そうに眺めていました。   そして、お祈りの後皆でお別れをして、ゆっくりと車が去って行く時も、私の横でミーちゃんは一緒にお別れをしていました。   私が、「今ここにミーちゃんの魂が座ってて、自分の身体に、自分でお別れしてるでー!」というと、皆も、「えっ!そうなんやー!」って驚いてました。   そして、家に入ってきた時でも、やれやれ終わったな〜って部屋に入ってきた私の後を、やれやれ〜というような表情で、トコトコとミーちゃんが入ってきた時には、ちょっと笑いそうに なりました。  そして、いつも寝そべってる場所辺りで、ベロ〜ンベロ〜ンと毛繕いをして、何見てるねん!というような目で、チラッと私を見て、ベターっと横になってました。   何だか気が抜けますね(^^;)   ミーちゃんは、魂だけの状態になりましたが、不自由な体から抜け出て自由になって、また走り回れると喜んでました。  最後の方は、自由に歩けない様な状態でしたからね。   あと、私や家族を護るにも、肉体があると随分と制限があるので、それも不自由だったけど、魂だけになればフルパワーで護れると喜んでるみたいです。   仕事柄、人間の方も、これだけ心が前向きで執着が無ければ、あの世での生活は楽しいのにな〜って思いました。   それと、ミーちゃんの魂には、神様が宿ってたので、護りの役割があったようです。  亡くなった後も、ミーちゃんは大丈夫だから、もう悲しまないでね(^^)と言ってました。   神様に、ミーちゃんの事を頼んだ時でも、神様から「猫はしっかりしとるから大丈夫じゃが、生きとる人間の方がしっかりせんといかんぞ!」と言われました。   まあ、そんな感じで、ミーちゃんは魂の状態になっても元気でいてくれてるようですよ♪   今は、これまでミーちゃんと一緒に日々を懐かしく思い出しますが、日々の忙しさに気持ちが紛れてしまってます。   先月から、ミーちゃんと同じ位の時期に、家族の者も次々と寝込んでしまいましたが、ようやく皆の体調もマシになってきました。   私の方は身体も元気なのですが、何故かお仕事が暇(でも毎日の日課である家族の浄化と、マッサージによる祓いはしてますが。。)になっていて、その分、家事(神様事を含む)に追われてます。   神様が調節してくれたんでしょうね。   お仕事が半減してる分、今のところ元気に家事をこなせていますが、慣れないので腰痛です〜(^^;)   普段しない家事は、自分でやると要領が分からないので、いちいち聞きながら覚えていって、今は何となく時間配分が出来てきて余裕が出てきましたよ。   妹が回復したので、食事の支度や、テキパキと用事をしてくれるので助かってます。  私は、お手伝い程度です。   春になって穏やかな日々が来るかと思いきや、仕事してる方が楽な感じを受けるこの頃でしたが、慣れてくると案外平気になるもんですね。   ミーちゃんは、今も私のパソコンの横で寝てます。  普通の人には見えないですが、魂の状態でも生きてた時と同じ様な仕草で寝るんですよ。   私が毎日してるパソコンでの書き物や、メールなどから出て来る悪い想念を防御してくれてるんですね。   生きてた時は感じなかった事でも、今はミーちゃんの有り難さがよく分かります。   ミーちゃんは、来てくれた人に沢山可愛がられて幸せだったようです。  我が家に来て幸せだったようで、安心すると共にとても嬉しく思います。   みーちゃんのお蔭で、沢山の幸せを貰いました♪  これまで、ありがとねー(*^▽^*)♪    そして、ミーちゃんに、お供えのお花を贈って頂き、有難うございましたm(__)m   今度来て頂ける時には、ミーちゃんの姿は在りませんが、皆さんが座られてる横で、いつもの様に丸くなって寝てると思いますよ(^_-)-☆   私も気持ちを切り替えて、ミーちゃんの魂に迷惑かけないように頑張って行きますね(^_-)-☆   という訳で、ようやくパソコンの前に座れる時間が空けられる様になってきたので、「ちょっと一言」の中で、皆様にご報告させて頂きましたm(__)m 
  次回は、前回の「無動寺参り」からの続きで、無動寺「明王堂」のお話をしますね。