神霊による人生相談

ょっ言。

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-2016年10月29日-
10月も月末に入って、朝晩が寒く感じられるようになってきましたね。  今月も中頃から急に忙しくなってきて、あっという間に時間が過ぎて行くので、「ちょっと一言」を書く時間を 捻出するのが大変です(^^;)  でも何とか今日中に書き上げられるようにと、神様が気遣って手配して頂いたのか、今ポッカリと時間が空いたので書いてるところです(^^ゞ   では早速に本題に入って、今日は「魂の記憶」についてお話しようと思います。
人間の魂の記憶の中には、幾転生を繰り返し生きてきた記憶が刻まれ保存されています。   その幾転生の記憶を保存しているものは、キラキラ光るレコード盤の様なイメージであり、木の成長を示す「年輪」の様に、丸い輪っか状の溝が何重にも刻まれていて、魂の誕生から延々と 生きて来た魂の人生を「魂の年輪」の中に、何一つ漏らさずに刻印して保存しています。   魂の輪廻で人生経験が多くなるほど、刻印されていく事象が増えていくので、自然と魂の記憶装置の年輪も大きくなっていきます。   この様な記憶装置が、人間には皆それぞれに備わっていて、ゆっくりと回転しながら、今この瞬間の出来事も想いも、全て記憶されていきます。   現代の機械的な記録装置では、映像や音だけがディスク版に記録されますが、魂の記録装置には、映像と音以外に、その時に五感(目=視覚・耳=聴覚・舌=味覚・鼻=嗅覚・皮膚=触覚という 五つの感覚)を通して感じ取った心の状態までも記録されて行きます。   なので、前世の記憶の一部を取り出すと、その映像や音に加えて、その時に何を考えていたのか、嬉しかったのか、悲しかったのか、どんな匂いがしたか、食べ物は美味しかったか、痛かったかとか、 暖かかったとか、寒かったとか、どういう事をしたとか、どういう事をされたとか、その時の想い等、それらの感覚も想いも同時に再生されます。   死んでから訪れる「閻魔大王」の所で、自分の一生を見られて、人生の中での反省点を見つけられるのも、この魂の記憶の再生装置のデータを再生しての事ですね。   また、これは人間の他に、地上の動植物や、地球や、宇宙にも備わっていて、時間と共に歴史が刻まれて行く様に、その存在の歴史が刻まれて行きます。   その溝をズームアップしていくと、その人の人生の様々な分岐点や、肝心な部分などが頭出し出来るような感じで、場面の冒頭部分が映像で見えるようになっていて、その部分を直ぐに再生出来る 様になっています。  そして、その人生の時間の中で、良い事・悪い事も刻まれて記憶されているので、過去の過ちを訂正する時には、その部分を再生して、自分自身の傾向性などを改善していく という事なども出来ます。
過去の過ちを刻んだ魂の記憶は変えられませんが、過去の過ちを見直して、今後の人生において価値ある経験(経験しないと分からなかった事)だったと心を切り 替え、価値の無いと思っていた過ち(ただの汚点)から、価値ある過ち(自分の未熟部分を発見出来た経験)として、その時の自分には必要な事であったと考えを変えていく事です。   そして、今度は未熟な部分を強くしていく事に専念していけば、欠点が解消されて行きますから、以前より一回り大きな自分へと成長させていく事が出来るでしょう。   過ちは、自分の取り方次第で良い方にも悪い方にも分かれますし、活かし方次第では、その後の人生を良い方向、発展方向へと変えていく事が出来ますよ。   一つの改善は、更に枝分かれした未熟な部分や要因をも見つけ出せる力となるので、どんどん自分改善が図られていきます。   そういう気持ちや意識の切り替えをしていく事で、人間は苦しみの中で気付き、人間は常に成長し発展していく事が出来るんですね。
苦しい時には、平凡な日々に有り難さを感じる事もあります。  人は努力して楽になる事が出来れば、初めて苦しみに感謝する事も出来ます。   有頂天になってる時に、自分の言動や、色んな細かい過ち等に気付いて訂正をし、益々の魂の成長を成し遂げていく事は難しいんです。   人生の中で最高である時ほど、他人の助け等を軽んじていたり、失敗に気付かなかったり、感謝することが出来そうで出来ない事も多いですね。   そうして大きな失敗に繋がらない様に、自分を見直す時間というものを、一日の中の数分で良いので実践しておく事が大事な事と思います。
魂の記憶の中には、それぞれの時代に生きた魂の個性が記憶されています。   その個性の一つが、今の時代の自分の性質や気質等に関連しているので、両親と共に同じ家庭で育った兄弟姉妹でも、持っている魂の歴史が違うので、それぞれに性質も得意分野も違ってくる という事です。  これは、心の成長と共に出て来るので、自我が発達してくる2〜3歳頃の幼児期に出始めます。  お母さんが困り果てるイヤイヤ時期ですね。   でも、ちゃんと成長してるという証なので、子育ての仕方が悪いとか、必要以上に気に掛ける事は無いと思いますよ。   性格はある程度作れますが、性質や気質は魂に関連して出てくるものなので親がつくる事は出来ないですからね。   性格でカバーする事は出来ますが、咄嗟に感情が出た時なんかには、気質などがポンと出る事がありますね。  これも、成長と共に自分で認識し、カバー出来る様になりますよ。
また、魂の中でネガティブ思考の魂が強い波動を出していれば、今の自分の心の中に、そういうネガティブ思考の波動が流れ込んでくるので、なかなかポジィティブ思考へと進める事が難しいと 思えてしまう事があります。   楽しい事が、素直に心から楽しいと思い難いとか、凄く綺麗なものを見ても、心から感動が湧き上がって来ない自分に戸惑いや不安等を感じたりします。   そういう以前の自分の欠点や、心残りの気持ちが改善されないまま放置してある場合、魂の記憶として残り続けますので、自分コントロールの部分で難しさが出てしまうというような 事例が見受けられます。   普通一般的な人の場合は、過去の魂の記憶は今現在に強く影響しないようにはなってますが、その人の霊格や霊的に敏感な人の場合は、そういった波動を敏感に感じ取ってしまう事でそうなります。   そうした場合には、霊的な要因としてでの除霊や浄化では改善されないので、その人の心の中を見て、影響していると思われる存在(ネガティブ存在)を癒してあげる方向で進めていくと、気持ちや 思考、感情等の改善が図られます。  いろんな面で明るくなってくるので、頑張ろうという前向きな意志が出始めてきます。  苦しい事は、しっかりと心で受け止められ、その中でどうして いくべきかを考えられるようになります。  また、感情や感覚が豊かになって来るので、嬉しい事等による感激度合いも上がってきます。   自分を見直すという事は、普段の生活の中では、なかなか出来な事でもありますが、もし今何をしたら良いか分からないという時程、自分見直しをして、やるべき事を見付けられても良いかと 思いますよ。   小さい頃から自分の生い立ち、家族の中での自分、学校時代の自分、社会に出た時の自分から今の自分に至るまで、どう考えてどうやりくりしてきたのかという事を、年代や歳を区切りながら 想い起してみて、それで良い部分・悪い部分を見つめて抜き出して対処して行きます。   それらが今の自分に悪く影響していれば、最初の年代から起源されている事であり、その後もそれは影響していく可能性が強いという事も分かるでしょうし、少しずつでも改善していく事です。   良い事は、更に発展させていこうと感じて貰って、それに周りも喜んでもらえるにはどうするか等と、良いものは周囲に広げる方向で考えて貰えれば最高です。   そうして自分の魂を洗浄しているという事です。  良くない事は、良い方向へ変えるチャンス、自分を成長させるチャンスを見つけたと思うようにすると、前向きに頑張れますよ。   これは「内観」というもので、魂の記憶を遡るという事に繋がる最初の段階であり、初歩的なやり方ですので、誰にでも出来るやり方です。   魂には、過去の自分の色んな顔があるので、余り気にし過ぎるのも良くないのですが、そういった自分見直しのやり方もあるという事ですね。  


-2016年10月12日-
10月の連休も終わりましたね。   私は10日の祭日に、西国三十三観音霊場の第32番札所である「観音正寺」へお参りに行ってきました。   観音正寺は、滋賀県の琵琶湖の東岸の位置にあり、近江八幡市安土町の繖山(きぬがさやま)の山頂近くに建つお寺です。   近江八幡市というと、屋形船で巡る「水郷めぐり」や「八幡掘めぐり」、あと私の大好きな、クラブハリエのバームクーヘン等が有名な町ですね。   安土は、織田信長の命により建造された「安土城」が有名ですね。  安土城跡地の近くに「安土城天主 信長の館」というドーム型の施設があり、その中に安土城の天守5階・6階部分を原寸大に 復元れた天守閣が建てられてます。  安土城は「天守」と呼ばずに「天主」と呼ぶそうですよ。   帰りに立ち寄りましたが、金箔と黒漆で仕上げられた外観や内壁の装飾は絢爛豪華で、ついつい見入ってしまいますよ。   あっ、ちょっと観光案内の様になってしまいましたね(^^ゞ  では観音正寺の話に戻りますね。
観音正寺の境内まで上がるには、曲がりくねった狭い林道を車で走って上がるので、対向車とのすれ違いが出来ない所(車一台半程度の幅)も沢山あります。   途中、対向車とのすれ違いが出来る様に、対向車除けの待避スペースが有りますが、それも所々しかないので、それが無い所で車と出会うと、どちらかがバックして待避スペースがある所まで 行かないと、すれ違いが出来ません。  大きい車では、運転に気を遣いますよ。   お山の麓から山頂の境内まで、石段で上がるルートもありますが、とても大変ですので、足腰の弱い方は車で上がる方が良いですね。
山の中の駐車場に着いたら、お寺の境内まで木が生い茂る緩やかな参道を歩いて行きます。  参道脇には、所々に小さな石のお地蔵様が居られます。   それらのお地蔵様に、声を掛け、お酒とお菓子を御供えしながら歩き進んで行きます。   お地蔵様は、御供え物にも喜ばれてましたが、久しぶりのお参りで、私と会えた事にも喜んでくれていました。   そうして、順々に御供え物をあげながら歩いて行くと、目の前に少し開けた場所が見えてくると、そこが脇道から入る境内の入り口です。   無事に境内入口まで到着しました。  入口の両脇に立つ仁王様の銅像がお迎えです。   「先生!よう来たな〜♪ 長い事、来んかったなー! ワシら待ってたぞー!」っていきなり言われました。   そして「まあ先生、元気そうで良かったわい!」と、私がお参りしない間、心配してくれていたようです。  有り難い事ですm(__)m   時々、観音様から「待ってますよ」というメッセージを頂いてまして、その都度、 「また折を見て行かせて頂きますね」と返事をしていたんですが、なかなか行けずにいましたが、ようやくお参り出来て嬉しかったです。
今回のお参りが決まったのは、お参りする前日の夜でしたので、急きょ浄化をしておきました。   毎回、神社仏閣にお参りする前に必ず行う境内や参道の事前浄化と、お参りする旨のご報告と浄化、そしてお願い事を数日前からしておきます。  今回は前日の夜だけでした。   道中の安全と、麓から参道に至るまで溜まっていた霊的なモノの浄化もして、お山や境内での霊的影響を抑えて貰う様にお願いしていると、お返事の声が聞こえました。   それは、何故か観音正寺の観音さんの声ではなく、観音正寺が建っているお山の主の様な声(お山全体から聴こえてくるような声)が心の中に重く響き渡りました。   その声は、太く響く大きな声で、「先生の無事は、この繖山(きぬがさやま)が威信をかけて護らせてもらう!」という、えらい大袈裟な返答が返ってきました。   あれ? いつもの観音様じゃないな? この太く大きな声は誰かな? 初めて聞く声だな。 あ〜そうだっけ、山号が繖山(きぬがさやま)だったなと納得したり、色んな事を同時に考えて、 とりあえず、では「よろしくお願いします」とお願いして、お祈りが終わりました。   お祈りが終わると意識が現実的な感覚に戻ります。  と、あれ?よく考えたら、繖山(きぬがさやま)か!って、まるで知ってたかの様に心に浮かんだけど、観音正寺が建ってる山の事か?   そういう名前なのかも知らんやん!ってなりました。   お祈りの時は霊的感覚がメインになってるので、当たり前のように繖山(きぬがさやま)の事は知ってる感覚でしたが、お祈りが終わると、その感覚はリセットされる様に消えてしまいます。   とりあえず、繖山(きぬがさやま)が本当にあって、山号として使われているのかを調べると、本当に観音正寺の建つ山としてあり、山号として載っていました。   こういう事は、よくある事なので、後で確かめて初めて、ほんまやー\(◎o◎)/!ってなります。   これは、お山の御神体様が護って下さるという事と、わざわざ出て来て下さり、御言葉まで頂けた事、たいへん有り難く思いました。
さて、境内に入り、本堂横の不動明王様が安置されてるお堂では、「身体の痛い所や、不調に思う所を手で掴んでワシに投げろ! 引き取ってやるぞ!」と言われたので、皆でそうすると身体の痛みが 消えました。   不動様、いつも厄難や災いを祓ってくれて、ありがとうございます♪   こうして、見えないけど色んな助けを借りて、無事に本堂へ到着しました。  本堂を入ると、中の造りや、正面に安置されている御本尊様など、どれも新しく見えますが、これは平成16年に 再建された新しいお堂だからです。  この本堂は、1993年に原因不明の火災によって本堂は全焼、御本尊の千手観音様も焼失されました。   そして、新たな本尊を造るために、インドから取り寄せた白檀で制作されたのが、現在の御本尊である千手観音様です。   お堂内は白檀の良い香りが充満していました。  同行された方は、御本尊の千手観音様にお酒を御供えされ、朱印帳を購入され、御朱印を頂いてました。   前回の竹生島と、今回の観音正寺で2つ目の御朱印ですね。   これからも頑張って観音様の御霊場を巡りながら、観音様との御縁を積み重ねて行きましょうね。   本堂では、久しぶりに白檀の千手観音様にお会いし、同行されたご家族の方々と並んで座り、般若心経を唱えてお祈りしました。   「先生、今日はようこそお参り下さいました。 最近は色々と大変なお仕事を、なされておられる様に伺っております。 お身体の方に無理はございませんか?」と千手観音様。   「はい! 以前にお参りさせて頂いてから、色々と貴重な経験をさせて頂きながら精進しています。 身体は皆に護って頂いているお蔭で元気です。 ご心配頂き、ありがとうございます」と伝えて、 最近の仕事内容や、これまでの経過のイメージ回想をし、千手観音様に読み取ってもらいました。   なるほど、大変なお仕事をされているのですね。   私どもは、これからも先生の直接のお役に立つというより、先生のお身体をお護りし、お仕事の順調な進展をお助け出来る様に、力を注がせて頂きます。」 と仰いました。  その間、千手観音様は、とても優しいお顔でこちらを見られていました。   あと、知らなかった事ですが、お堂の内陣へ入らせて貰って、観音様のお身体を直接触れる事が出来るという「お身拭い」を体験しました。   朱印を書いて頂いたお寺の方に連れられ、内陣の中で様々な説明を受けて、内陣の中をぐるっと回って出て来たら、観音様の横でした。   間近で見る観音様はとても大きく、散華(紙で出来た蓮の花弁の形をしたもの)で観音様の膝や、手や、手に持たれている物を撫でる様に拭きながら、お願い事をしていきます。  家に帰ると、 その散華で撫でて体の不調を取ると良いですよと言われました。  なるほど〜♪  散華の中の空間に、観音様の気を溜めて持ち帰るという事ですね♪  うんうん♪   どんどん、散華の中にエネルギーが入ってきます。  散華は1枚しか貰えないのですが、身体の調子が悪い家族2人の事もお願いしていたら、ニコッとされた気がしました。   家に帰って、持ち帰った散華で身体を拭くと、悪いものも拭えて楽になるらしいよと言って家族に散華を見せると、一人一枚だけ貰える散華が、ぺらっと分かれて、何故か2枚になってました \(◎o◎)/! 何でや?  確か1枚だけしか貰えない筈ないのに。  たまたま2枚くっ付いてたのか?  お蔭で、調子の悪い家族2人に渡す事が出来ました。  観音様、有難うございましたm(__)m   今思うと、あの時、観音様がニコッと笑って「大丈夫ですよ」と言われた気がしたのは、そういう事だったのかも〜って思いました。  こうして、何とも有り難い想いに包まれた一日でした(^^♪   観音様は、癒しや護りを担当されるので、心が疲れている人は観音様に頼ると心が休まりますよ(^_-)-☆   また観音様との御縁の深さが強まった一日でした(^^♪