神霊による人生相談

ょっ言。

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-2017年7月28日-
今月もバタバタしていたら、早くも月末になってしまいました。   梅雨も明けて、猛暑が続いてますね(>_<)   みなさん、熱中症などに気を付けて過ごして行きましょうね。   身体が弱ってしまうと、お盆の時期が近付いて来てるので、身体以外に、精神的にも色々と影響を受けてしまい、しんどくなると長引く恐れもありますしね。   この時期の体調管理は大事ですよ。   前回も書きましたが、早めにお墓参りしといて良かったです(^^♪

お盆になると、霊界より沢山の魂が還って来ますので、お寺や各家庭で先祖供養等が行われますね。   ご先祖には、霊界で楽に過ごしてもらって、生きてる自分達は先祖に感謝して、お仏壇やお墓にて、お祈りしましょう。   ご先祖供養は、子孫が明るく正しい道を進んでくれている事でも、十分に供養となっています。   先祖は、子孫の無事と繁栄を願って手助けしてくれるので、子孫が自分達の努力で頑張っていれば、先祖は安心して悩まずにいられます。   先祖を悩ます事なく、自分達を見て貰える環境を、自ら作り出していく事も子孫の役目であり、それが自分達の日々の幸せにも繋がります。   その幸せをつくる過程が一番大切なんですね。  幸せになった結果は、努力の積み重ねの成果であり、そこで満足して努力を惜しんだり、面倒がる事なく、幸せと思えるところまで来れた という喜びと、感謝を持って、次の段階へ進んで行こうと決めて前進して行けると良いですね。   日々の努力を続ける時、先祖様の助けもあって頑張る事が出来ていると思って進んで行けば、先祖も嬉しく思われるでしょう。   また、先祖の方は子孫への援助力が足りないと思えば、先祖も力を付けられる様に頑張ろうとされます。   それは、お互いに見えない事であっても、お互いを想い合う気持ちが互いの幸せを願う方向に向いていれば、それは神仏の援助も借りる事が出来ます。   そういう温かい心を持つようになる事が、神仏の力を引き寄せる鍵にもなりますよ。   それらが相まって「神仏の気持ちの中で生きる」という事に繋がって行きます。
  この心境になると、不幸な事や、悩み事などは、誰のせいにもせずに、冷静に分析しながら対処していこうとする心が出来上がってきます。   まあ、特に修行とかしなくても、日々の暮らしの中で修行科目(苦手な事や悩み事など)は自然とやって来るもんです。   悩み事は、結局自分の苦手な相手や、不得意な事から始まってるので、それを見付けて改善していけば、悩み事に繋がる自分の不得手な部分を減らして行けます。   自分一人で無理な時は、他人の助けや考え方を取り入れて、乗り越えていく感覚を掴んで行きます。   例えば、難しい数学の問題も、見るだけで避けていては、何時まで経っても解けませんが、公式を学び、その公式に入れて解いて行く努力をしていけば問題は解けますよね。   それと同様に、色々と試行錯誤して行く中で、他人の援助や教えを学び取りながら、自分なりに当て嵌められる公式を導き出せると、解き方の概略が分かってきて、それに関する問題事には特別悩ん だりする事も減ります。  また、気持ちが落ち着いて、物事を楽に捉える事が出来る様になってきます。   そうして、何とか自分を成長させていけば、自信も付いてきますし、上手くやる要領も分かってきます。  そうすれば、もう以前と同じ事が起きても乗り越えて行けるでしょう。   そうして人は、何かの問題に直面すると、悩みながらでも、自分なりのやり方を見付けて進んでいるんですね。
 
成功して立派になられた人の話では、自分はずっとそうして対処して乗り越えて来たと、自分の経験を通して語ってくれたりしますね。   それが大変参考になり、活かしていく事で上手くいく時もあります。  逆に、あまりピンと来ない時もあります。   そのやり方は、個人個人で導き出された公式が違うので、他人が成功したやり方が、全て自分にも合うという事でもないんですよね。   良い話、為になる話を聞いて、その中で自分に合う部分のエキスを取り入れながら、実際に試しを続けて行きます。   そうして、どんどん改良していくことで、今の自分の居場所を、更に良い場所へと変えていく事に繋がりますよ。   自分なりの公式は、苦しい時にこそ見つけて行けるもので、歳を重ねて経験を積みながら徐々に修正を加えていって、色々と対処出来るようなマルチな公式にランクアップしていくつもりで過ごすと 良いですよ。   それも、この先の自分を助け、自分を磨きながら、自分の未来を明るいものにしていく為の努力です。   更には、皆の幸せを願って、磨いた自分の力を発揮していくという事ですね。  その為に、何が出来るか、何をしていくかを考えて、自分の目標を 立てて、そこに向かって進んで行くという事。  それが修行になってますからね。  各人で頑張っている事が、修行と同じなんですね。

修行を無理なく続けるには、一つ出来たら終わりではなく、ちょっと休んで平穏な時を過ごす中で成果を味わって、また次を目指して行けば良いです。   頑張り過ぎる人は、努力の成果をじっくり味わう事より、直ぐに次の修業を望まれる事もあるので、平穏な時を過ごすという事も修行の一環であると思ってもらう方が良いと思います。   平坦で問題ない日々は、物足りないと思われる方も居るかも知れませんが、その穏やかな日々の中で、心は、これまでの疲れを取り、癒されながら育っていると考えると良いでしょう。   辛い時を経験した心を緩めてあげて、強い中にも優しく穏やかな心になるよう、心を柔らかで柔軟な光で包む修行と心得ましょう。   大変な出来事に出遭っても、自然な対応が出来る柔軟で強い心になります。
  辛い時期を乗り越えて楽になったら、楽な時期に出来る事をして行く事(楽しい事でも構いませんよ)を見付けて、心がリラックスしている楽な状態の中で考える事が、次の大きな気付きの基にも なるんですよ。  辛い時は、今出来る事(すぐ目の前の事)を考え、その都度クリアして行ける目標を目指しますが、落ち着いた時を過ごせるようになると、もう少し大きな事を考えたり、 大きな目標を立てたりしながら、思考の切り替えをして、広く高く見る練習をしていきます。  そうして神仏の目線というものを想像しながら感じ取ってもらうのも良いですよ。   特に変わり映えしない日でも、神仏の事をゆったりと考えられるなら、それはとても大事な事ですからね。   日々、何かに急かされる様に頑張っていた頃には難しかった、ゆったりと自分の心と向き合う時間の中で、心の中、心の先に神仏の存在を感じ取り、有り難く想える事もあるでしょうね。   神仏は、いつもあなた方の中に居られます。  その真実に気付かなかったのは、気付こうとしてなかっただけです。
  きつい修業で心もきつくなった人も居ますが、ちゃんと心の修業が出来ていれば、きつい修業をされて大きな力を体得されても、心は丸くて穏やかです。   大事なのは、心を高めて行くという修行が出来たかどうかという事です。  神仏は、その点を重視して見ています。   焦らずに、ゆったりと構えて、神仏と一体になるというイメージを自分に植え付け、神仏と心を重ね合わせる様に精神を集中し、同時に身体の余分な力を抜いていく事で、穏やかな神仏の意識が 流れ込んで来るようになってきます。  イメージとしては「お迎えの心」にして行きます。   次第と神仏の考えを自分の考えとして思い浮かべるようになり、色んな気付きを得る事も出来ます。   そうして、段々と高みに上がって行く事が自然である、それが人間としての喜びでもあると感じる様になります。   感謝しろと言われないでも、何かにつけて自然と感謝の気持ちも出る様になり、無用な怒りや不満は出て来なくなり、ちょっと心が乱れたとしても、穏やかな状態に戻るのが早くなります。
 
そういう全ての事が、この世と、あの世を通して言える事です。   その流れや概要を心の留めているだけでも、自分の苦しみから抜け出していく事への道筋が分かります。   先祖は、そうして頑張る子孫の生き方を見て、生前の不足を見直し、あの世での修行科目とされても良いですね。  そうされている先祖も居ます。   先祖から子孫へ、親から子へ、正しい生き方を示すというだけでも、後に続く者への教えになります。  それに真理の教えが加わると、更に高みからの教えを受ける事が出来ます。   真理の学びを子孫が受ければ、先祖も同時に受けてるのと同じです。   先祖の中に苦しい人が居ても、それは子孫のせいではなく、その先祖の生前の考えや生き方が原因なんですね。   そういう生前の生き方が、今の霊界の居場所を決定しているという道理を、先祖に気付かせてあげる事が大事です。   そうして、これまで書いたことを念頭に置いて進み、心の状態が改善されていけば楽になって貰えます。   子孫が、霊界の道理や真理を知らない時は、般若心経の解説本を買って読まれて、学びを取り入れると良いです。    そして普段は、お仏壇にお供えしておくと、困っている先祖はヒントが欲しいので読んでくれますよ。   まあ、一緒に読まれてる事が多いでしょうけどね。  自分が読んでなるほどー!って分かれば、先祖もなるほどー!ってなってます。  自分が今一、分かり難い時は先祖も、どういう事〜?って なってたりします。  先祖と同じ行動をしてる時は、互いの気持ちが流れますから。  なので、自分が理解した分は、先祖にも流れて行きます。   先祖と一緒に頑張って理解を深めて行くと、ありがたいな〜って思える気持ちが湧く時があるでしょうね。   それは、先祖が感謝してる時です。  私もそうでしたしね。  みなさん、ご先祖と良い関係を築いて行きましょうね。   今日は、先祖にも良い影響を与える「心の修業」についてお話しました。


-2017年7月15日-
梅雨の時期、毎日、蒸し暑い日が続いてますね。   梅雨が明けたら夏本番で、また猛暑の日々がやって来ますね(^_^;)   なので、まだ暑さも我慢出来る位の今が良いかなと、お盆にはまだ早いですが、先週にお墓参りを済ませてきました。   お墓参りも先祖供養も、早めにする事は、ご先祖からしても問題無いので、予めご先祖様に早めに行くという連絡をしておきました。   ご先祖様は、早めにお参りに行く事も了承してくれて、夏の暑い時に来て貰うより、今の内に来てくれる方がいいよと言ってくれましたので、安心して行くことにしました。
   お墓参りを行くと決めてから、お参りに行くまでに墓地の浄化をしないとな〜って思い出した頃から、身辺が怪しくなってきて、身体も痛くなったり、お腹が張ったりしてきたので、これはお墓から 来てるなと勘づきました。   それで、身体に出ている影響は何かと霊視してみると、睨んだ怖い顔の霊達が沢山やって来ているのが見えました。   これは、墓地の敷地内にある無縁仏の霊達だなと気が付きました。  お墓の敷地の隅っこには、お墓を管理する者が居なくなった墓が、無縁仏として狭い敷地に山の様に寄せ集められています。   あと、お墓は建てられていても、全くお参りに来ない墓の霊も何体か私の所へ来てました。  そういうお墓は、その内、無縁仏になってしまう可能性があります。   何でこっちへ来てるんですか?と訊ねたら、我らには既にお参りに来る者も無く、お前の様に先祖を想ってお参りに来ようとする者は許せないから、行けないようにしてやるんだと言ってました。   だから、ワシらの居る限り墓参りはさせないという事も言ってました。  この墓地の全ての持ち主の者に邪魔をしているが、特にお前の家の墓は明るくて嫌いだと言ってました。   だから一番来てほしくないと言われました。  なるほど〜(^_^;)  どうやら、私がお墓に行くのを見てる者(無縁仏)が、羨ましくて意地悪してきてるんだなと思いました。   無縁仏は、誰にも供養して貰えないので寂しいんでしょうね。  お寺のお坊様は、狭い敷地に積み重ねる様に寄せ集められたお墓に向けて、一括供養としてお経位は唱えてるとは思いますが、 個人個人の墓を丁寧に供養する事はしないと思うので、無縁仏からすると物足りないと思います。  それで、私の所に不満をぶつけに来てるんでしょうね。   これまで、お墓に行こうとすると、何度か家の者の調子が悪くなったりして、行けなかったりしていたのが、そういう事だったんでしょうね。   なので、お墓に行く時は、前もって墓地を護る役目の六地蔵様や、お護りしてくれるお不動様などにお願いして行ってましたが、最近は、墓地内の雰囲気が怪しいので、墓地の浄化をしてから行く ようにしていました。   そうすると、墓地に着いた時、前もって浄化された綺麗さがあって、気持ちよくお参りする事が出来ていました。   何故か今回は、色々と訴えてきましたので、そうか、そうか〜って頷きながら聞いていると、段々と霊の身の上話になってきて、本当は墓参りに来て貰える墓の連中が羨ましかったんだと、しょん ぼりした姿になって、最初見た時よりも小さく見えました。   あなた達も辛かったんやな〜って言いながら話を聞いてあげていると、あんなに怒って睨んでた顔が、普段私の所に悩み相談に来られる人の様な、大人しい表情になってきました。   無縁仏の霊達は、色々と心に溜まっていたものを吐き出して、ちょっと心が軽くなって、私の話をうんうんと頷きながら落ち着いて聞けるような状態になりました。   いつも他人の墓に参りに来る人を見ては、自分達の墓には参ってくれる者も居ないので、段々と憎らしい気持ちになって、お参りに来る人に憑いて、しんどくさせたりしていたと言ってました。   また、周りのお墓の霊にも、お参りに来て貰えない寂しさを味合わせてやろうと、お参りに来る人の邪魔をしていたりと、自分達と同じ様な状態に仕向けていく事で、少しの満足感を持って 心の隙間を埋めていたようです。  お墓を護る六地蔵様も、手を焼いていたそうです。
   普段のお墓には、先祖の霊達は居なくて、本来居る所は成仏された霊界です。  普段からお墓に居るという事は、成仏が出来ていないという事です。   だから、この世の出来事に影響されて、人間の想いや動きにも影響されてしまうんですね。   他人を羨ましがってばかりで、どんどん自分が惨めになって行って、その内に他人も自分と同じように落としてやれと思うようになって、そうする事でしか喜びを味わえない様になってしまうんです。   辛くなると、そんな喜びでも欲しくなって仕方なくなり、また誰かを不幸にしていくという連鎖を繰り返して、もう成仏するという事も、温かい心も忘れて行ってしまうんですね。
  無縁仏になったという事を受け入れて、自分が成仏して楽な世界へ上がってしまえば、誰も来ない様なお墓には未練も無くなるんです。   それよりも、霊界での修業を進めて行って、またこの世に転生しに来る方を選んで頑張る方が良いと思います。   そうした時に、もうこの世との繋がりも薄れて、霊界での生活に、未来の希望を見付けて頑張って行けると思います。   生きていた頃の優しい気持ちを思い出してもらって、本来の魂の明るい部分を大きくしていけるようにして行きましょう。   そう言いながら、大きな光を皆に浴びせて、それぞれの心を癒して行きました。
  そうして光を与え、真理の話をしていると、皆の心も穏やかになって、暖かい天の光を受け、きちんと座って手を合わせる姿になっていました。  それぞれの魂から光も出始めています。   「では、そろそろ皆で上の世界に上がりましょうか!」と言うと、「我ら、この様な事をしでかしていたのに、上げてくださるのか」と言うので、「心が戻って、これまでを反省し、未来に希望を 持つ者には、上がる資格があるんですよ」と伝えました。   皆、「ありがたや〜」と声を揃えて言いながら、何度もお辞儀をしていました。   それで、「あっ、そうそう! これで、私はお墓参りしても良いですよね〜」って言うと、「はい!どうぞ!どうぞ! 沢山お参りして下され! 先祖らも墓で待っておられますぞ!」と皆が言って ました。   さっきまでと、随分違う言葉ですね。  心が満足すると、他人にも寛容になるんですね。
では、阿弥陀如来様の金色の光を降ろしてもらい、その光の通路を通って上がって貰うようにします。   光が降りてくると、辺り一面が金色に染まって、その光の中を嬉しそうに上がって行かれました。   最後の一人を見送って、阿弥陀様の光が落ち着き、にこやかなお顔で「先生、ご苦労であった!」と労いの言葉を掛けて下さり、大きな光の中へ消えて行かれました。
   次の日、お墓へ行くと、スッキリした雰囲気になっていて、嫌な感じは全く無くなっていました。  お墓の土地の空いた所に生えた草も抜いて、墓石も綺麗に拭いてあげました。   そして、持って来たお花を挿して、お水をあげて、般若心経を2回唱えました。  最初の一回目は、「お供えの般若心経」で、2回目は先祖が唱える「お礼の般若心経」です。   これは、家の仏壇でも同じで、先祖の為に唱えるお経と、先祖が唱えるお経を別けて唱えます。  1回目は私自身の声で唱えますが、2回目のお経は先祖の声(その時々で出てくる先祖が違います) で唱えます。  最近の2回目は、西岡学校の子供たちが出て来るのが通例で、子供の声で唱えています。  子供たちにとっては、お経を唱えるという事が勉強になってます。
  今回のお墓参りは、良いお天気で大汗かきましたが、心も身体もスッキリ軽くなって帰る事が出来ました♪   最後、六地蔵様に無事にお参りが出来たお礼を述べて、じゃあこれで帰ろうと、お墓の敷地を出る時、大勢の人が一斉に頭を下げてくれたイメージが、ふっと湧きました。   ありがとうございました。  また来ますね〜(^^)/  と心の中で伝えて帰りました。  良いお参りが出来て良かったです(^^♪