神霊による人生相談

ょっ言。

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-2016年9月28日-
秋のお彼岸も終わりましたね。   今日は、霊的に賑やかだったお彼岸中から一転して、し〜んと静まった感じの日になりました。   お彼岸中は、信者さんや相談者さんが来られたり、メールで相談の返事を書いていたり、色々と連絡を取ったりしていると、その方々に関わってる霊や、縁のある霊が来たりしてました。   それで、家の中が暗く感じたり、身体が重くなったり、痛くなったり、家族の者の体調が悪くなったりと、まあ例年の如く影響を受けてましたが、前もって気付いたことを浄化したり、 その都度に対応していたので、比較的軽い症状で乗り切る事が出来ました。  毎年の事なので慣れてはいても、しんどい事に変わりはないので、お盆やお彼岸が近付くと気が重くなりますけどね。
霊的な影響は、身体の不調な部分や弱い部分に症状(痛みや、病気っぽい症状)として出るので、最初は身体の調子が悪いんだと思ってる内に、段々酷くなってくる事が多く、それで 病院へ行って検査を受け、異常無しと出たけど、痛みが取れないとかはよくある事です。  お彼岸が終わって、まだ体調が悪い場合は、霊的な影響を取り除かないと、それが数年〜数十年間、 病気と思って付き合わないといけなくなるような事も多く、そういう話を聞いたり、相談を受ける事も結構多いです。   よくある霊的な症状として、お腹が膨らんで苦しい、食欲減退・食欲過多、気分が落ち込む、身体に重りを乗せてる様に重く感じる、朝起きるのがとてもだるい、目が霞んで見える、視力が落ちた 感じがする、身体のどこかが痛む、重い痛みがある、手足が痺れる、手足等やたら冷える、病気の症状が出ていても検査結果は異常無しである、明るいイメージが持ちにくい、悩みが深く感じる、 他人の意見が疎ましく感じる、笑えない等、精神的なストレス状態からくるものとよく似た症状が多いですね。
精神的なストレスからくる気分の落ち込みや、マイナスイメージの増幅によって、自分自身で暗い世界へ閉じこもってしまい、更に悩みが深く逃げ出せない状態になって過ごしているという事は、 霊界的に見れば、死んでもなお苦しい悩みから抜け出せず、地獄の辛く苦しい世界で日々を過ごしているのと同じ事なんです。   だから、霊的な障りによる影響は、精神的な悩みによるストレスの苦しみと似た様な問題事になる事が多いんですよね。
霊界は意識世界です。  心の中も一つの意識世界であり、普段は霊膜によって護られてはいるものの、意識の共感により繋がり易い状態にもなるという事です。   繋がれば、似た様な苦しみを持つ者同士が苦しみを分け合うという事になりますが、そこは、やはり地獄の方が執着が深い分、苦しみも深いので、人間の方が一方的に苦しみを与えられて しまうという事になります。
霊界は、似た様な心の状態の魂が集まる世界です。  それが良い心の魂ならば集まった世界は天国であり、苦しみの心から抜けられない魂ならば、集まった世界は地獄だという事です。   そこで、人間と霊との間に、悩みや思想や痛みや苦しみ等の共通点があると、その共通点に引き寄せられる様に、同じ苦しみを持つ霊が憑依してくるという事です。   明るく良い心の持ち主で、信仰心を持って神仏を敬って日々を過ごしていれば、神仏が寄り添ってきます。   これが、霊的な引き寄せの原理ですね。
良いもの悪いもの、そのどちらかに心を合わせて想い続けると、心の方向性に合った世界に繋がります。   お互いに歩み寄るようなネガティブ思想や、強い拘り等による接点があれば、それが接着剤の役割をして、一度憑いたらなかなか離れてくれないという事もあります。   この、人間と霊との憑依関係で、一番の接着剤の役割をしているのが、いつまでもクヨクヨと心の中に残って除き切れない「執着」というものです。   これが、ネガティブ方向に強く働いているほど、執着(対象となる想いや感情に縛られ離れられなくなる想い)という粘着質系の想いから出る接着剤の作用も強くなり、霊のくっ付き度合いも増す ので、結果的に離れ難くなっていきます。   中には、霊の方は離れたいのに、「人間の方が離してくれない」という霊の嘆きを聞く時があります。   強い執着の持ち主は、自分で気付かない内に霊を引き寄せている事もあって、霊は自分の意思では無く、その人が出すマイナス波動の引力に吸い寄せられてくっ付いてしまい、離れたいけど 離してもらえなくて、それならばと苦しみを与えて気付かせようとしているという実例もありました。
霊が憑くと、更に問題事がこじれたり、悩み事が深くなったり、痛みが増幅したり、それらが長期間治らなかったりしますし、本当の病気に発展していく事も多いです。   特に思想に問題がある人に憑くのは苦しい霊では無くて、「魔」系統のものが多いので用心しないといけません。   あと「魔」は、正しい事を頑張って進めようとしている人にも邪魔しにやって来るので、正しい心を持つ様にと真理を実践してる人は、自分の心を強くしていく事に専念していくと、魔の邪魔も 、逆に修行と思える様になるでしょう。   不成仏霊も魔も、どちらも真理を知らない迷える霊達なので、人間に憑くことで苦しい自分達の存在を一生懸命にアピールしている事が、人間側からすると障りだという事で捉えられていて、 本当の真相は、楽になりたいとか、助けて欲しいというのが霊の本当の気持ちなんですね。  だから、魔と話したりすると、結局は楽になりたいけど、やり方が分からないから人間に悪さし て気を晴らしてるだけで、本当は助けて欲しいと、苦しい心の内を言ってきます。  気持ちが後ろ向きで、前へと向かないから、ずっと同じ世界で居ないといけなくなるんです。   この魔は、心の本音を言えた事で心が軽くなり、真理の話を聞く態度も改めたので、しっかり修行出来る世界へ送ってあげる事にしました。  頑張れば楽な世界へ上がれる事でしょう。
苦しみの中の霊は、同じ心の状態(苦しい気持ちや考え等)を長く続けているので、真っ暗なトンネルの中の同じ場所に居座り、全然動いてない様なものです。   地獄で苦しむ霊は、辛い場所でも、長く住むとその環境に慣れてしまい、暗くて辛いけど、もうこのままでも良いかと、今の場所から一歩を踏み出して行こうという勇気が出ない事が多いんです。   長く感じるトンネルでも、今居る場所から離れて歩き出せば、案外と早く明るい世界へ出られるかも知れませんよ。
この、「今居る場所から離れよう」と思える気持ちが大事になります。  そう思えれば、次は前へ進もうという意志を持つ事です。   前へ進むは「未来」に向かって進むという事。  明るい自分の未来を創るのは、今を良い方向へ変えていく事だと気付いて、勇気を出して進む事です。
私のホームページを見られて、勇気を持って連絡してくれたりするのも、今の苦しい環境から抜け出したいという強い気持ち(意思)が働いて、その気持ちを実践されたからだと思います。   その勇気が、自分の未来に光をもたらす第一歩となられた方も多いと思います。   既に、暗い世界より抜け出して、明るい未来へ希望と共に歩みを進めて行かれてる人も沢山おられます。
人間も、心の中に勇気の光を灯して、自分自身の光を信じて、前へ前へと進んでみましょう。   いつまでも過去の辛い思い出に心を奪われていないで、心の中に希望の光を灯して進んで行きましょう。   霊界の魂も同様に、未来を向いて進んで行きましょう。   過去(生きていた頃)の執着は、心の中から取り除いて、身軽になって進みましょう。   そして、輪廻転生(生まれ変わりの法則)に乗れるよう、次の人生に希望を持って、今の心に明るい光を灯していきましょう。
過去に間違った事(原因)は反省し、反省をもとに日々努力して改善し(精進の過程)、明日以降の未来に成功させれば良いんですよ。   些細な過ちは、その場で反省し、想いを正して、直ぐに修正をして、何かあっても「長く落ちない自分」に持って行く事です。   この過去・現在・未来と繋がって行くような努力を、普段からでも気に掛けていれば、仕事や人間関係等で間違いや過ちを犯しても、その原因に気付き、努力して改善していけば、いつか必ず 成功するという事に繋がっていきますよ。  苦しみは、心の修業、経験を積ませて貰えている事だと思える様にもなるでしょう。   過去は消せませんが、未来は自分の力で変えられるんですよ。   未来の自分が、あの時、頑張って良かったと思える、勇気と希望の光を、先ずは心の中に灯してくださいね。   光は光を呼び、さらに大きな光へと導かれる事でしょう。  そして大きな光に包まれて癒され、勇気づけられながら大きな広い道を歩めるでしょう☆   もう一人ではありませんよ。  共に光の道を進みましょう! 道は開かれてます!  大丈夫ですよ(^_-)-☆   


-2016年9月14日-
今月も、あっという間に半分になってしまいました。   お盆を過ぎて、色んな霊的影響を受けていたのが出始めての相談が増えてきて、その対応に忙しくしていると、もう秋のお彼岸の時期に差し掛かってきています。   お盆を過ぎて霊界へ戻った先祖や、色んな霊達も、またお彼岸が近づくにつれて出始めていますね。   そういう中、まだ影響の少ない内の先週の土曜日に、琵琶湖の北側に「竹生島」という、神仏が祀られている島がありますが、そこにお参りに行ってきました。   竹生島は、観音様を祀る「西国三十三ヶ所観音霊場」の札所でもあり、島までの交通手段は船で向かいます。   竹生島へは、暫くお参りに行ってないので、行く前から琵琶湖の浄化や島の浄化もしておきました。  浄化をし出すと、案の定、琵琶湖の湖底から何体もの霊が出て来て、すがり付いてきました。   まだ湖底に沈んだ魂があるんでしょうね。  琵琶湖の水中をイメージしていくと、中は暗くて冷たく、湖底にうずくまる魂や、沈んで浮き上がれない魂がありました。   あと、琵琶湖には大きな蛇の霊体も集まるので、良くないものは浄化しないといけません。   湖底に沈んだ魂を引き上げて、蛇や周囲の浄化も済ませると、琵琶湖の水中が透明になり、光が湖底まで射し込んでくるイメージに変わると、湖面がキラキラと明るく光るように感じられました。   こうして、久しぶりにお参りに行く時は、必ず事前に浄化をしておきます。   これをしないで行くと、竹生島へ渡る最中の船の中で体調が悪くなる可能性がありますからね。  霊的な場所へ行く際は、何が起きるか分からないので、不用意に行かない様にしています。   事前浄化のお蔭で、当日の長浜港から船で湖を渡る間も気分は晴れていて、竹生島に上陸した時の島内も明るく感じられ、最後まで気分良くお参りする事が出来ました。
  ここで少し、竹生島のご紹介をしておきますね。
竹生島は、昔の神仏習合のお祀り方式から、同じ島内で「都久夫須麻神社」通名(竹生島神社)と「宝厳寺」とがあります。   竹生島神社「都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)」では、交通安全・開運厄除の神様(別名、弁才天、宗像大神)の 「市杵島比売命(いちきしまのひめのみこと)」、五穀豊穣・商売繁盛の神様の 「宇賀福神(うがふくじん)」、産土神の「浅井比売命(あざいひめのみこと)」、龍神様との四柱が祀られています。   ここの龍神様は、琵琶湖の上を優雅に飛びながら、琵琶湖の周囲や県内を琵琶湖上空から眺めて護ってくれています。   これまで、大きな台風などの被害からも護ってくれていましたよ。   また、弁才天は、慈愛や財運、安心・安全のご利益があると言われていますね。   竹生島弁才天は、江島神社 (神奈川県 江の島)・ 厳島神社 (広島県 厳島)と並んで、日本三大弁天のひとつに数えられています。   宝厳寺は、西国三十三ヶ所観音霊場の第三十番札所として、観音堂で「千手観世音菩薩」を祀られています。   本堂(弁才天堂)では、弁才天様をお祀りされています。   本堂の御本尊の大弁才天様は、秘仏の為に厨子に納まっていて実際には見れませんが、御前立の弁才天様や両脇の弁才天様は見れますよ。   ご参考ながら、秘仏の御本尊様は、60年に一回御開帳されているそうで、次回の御開帳は21年先の、西暦2037年となっているそうです。   その頃は、私はもうお爺ちゃんですが、何とか急な階段を上って秘仏の御開帳の日に合わせてお参り出来たらと思います。
  という事で、簡単にではありますが、竹生島の神様方と仏様方をご紹介させて頂きました。
港から島の内部へ入る時のチケットを買って、目の前の急な階段を上がると本堂です。   弁才天様の御朱印を購入して、本堂前の不動明王様にも挨拶すると、「先生!久しぶりじゃなー!」って言われ、ゴーッ!という感じで強い気が流れて来て、気の流れで体を洗う様に浄化して 貰えました。  不動明王様に浄化して貰った身体で本堂へ上がります。   久しぶりに見る本堂は懐かしく、久しぶりに訪れた親戚の家に上がった様な感じを受けました。   本堂の弁才天様は、私がお祈りをして般若心経を唱え終わって、頼み事などを終え、再度「ご無沙汰してまして、すいませんです。 久しぶりにお参りに来させていただきました」と挨拶を終えると、 「先生、長い事お目に掛かれなかったので寂しかったですよ」と言われました。  そして、「もうお参りに来てもらえないのかとも思いましたよ」と言われて、長い事ご無沙汰していて申し訳なく 思いました。  また今度、信者さん達を連れてお参りに来れたらと思いました。   次に観音堂へ向かって歩いて行きました。  竹生島は80分間の上陸となっていて、その時間に帰りの船が入港します。  乗り遅れると、また次の便が来るまで80分間を島内で過ごします。   ゆっくりお参りする場合は、80分間では物足りないと感じると思いますが、ただ観光として見て歩くだけなら時間は余ると思います。   私達は、昼過ぎの便で島に入ったので、時間的に ゆっくりしてられなかったので80分間をお参りに費やしました。   観音堂では、千手観音様に般若心経を唱えてお祈りをし、「よう来たな〜♪ ゆっくり出来ないかもしれんけど、久しぶりやし、あちこち見ていきー!」って言って貰えました。   「ありがとうございます! 色々見てきますね」とお礼を述べて、千手観世音菩薩を納めた観音堂から都久夫須麻神社に続く渡廊「舟廊下」を渡って、神社へ向かいました。   舟廊下は、秀吉公の御座船の日本丸の船櫓(ふなやぐら)を利用して作られたところから、その名がつけられたそうです。   都久夫須麻神社の本殿前でお祈りを済ませ、「ご苦労様でした。 先生はお忙しそうですね。 なかなか、ごゆっくり出来ないでしょうが無理なきように」と、お気遣い頂きました。   社殿の向かい側には、竜神拝所があります。  竜神の礼拝所から見る琵琶湖は絶景ですよ(^_-)-☆   礼拝所越しに琵琶湖を眺めながら龍神祝詞を唱えました。  琵琶湖の龍神様が空中から出現され、礼拝所の中でお祈りをする私を琵琶湖の上空に浮かんで見られてました。   竜神様の大きな顔を透して琵琶湖の景色が見えます。   祝詞が終わるまで、じっと見られてましたが、祝詞を唱え終わると大きな笑い声(空気が震え、地響きがしました)を残して空中に消えて行かれました。   一瞬、地震かと思い、周囲を見渡しましたが、周囲の人は何も感じて無いようで、相変わらず楽しそうに喋ったり笑ったりしてました。  感じたのは私だけのようでした。   まあ、よくある事なので、またかという感じですね。   あと、礼拝所から琵琶湖に向かって10m位の所に宮崎鳥居があります。  「かわらけ投げ」といって、手のひらサイズの丸い素焼きの土器の一枚目に名前を書き、二枚目に願い事を書いて、 土器の「かわらけ」を投げて鳥居をくぐると願いが成就すると言われています。  私は2枚とも、ちゃんと飛ばずに、鳥居から逸れて手前に落ちてしまいました。   これは、霊感には関係ないようで、下手くそは下手くそのままですね(^^ゞ   他の観光客達も、ワイワイ♪、キャーキャー♪と楽しそうに投げていました。  ここで、帰りの船の時間まで、残り15分になっていました。   急いで帰り道を下って、出港5分ほど前に無事港に着き、桃アイスを食べながら船が港に入るのを眺めてました。   帰りの船では、竹生島が遠ざかると、島の神仏様方から寂しそうな気が流れてきました。  「またお参りに来るからねー!」と気を送ると、「今日は、ありがとう! 気を付けてお帰りください」 という気が返ってきました。  龍神様は琵琶湖の上空で、帰り道の安全を見守ってくれるようです。  有り難い事ですね(^-^)     また、時間を作ってお参りに行きたいと思います。  今回は、竹生島でのお参りの様子でした。