神霊による人生相談

ょっ言。

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-2019年2月25日-
2月も、あと3日で終わり、週末はもう3月に入るんですね。  寒い日々の中にも、段々と暖かい日が増えてきましたね。 日が暮れて暗くなる時間も遅くなってきて、夕方でも明るい時間が長くなってきましたね。  明るい時間が長くなると、出先で帰りの時間を気にしなくても、まだ明るいから大丈夫という心理的な心の余裕が出るので、何となく楽です♪ 

冬の寒い時期には、寒さと、早く陽が落ちて暗くなるという現象が、霊界の低い世界(寒くて暗い世界)と共通点が出て来ます。  冬の時期には、人間の心の中にも閉鎖感が出やすい時期です。  新しい事を始める気分が、今一出にくいという事もありますし、寒さによる身体的な冷えは、心の冷えにも繋がり易く、それまで持っていた悩み等から孤独感に繋がっていきやすくなります。  そうなると、霊界の寒い世界に住んでる者達が人間界にやって来て、人間の心の寒くて苦しい部分に憑依してきます。  そんな霊的な影響も加わる事もあり、1月の後半から2月全体に掛けて、しんどくなる人が増えてきます。 (次の月の3月はお彼岸の月なので、そういう影響も出ます。)  心が落ち込んで行くような感覚で、物事を前向きに考えにくい状態の心になってたりします。  そういう時は、楽な考えを持って過ごしていた時の自分を想い起し、その時の自分らしさに戻るために身体と精神を休めたりするのも一つです。 
また、自分自身を見つめ直す時期と考え、これまで気に掛けず放置していた事の積み重ねが原因となる事があるので、しんどくなった時は改善を迫られきてると心得ると尚良いでしょう。  そして、その部分を自分の弱点として前向きに捉え、自分なりに進めていける道を探しながら、出来る事から弱点を改め始めていくと良いですよ。 

何年も心に冬がある人でも、必ず春はやって来ます。 もしかしたら、春が巡ってきたのに、そのチャンスを見逃してるだけかも知れません。  心に春の部分を感じられないと、ずっと孤独で寒いですよね。  しんどい時期は、そう長くはないものと認識して、少しずつでも進んで行けば、その時々に気付きや、見つけるものも出て来ますし、援助者も出て来ます。  真冬の様に寒くて辛い時の真っ只中に居る時には気付き難いですが、それでも春はやって来るように、努力していれば段々と楽(春)は近付いてきてるんですよ。 

辛くて動けない人も、辛抱していれば苦に慣れてきます。 辛い事にも、人間は慣れる事が出来るんですよ。 少し慣れてくると、それが普通になって、苦の中に楽を感じる事が出来ます。  そんな時をチャンスとして、楽を取り入れる事です。 自分の好きな事をして喜びを感じる事で、心に楽を取り入れる事が出来ます。  そうすると、希望の光が感じられる事があるので、その光の可能性を目指して、一歩踏み出してみると良いですよ。  その繰り返しが、歩みを進めているという事になります。 その努力(歩み)を進めて行けば確実に苦から抜け出せます。  人は、苦難の中においては、歩みが自体が辛い事では無く、歩み方が解らない事での辛さです。 歩み方が解れば、辛い中でも希望を持って歩んで行けるんです。  人間は元々、自然と歩みを進められる様になってますからね。 
 
そんな冬の時期を過ごした人間の心にも、ようやく暖かな春の気配が芽生えてきます。  季節は、人間の心にもやって来ます。 春夏秋冬の季節の影響は、それぞれ人間の心の様々な部分に確実に浸透していきます。  冬の冷たさに縮こまった様な心の部分に、春の陽気と陽の光の暖かさが差し込んでくると、それまで縮こまってしんどかった心の冷たさが溶けてくるように気持ちの楽さが出て来ます。  考え方も、少し楽な部分を取り入れられる様な心の余裕も出て来ます。 そういう季節の気を取り入れて、自分の力としていく事で、また歩みを進めていける事も出来ますよ。

希望を持った人、希望を持てる人は、心に勇気もあります。 心に勇気が在っても出せないと感じる人は、出し方の工夫が足りないだけです。 自分に合った出し方で出して行けば良いんです。  個性(自分)が出せる環境に移る事でも楽に過ごせますね。 その際には、移る勇気を出す事ですね。  世間的な物差しでの見方は関係無いと思って、楽な自分を出していけるようにしましょう。  皆と同じでないといけない事は何も無いので、自分は自分の個性と生き方を尊重しながらも、その中で皆との調和を心掛けていく事で、偏りのない自分の出し方、個性の出し方が出来ると思います。
 
辛い事を経験していく事で魂は磨かれ強くなります。 辛さを克服して初めて、辛さの根本になる原因も解ります。  それまでの間、色んな要因を試して間違えてを繰り返し、動かない壁に行き当たると、それが凄く大きな壁と感じるので、そう感じると大抵は根本原因です。  それを、少しずつ崩して行きながら、乗り越えられそうな部分を広げて行けば大丈夫です。  少しずつ、自分の中に希望の光が灯ってきます。 今暗いと感じる事はあっても、人間には永遠の闇は無いので、また光が見えてきますよ。  そうして暖かな春が、皆の心にやって来ますよ。 希望を持って、一歩一歩、歩んで行きましょう。  そうして気持ちを切り替えて歩んでみたら、自分が考えてるより出来たり、心に届く言葉に出会えたり、共に考えてくれる人に出会えたりして、案外進めたりしますよ(*^^)v 
 
春は希望の季節です。  冷たい冬の季節(辛抱の季節・自分を磨く季節)を乗り越えて、暖かくなった陽気と共に木々の芽が縮んだ身体を伸ばすように出始め、青葉は陽の光に照らされて瑞々しい青さに見えますね。  つぼみが膨らんで花も咲いてきます。 色んな種類、色んな色の花があって景色となります。 その景色を綺麗なものにする為に神様が居ます。  頑張った自分に、神様からのご褒美のエネルギーが与えられる様に、元気な自分を取り戻せる希望や勇気が出て来ますよ。 

花は、開こうとする時の、頑張りのエネルギーに満ちた時から 既に美しくなり始め、開いた時の自分自身の喜びを発散さえた時に更に綺麗になります。 頑張ってる時の美しさは、誰かを引き付けるものです。 それで助けを引き寄せる事もあります。  苦しんで頑張ってる時は、努力という美しさが輝いているんですよ。 神様が一番気に掛ける美しさです。 その価値をみて、人も神様と同様に、助けたいと思うんですね。  花は開いた後、それを長く維持出来る様に努力しましょう。 開いた花のエネルギーは、次の花を生み出す素となりますからね。  そうして人間世界が美しい花で彩られている事は、神様の努力でもあり、嬉しさでもあるんですね。  心に春(希望)を持って、自分という花を元気に咲かせましょうね(*^^)v 


-2019年2月13日-
もう2月も半分を過ぎてしまいましたね(^^;) 今月も、バタバタの月です。 節分の鬼の影響も浄化して楽になりました。  それでなのか、先日ようやく滋賀県の栗東市にある成田不動尊に車の御祈祷をしに行ってきました。  栗東の不動様は、毎年、車の御祈祷をして貰っています。 それ以外にも時々お参りをしに行って、お不動様とは色々と話したりしてますので、私にとっては親しみやすいお不動様です。  本当は1月中に、初参りと御祈祷を兼ねて行かせて頂く予定でしたが、予定外の急な事が重なり、なかなか行けずにいたので、やっと行く事が出来ました。 

栗東の不動様には、お家の神棚を通して、まだ行けそうにない事を伝えると、「そう急がんでも良いぞ 先生の時間のある時で大丈夫じゃからな ワハハ〜」と言って頂けたので、 気持ち的には楽ですが、お不動様の最後の笑い声が、ワハハ〜で終わっていたので、元気がない様な気がして、少し寂しいんかなとも思いました。  いつもは、「グアッハッハッハー!」って豪快に笑われるんですが、「ワハハ〜」と勢いの無い感じでしたので、そこにお不動様の気持ちが表れてる気がしました。 
その日から数日して、ようやくお不動様の所へ訪れる事が出来ました。 

栗東の成田不動尊の本堂には、三体のお不動様が居られ、中央には今の代のお不動様、向かって左には先代のお不動様、向かって右には先々代のお不動様というように、三体のお不動様が 横一列に並んで祀られています。  いつもの様に持参したお酒を、それぞれのお不動様の前にお供えして、色々と挨拶を述べている間中、お不動様はずっと私の話に「うんうん、そうかそうか」と頷いておられました。  いつもの様に、「よう来たなー!」って出て来ることも無く、控えめに私の話を聴いておられました。  ちょっとお疲れの様子でした。 お正月から多くの参拝者が来られていたと思うので、本堂内に少し暗く重たい気が溜まっていたのと、その気に引き寄せられてきた悪い霊も居ました。  それらを浄化してくとスッキリ感が出て軽くなりました。  お不動様も、「これで肩の荷が下りたわい♪」と言われました。 お堂の中も、穏やかな感じに変わり、ゆっくり くつろげる雰囲気になりました。 

多くの人間の出す気は、沢山溜まってくると霊的に色んな作用が出るので、それらの気を常に受けているお不動様も気が重くなられます。  これは、色んなお寺の仏様も同じです。 初詣などで人間が普段より多く訪れると、人間の出す想いの気が溜まり過ぎて、念となって集合して重たくなってしまい、いくら神仏であっても 一時的に浄化が追い付かなくなるんですね。  それで浄化に追われる様になって、綺麗な状態に戻して行くまで時間が掛かるという具合です。 なので1月中は、気が溜まってる神社仏閣が多いです。 私が、正月の三が日を避けて、月の中頃に 参拝するのも、そういう関係があるからです。 

私が、あちこちにお参りに行くと、それらの溜まった気を色んな仏様のお力を借りて浄化して綺麗にしていくので、本堂に居られる御本尊様に喜んで頂けます。  大体、悪い気は境内や本堂の隅っこに溜まる事が多く、後は本堂の下や天井に溜まります。 本堂の裏手も溜まりやすいですね。 そういう目線で探すと大抵暗い塊があります。  そこから悪い霊界と繋がってます。 神社は、本殿前に下げられている鈴の下辺りや、お賽銭箱の周囲と、地面の下に溜まりやすいです。  沢山の人間が祈る場所は、それだけの念が重なって溜まりやすい場所ですからね。 

私的には、余り早めに年始参りに行っても、浄化した後から、どんどんと参拝客が押し寄せるので、浄化を兼ねてのお参りは、人出が落ち着いてからにしています。 (人出が多い中に居ると、多くの人の気に吸い寄せられて魔がやって来るので、悪い影響を受けてしまいますしね。)  本堂に祀られている仏様は、それぞれ自分達の力で浄化をされるので大変ですが、私の様に人間の身であれば、私を守護指導してくれている神仏様に、浄化の援助をお願いする事が出来ます。  お堂や本殿に祀られている神仏様の浄化として、それぞれ単体の神様や仏様でされる場合には、霧が次第に晴れて陽が射してくる様な浄化になります。  それに対し、色んな神仏様の力を合わせての浄化は、一気にドバーッと大きな光が降りて来て、一切の闇を消し去り、その後は光だけの世界になるという浄化です。  そうすると、大勢の神仏の力を借りて一斉の浄化が出来るので、すごく時短の割に大きな浄化が出来てしまうという感じです。 

そうなると御本尊様にも喜んで頂けますし、私も綺麗になったお堂で、お祈りや、お話も出来ますので、どちらにとっても嬉しく良い事となりますし、 この後から何も知らずに参拝に来る人々を綺麗な状態で堂内に迎え入れる事が出来ます。 綺麗な状態を保てる様に、神仏のお仕事をお手伝いをする事を嬉しく思えます。  私は、お役目の様な感じで、当たり前の事としてやってますが、信仰を拠り所とされている人なら、そういったお願いをする心を持てる様な心得があれば、神仏との絆が更に深まる筈です。  お不動様や、その他の神仏様のお堂や境内の浄化等、人間が祈願する事によって叶う浄化もあるので、神仏を信仰し敬う人間の心得として持ち続ける事が出来れば良いなと思います。 

人間は、自分達ばかりの想いを神仏にお願いする他に、その神社やお寺の神仏様が楽に過ごせる様、自分達の気を整えて行ったり、普段のお祈りの中に、神仏様の身辺の浄化と、「楽」が叶う様にと、 お願いされると良いと思いますよ。  そう願ってくれる人間の想いが沢山集まると、それは沢山の神仏の応援を引き寄せる大きな浄化の源となります。  そうして神仏と共に人間にも楽を与えられ、共に末永く発展して行けるようになります。 それが神仏と仲良く共栄していけるコツです。  そうした心を持つ人は、神社やお寺の神仏から好かれ、行く先々の神社仏閣で「よく来たな♪」って言って貰える人になるんですよ(*^^*) 

本堂でのご祈祷では、いつもの様にご住職が、張りのある良い声でお経を唱え、私の好きな太鼓をドンドンと打ち鳴らして交通安全祈願をして頂きました。  いつか自分でも、般若心経を唱えながら太鼓を鳴らしてみたいな〜って思います。  後、まだ車2台あるので、また栗東の不動尊までご祈祷して貰いに行こうと思います。  今月中に行けるように、お不動様にお願いしておこうと思います。 早めに行けます様に〜(*^^*)