ちょっと一言。
-2021年5月28日-
今年は梅雨に入るのが例年より早く、私の住んでる滋賀県がある近畿地方や、お隣の東海地方では、5月の中頃に梅雨入りとなりました。
毎日、曇りか雨の連続では、毎日のお祓いによる気分転換をしに、どこかに外出する気もしないので、溜まったメールの返事を書いてます。
そうこうしていたら、ちょっと一言のペーパー本(三代目霊能者・西岡俊二が教える神霊からの「ちょっと一言」)が発売になりました。
これで、アマゾンのブックサイトで電子書籍と、印刷されて手元に届く紙の本と、どちらも選べるようになりました。
アマゾンのブックサイトで、印刷本を選ぶ時の表示は、オンデマンド(ペーパーバック)となっています。
電子書籍より、紙の本の方を好まれている人が多い感じなので、これで皆様のご希望に添えたかなと思っています。
先ずは、ご報告でしたm(__)m
今日は、ブログを書いていて思った事があったので、それについて書いてみました。
私は、この「ちょっと一言」を、月2回のペースですが書いています。
それが、今の自分の生活ペースや、仕事の分量に合わせて適度な割合になってるからです。
最初の頃は、仕事もそんなに多くなくて、書く時間も十分に取れていましたので、ちょくちょく更新出来ていました。
それでも、仕事が忙しくなってくると、今月も何とか時間と空けて書かないと!って思って頑張って書いて、深夜に更新していた時期もありました。
今でも自由な時間は十分に取れないですが、あまり頑張らない程度にと思って更新しています。
そう思うと、何故か時間て空いてくるんですよね。
それで、気になって「頑張る」を調べてみたら、「頑張る」は、「我を張る」って書いてあり、「私が、私が」と、周りの意見も聞かずに、無理を押し通して、最後までやり通す
みたいな強い意志という意味合いで書かれてました。
また他人と比較して、自分の凄さをアピールするという行為でもあるという事みたいです。
なるほどね〜(^^;)
その様に書かれているのを考えてみると、人間って、そうしないと認めてもらえないとか、皆と同じ様に見て貰えないとか、そういった不安や恐れが潜在意識の中にあるからなんでしょうね。
頑張る=我を張るという意味でのマイナス点はと考えてみると、そうした無理して頑張らないと認めて貰えないという意識は、それは自己卑下の意識に繋がってしまう事だと思います。
自己卑下とは、自分は、周りに比べて大した事もなく、劣った者だと卑しめるということですね。
それで、自分は能力的に大した事無いから、劣った者と思われない様に頑張らないと、周りに認めて貰えないという不安や自信の無さ等から、無理をして我を張って、頑張るという潜在的な
流れが出来てしまってるように思います。
その自分を追い込んで頑張ろうという意識が、気付かない内に自己卑下に繋がってしまうように思うんですよね。
頑張る意識が強くなり過ぎると、それこそ我を張る事で自分を追い込んでしまい、会社では、自己の立場や、上司や部下や周りの評価を気にし過ぎて、ストレスを抱えやすくなってしまう様に
思います。 そうなると気持ちに余裕が無くなり、ミスをしたり、それでまた自分を責めたりして、段々辛くなってきます。
なので、そこには良い仕事が出来るという割合が少なくなると思いますし、精神的に辛くなるばかりだと思います。
頑張りは、気負い過ぎてしまうと、全体的に頑張ってしまうので疲れてしまい、大事なポイントを見逃していたり、ポイントを絞れていないので、自己の良さが出ずに空回りになってしまいます。
頑張るは、ここ一番の頑張りという事で、区切られたスパンの中で、力を大きく出す必要がある時に使うように思います。
そうした部分部分での頑張りは、まだ良いですが、ずっと長く頑張らねばと思ってしまうと、気持ちもしんどくなってしまいがちです。
しんどくなる人は、結果を出してない自分に焦ってたりするので、余計に気負いしてしまいます。
それが、自分がやらないとー!っていう、まさに我を張るという意識に繋がって、期待している結果が、余計に遠のいていく、そういう繰り返しがストレスになり精神的に参ってしまいます。
そうなると、周りから頑張れと言われる事、自分の中で頑張る事自体が辛くなるので、そのままにしておくと鬱になったりしますので、真面目な人ほど注意して、気を付けておく様にしましょう。
そういう事から、頑張るという気持ちから、ついつい我を張って無理してしまうよりも、「今の自分のベストを、いかに発揮するか」というものに置き換えてみると、周囲からの目を気にせず、
自分事での頑張りと捉える事が出来そうに感じます。
頑張るの方向性を自分に向けて、自分の意識を上げて行く事で、眠っていた力が発揮出来るように思いますよ。 自分の可能性に気付く、自信が出て来るなど、潜在的な部分が開けたりします。
それと、頑張って行くという意識は、努力していくという意識に切り替えましょう。 努力は長く続けるもんです。
努力しながら蓄えて力を、必要な時に発揮出来る様にしていけば良いと、目先(目標)を少し先に置けば良いと思います。
その努力の積み重ねが、頑張りが必要になった時に、力を蓄えた分だけ、しっかりと結果として発揮されるという事です。
蓄えた力は、枝分かれして成長して行きますので、気付かない内に対人関係の改善にも表れてきますよ。 それが、他人の助けにもなって表れたりします。
自分の持ってる能力を最高に出せる様に、意識して努力するという事が、結果的には自己の評価向上や、会社の為や、家族の為、社会の貢献などにも繋がっていくと思います。
潜在的な部分(心の中)で、「頑張る」という、何としてもやらなければという意識から、「一番良い自分を発揮する様にしよう」という思考に切り替えてみると良いと思いますよ。
その為に、努力していくという気持ちに切り替えて進めて行くと、何だか余計な緊張感が取れ、周りの目や評価などに左右されず、自分をメインとした考えで取り組んで行けると思います。
そうして、今の自分の段階から、段々と自己のベストを更新して行けるように進めて行く努力をしていけば、自己肯定感も上がりますし、それにより自信もついてきます。
先に書いた「努力」とは、何かの目的のために、今出来る事をコツコツと行いながら力を積み重ねる様に励むことです。
私の書いている「ちょっと一言」も、最初に書いたように頑張る事ではなく、この努力の積み重ねです。
努力して、月2回でも更新していく事で、私の小さな目標が達成出来ているので、成果を得られて自己肯定感も保たれていると思います。
それが習慣となり、継続する事が当たり前になってきています。
天才と言われる人や、成功者と言われる人も、そういう人ほど日々の努力をしていますよね。
そして、努力しているからこそ、ここ一番のチャンスの時や、ピンチの時に「頑張れる」のではないかと思います。
ここで、我を張るという事をポジティブに捉えてみますね。
ここ一番で、何としても踏ん張らないといけない時、ここを乗り越えないといけない場面が来た時、それは自分が自分であるために、一時は我を張る事も必要に思いますよ。
我を張るという事が、頑張るに通じる様な事であれば、それは大事な事であり、必要な事でもあると思います。
そういう面を、しっかりと心に持っていれば、我を張るという事も、頑張るという事も、さあ、ここからもう一踏ん張りだ!という気力を湧かせる力となってくれると思います。
そういった事から、私達は知らず知らずのうちに、自分にも他人にも「がんばれー!」という気力のエールを送ろうとすることで、「頑張る」という言葉を使ってるんだと思います。
自分がしんどくなった時、頑張りが我を張るになっていないか、頑張るが心の負担になるなら、意識の切り替えで乗り越えましょう。
我を張らなければ、他人の助けも入りやすくなります。
また、逆に頑張りが力となっていれば、それは踏ん張れている時であって、自分の心にエールを送ってる時だと思います。
どんどん気力を充実させて、自分の力を発揮出来る様に自分を出して行きましょう。
そういう人柄が人を引き付け、皆の力と合わさり大きな力となって、社会の為に貢献して行ける人となるでしょう。
どちらも、心の捉え方次第で、自分に合った道を押し開けていく事が出来ますよ。
しんどい時は、頑張らなくて良いんですよ。 ゆっくり休んだら良いです。 自分を取り戻して、次に何かで頑張らないといけない時の為に、休憩も必要ですからね。
そういう事も心に持ってた方が良いですよ。
今回は、「頑張る」=「我を張る」という記事を読んだ事で、あれこれと考えてみました。
-2021年5月14日-
ゴールデンウィークが終わって、もう一週間以上が過ぎましたね。
五月は端午の節句という事で、男の子の居る家庭では「五月人形」を飾られますね。
我が家は、お人形では無くて、鎧兜を飾って、災いが降り掛からないように、また今年も無事に過ごせる様に護ってもらいます。
一般的に端午の節句に飾る五月人形は、子供(特に男子)が居る家庭では、災いから護り、無事に逞しく成長する様にという願いを込めて飾りますが、私がこの仕事を始めた頃から、
家族を、その年の災いから護って貰う様にと、一年間の無事を祈願を込めて飾らせて頂いてます。
我が家の鎧兜に入ってくれる魂は、毎年決まった武人の神霊様です。 毎年、決まった時季に訪れて来てくれる、西岡家専属の守り神様みたいな感じです。
特に、私の仕事柄、魔界的なキツイ霊がやって来るので、それに対処して頂けるような強力な方を、武人の神霊界よりお呼びして来て頂いています。
私の子供の頃に入って頂いてた方は、もう年寄りなので、数年前に引退してまして、若い武人の方にバトンタッチして隠居してゆっくりされてます。
近年は、床の間の掛け軸の鎧兜の絵に入られてる、爺さん神霊様と仲良く一緒にのんびりされてます。
我が家の五月人形は、鎧姿の人形で、箱から出して飾ってから、魂を入れます。
この時は、武人様の居られる霊界と繋げて、鎧兜の中に、武人様の魂の光を降ろしてきて封印するといった感じです。
魂入れが終わると、鎧姿の人形という感じだったものが、生きた人間が鎧を着て座ってる様な感覚になります。
魂の光を入れるので、鎧兜の全体や、金色の装飾品がキラキラ光ってる様に感じます。
そうして、今年もまた鎧兜を飾って魂入れをすると、「今年も、皆の者、元気であったか!」っていう声が兜越しに聞こえて来て、頭の中で響きます。
「また今年も宜しくお願いします」と挨拶をして、お供え物をすると「もう一年経ったかー! 久しぶりじゃのー!」って言いながら、お供えした水の気が
吸い上がっていく(水を飲まれる)感じがします。 そうして、一息されて寛がれます。
それで、今の世間の状態や、家族の事など、少し話して、どういった変化があったのかお知らせします。
それで、護り方も決まってくるという感じです。
毎日、朝晩、武人の神霊様にお祈りをして、そのあと色んな事をお伺いしてます。
その際に、武人様か家族のどちらかに悪い影響が来ているとなれば、直ぐに浄化や祓いをして元の状態に戻しています。
仕事で、お祓い続きが多くなると、家族も武人様も、しんどそうな雰囲気になるので、日々の浄化や祓いは欠かせません。
あぁ、そうそう。 頭をチョンと押すと、フワフワと頭を上下に振る、張子の虎も飾ってあります。
張り子の虎にも、虎の念を入れてます。 3メートル位の体長の虎が家の中で見張ってるという感じです。 とても安心です。
鎧兜の横に立て掛ける刀は、私が小さい頃に振り回して壊したので、その代用品として、私の持っている「くりからの剣」を代用して飾ってます。
「くりからの剣」は不動明王様が持たれている剣の事です。
太鼓は、緊急事態を知らせる為と、応援を呼ぶために、色んな世界へ鳴り響く様にしてあります。
弓矢は、全てのものを貫ける様にしてあります。 そうして護りを万全にして、今年も護って貰ってます。
忙しい時は、お祈りする時間が取れないので、申し訳ないと謝ると、「大丈夫じゃ! 先に用事を済ませれば良い! 今日は祈らんでも良いわ!」って言ってくださるので、有り難いです。
それでも、ゴールデンウィークが終わって、飾ってあった五月人形も片づけると、それまで置いてあった場所に五月人形の気が無くなるので、少し寂しくなります。
いつも見てくれているという、安心感を感じていた鎧越しの目線も感じなくなって、もう戻られたんだな〜って思います。
でも、武人様の魂は神霊界に戻られましたが、私の「くりからの剣」は、ずっと飾られてますので、護りの剣として機能してくれています。
まあ、戻られたといっても、こちらから気を送ると、「なんじゃー!」って聞こえてくるので、上の世界から見てくれているんですね。
どうでもいいような事を言うと、「要らん事言うてこんと、仕事しとけー!」って聞こえて来るので、来年の五月まで ゆっくりしといて貰いましょう(^^;)
それと、そろそろ「ちょっと一言」の本が発売される予定です。
それに先駆けて、電子書籍版も出してます。 もう幾つかダウンロードして下さってる方もいて、有り難い事ですm(__)m
紙の本が出たら買います!って言ってくださる方もいて、手に取って読む方が、本を読んでる気がして良いかなと思います。
スマホやタブレットの操作出来ない時でも、見たい時に、直ぐに開いて読めますしね。
私も、ずいぶん昔に書いたものを読んで、若い頃は、こういう事を書いてたんだな〜と、懐かしく思い返しながら読みました。
また、発売日が決まりましたら、ホームページの表紙画面上でお知らせ致しますね〜(^^)/