神霊による人生相談

ょっ言。

前ページへ戻る


-2017年8月23日-
お盆休みも終わりましたね。  お盆の最中は、色々と霊的影響が出てましたので、それらを浄化したりする事が多く、自分の身体の調子も良くなったり悪くなったりでした。  特に、お盆に出て来た霊を狩る死神が多く出ていて、それらが人にも危害を加えている事も多くて、お盆の最中は死神退治が多かったです。  死神は、階級が上になると、身体も大きくなると同時に、手に持った鎌が大きくなり、鎌の長さも長くなります。  手に本を持っている死神もいますが、鎌を持つ死神とは種類が違います。 来ている服の色も灰色や黒色などありますが、役目や性質の違いなどで別れています。  あと、死神も偉くなると子分を沢山連れて来るようになります。  子分の確保は、亡くなった後の地獄行きの魂を死神が連れ去って、死神の世界で強制指導・強制労働をさせながら操ります。  お盆やお彼岸に出て来た霊を連れ去る事もあるので、ボヤ〜ッとしてる霊はさらわれます。  あと、悪い宗教団体にも死神は社員の様な感じで沢山いますし、亡くなった後、その教団の死神グループが来て連れて行かれます。  それで、こんな筈じゃなかったと思っても、もう遅いんですね。  連れ去られた世界では、大きな死神が居て、その親分の命令で無理矢理に言う事を聞かされるので、仕方なく命令に従ってる感じです。  大きな力で抑え込まれた魂達は、抜け出す事も出来ない世界の中で次第に心が負けてしまい、死神の衣装を着させられる様に、姿が死神と同じになっていきます。  そして死人の魂を連れ去っては、死神の世界へ送り込むという仕事をさせられます。  好き好んで死神をしている訳では無い死神も沢山います。 でも、段々と面白くなる者もいて、魂まで本当の死神の様になっていきます。  そんな死神たちが、お盆やお彼岸の時期以外にも、霊の集まる場所や、弱ってる人の近く等、大きな死神に命令されて強制的に送り込まれて来てたりします。  沢山の死神が出てる時は、そういう素人死神が多いんですよ。  それで、大きな死神を祓うと、子分の死神たちは、呪縛を解かれる様に普通の地獄霊に姿が変わります。  そして、それぞれの心の状態に合った世界へ分散していきます。  地獄界も人間界も、弱い者が強い者の命令に無理やり従わせられたり、使われるという仕組みは同じなんですね。

今はまだ、お盆が終わって1週間程度なので、この世に残った魂達や、色んな想いが念となって残っています。  日本全国的に見ると、身体的には随分と楽になってきてる様なので、そうして身体と精神の調子が上がってくると、各人の発する気が強くなってくるので、霊的な影響は少しずつ 減って行きます。  日本全体に充満していた重く沈んだ霊気は、神仏による浄化が日を追うごとに進み、それに連れて身体的にも楽さが増してくると思います。  神社の神様は、お盆の時期に参拝された人達が落して行った霊の浄化に一生懸命です。  神社の境内、参道、森の中等、色んな所に霊が溜まっています。  その霊の出す負の波動を目当てに、魔の者がやって来ます。 そういう集団が集まってくると、一時的な魔界に似た磁場が出来てきます。
神社には、一見神様の様に見える神様崩れの者が居て、神様に似た霊力を使う者もいます。  私の所にも念を飛ばしてきて攻撃してきます。  そういう者達は、本筋の神様の言う事や指示を聞かずに、自分達独自の想いで動くので困ってる神様もいますし、お互いの利害関係から、裏で魔界と組んでる事も多いので厄介です。  そして、自分達の勢力を伸ばそうとして、魔界の者と結託して本筋の神様と対立し、時には封じ込めてしまう事もあります。  小さな神社では、そういう所もありました。 大神様と協力して、神様の封印を解いて元通りの状態に戻すお手伝いをする事もあります。  見た目には分かりませんが、神様が元のお社に戻られ、元気を取り戻されたので、お社から出る気が全然違いますし、お社の周囲や境内がスッキリとし、明るく感じられます。

神様は境内などに穢れた場(魔界の磁場が出来た場など)が出来る事を良しとしないので、皆で頑張って浄化されています。  後は、直接身体に憑かれている人の問題が残りますが、心を明るい想いで満たして行けば、暗い霊は波動が合わずに段々離れて行くでしょう。  普通の供養では言う事聞かない霊も居るので、お寺等で御祈祷して貰うとかも必要になるでしょうね。  一般的には、魔の者が憑いたり、襲ってくるという事は滅多に無いので、あまり心配される事もないと思います。

我が家的には、お仕事上、色んな霊的影響を受けやすいので、日々の浄化は欠かせません。  一つ浄化したら、また違う問題から影響がやって来るのですが、各自のエネルギーや護りの層が厚くなってくると、結構平気で暮らせるようになります。  そういう暮らしが出来るようになる為だけではありませんが、心の修業を進めて行くと、霊の影響から離れる事も出来る様になります。  そうして霊的影響を受けても、少しで済むようになったり、気にならない程度になったりします。  元々、霊的な能力が高い魂を持って出た人は、修行を進めて行く内に思い出すように魂から光が溢れてきて、その能力で困難を乗り越えたり、自分を護ったり出来る様にもなっていきます。  私の所でも、そういう人が増えてきていますよ。
また来月以降、信者さんとのお参りも再開して行こうと思います。 


-2017年8月14日-
今、お盆休みの真っ只中ですね。
お盆に入る先週までは、電話相談や来客対応などでバタバタしてましたが、お盆休みに入ると、ようやく落ち着いてきました。  我が家も、お盆に入る前には、ご先祖様にお供え物をして、ローソクに火をつけて、ご先祖様をお迎えしました。  ご先祖様とは、何かある時や、月命日などに喋ったりする時もあるので、お盆の時期しか来れないという事は無いんですけどね。  普段は、ちょこっと来て用事が終わったら直ぐ帰るという感じなので、意識を合わせている時間は数分程度が多く、あまりゆっくりされませんね。  お盆の期間は、霊界のお休み期間という事として決められているので、ご先祖様からすると、帰る時間を気にせず、ゆっくり滞在しても良いというお許しが出ている期間ですね。  まあ、待ち遠しい夏休みが来たような感覚ですね。  それで、お盆の休みの期間、ゆっくりお家に居て、懐かしい人、孫や子供などと一緒に過ごすという感じですね。 親戚回りもされます。  お仏壇のある家庭は、先祖とお家の通路が確保されているので、「今年も呼んでくれてありがとー♪」って来られると思います。  それで、お迎え準備がされたお供え物を見て、いつまでも忘れずに想って貰えてる事に感謝されるという感じですね。  西岡学校の子供達も、帰るお家がある子供たちは、お盆期間を利用して、それぞれの親元へ帰る子もいますし、帰っても知らない人ばっかりだったという子もいて、戻ってくる子もいます。  明治や大正時代、昭和初期などに亡くなってる子は、その時代に残った親族も、今では寿命で亡くなってたりするので、自然と知らない人ばっかりになります。  そういう子は、自分の意思で、もうお盆に帰る事もしなくなります。  西岡学校に残って、皆と一緒に楽しく過ごしています。  お盆は、せっかくの楽しいお休み期間なので、楽しく過ごす事が一番ですからね。  お盆も、そろそろ終わりですが、皆さんが旅行や遊びに行かれた時なども、ご先祖は側に居て家族を護りながら一緒に楽しんでいますよ。
 
それと昨日ですが、信者さんと「心と魂の関係」を話していたので、どういう内容の話だったのか、少し書いておきますね。  心って魂ですか? という質問がありました。
(こういう質問が出るという事が、真理を学び進めて行く上で大事な疑問を持っているという事です)
まあ似てますけど、魂の中心にあるのが心です。 お互いに影響し合ってますが、そういう点では、違うとも言えます。  もう少し言うと、魂の中心に心という「意識体」があるという事です。  魂は、心を包む膜ですね。 卵の卵黄と卵白みたいな関係ですね。  それで、人間の身体に入る時は、魂という厚い膜に護られた状態で降りて来て、お母さんのお腹の中にいる赤ちゃんに入ります。  人間界で適応して生きて行く為に、一時的に霊界での記憶は閉ざされて分からなくなります。  人間の中に魂が入って操縦してるようなもんです。  入ったら、肉体にピッチリと隙間なく融合します。 全ての感覚器官を掌握します。  これを卵の状態で例えると、人間の身体が卵の殻で、魂が卵白の部分で、心が卵黄の部分という感じです。  中心の卵黄(心)を護るような状態で、卵白(魂)があり、殻の部分(人間の身体)に護られた卵白は、殻にピッタリくっ付いているという感じです。  これで、魂と身体は一体となって、色んな感覚を共有し生きて行くんですね。
 
その生きて行く中で、人は心の中に色んな想い(喜怒哀楽や生老病死など)を巡らせます。 また、それらについて執着を持ったりします。  その心の状態と同じ波動が魂に影響を与え、魂自体の波動も整ったり乱れたり、精妙になったり粗くなったりします。  霊界に帰る時は身体を置いて出て行くので、身体という殻を取り外しても、魂は人間に入っていた時と同じ姿を形どっています。  亡くなった人は、その魂の身体(卵の殻を剥いた、ツルんとした状態)を見ても、生前と同じ姿をしています。  なので自分の身体があると感じ、自分はまだ生きてると思う人も居ます。

あと、魂の質的に言うと、魂としての波動は粗いので、霊界へ帰ったら早く魂の膜を脱ぎ捨てて、霊界の生活に適応した純粋な霊体へ戻らないといけません。  魂には、人間として生きてきた時の色んな執着などが付いていますからね。 人間だった時の想いが強く残ってると、まだ魂と呼ばないといけませんね。  一般的には、この辺の意味合いが曖昧なので、全て魂とか霊とか、区別がついてなくて分からない感じなので、一まとめにして魂と言われてたりしますね。
魂の状態に影響するのが心の状態です。 心を改善して行って、魂の粗い波動の膜を脱ぎ捨てて、心という霊体で過ごせるようになることが大事です。  心という状態で、霊体と呼びます。 霊体が更に綺麗な状態になると、意識体となります。  これは、霊格に合わせた呼び方です。 一般的な人は、霊体の状態で霊界に居れば、それは成仏した満足な世界に居るという状態であると言えます。
意識体は、他人より抜きん出たという感じで、リーダー的な要素を持つ人、目標となる人という感じです。  なので、神仏は皆、意識体です。
魂→霊体→意識体という具合で霊格が上がってくると、それぞれ光の出具合も変わってきます。  魂の状態は、ボヤっと明るいという感じで、霊体は光ってるという感じで、意識体は輝いてるという感じですね。  人間に入っていても、身体から光が出ている人も居ます。 それは、霊格が高い人であったり、神仏の指導が入ってる人です。  光が強いから、身体の「殻」を通して、光が漏れ出ているという事です。  そういう人は、言葉に信念があったり、強く人を引き付ける様な魅力や才能、そうした中でカリスマ的なものを具えている人でもあります。  その人自体が希望であったり、目標となる様な存在であったりします。  日々の努力や頑張りは、心を鍛えながら光らせているのと同じなので、魂の向上にも繋がりますし、神仏の指導も入り易くなります。  そういう事が、心の修業になって行くんですね(#^^#)
 
まあ、この先は「心と魂」というお話から逸れてくるので、またの機会にお話しする事にしますね。
今日は、お盆のお話から、「心と魂の関係」についても、お話しました。