ちょっと一言。
-2021年8月30日-
今月も、後一日で終わりですね。
今月は、お盆を過ぎた辺りから、お祓い事の依頼が次々に入り出してバタバタと忙しくなり、この「ちょっと一言」も書けるかどうか微妙になってましたが、何とか時間を空けて書けました。
毎年の事ですが、お盆後の影響で、しんどくなる人が増えるので忙しくなります。
また仕事柄、お盆前後には、信者さんの親族関係の誰かが亡くなったという「訃報」の連絡が入る事も、毎年の様にあります。 今年の夏は4件の訃報が入りました。
その知らせを聞いて、亡くなられた方のイメージをすると、今どんな状態でいるか視えてきます。 お電話で知らせを聞いた場合、その場で、霊体の状態を霊視して、亡くなられた人、その家族の方の
両方にアドバイスをして、お互いの気持ちを交換して安心して貰います。 亡くなった人の思いが聞けると、親族の方は安心されて、この先の供養の仕方や、方向性も定まってきます。
以前、私の所に相談に来られた方が亡くなられた場合には、死後1〜3日の間に、その方の霊体が挨拶に来られます。
(一般的に、人が亡くなった場合、その人の霊体が、親族や、親しい人等の所へ挨拶回りをします。)
そして、生前のお礼を述べて下さったり、私の方は、今の状態を聞いて癒しを施したり、霊体となった時の教えとして追加で真理を伝えたりしながら、生前の時と同じ様に話をして帰られます。
帰る際には、供養の祈りと共に帰って頂きます。
そういった霊体は、生前に真理の学びがあった方で、比較的に落ち着かれて挨拶に来られます。 なので、こちらも、「ど〜も!お久しぶりですね〜!」となります。
変に身構えずに済むので楽です。 「亡くなられてまだ日が浅いですが、そちらの世界はどうですか?」と聞くと、「死んだ後は、身体の不自由さも無くなって、凄く楽ですよ」と言われます。
心配事があれば聞きますよと言えば、「残された家族には、もう自分は大丈夫だから、みな心配せずに自分の人生を過ごすように伝えて下さい」と言われます。
余り長く悲しんでくれるなという感じです。 それより、自分達のやるべき事をしっかりやってくれという感じの言葉が多いですね。
そう言えるのも、生前の信心と、真理の学びがあってこそだと思います。 死後は、信心してきた仏様が迎えに来てくれたので安心されています。
その安心感から、残してきた家族の、先の事を考えての発言をされます。
生前に正しく信心されてきた方は、一般的な方よりも、亡くなった時点から、既に一歩も二歩も先に進んでますし、進み方にも差が出ています。
そうでない一般的な霊体は、まだこの世に未練があったり、こんなに早く死ぬつもりではなかったとか、残された家族が心配だとか、身体が痛い、苦しいとか訴えてきます。
家族が心配と言いながら、結局は家族の誰かに憑いて、気付いて貰おうとして、家族の方が霊障を受けて苦しまれているケースもあります。
こちらに寄って来たら寒気がしたり、身体のどこかが痛くなったり、気持ちが不安定になったりします。 それらは全て、その霊体の状態が流れて来た事が原因で起きるものです。
死後、数ヶ月間は、まだまだ落ち着いて自分の死を見つめる事もせず、まだ生きていた時と同じ事を考えてる事が多く、死んだ後も、自分の死を受け入れたくないという気持ちが多いです。
そういった霊は、自分の死を受け入れる事で、もう遠い所へ行って会えなくなると思うらしく、また今後の霊界での人生を考える事も出来なくて、何をするにも怖かったり、気持ちの
やり場が無くて苦しんでるという事が多いです。 なので、今のような幽霊の状態になってでも、気になる人の近くに居る事が良いと言って、なかなか離れない事もあります。
憑依状態ですね。
霊視すると、同時に霊体の気持ちも流れてくるので、成仏する為の知識が必要だと感じたら、その場で諭していってあげます。
生きてた時は、肉体と魂とは一体になって過ごしていたけど、死んでしまえば、肉体と魂は分離して、魂は霊界へ帰るので、今あなたの状態は、魂だけの状態なんですよと諭していきます。
そうして、この世で生きていた時の痛みや苦しみも、肉体から離れた時に一緒に置いていった事で、本当はもう無いんだよと諭します。
それには、生前の苦しかった事が、いつまでも忘れられない気持ち(執着)を、気持ちの中で切り離していけるように、早く気持ちを切り替える事だと諭していきます。
それで、本人の霊が落ち着かれて、自分の死を受け入れて、これからやるべき事をやって行きますという風になれば、成仏は早まります。
気持ちを切り替えて、この世の人から、霊界の人になったという認識を持って、やるべき事を知って進んで行けば、今より楽な状態で、この世の家族の事も見て行けますし、ちょっとした助けも
出来るようになっていきます。 そして、早く生まれ変わりのサイクルに乗れば、今世でやり残した事も、来世で叶える事も出来ます。
その話の辺りで、「生まれ変われるんですか!?」ってなる事が多いです。
「そうですよ!」と答えて、そうなれる様に早く自分の気持ちを来世に向けて、切り替えて行きましょうと言うと、心に希望が出て来るので、霊体が光ってきます。
そうなると、もう過去の自分の苦しみの執着から抜け出せるので、あとは生前の行いの反省や改善を積み重ねて行けば、生まれ変わりのサイクルに乗れます。
後は、その霊体を連れて行って貰う仏様をお呼びして、明るい世界へ連れて行って貰います。 そこで安定した霊界の生活を送りながら、修行したり、学びを深めたりされます。
上の世界へ上がられた後は、苦しい波動を受けなくなるので、自分の体も軽く楽になってます。
人間は皆、霊界からの生まれ変わりで、母親のお腹の中の赤ちゃんの体に入って、そして産まれ出て、一生を過ごして、肉体の死後、また霊体は肉体から抜けて霊界へ帰るんです。
この世の人間になって、肉体を持って過ごすと、それらの事を忘れてしまうので、元来た霊界へ帰る事も、知らない所へ行くようで怖くなってしまうんですよね。
そういう学びは、生前に知っておくと、亡くなった後に迷わないんですけどね。
そういう事も、真理の学びを進めて行くと、これまでの不安や心配事が軽減されて行くと思うので、その安心感を持っているのと、不安なままでいるのとでは、死後の世界で大きく
進む道が変わります。 しっかり真理の学びを深めて、何事にも動じない心に成長して行きましょうね。 その心は生きてる今と、未来に役立ちますからね。
-2021年8月15日-
お盆も明日で終わりますね。 明日は、京都の「五山送り火」ですね。 大文字の送り火とか、京都以外では、大文字焼きとも言われてますね。
お盆に、あの世から帰って来た、おしょらいさん(お精霊さんと書き、ご先祖さま達の事を指す京言葉です)を、あの世に帰る道に迷わず、無事に送り返すための京都の伝統行事です。
昔は、お盆に入った際の迎え火として、各家庭で「迎え火」を焚いて先祖の霊を出迎えてました。 今では、お仏壇で灯すローソクの火が一般的になってますね。
そうして、各家庭に灯された火の光を目指して、先祖らが迷うことなく帰って来れる様にという意味で、火を焚く、火を灯すという事ですね。
「五山の送り火」は、そうして無事に帰って来た先祖達が、今度は無事にあの世へと帰れるように、大きな火の光であの世を明るく照らし、迷うことなく無事に帰れるようにと、
大きな火を焚いて先祖達を送り届けるという意味があります。
私が京都に生まれ住んでいた頃は、送り火の日は、京都全体が一つの思い(先祖達を無事に送り届けるという思い)で、五山の送り火の日を迎えてるような感じを受けてましたし、
京都全体が大きな意思のもとに、各家庭の先祖の為に大法要を行ってくれているような気持ちでした。
そうして、明日は京都以外の地でも、それぞれの送り火の光に照らされて、先祖達が迷うことなくあの世へと帰られます。
特に、京都では五山の送り火として、五つの山々に「大文字、左大文字、妙法、舟形、鳥居形」の大きな文字に火を焚くので、とても明るく照らされます。
昔は、今の倍近くの送り火を焚いていた時代があったそうですが、時代を経るごとに段々と少なくなっていったそうで、現在の5つの山で伝統を留めているそうです。
私は毎年、五山の送り火を眺めているのと同時に、霊的な眼でも視ています。
そろそろ最初の「大」の字の「火床」に点火されるという頃になると、段々寂しさが募ってきます。
おしょらいさん(先祖さん)達が、もう帰らないといけないという名残惜しい気持ちが、五山に囲まれた京都全体に寂しい想いの気を漂わせます。
そして、大文字の「大」の字に火の灯りが明るく照らされ出すと、「もう帰る時がきました。 ではそろそろ帰ります。 みな元気に過ごせよ! また来年宜しく頼むぞ〜!」という気持ちに
切り替わってきます。
その頃になると、五山の上の空が明るくなってきます。 五山に囲まれた京都の上空に、京都市全体を包み込めるような、大きくて薄明るい雲が視え始めます。
その雲は、段々と渦を巻きながら薄くなって、奥が見えそうな位に透けてきます。
それに連れて、薄明るい雲の奥に、大きくて金色に光る仏様の姿が見え、天女や諸菩薩の姿もチラチラと視えます。
金色に光る大きな仏様は、上空からチラッと様子を見て、直ぐに奥の方へ姿を隠されます。
そうして段々と薄明るい雲の中央が金色に光り出すと、それを待っていたかのように、京都中のあちこちから、ホワ〜っと丸く光る魂達が空の上を目指すように上がって行きます。
そして、その雲間に明るく光る、金色の光の中に吸い込まれて行きます。 時々、半分位上がって、途中で休憩しているかのように動きを止める魂が幾つかありますが、それを雲間で待機している
諸菩薩たちが見つけて、その魂の所まで降りて来て一緒に上がって行かれます。
雲間の光の中をよ〜く視てみると、雲の上から下まで、それぞれの段階ごとの世界へ通じる道の扉が開かれているのが
確認出来ます。 雲の中に入って行った魂達は、それぞれの段階の道へ進むべく、その扉の奥へスーッと入る毎に消えて行きます。 その扉の奥は、霊界の奥に通じていますので、入り口付近しか
見せて貰えません。
以前、上がって行く魂に紛れ込んで、明るく光る雲の辺りまで行ったら、「生きてる者は、この先へは入れませんよ」と言われてしまいましたので、仕方なく降りて来た事があります。
そのまま行ったら、あの世へ帰る魂と一緒に、自分も死んじゃうのかもって後で思いましたし、寂しい想いで帰られる魂達にとってみれば、あまり良くない行動だったと反省して、
今は大人しく視てるだけにしています。
まあ、そうして五山の送り火の火の勢いが弱くなるにつれ、京都市全体を覆っていた明るい雲は、段々と小さくなって行きます。 雲の明るさも弱くなってきます。
そして、地上から雲を目指して上がって行く魂の丸い光の数も減ってきます。
たまに、雲間から下に降りて、先祖の魂を拾い上げる諸菩薩様の明るい光が、雲と地上とを上下しているのが視えますが、それも終わると、ゆっくりと雲が閉じてきます。
「まだ上がり切れてない魂がいれば、拾い上げるぞ」という気持ちが雲の合間から伝わってきますが、それでも雲は小さくなりながら、ゆっくり閉じていきます。
五山の送り火も、もう残りの火の光が、点々と幾つか残ってるだけになってます。
雲が、周囲から段々と閉じて、中央の明るい雲が残る位までになると、中央の金色の光が再度明るくなって、最初に視た大きな仏様のお顔が、金色の雲間から出て来て、地上の様子を
ちらっと確認されます。
もう雲を閉じちゃうけど、いいかな〜って感じなんでしょうかね。 大きな仏様は、周りに居られる諸菩薩様方に確認と取って、「よし」という感じで、ゆっくりと一度だけ頷くと、雲は結構
早めにシューッ!と1〜2秒で閉じて消えてしまいます。 出て来た時は、ゆっくりなのに、最後の閉じ方は早いんや!って思ってしまいます。
雲が消えた後は、いつもの夜空になっていて、京都市全体は、し〜んと静寂に包まれてる感じです。 それまで、京都市全体に流れていた、先祖達の思いも、何もしなくなってます。
またこれで、今年の夏も終わったなと感じられる瞬間です。
明日も、また金色の雲が出て来るのが楽しみです。 今年も、先祖さん達が無事迷うことなく帰れる事をお祈りします。
ちなみに、西岡学校の子供たちは、そんな様子を空の上で見物してるようです。 ちょっと行ってくるわー!って感じです。
既に、成仏の段階を越え、仏様の世界で学びを得ている西岡学校の子供たちの魂にとっては、お盆と言っても普段と変わりなく、結構自由な感じで過ごしているようです。
今回は、京都五山の送り火と、それに関連して同時に行われている、霊界からの魂のお迎えの様子などをお話しました。