ちょっと一言。
-2019年11月27日-
11月も月末になると、寒さが増してきましたね。
今年も、あと残り1ヶ月と少しとなって、未だ自分の進むべき道が定まらずに悩んでたり、解決策が見つかずに困っていたり、色々とやり残した事があるなど、この一年を振り返って考えると、
色んな悩み事を持ち越している事に対して、心が苦しくなる事がありますね。
今より進む道の先に光(希望)が見えないという焦りは、この先の進展が見込めないという意識に陥って、気力も湧いてこなくなります。
人生において、色々と悩み事はありますが、悩みを解決する為に、色んな視点であれこれと考えを進めていく事は、気付きや発展を得る為の前向きな悩みとなります。
悩みの中には、その悩みを通して気付かされる事が必ずあります。 悩みの解決法は、その気付き(自分に不足している考えや認識)を、悩みの中から見付け出して行こうとする事です。
悩みは、自分が得意とする分野では、悩みは少ないと思いますが、苦手な分野では、何か困り事があると直ぐに悩みとなってしまいます。
悩みは、いつ迄も悩んでると、悩みはずっと一緒に付いてくるので、悩みに対してあれこれ悩まず、悩みは自分の弱点が出ていると思って、その弱い所を、どう克服していくか、今後の自分の成長に
繋げて行くには、どう考えを切り替えて進めば良いかを考える事です。
悩みがあるから、人間は成長出来るという事も言えます。 何の悩みも無い人生は、単純に考えると楽でしょうが、つまらない人生だと思います。
悩みは人を成長させる為に必要な先生みたいなもんです。
悩みの本質は、自分を今以上に成長しようとする切っ掛けを、「悩み」という、嫌な想いをする事により、自分の苦手な部分を気付かせる事です。 また、誤った判断で間違えた道を歩んでいる時に、
気付かせてもくれます。 そういった事に合わせて、わざと難し問題を与える事で、頭も心も成長します。
なので、悩みの無い人生は、勿体ない人生だと思います。
もし、何の悩みも無くて、思い通りの人生であったと思えるなら、それは悩む所で気付かずに悩まなかっただけか、誰かの力添えがあって
悩む所を回避出来たか、多くの人に護られた環境で気楽に過ごしていたかだろうと思います。
まあ、そういう感じで人生を過ごしていたとしたら、この世に転生する中で自分に課せた課題である、人間的成長は十分に果たせなかったと思います。
だから、「悩み」が出た時点から、長く悩む事は出来るだけ少なくして、早めに気持ちを切り替えて行きましょう。
また、悩みの本質は何であるか見付ける時に、自分の持つ頑固さ(拘り等)が悩みを改善していく事への足かせとなってる事が多いので、この「悩み」という切っ掛けを通して反省し、
素直になりましょう。
そう思えるようになれば、この先の人生は、自分が想うほど心配する様なものではないですよ。
「悩み」は、不安になって、あれこれ悩んで時間を過ごすなら、自分に対する気付きを得るチャンスだと思って、自分自身を見つめ直して行きましょう。
他人の力が必要であれば、借りてでも行動してみましょうね。 悩みを克服しようと努力している姿は、他人も認めてくれるはずですからね。 それで、また別の人を紹介してくれたりして、
その人の力も借りて、進んで行く事も出来ますよ。 自分を色んな角度から見つめて直して行こうと頑張る姿(自力)は、多くの他力を呼び込みますよ。
これが本当の他力(神仏)のお蔭を得るとう事に繋がると思います。 そう思える人は、何があっても心配ない人になって行くと思います。
自分の進む道は、今進んでる道に執着せず、目線を変えて、また新しい道を見てみれば、そこに違った景色が見れるはずです。 案外、そっちの道の方が自分に合ってる道かも知れませんよ。
今来た道を、ゆっくり眺めて、ここまで登って来れたと思う事も必要ですよ。 自分で自分を褒めてあげる事も必要です。
それと、目標とする山の頂上は、色んな道からでも登れるという事も頭に入れておくと良いですよ。
山に登る道は、一つしかないと思うと、しんどくなります。 頂上に真っ直ぐに延びる急な道もありますが、余程の心の持ち主でない限り、途中でへばります。 へばるだけなら良いですが、道から
外れて落ちてしまう事も多いので、気を付けましょう。 これは特に修行者に多いですから、この道を選んで進む人は、道の両端から引き落とそうとする者に気を付けて進みましょう。
最短距離を進む人は、道も険しく、道の外からの色んな誘惑に負けたり、慢心や利己的な想いが強かった為に、頂上に登れず、途中で諦めて本分が叶わなかった者達から妬まれるので、そういう事から
身を護る心の準備をする事です。 その意識を持ち合わせて無いと、半分も道を行かない内にやられます。
人生の道のりにおいては、寄り道を楽しめるような心の余裕があるほど、何かの時の対応が無理せず出来ます。
ちょっと位、道を外れても大丈夫ですよ。 景色を楽しむくらいの方が、人生の厚みが出ます。 外れて初めて知る事もあります。 しんどいけど、得る事もあるので、経験智が上がります。
経験智は、実際に経験する所から得られる智慧ですね。
でも、外れっぱなしは困りますけど、戻る勇気と、気付くタイミングを、常々気に掛けていると、外れた道の途中で、もう分かったから戻ろうと思える様になります。
一般的には、嫌でも解らせられる時がきて、その時は結構しんどい想いをして戻って来るようになります。 道の戻り方なんかは、皆大抵そうした見直しや反省に伴う時期に来たりするもんです。
「もうそろそろ、戻らんとあかんよ〜」って、守護霊が働きかけたりします。
多くの人は、自分の道の戻り方なんて気にして進んでないですしね。 また別の道を進めば良いという認識に至るまで、結構しんどい想いをして切り替えて行くでしょうしね。
初めから、ある程度の理解を得て歩んで行くと、気付きが早く出来るので、何かあった時の対応が楽なんですけどね。
今後の改善と、やり直しが、何も知らない人に比べて早く出来ますので、自分自身の心に受ける傷も少なくて済みますしね。
悩みや、進むべき道について、色々とお話しましたが、少しでも悩みに関して楽な気持ちで向き合えて貰えたらと思います。
-2019年11月15日-
今月も仕事に追われていて、「ちょっと一言」を更新しないと〜って思っていたら、もう半ばになってしまいました。
お盆の忙しい時期から、11月に入ってもまだ相変わらずの忙しさです。 多分、この忙しさのまま年末まで行って、お正月を迎える様な気がします。
忙しい分、家の中にも外部からの霊的影響が溜まりやすいので、日々の浄化をしていかないと、身体の調子が悪くなりやすいです。
毎朝のお祈りでは、神仏との繋がりの中で、指導の他に、身体の浄化、そして霊的エネルギーの補充をしています。
午前中の早い時間から仕事があり、朝のお祈りが出来ない時は、睡眠中に得られる霊的エネルギーのみの補充になるので、日中に長時間の浄化や、大変なお祓い等をすると、夕方や夜にエネルギー不足
の感覚が出てきます。 そういう時は、霊的エネルギーの残量が半分を切っている時です。
そうなると頭の回転が鈍ったり、気分低下などの症状が出やすくなるので、出来るだけ早く神仏との繋がりを試みます。
私がよく行う方法として、神仏世界から直接的に霊的エネルギーを体内に取り入れる方法もありますが、もっと簡単に出来る方法もあります。
それは、真理の話が出来る人と神仏に関する話をしているだけで、その話の内容と思考が想念となって神仏の世界と繋がりが出来、その繋がりを通して神仏からのエネルギーが流れ込んできます。
話の中に出て来る神仏の事を、どれだけ深く話せているか、イメージ(これが一番大事)出来ているかで深く繋がる事が出来、その分、流れ込むエネルギーの光のパワーも違ってきますけどね。
まあ、そういう取り入れ方法もありますね。
きつい霊や魔を祓う時など、強い念の攻撃を受けるので、気付かない内に変な世界を繋げられていたり、念を剣の形に変換したものが刺さっていたり、強い波動を受けて
身体に霊的な穴が開く時があります。
そんな時は、暫くして頭や身体の一部が痛くなったり、眠気やお腹の張りなど、体調に悪い影響が出たりします。
そんな時は、身体のチェックをしてみると、霊体に小さな穴が開いてたりします。 霊的な穴は、内部エネルギーの流出に加えて、その部分の護りが弱くなり、外部からの影響を
受け入れやすい状態になっているので、直ぐに穴を塞がないといけません。 霊的に敏感な人は、複数の穴が開いている場合がありますよ。 これは、生まれつきの場合もあります。
また、身体の中に黒いモノ(念の塊)が入っていたりすると、その部分が痛んだりするので、これも取り払わないといけません。
知らずに放っておくと、黒いモノは段々と大きくなり、周囲と霊的癒着をして行くので、時間が経つほど取り難くなります。
また、霊的癒着の一つとして、頭部に癒着してしまうと、自分の思考を徐々に操作されて、今までと違う判断基準のもとに行動してしまう事もあります。
そうであっても、家族や友人など、あなたをよく知る人からの忠告で、気付かされる場合がありますので、その時点で、素直に(これが大事ですが、影響が進んでると素直になるのが難しいです)
考えの切り替えを行っていくと改善していけますよ。
それと、相談に来られる人で、身体の痛みがあり、薬を飲んでも治らないという場合は、大抵この黒いモノが身体の中に入ってたりする事が多いです。
ただ、黒いモノは、初期の念の塊だけの状態で済めば良いですが、それが地獄世界との繋がりの役目をしている場合、その黒いモノは地獄世界の出入り口となり、積極的な悪の意識を持つ霊が出て来る
ようになると、身体に結構な霊障害を引き起こしてきます。
その症状としては、表情が乏しくなる、目つきや人格が変わってくる、常に体調が悪い、朝起きれない、身体の末端の冷え、暗い部屋の方が落ち着く、暗い時間に行動する、考えの偏りや偏食、
嫌な思考が勝手に浮かんでくる、頭の締め付け感、人との繋がりを避ける等、色んな面で元気な時とのギャップが大きくなってきます。
これらの内、3つ以上当てはまる時は、霊的な影響を受けている場合があるので注意が必要です。 頑張って前向きに考えても、どうもマイナスの考えをグルグル回ってしまう時や、誰かのせいに
したくなる時や、自分を卑下する様な考えに陥る時などは、マイナス思考に偏るように仕向けられているかも知れません。
でも、早め早めに相談が出来る家族や友人と話していると、偏った考えや自分を取り戻しやすいので、色んな意見を聞いて取り入れようとする気持を持って対処していれば大丈夫です。
それと、自分の好きな神仏様が祀られている場所に出向いて、心身の浄化をして下さるように念じてみると良いですよ。
神仏様から発せられる光で、どんどん身体が浄化されて綺麗になって行くイメージを積極的にしていくと、段々と念じたイメージ通りの浄化が行われてきて、身体が軽く感じられたり、気持ちも軽く
感じたりすれば、身体に入った悪い影響が浄化され、取り除かれている証拠です。
また、文明の進歩と同時に、地獄の細分化と、近年の科学技術の進歩により、霊的な影響を与える黒いモノが、霊的なICチップ(集積回路)のタイプに変換されてきています。
形状や色として、大抵は四角い形で黒色や銀色をしています。 大きさは1cm四方の正方形が多いですね。
中には、カマボコ板位の大きさで、LEDの様なランプがチカチカ点滅して、幾つもの針状の突起が出てる物もあります。
その突起物は、体内に深く食い込み、神経に絡みついて霊的な電気信号を出し、神経系統を制御してきます。
これらのICチップは、霊的な受信機の機能を持つに加えて、悪い波動を生み出し、痛みや色んな症状を引き起こす装置にもなっています。
地獄の科学も進歩してるので、直接、人間に憑依しなくても、地獄の世界にある送信機から念波を送信してくるので、霊視しても何も憑いてないと判断しがちです。
それが地獄の科学者の狙いでもあります。 出来るだけ見つからない様に、それでいて遠隔で悪さが出来る様にという考えですね。 いくら地獄にいる科学者でも、鬼の様な戦闘タイプではないので、
そうした方法で悪さをしてくるんですね。
まだまだ色んなタイプの地獄霊が居るので、それぞれの特性に応じた想念の操作によって、人間に色んな影響を与え、その対応を研究したりしています。
強い力を持つ者(強い霊力のある人)の力を封じる様な研究もしているので、その結果を戦闘タイプの地獄霊に与えて、その見返りを貰って(鬼等に護って貰うなど)
地獄の中で共存共栄を果たしている研究者の霊も多いです。
まあ、こんな感じで地獄界も変わってきてますし、それ以上に神仏の世界は変わってきています。
霊的な問題は、色々と複雑化してきているので、私の祓いも霊界同様、複雑化してきています。
昔と同じ影響しか与えられない霊は、地獄の中でも後退していってます。 新しい事での悪さが出来る霊が台頭してきています。
霊界も、この世と同じですね。
という事で、私も新たな浄化や祓いのレパートリーを増やしながら、時代の波を先乗りして行こうと思います。