神霊による人生相談

ょっ言。

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-2018年3月29日-
一昨日、久しぶりに大阪の成田不動尊へお参りに行ってきました。  今年に入って風邪をひいてしまい、1月・2月と体調を悪くしていたので、ようやく今月に入ってお参りに出掛けられる様になりました。  大阪の成田不動尊まで行く道中の道も空いていて、スイスイと快調に車を走らせて、家から50分足らずで到着しました。
お堂の中は、御祈祷の時間なのに数人程度の人しか居られませんでした。  昨日28日はお不動様の日でしたので、ご祈祷時間のお堂内は、一昨日と違って、参拝する人で一杯になってたでしょうね。  私的には、空いてるお堂で、ゆっくりとお不動様とお話したいので、その日はご祈祷時間というのに空いていて丁度良かったです。  「先生、よう来たなー! 久しぶりじゃなー!」って言われました。 今年は、年始のお参りが出来なかったので、お参りする所々で、久しぶりじゃなって言われます(^^;)  仕事が詰まってくると、自分の都合でお参りする事が出来なくなるので、仕事の合間の時間に出掛けるという感じです。

そんな中でも、ここ最近は、信者さんとお参りに行く事が多くなってきました。  これは、お仕事として予約を取って貰って、午前中から5〜6時間位の時間を空けて出掛けます。 これだと、いつでもお参りに行けるんですけどね〜(^^)  先日は多賀大社で信者さんの縁結びと良縁祈願を神様にお願いしました。 ご病気の方には、京都の大原三千院の薬師如来様や、奈良の薬師寺の薬師如来様に、病気平癒の祈願をしに行ったりします。  三千院は、不動明王様も祀られているので、厄難除け等を祈願したりします。 この前も信者さんと一緒に三千院へお参りに出掛け、病気平癒と厄難除けの祈願をしに行ってきました。  来月は、清水寺にある地主神社へ行って、これまた信者さんの縁結びの祈願をする為に、信者さんと一緒に参拝し、神様に直接祈願をする予定です。
一般の人は、本殿の前で手を合わせてお願いをしても、本当に神様に聞き入れて貰えているのか、働きかけをして貰えるのか不安だと思います。  そういう事で、私が同行してお祈りをし、神様をお呼びして、その場で直接祈願します。  そして、御力添いをして頂けるか、神様のご了承を頂いてから、本人の力の及ばない範囲を含めて、誰か気の合う方を探して貰えるように働きかけをお願いします。  なので、思わぬところからの紹介や、急な展開から縁が結ばれる事が多々あるので、それは神仏が薄い縁からでも繋がりを付けてくれるように、広い範囲から探されたお相手だと思います。  また来月の参拝でも、良いご縁を繋げる事が出来ると良いなと思います。

今日も暖かい日になり、外では桜の花も咲いてきています。  そうして春が近づいて暖かくなると、花のつぼみが膨らむ様に恋愛の気も膨らんできます。 色んな可能性の気の芽も膨らんできます。  桜の花が咲く頃には、淡いピンク色の気が大気と混ざり合う様に出て来るので、外を歩いてるだけで、何となくウキウキ感が出たりします。  地球次元には、季節や時間帯によって決まった気が出るので、その気の感じを受けて、季節毎に出る特有の気の感じや、時間の持つ気の波動や陰陽を感じ取る事もあります。  季節には、それぞれ担当の季節神様が居られて、春の神様、夏の神様、秋の神様、冬の神様が居られ、季節毎の恵や美しさ等を十分に与えられる様に御指導されていますよ。

ちょっと余談になりましたが、そんな感じで最近は普段のお参りという感じではなく、信者さんの祈願事を神様に直接伝えて、良い方向に進める様に、私の方からも後押し祈願するという事が 増えてきました。
今回、大阪の成田不動尊へは親と一緒に行ったので、普段のお参り通り、不動様や大日如来様とお話してきました。  大日如来様とお話しをしようとした時に、いつもと違って広い野原の様な所がイメージに浮かんできて、そこには色んな花が咲いて、小高い丘の様なものも後ろに視えました。  大日如来様は、野原の1mほど上に浮かんでるような状態で居られました。  そして、大日如来様の周りには、色んなお花が囲むように咲いていて、そのお花が大日如来様の身体の周りに囲むように浮かんで咲いていました。  お花は地面から離れて、花の部分だけが浮かんでるんですけど、空中で咲いている様な感じでした。 空中でも養分を吸って咲けるんだな〜って感心しました。  感心してたら、また花が地面から離れて空中に静止して、鮮やかに咲き始めました(◎o◎)! 地面の気も空中の気も、花の気も、全ての気が楽しげで、生命のエネルギーに満ちている感じでした。  そんな感じで、大日如来様の世界にも春の気、生命の気が満ちている様な楽しい雰囲気のイメージでした。 

今回の様に、お花に囲まれて微笑んでおられる大日如来様のお姿は、普段あまり見ないので珍しかったです。  春は大日如来様も何となく楽しいんかな〜って思いました。  珍しく、色々とお話はせずに、大日如来様が微笑むように笑っておられる笑い声だけは、イメージが続いている間中、ずうっと続いてました。  私の気が何となく疲れていたので、「私も笑ってるから、先生も笑えよ〜(^o^)♪」って、楽しい雰囲気を見せてくれて癒して貰ったんだと思います。 そんなイメージが浮かびました。  そのイメージの最中は、大日如来様の笑い声に誘われて、私もつい笑ってしまいましたしね♪ 気がほぐれて身体も心も楽でした。 見終わると、気持ちが穏やかになってました。  目を開けて、大日如来様の仏像のお顔を見ると、やはり笑顔に見えました(^-^) 

神仏様には、色んな教え方がありますね。 難しい教えだけでなく、笑うだけで癒される事もあります。  癒されて心が楽になると、また教えに沿って頑張ろうという前向きな気持ちも湧いてきますしね。 
帰りは、出掛ける時よりも身体が楽になって帰れましたよ。  こういう神仏との繋がりがあるので、やはりお参りは行きたくなるんですよね〜(^^ゞ
そろそろ、お花見しに行きたいですね〜(^^♪


-2018年3月18日-
今日は、京都の「伏見稲荷大社」の境内にある狛狐(こまぎつね)について、書いてみようと思います。
伏見稲荷大社は、日本全国に沢山ある稲荷神社の総本宮ですね。  伏見稲荷大社の主祭神である、宇迦之御魂大神(うかのみたま)は五穀豊穣の神様でしたが、人々の篤い信仰心が時代の進化と共に人々の暮らしの中に入って行き、五穀豊穣は経済面の繁栄となり、 それが商売繁昌や家内安全、諸願成就等に結びついていき、今の稲荷信仰に至っています。
そんな伏見稲荷大社の境内には、神社にある狛犬の像の代わりに、狛狐(こまぎつね)という狐の像が沢山置かれています。  お稲荷様の眷属が狐なので、狛狐が配置され境内を守護しているんですね。  狛狐には、口を開けたタイプや、口を閉じたタイプの他に、口に物をくわえたタイプの狛狐があります。  普段のお詣りでは余り気にはしていませんでしたが、狛狐が口にくわえている物には、玉(宝珠)・鍵・稲穂・巻物の4種類があり、それぞれに意味があるようなので簡単にまとめておきますね。

「玉」(宝珠)は、稲荷大神の霊徳の象徴とされているそうです。
これは、次に書く鍵と同じ「玉鍵信仰」に由来しているそうです。
また、玉の御霊を「穀物の倉」とする説もあるようです。

「鍵」は、その玉の象徴である稲荷神の霊徳を、身につけようとする願望の象徴とされていて、先に書いた玉と一緒に「玉鍵信仰」に由来しているそうです。
また、鍵を「倉の鍵」とする説もあるようで、先の玉の霊徳の倉庫を開ける為の鍵、霊徳を授かる為の鍵としてるという意味もあるそうです。

「稲穂」は、稲荷神が五穀豊穣の神様であるというところに由来するとされています。

「巻物」は、大切な教え、秘宝が記されている物であり、それは知恵を象徴しているとされています。

狛狐がくわえている物は、以上の意味があるようです。  私が伏見稲荷大社にお詣りに行くと、「先生が来られましたぞー!」っと伝令のように伝えてくれる狐さんでしたが、持ち物の種類によって働きや、お役目が違うんですね。  では、実際に狛狐さんに、くわえている物について聞いてみようと思います。  それには先ず、伏見稲荷大社に繋がる稲荷の大神様の世界へ行かないといけないですね。 なので、何時も行くお山の方の神様(稲荷山信仰の世界)の方ではなく、稲荷大社の本殿に通じる世界 へ行ってみる事にしました。
 
稲荷の大神様の世界には、伏見稲荷大社と同じ様な朱色の大鳥居もありますし、朱色の本殿もあります。  神様の世界の本殿は、地上の本殿より広く大きくて、更に荘厳な雰囲気に包まれています。  建物自体は、神様の気を含んでいる様に感じ、柱も床も全てから神様の気が出ている様に感じられ、キラキラと光っています。  また、その周囲にも神様の気が満ちていて、暖かいけど張り詰めた気が伝わってきます。  私の姿というか意識体は、丸い発光体の状態でそこに在り、移動は空間移動で空中をスーっと音も無く奥に進んで行きます。  そして奥の間に到着すると、上段の間に稲荷の大神様が座って居られ、その下段の広い板張りの廊下の様な所に、4匹の狐さんが並んでいました。  艶々と光る広い板張りの上の4匹の狐さんは、艶々と白く光る毛並みをしていて、それぞれに玉と鍵と稲穂と巻物をくわえていました。 くわえている物は、全て金色に光り輝いています。  白い毛並みの狐さんには、金色に輝く玉や鍵などの品々は良く映えて美しいです。  私は大神様に挨拶すると、「狐のくわえている物について話を聞きたいのじゃろ〜」と言われ、私は「はい!そうです」と言うと、ふっふっと笑いながら、「狐に聞いてみるがよい」と言われました。  私が狐さんの方を見ると、「我ら狐は大神様の宝物である4つの象徴を護っているのだ」と言って、狐さんは奥の間を振り返りました。  私も奥の間を見ると、大きな床の間の様な所に玉・鍵・稲穂・巻物の4点が、それぞれ三方(神前に物を供える時の器)に乗せて並べてありました。  狐さんは、あれが本物だと言って、自分達(狐)のくわえている物は、あの4つの宝の投影であると答えてくれました。  また、その4つの宝を、それぞれに受け持って護る事が自分達(狐)の眷属(神の使者)としての役目であるという事らしいです。  神様の使いである狐が鍵を持って、その鍵を使って倉庫を開けたりするのではなく、その鍵を護るという役目を、大神様より仰せつかったという印として、口にくわえているという事らしいです。  大変な名誉を授かった高貴な狐さんです。 玉の狐、鍵の狐、稲穂の狐、巻物の狐、それぞれが、その印を受けて、その様に呼ばれているという事も教えてくれました。  特に、大神様のお近くに居て護っている狐さんは、目力も鋭く、霊気は抑えていますが、隠した霊気は相当なものだという事は、狐さんの体から微妙に漏れた気で分かります。  また、それぞれに役目を仰せつかった4匹の狐さんの下には、何もくわえていない狐さんが配属されていて、それは相当な大群が控えているようです。  そうして、それぞれに分かれた部下が、稲荷の世界と大神様、そして4つの宝の護りを固めているそうです。 玉や鍵や稲穂や巻物は、大神様の世界に在り、それらを狐がしっかりと護っている事で、五穀豊穣や神様と人間界との繋がりや、護りが継続されていると言う事ですね。  狐さんは、「この位でよかろう」と言うと、また私から視線を前方に移して、狛狐と同じ様な恰好をして、じっとしてしまいました。  もう説明は終わりという事らしいです。 私は、大神様と狐さん達にお礼を述べて、神様の世界から戻りました。  手短でしたが、こんなやり取りを神様の世界で行いました。

「玉」と「鍵」は、玉鍵信仰から「陽」と「陰」、「天」と「地」を示し、万物はこの二つの働きにより生成し化育するという理をあらわしているといわれています。  私的には、根本の光より別れた、根源の光(生命の源)の性質を持つ存在と、その光を受け、光の方向へと向かって育とうとする存在が、大神様の意識の世界の中で、敬い尊重し合い、 バランスをとって存在しているという感じがします。  本来一つの光でありながら、その中をよく見ると、二つの関わり合いが繋がり合い、結び付きながら回り巡っているというイメージがあります。  これは、原子の構造に見られる、正の電荷を帯びた原子核と、負の電荷を帯びた電子から構成されているものに似ていますね。  大きなものは、小さなものに例えてみると解りやすいのも、大きな宇宙の根本の光(宇宙神理)は、小さな原子の中にも同じ様に存在し、形成し合って存在し ているからだと思います。 離れているけど一つの形、まとまりを創っている原子は、大きな宇宙に通じるものがあります。  狐さんのくわえている玉と鍵は、そういう関係でもありますね。

稲穂は、稲荷の神様が肩に担いでいる姿をよく見ます。 稲穂を持たれていれば稲荷の神様だと分かります。  稲穂は神様に担がれて、生命の光を維持し、その光の命(恵み)を地上の穀物に降ろしている様な感じです。
巻物は、神様の御霊の教えが詰まっています。 文章として書かれている様なものではなく、色んな光の色合いが重なり合って、巻物として纏められています。  神様の世界では、光は神理(教え)であり、その光を人間にも理解出来るように、言葉としてのイメージを人間に降ろしてきたという感じです。  大昔より、神様に繋がる事が出来る人間が、その言葉を文章化して教えとしてきました。  そういった基になる光の教えを象徴しているのが巻物です。

神は光であり、光は教えでもあります。 そして教えを深めると、光から神へと昇華していきます。  神様の世界には、神様の種類によって色んな光(教え)に広がりがあります。  色んな教えを学んで知識を深めていく事も、神様と繋がる足掛かりとなるでしょう。
また今度、お稲荷さんへお詣りした時に、狐さんと話してみようと思います。