神霊による人生相談

ょっ言。

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-2021年3月29日-
今日は、潜在意識の中にある、苦しい過去の時代の自分という人格の存在についてお話しようと思います。
人間の潜在意識の中には、各人の過去の経験に伴う幾つもの感情や想い等の意識が、それぞれに小さな意識界を形成して存在しています。 

それは、今を生きて来た人生の中で、心に深く影響のあった想い(苦しかった時の想い、否定されたり支配されたり、自分の感情を押し殺して我慢した想いなど、心に深く刻み込まれた想い)を 持ったまま、その人の過去の姿をして、潜在意識の中に残されています。  それが強い想いのまま残されていると、無意識の内に、その想いを反映した思考に偏った言動を取るようになります。 

その想いを基礎とした想いや感情は、一つの物事に対してだけ苦手意識があったり、何かに対して怖い感情が出たり、反発心が出たり、自分自身を責める傾向に陥るなど、特に意識する訳でも無く、 何かを切っ掛けとして、その様な感情が湧いて出て来るという感じになります。 

それは、心の中に居る、もう一人の自分が怖がっていたり、いじけいていたり、文句を言っていたりするという感じです。  自分が前向きに頭で考えた事でも、心に居るもう一人の自分が、不安になって否定しているという事が起きているんです。  それで、なかなか行動に移せないとか、勇気が出ずにいるという事になってしまいます。 行動に移さないと、心の中のもう一人の自分は安心して、大人しくなるという感じです。  そうすると、気持ちが楽になるという感じです。

人は、幼い頃から齢を重ね、成長していく中で、辛い経験などを通して、そういったものが心の中に紛れ込んでいて、いつの間にか性格の一部となっています。 

また人は、これまで苦しい事、辛い事があっても、時間と共に忘れて行ったり、また努力して改善する事を面倒に思って、見ないように、気にしないようにと心に蓋をして、時間と共に 忘れて行ったりします。 でも、そういった事は全て、魂に刻まれて残されています。  辛い事を乗り越えられず、我慢するしかなかった事、道理に合わない事も受け入れるしかなかった事など、早く忘れる様にして、少しでも楽になるしか自分を保てなかった事など、そういう事が その年代の自分の姿で、心に残されて行きます。 そんな色んな年代の自分が、心(魂)の中に何人も居たりします。

心(魂)に深く刻まれた想いや経験は、その人の心の中にある執着の一つとなって、心の中の想いを見直して改善して行かない限り、心の傷として永遠に残り続けます。  自分では、なかなか心の中を見直していくという事は難しいと思います。 

私は仕事柄、心の中の自分と話をして、その想いを訂正したり、改善していく方向で進めて行く事もしていました。  今は、同じ様な事を、相談者さんに行っています。 そうして、その人の心の中に居座っている、その人の幼い頃の姿をした者と話をして諭していき、理解して貰えば、その人の心の世界から 出て貰い、明るい世界へ上がって貰うというイメージをすると、その人の心の中に居なくなります。 
それで、一通りの作業が済むと、その人の表情は明らかにスッキリして見えます。 それで、もう一度、これまで心に引っ掛かっていた話をすると、もう気にならないと言われます。  前向きに考えやすくなり、心の中に大きくあった不安感が無くなったと言われます。 

こういった事(マイナス要因)が、潜在意識という心(魂)の中に、ひっそりと忘れ去られていたりすると、何か決断しないといけない時や、新しい事を始めるのが怖くて出来ないなど、 人生を前向きに明るく過ごせる事に対して頭で理解出来ても、肝心な心が拒絶してしまい、やりたいけど出来ない、願いが叶わないという事が起きてしまうんですね。 

自分では、そうして行きたいとか、こうなりたいとか思っていても、その願いが叶わないのは、本当は心が願っていないという事なんですね。  こういう事が、知らない内、気付かない内に、自分の中で起きているという事です。 

もし、自分の心を見直す事を、少しずつでも行っていけば、これ迄の自分の心の本心にあった抵抗を感じ取ってもらう事も出来ると思います。  それを見付ければ、自分の心に言い聞かせて、不安な自分を心から出して楽にしましょう。  そして、前向きな考えの自分、楽な自分に、自分自身でしてあげましょうね。

心の中に、苦しい自分が少しでも居なくなるようになると良いですね。  そういう事が、心の見直しにより出来るんですよ。 

これらは、自分改善と願望達成の基盤にもなりますので、少しずつでも、やってみて下さいね(^_-)-☆


-2021年3月13日-
今日は、午前中からスカイプ画面を通してのリモート相談を済ませ、午後は予約されていた4件の先祖供養を済ませると、今日の予定は終わりなので、今「ちょっと一言」の記事を書いてます。
来週の17日からは、春のお彼岸に入ります。 もう既に、先祖さん達が出て来始めています。 毎年の事ですが、お盆やお彼岸、年末年始や節分などの時季の他に、大きな災害があった日等に、 しんどくなったりします。 

昨日は、仕事の後、急に腰が痛くなり、段々酷くなっていって、座ったり立ったりする事が痛みで困難になりました。 気分も下がってきて、これは霊的影響だという事で、 祓いや浄化、霊との話し合い等で、夜には改善していきましたが、それは仕事からの影響と、お彼岸の影響と、震災などの影響が重なったからでした。 苦しがっている霊達が、色々と訴えて来ていて、 しがみ付いていたり、しんどい想いを私の想念に流してきたりしていました。 話を進めて行く内に、自分達の想いに気付いてくれた事、これで半分は楽になります。 それと、良い方向へ向けての 想いの転換の大切さを教えて行く内に、段々と霊達の気持ちが切り替わって来て、最後はお礼を述べて、光に包まれて上がって行かれました。 

今年は、今から76年前、1945年3月10日、東京大空襲で亡くなられた霊達が、訴えに来てました。 
東日本大震災が起きてからは、日本中で震災による供養ばかりが目立っているので、まだ自分達も苦しんでいるんだという事を、知って欲しくて来たようでした。  それでも、3月10日には、東京都の慰霊堂などでの供養は行われていますが、東日本大震災の追悼式よりも小規模となる事や、参列者も余り多くないなど、76年も前の事となるために、どうしても 日本国民の関心事が薄くなってしまっている事、もっと自分達の事を思い出して欲しいという事を訴えて来てました。 

東京大空襲が3月10日で、東日本大震災が3月11日という事で、起きた年は違いますが、日付だけで見れば、一日違いという事もあり、どうしても10日の東京大空襲より、次の日の11日の 東日本大震災に、日本国民の意識が行きがちなのが、自分達の日を忘れ去られたようで寂しいという感じだったようです。 

皆、苦しくなる程に、自分の気持ちを、身近な存在や、他人にも分かって欲しいという想いが強くなります。  それが、亡くなった者なら、今、この世の時間の中を生きていないので、時と共に忘れ去られて行くのが辛いんです。 76年も経てば、身近な者も亡くなっていきます。  訴えに出る者も居なくなり、自分達の心の状態を見直して、成仏へ向けての段階を上がって行くというより、何とかして貰おうと、何処に出るのか迷っている状態です。  そうなると、次は世の中に居る霊的敏感な人にすがって来ます。 

これに似た事では、戦国時代の武士の霊が、私に訴えに来た事もあります。 私は仕事的に、色んな時代へアクセスしていくので、そういう繋がりが起きやすいです。  霊能者あるあるですね(^^;)  これは、自分の潜在意識の問題として改善していくと、仕事以外での霊的影響が減ったり、来なくなる事も出来ます。  という事で、今年は東日本大震災の前日に、東京大空襲により亡くなられた霊達を諭して、阿弥陀様に導きをお願いして救って貰いました。 

それと、一昨日、2011年の3月11日に起きた東日本大震災も、震災日の数日前より、亡くなられた魂達の供養を始めていました。  今年は東北大震災から10年目を迎えての区切りの年という事で、災害を受けた各地からの言葉は、以前より前向きな言葉が多かったように感じました。 
それでも、「10年一昔」と言われ、世の中は結構な早さで移り変わります。 10年も経つと、それより前は昔の事の様に思われてしまいます。 

ですが、10年間は長いようで短く、津波に巻き込まれて流された時の家族の顔や、その顔が土砂に埋もれた所から出て来た場面など、毎日の様に思い出してしまったり、それを10年の区切りで 切り替えようと思っても難しいと思います。 それは、亡くなられた魂達にとっても同じ事です。 
特に、亡くなられた魂にとっては、未だに思い悔やんでいる者が多く、その者達から見た風景は、まだ震災当時の場所が目の前に広がっていて、その世界の中で、まだまだ苦しまれている最中なんです。  そうして、心の状態が変わると、その状態に合わせた所へ行く事が出来るんです。 だから、心を楽な状態に戻せるような気持ちの切り替えをしていく事が、自分を助ける事に繋がるんです。

そんな苦しい想いの中でも、そうやって気持ちを前向きに切り替えて進んで行こうとしないと、亡くなった魂達に未来の光は見えてきません。 震災による津波の恐怖を経験していない者からすると、 もう過去の出来事として、切り替えて進んで行こうという気持ちになりがちですが、当時の悲しい出来事を経験された方や、それにより亡くなられた方などは、悲しみを背負ったまま、気持ちを前に 進めようとしても、なかなか10年一区切りとはいかないと思います。

でも、当時を振り返って悔やんでいても未来は開けてこないので、少しずつ気持ちを前に向けて行けるようにしないと、震災当時の時間で停止した状態のまま、霊界で止まっていては、 生まれ変わりも叶いません。 
これは、亡くなられた魂達や、命が助かった人達にも言える事です。 

霊界では、その者の心の状態が、その者の目の前に広がっているという世界に居ます。  それが苦しい世界なら地獄的な世界が目の前に広がり、明るくて楽しい世界なら天国的な世界が目の前に広がるという事です。 
地獄的な世界では、未だに生前の事を想い悔やんでいたり、地獄の中で争っていたり、生きてる人に恨みを向けて仕返しをしたり、辛い心や、痛み等も、生きている人に流したりしています。
天国的な世界であれば、この世的な未練などから切り離され、心も軽く、今の状態を楽しみながら未来に向けた取り組みをされているという感じで過ごされています。 

この世、あの世を通して、そこに生きている者は、自分自身の気持ちの見直しや改善をしたり、他人にも勇気や希望を貰ったり、手助けして貰いながらでも、少しずつでも、今より良くしていこうと いう気持ちで過ごしましょう。 しんどい過程であっても、努力して進んで行けば、良い結果はついてきますよ。 途中、何度か止まって休憩して、また進めば良いですよ。 

少しずつ前に進んで行こうとする、その気持ちは、亡くなった者からすると、自分達にも当てはめて勇気を貰っていたりします。 皆の祈りも、しっかり被災者の霊に届いています。  それでまた、気持ちを切り替えて、頑張ろうとなってます。  そうした10年間の祈りや、追悼式や復興イベントなどの行いの積み重ねがあり、今年は今までに無く、霊の波動の重さが軽く感じました。

一昨日の11日には、各地で復興イベントが開催されてました。 10年経っても、震災に遭って亡くなった自分達の事を偲んでくれている事は、とても喜ばれていました。  忘れずにいてくれる事が、亡くなった魂達にとっては嬉しくもあり、癒しにもなってますからね。 


来週17日からは、春のお彼岸ですね。
その前の 今日13日は、私の祖父の月命日なので、大好きなカレーライスをお供えしました。 いつも、美味しいものを供えてくれて、ありがとうな〜って喜んでました♪ 
カレーライスは中辛でしたが、子供達には、少々辛かったようで、ヒーハー!ヒーハー!してました(^^;) 辛くしてゴメンね〜って言って、直ぐにチョコアイスをお供えしました。  これには、めっちゃ喜んで、早速、口一杯に頬張ってました(゚Д゚;)! お供え物も、それぞれに好みがあるんですよね〜(^^;)