神霊による人生相談

ょっ言。

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-2016年11月29日-
今月も早いもので、あっという間に月末に入り、来月の12月に入れば、お正月の準備に入らないといけません。   神棚や玄関の「しめ縄」も注文したし、あとは御幣等を手作りして、飾りつけを新しくする作業を進める準備をしていきます。   あと、12月には、Xmas「クリスマス」がありますね。  キリスト様の世界では、小さな天使たちが自分達の役目をしっかり果たせるように予習に精を出しています。   初めてお役目を担った小さな天使さんは、初仕事をちゃんと果たせるか不安と緊張の中、その不安を打ち消すかのように練習をしてます。   天国であっても、皆それぞれに色んな役目を持って努力しながら過ごしてるんですね。
天国で行う努力とは、人のために働ける様、人の役に立てる様になる為の努力を通して、自分を成長させていくというものです。   この世でも、そういう努力をしてる人には、天国からの指導が入りやすくなります。   大変な努力を続けた結果、多くの人々に便利さや、幸せを与える様な大きな成果を残してきた人達は、心の中に誰かの為にとか、世の中の為に等という想いがあって、それらは希望や勇気や信念等に よって支えられ、辛抱しながら頑張り通した結果、色んな発明や改革・改善、教えや癒し等から多くの人の助けとなって、世の中に広く残っているという事が多いと思います。   誰かの為にとか、世の中の為にと、自分の能力を発揮しようと信念を持ち続けていれば、その信念をこの世的に叶えてやろうという指導(インスピレーションや、能力で足りないところは 専門家と知り合えたり、多くの手助けが入ったり等)が、色んな場面で努力を後押ししてくれるような形で天国より降りてきます。
また、自分自身の問題や、身の回りの問題で、それを良くしていきたい、改善していきたいという事で頑張られている方も、日々の祈りの中で神様にお願いしておくと良いですよ。   お願いの仕方は、今起きている問題が解決されたら、問題事から発生している事柄に邪魔されず、自分自身の気持ちや考え等が良い方向へ進めやすくなるので、その結果として、周囲にも良い影響を 与えられる様に成長していきたいという信念を、心の中で神様に伝えるように話していくと良いです。   心の中は意識界(霊界に通じる世界)なので、心の中で一生懸命に話しかける様に伝えると、お家の神棚や神社仏閣などに祀られている神仏と繋がります。   繋がっても、今の現状と自分の想い、何故お願いするのか、願いが叶った場合、どうしていくのか、そういう点を神仏は査定します。   それで、まだまだという査定が出ると、全部叶わなかったり、半分だけ叶ったり、そういうバラツキが出るんですよ。  そういう事が、世の中で沢山あるので、願いが叶う度合いが人によって 違うという事が出てくるんですね。
  願いは、三世(過去・現在・未来)を通して、話すと神仏に伝わりやすいです。  過去はこうだったので、今の現状はこの様になってます。  これからの努力で未来の自分はこう変えていきたい、 この様になりたいと、その為の努力と精進をして行くので、ご援助くださいとお願いしておけば、神仏はその気持ちをしっかり見つめてくれて、努力の過程で援助を入れて頂けるでしょう。   望みを叶えるには、努力を続ける事(精進)と、自分を成長させるために必要な知識を得たり、考え方の偏りを無くして広く物事を見れる様に、自分の器を成長させていく事です。   神様には、望みを叶える為に行う努力の過程を応援して貰える様にお願いしておけば大丈夫です。   神様にお願いだけして、後は何もしないで待ってるだけでは望みは叶えられませんからね。
後ね、自分の努力だけでは進展しない時がありますよね。  私の所に相談される人は、大抵そういう人が多く、見てみると霊的な邪魔が入ってる事が多いです。   それで、そういう邪魔になってるモノを取り除くと、心も軽くなり、援助者が出て来たり、努力に応じて徐々に問題事がクリアになっていきます。  頑張りに応じた結果を生み出す事が出来る様に なってきます。   頑張ってるのに結果が出ない時は、そういう観点からも探ってみていく方が、早く結果を導き出すという事にも繋がります。
  また、日々の頑張りを見守っている守護霊が援助してくれてもいます。  一般的には、日々の気付き(第六感的にピン!とくるやつ)を与えたりしてくれます。  理由は分からないけど、 こうした方が良いという気が凄くするとか、何かを選ぶ時に、これしか視界に入らない程すごく気になるとかで、気付きを与えてたりします。   もっと頑張る守護霊様は、守護する者が何処かの神社仏閣の神仏を信仰されている事で、その神仏との縁が繋がっていますので、その繋がった縁を辿って、人間がお参りに行かない時にも、 その人の気持ちや考えを代弁して伝える為に、神仏の所にお願いしに行ってくれます。  これに、先祖も手伝ってくれると、大勢で神仏の所にお願いしに行ってくれているという事になり、 それだけ神仏の方も身を入れて聞いて下さるという事になります。  それらも全て、普段の気持ちの持ち方、考え方の方向性を誤らない様に気に掛けていたり、神仏や先祖を大切に想う心、 尊み敬う心を持っているか。  何かの時に、そういう心を思い出して、気持ちを正しい方向へ切り替えられているかです。   信仰は、何か特別な事をしないでも、素直な気持ちで信じて敬っているだけでも大丈夫なんですよね。   もうちょっと何かやってあげたい、学んでみたい等という事で、お供え物をしたり、真理や、お経を覚えたりするという事に、自然と心の状態が行動に表れてくるだけです。   そうして、心にも身体にも環境にも「楽」というものが訪れてくるようになります。
  日々の頑張りは、どこかで必ず報われてるもんですよ。   人間は、大きな報いを期待する為に、小さな報いに気付かないでいるだけです。  自分の得になる事だけを気にしていたりする人は、 小さな親切にも気付かないでいる事が多く、その分感謝の気持ちも少ないという事になります。  ちょっとした親切にも、ありがとうとお礼を言える人に、神仏は微笑んでくれますよ。   そういう生活のサイクルを、ちょっと見直してみたり、気に掛けていると、案外助かってるな〜って思う事が出て来ると思いますよ。
  日々の心の持ち様で、楽しい日にもなりますし、しんどい日にもなります。   しんどく感じるのは、自分に足りて無い所があるからです。   その足りて無い所に気付くだけでも、その先の未来に光は見えてきますよ。   足りて無い所に気付かない人は、目の前の光に気付かないのと同じなので、ずっと暗闇の中を彷徨ってる様なものです。   気付けば直せる事でも気付かない人は、自分の欠点を直せませんしね。
  算数の問題が解らないで悩んでる時に、ちょっとした気付きから問題を解くヒントの手掛かりが見つかって、何とか努力して問題を解けたとしたら、その問題は、もう自分の中で解らなかった問題事 でな無くなったという事です。  それで次に同じ様な問題が出たら、前回の手掛かりを思い出して時間を掛けずに解いていく事が出来る様になってるでしょう。   人間というものは、そういうもので、常に進化発展していくように創られています。   同じ時点で止まるという事に、苦痛を感じるのも、後退していくという事に危機感を持ち、苦痛を感じるのも、魂的に見れば、そういう様な特性に創られているからです。   だから、少しづつでも進める様に頑張って努力していけば、魂の特性としてその様に進める様な指導が必ず何処かの時点で入る様になってます。   そのタイミングは、自分の意志で引き寄せる事も出来ますので、そういう道理を知っておいて、やる事をしっかりやっている方が良いと思いますよ(*^^*)   年末年始は、色んな頼みごとをされる機会が増えてくると思います。   その際に、ちょっと思い出してもらって、思考を良い方向へ切り替えて貰えれば、良い結果を招く事も叶いやすいと思いますよ。
今回の「ちょっと一言」も、何とか今月ギリギリで間に合いました(^^ゞ
これから寒さが増してくるので、皆様、お身体に気を付けてお過ごし下さいね(*^^*)v


-2016年11月15日-
11月に入って朝晩が寒くなってきて、もう冬の気配がしてきました。  でも、この記事を書いてる日曜日は、18℃と暖かい陽気になったので屋根に布団を干しましたよ(^^♪   琵琶湖岸の湖岸道路も、近県のナンバーを付けた車が多く通っていて、道路沿いに点々と設けてある駐車場から続く芝生では、多くの人が遊んだり、バーベキューや、キャンプをしたりして、 思い思いの時間を楽しく過ごされているように思います。   私も時々、琵琶湖の景色を眺めながら湖岸道路をドライブして、道路沿いにある「道の駅」に寄ってアイスクリームを食べて帰ってきたりします。   時間があると、そのまま湖岸道路を進み、琵琶湖大橋を渡って、大原の里の方にある道の駅に寄ったりします。   ドライブ中は、琵琶湖や比叡山や比良山系の山並みの景色を見ながら、神様や神理に繋がるイメージを巡らせていると、色んな思い付きや、気付きが浮かんできて、それが新しい発見に繋がる 事があります。  新しい発見は、大抵は気持ちがリラックスした時や、誰かと世間話なんかをしている最中とかに多いですね。  真理を意識しない普段話の最中や、趣味の車の話をする時にも、 綺麗な景色に陽の光が降り注いでるのを眺めてる時にも、ただ風が強く吹いてる時にも、色んな時点で、ふっと神理に繋がる思想を思い付く(入って来る)事があります。   それは、普段から神理に関して想いを巡らせている事柄が潜在意識の中に滞留していて、その答えとなる様な気付きを降ろしてあげようとする神仏の働き掛けがあるからです。   ふとした瞬間の、直感的に感じる悩みの解決方法や、真理指導の方法など、私の想いに対して有効な気付きを与える切っ掛けとして、神仏は、肝心な点にピンポイントで光が当たる様な感じで 気付かせてくれます。   気に掛けてないと気付かない様な所に真理の光を見付けると、大抵それは大きな悟りに繋がる前段階であることが多いです。

私は車が好きなので、車と運転者を、「車=肉体」と「運転者=魂」の関係に例えて説明してますが、そういう例えも数年前に、テレビで見た廃車のスクラップ場の映像を見て、ピンときた事から 神理に当てはめたら、難かしい話でも案外と分かり易いんじゃないかと思い当っての事です。   全ての人間には、肉体の中に魂が宿っていて、その両方が揃っている事で生きてるという事になり、肉体から魂が出てしまって戻らなくなったら、死という事になります。     この、車と運転者との例えでは、車(肉体)に運転手(魂)が乗っていて初めて車(肉体)が自由意思を持って動く(生きてる)という事になります。   もし、車(肉体)が、故障(病気)をしても、少々の事故(怪我)をしても、車(肉体)の中で運転している運転者(魂)は、色んなセーフティーガードに護られているので、怪我もなく安全なん です。  ただ、大きな事故や故障で、車が大破した時や、故障で動かなくなった時、もう修理出来ない状態である時など、車自体の寿命が来て、もう廃車しないといけなくなった時に、今まで乗っ ていた運転者さんは、それまで長年乗り続けてきた車から降りないといけない時が来ます。   古くなって故障して動かなくなった車や、大破した車に乗り続ける事を断念して、暫くは車の無い日々を過ごしながらも、次の新たなカーライフに希望を持って頑張って働いていくでしょう。   そして頑張ったお蔭で、次の車を手に入れる為の資金の準備が整い、新しい車を手に入れる時がやって来ます。   次の車を買うための資金は、以前から貯めてきた貯金に、車を無くした後に頑張って貯めた貯金を足す事が出来れば、良い車を買うにも大いに役立ちますね。   貯金が多いほど、良い車が手に入りやすいですからね。
これを、人間と魂の関係で言うと、大怪我や大病等で肉体の機能を修復出来ずに命を落とした時、今まで肉体に留まっていた魂は、霊界へ戻るために肉体から抜け出る事に未練や執着を持たず、 霊界へ戻らないといけない時が来るという事と同じなんです。   そして、無事霊界へ戻って、魂修行をして、次の輪廻転生を経て新たな肉体へ生まれ変わる事に供えて頑張るという事と同じ理屈になります。   また貯金は、生前の善なる行い(徳を積む)によって、魂の中に沢山の徳というものが貯金されているのと同じです。  この徳という貯金みたいなものが、多いほど楽な世界へ上がれる権利を 貰えますし、次の転生で新しい身体や整った環境を選ぶ時に有効に効いてきます。  恵まれた環境や、先進国に生まれるという事は、それだけ頑張った魂であるんですね。   全ては、多くの人や社会に尽力を尽くした人ほど、最後は自分にご褒美として返ってきます。   軽〜く言うと、「情けは人の為ならず」で、人に親切を施していれば、その相手のためになるだけはでなく、巡り巡って、やがては良い報いとなって自分に戻ってくるという事ですね。   良い報いが欲しいと、それを念頭に置いて他人に親切をしていると、親切の押し売りとか言われたりして、なかなか報われない事が多く、次第と他人を恨むようになりますので、注意しましょうね。   そうして魂は、何百・何千回もの輪廻転生を繰り返し、この世に生まれ出て、また新たな人生経験を積んで行くのです。

ちょっと話を戻しますね。  大好きな車を手放す未練や悔い等という執着は、肉体を去る時、魂が抱く未練や悔い等という執着と同じ感じです。   大事にしてきた大好きな車(肉体)を手放すのが嫌で、車(肉体)に留まり続けると、それは動かない車の中で、必死にハンドルを握り続けているだけの状態(植物人間)となり、本当に肉体機能が ストップするまで、何か月間も死んだように生き続けるという事になります。  ベッドに横たわる肉体に、少し浮かんだ状態の魂が、自分の身体から離れない様に、必死の形相で、しがみ付いて るという状態に見えます。   この時、肉体は自分の力で生きる事は出来なかったりするので、生命維持装置の電源を落とせば即に死という状態になり、嫌でも肉体から出ないといけなくなります。   そうして霊界へも肉体へも戻れない魂は、病院内を彷徨う霊となってしまう事もあります。
あと、事故などで車を壊した時の車体(肉体)の受けた衝撃は、運転手(魂)の心に五感として繋がっているために、同様に心にも打撃を受け、車と同じ痛みを味わう事になります。   例えば、最近のアニメで、ロボットの中に居る操縦者が、自分の身体とロボットの身体を神経回路を通して伝達し、操縦するタイプのものがありますね。   人間も肉体と心も、五感を通して色んな感覚器官と繋がれた状態で生きているんです。   なので、ロボットの腕が折れると、中で操縦する者の腕も折れたような痛みが起きるという感じです。  そうして、大きな肉体的ダメージで、人が死んだ場合、魂にもそのダメージが辛い記憶と して残ってしまうと、霊界に戻っても、肉体の痛みを背負って過ごしているという事になります。  これも、肉体と魂との関係を知らないでいると、過去の記憶で苦しむという事になり、 そういう苦しみの世界で過ごさないといけなくなります。  これが、事故や大怪我などで痛みの想いが強く残った魂が行く世界と言う事になります。

幽霊になって、痛い痛いと呻いてる霊を諭す際、これまで書いた道理を教えてあげると、納得されて表情が穏やかになられます。   道理が分からないから、心に残った苦しみから離れる事が出来なくて、結果的に苦しみが長く続いてしまうという事なので、早く道理を教えてあげる事が大事になります。   生前に、少しでも真理の学びを得ていたら、霊界で迷う事も無かったと思います。  生きてる内に真理の学びを得られる人は、本当に幸せだと思います。   生きていれば、色んな人徳者にも会えますし、その方から有難い話を聴く事も出来ます。  信仰では、霊界の学びを得る事が出来、生きてる内に徳を積むという事も、案外容易に出来るんだなと 感じるでしょう。   今、信仰心を持って真理を学ばれたり、神仏との交流をされてる方や、頑張って信心され、お参りをされたりしている方々は、知らない内に徳を積まれていて、それが時々満期になって、配当金の 様な感じで、真理の中の気付きが心に降りて来たり、悩みを改善出来る助けが入ったりするんですよ。   信仰心を持って必死で頑張る事も必要ですが、時々は力を抜いて、真理の穏やかな面を楽しむという事も必要ですよ。   気を楽にすれば、心の窓も開き加減となり、神仏の光を受け入れ易くなりますよ。 神仏の光は、いつも当たっています。  光を受ける人間の心が開いていないのは、心が曇り空と同じです。   それでは、折角の太陽の光が、心の雲が邪魔をして射して来ないのと同じですよ。   信仰(真理)を楽しむという事を心に留めておくと、力が入り過ぎた時に、張り詰めた心の気を抜く事も気付くと思います。   「心に楽を」です。  それから、どうするかを知るために、真理の教えがあります。  そして教えから、また楽が生まれますよ。   「楽」は、心の中で輪廻を繰り返し、段々と「楽」の次元が上がって来て、本当の楽を見付ける事が出来ますよ。  いろんな気付きを見付けて、自分なりに真理に照らし合わせて、自分の理諭を つくり上げてみるのも良い勉強になりますよ。  真理を学ぶ者同士で、発表し合っても、そこには気付きが生まれるでしょうし、互いに良い学びの機会となりますよ。   私は皆さんと、そういうお話が出来るのを楽しみにしています。   今回は、車の話から、ついつい長くなってしまいました(^^ゞ

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*ちょっと、お知らせです。

アメリカ ミネソタ州のYH様

メールのお返事が戻ってきてしまうので、設定の見直しをお願いしますm(__)m
スカイプ通信のコメント欄にも少し書いておいたので、確認してみてくださいね(^^)/