神霊による人生相談

ょっ言。

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-2023年3月24日-

今日は、お彼岸の最終日ですね。 先祖さんの供養に乗じて、無縁仏の霊や、その他の不成仏霊などが日本の霊域に溜まっています。  そういった霊の全体供養として、彼岸中は色んな教えを説きながら成仏の方向へ導いています。 

その時に、浮かばれていない霊が言う口癖のような言葉があります。 それは、「誰も自分の気持ちを分かってくれない」というものです。 
その言葉を言って訴えて来る霊は、霊視して生前の性格や拘り具合などを視てみると、大体が真面目な性格ですが、頑固で拘りが強く、世間体や他人の目を気にして過ごしてきた人が多く、孤独で寂しい世界に居る事が多いです。  そういった感情や考え方でいるので、生前の生き方として、他人との気持ちの繋がりが持てなかった為に、自分の拘りの世界に居るんだなと分かります。 

人は、自分の事を理解してくれる人が居ると、その人との心の繋がりが出来て安心感が出ます。 それには、自分の気持ちや感情(自分自身の心とも繋がっている状態)に意識を向けている事が大事です。  他人から言われた事に対して、本当の気持ちは、どうしたいのか、自分の心に意識を向けて感じ取ってみる事が大事です。 そうして、その感情を、その人なりに言葉や、文字でも良いので、自分の中から出していく事も自分を大事にするという事の一つです。  それが上手く出来ていないと、自分の気持ちを安定させた「自分軸」が取れずになってしまい、自分の心と繋がりが取れない浮いた様な状態の「他人軸」の考え方になって、他人の意見や、周囲からの見た目などに意識が振り回されやすくなります。 

そうした、他人からの見た目や、言葉などを気にしたり、家族や友人や世間体なども気にしたり、色んな影響を受けながらでも、自分は和を乱さない様に、自分の気持ちを抑えて頑張ってきたりして、自分の本心が隅っこに追いやられている状態になった人の霊が、 自分だけが誰にも理解されずに苦しいという事を訴えてきます。 

そうして、自分の気持ちを置いてまで、他人や周囲に気を遣って頑張ってきた人は、自分の中の「こうあるべき」などの拘りもあって、自分の心との繋がりを満たせていない事に気付かずに過ごしていたので、取り残されたような気持ちになったりして、いつも心に寂しさと孤独感があったんだと思います。 また他人との繋がりも、自分の方から拒絶したりする事で誰にも傷つけられないし、自分を護れるという意識もあったと思いますが、自分の殻に閉じこもり、心を縛り付けてしまう事が、後々の寂しさを生む原因にもなってると思います。 

これは、迷える霊だけの問題ではなく、今生きてる人にも言える事です。 人は、孤独や寂しいと感じた時は、自分以外の世界に理由を見つけようとしてきます。 そして、自分は誰とも繋がっていないという思いや、誰も自分の事を分かってくれないという思いを抱いてしまう様になってきます。 その寂しい思いを、誰かと繋がる事で癒したいとか、誰かに話を聴いて欲しいとか、自分の気持ちを受け止めて貰いたい等という欲求となって出て来るようになります。 

この時に気を付けることは、そういった欲求は他人の方に意識が傾いていて、他人に欲求を満たして貰おうとする状態になってる事に気付く事です。  他人の方に意識が偏ってしまうと、他人に何とかして貰おうとする気持ちから抜け出せず、何回話しても寂しさから抜け出す事が出来ないです。 
話の中で自分の心と向き合わなければ、話してる時だけ少しは楽になると思いますが、また話が終わる頃には寂しさが出て来ます。 そうして、益々他人に何とかしてもらおうとする心が出て来ますので、自分を癒すための方法だったのが、どんどん自分の心と向き合えなくなってしまいます。 

こうして、話を聴いてもらうだけで満足している人は、話を聴いてもらう人に依存したりします。 これが、人が亡くなった状態である、霊となっても意識として残るので、生きてる人間に頼ってきたりして影響を与えるようになったりします。 

誰も自分の気持ちを分かってくれないと言う霊は、自分の気持ちを色んな事情もあって言えなかったりもして、他人に理解されずに我慢して過ごしていた過去が多く、その時の気持ちを理解してあげて、本当に辛かったねと共感してあげる事から始めていくと、その霊は、 ようやく自分の心に蓋をして、言えずに我慢してきた心の苦しみを言い始めてきます。 そこから、その霊の心は癒され、本当に意味での他人との心の繋がりが出来たという感じになります。 やっと自分のことを分かってくれる人が出来たと言って、泣かれたりする事も多いです。 そうして、私の所にやって来た霊は、心が癒され、安心感が出て、最初に見た怖い顔から優しい顔に変わり、感謝の言葉を述べてくれます。  そして、その霊は他人に頼らず、他人のせいにもせず、自分を見つめ直す事の大事さを悟り、そうしていく事を心に決められると、自然と両手を合わせる心になって、念願だった成仏への道が開かれるんです。 


もし、信頼している人に、ゆっくり話を聴いてもらう事が出来たら、自分の心に正直(自分の心に向き合って素直になる)になって、自分本来の心を取り戻そうという気持ちになって話をする事です。   そうした時に、今まで抑えつけていた本当の気持ちが、心から出て来ます。  自分が自分を苦しめていた事も、ようやく理解出来たりして、自分を解放してあげる気持ちになれますよ。 人によっては、心の縛りが解ける感覚があって、胸が軽く楽になる感覚を持つ人も居ると思います。 

誰かと繋がって癒されると、その人の心が自由を取り戻し、拘りが解消され気持ちが軽くなります。 本当に、その人の事を気遣ってくれる人に悩みを聴いてもらうと、心が癒されますよね。 その時に、悩みを話す側も、しっかりと自分の気持ちを話していく事で、相手も気持ちを汲んで対応してくれます。 また、自分の話した声を自分の耳で聴くことで、聴覚という心の意識に繋がるので、自分はそう思っていたんだと、自分の声を聴いて再認識したりします。 それで本当の気持ちを言い易くなって行きます。 

そうした話のやり取りの中で、話をしてくれる相手への信頼が増してゆき、素直に自己改善の方向へ導かれていくと、他人への依存心などが無くなってゆきます。  今まであった自分の拘りを捨て、しっかり自分の心と向き合って、自分で自分の心を抑えつけていた事での苦しみに気付き、本当はどうしたかったのかが言えるようになると、心が軽くなります。  心が楽になると感謝の気持ちや、温かな心が復活してきます。 心に余裕を取り戻して視界も開ける感覚になります。 

親身になって話してくれる人は、心に愛を持って話をしてくれるので、人との繋がりで寂しさや孤独感が癒されるのは、最終的には「愛」の力の繋がりがあるんだなと感じます。 愛が無い話は、一片道で感情が無い(心がこもってない)事が多いので、やはり言葉に愛の波動が乗ってる事が大事なんだなとも感じます。 

一人ぼっちになって寂しさと孤独感の世界に居る霊も、人の気持ち(心)も、自分の殻にこもったり、頑固にもならず、愛を感じる事、愛を受け入れる事に対して、もう少し受け身になっても良いと思います。 

色々と怖がらせて来る霊も、人間も、結局は、愛が欲しいという事に気付かない様にして、自分の世界の中で頑張っているだけなんですよね。  自分の心と繋がりが切れてる状態です。 なので、心の苦しみが意識のところまで上がって来ないんです。  そうして気持ちとして感じ取る所まで上がって来ないので、気付くのも遅れて、自分の気持ちを出すタイミングも遅れてしまう事も、自分を出す事に時間的な妨げになってます。  こういう事も、常に自分との意識の繋がりを大事にしていると、そういった妨げも防ぐ事が出来ますよ。

誰にも分かって貰えないと嘆くよりも、自分の心に繋がりを持って、理解してあげる事に気付くのが早い程、早く楽になるんですよね。  そして、人との繋がりは、愛の繋がりであるという事も分かって貰えると、自分の心の垣根が低くなって、自分の気持ちや感情も言葉で出せるようになったりして、楽な感じで人との繋がりを結んでいく事が出来ると思いますよ。 家族や友人や大切な人との間で、愛のやり取りをしながら、自分独りではないという安心感と感謝の気持ちを持って、愛の輪を感じて過ごしていければ良いなと思います。 


-2023年3月16日-

今日は、念入り腕輪の作用と、腕輪の状態を正常に保つという、メンテナンス浄化を行う時のお話です。
念入り腕輪は、体の不調の改善などの健康面や、着けてる人の霊的影響を吸い取って浄化します。 
特に、霊的な影響による体の痛みなどは、霊的な影響を吸い取る事で、痛みの緩和や、体の不調が改善されたり、気分が楽になったりします。  また、災難を最小限に抑えたり、潜在意識に働きかけて心の状態を安定させたり、願望に向けて進みやすい状態に導いてくれる働きをします。  そうして、腕輪を着ける人の想いに合った念入れをし、その人の不足している部分を補える手助けも出来るように、神仏の念も合わせて入れ込みます。  なので、腕輪に入れ込む念は、腕輪を着ける人専用の念になっています。 

同じ家族の中でも、それぞれ改善する部分や、手助けする部分が違ってくるので、家族の中で誰かの腕輪を着けてみると、自分が普段着けてる腕輪の感じと、何か違ったような感覚や、落ち着かない様な違和感があると思います。  これは、腕輪から出る波動が、着ける人の潜在意識専用に同通するように念入れしてあるからです。  なので、また普段着けてる自分専用の腕輪に戻すと、しっくりくる感じや、落ち着く感覚に戻ると思います。  そうして、普段から腕輪を着けていると、気付かない内に、潜在意識の改善ポイントに働きかけていって、それが日数を増やすごとに意識が前向きに変わってきたりします。 

霊的影響を強く受ける人には、腕輪は見えないシールド(エネルギーの防御膜)を張って防御してくれています。  あとは、着ける人が必要とする神仏との繋がりを持たせてあるので、自分の進む道を、しっかり進めるように、あと押しのお願いをされても良いです。  こうした事が、しっかり発揮出来るように念入れをしてあります。 

次に、そうした腕輪を長い事身に着けていると、強い霊的影響を受ける事もあったりして、一気に霊的影響が腕輪内部に溜まってしまう事があります。  そうなると、浄化作用が追い付かなくなったり、浄化作用が落ちてきたりするので、霊的影響を吸い取る力も少しずつ弱まってきます。 

そこで、ちょっと腕輪が重いなと感じた時や、光にかざした時にキラキラ感が感じられない時、数年間も腕輪の浄化をしてない場合、内部に溜まった念を浄化して、何も無い状態に戻して、新しいエネルギーを補充するという、霊的なメンテナンスが必要になってきます。 

腕輪を持たれている人達から、こちらに送られてくる腕輪の浄化をする時、腕輪の内部に封印されてあって、まだ浄化が出来てない色んな念や、霊的なモノが出て来ます。  腕輪が吸い込んだ霊的なモノは、軽いものから浄化されて消えてゆきますので、残ってるのは強めの影響の念などがあります。  腕輪を浄化する時に、吸い込まれた霊が文句を言ってくる事もありますし、強い念が腕輪に吸い込まれていると、腕輪を着けると痛みが出たり、しんどくなる感覚になったりする事もあるので、腕輪を着けるのが、億劫に感じる事もあると思います。 

そういった、腕輪を着けたくない気持ちでいる思いなんかも、腕輪の浄化をする際に、こちら側に流れてきます。  そういった思いで腕輪から遠ざかっていると、腕輪が邪魔に感じている霊は、離れた所から、腕輪を着けさせない様な念を送って、その人の霊的防御を消そうとしてきます。  腕輪があると邪魔なので、何かと腕輪を狙ってきたりします。 色々な作用で、腕輪の紐が切れたりもします。 

前回、霊的メンテナンス浄化をして出てきたものと、次に霊的メンテナンス浄化をして出て来たものが違う場合、その人の考えや行動、対人関係等の変化があったりしている事が多いです。  いつも、似た様な影響が吸い込まれている場合、その人の考えや生活スタイルや、その人を取り巻く環境に変化が無かったりします。  腕輪のメンテナンス浄化の際に出て来る霊の種類によって、その人の考えの、どの部分に引き寄せられて来たのかも分かります。 それが、その人の改善点のポイントにもなります。 

特に何も影響のある様なものを吸い込んでない場合、良い感じで生活出来ている感じです。 何かあっても、前向きに考えて取り組めている人は、腕輪も軽いです。 そういう人ほど、定期的に腕輪のメンテナンス浄化をされる傾向にあります。  もし、腕輪に何かの影響が吸い込まれてあっても、早めに浄化して対応出来ますし、気付くのが早いので、改善も早く済みます。 

こういった事柄から、腕輪を通して、その人の心の状態や、受けてる霊的影響も分かってくるので、もし次に新しい腕輪を身に着ける際には、入れ込む念の強さに加えて、改善点を克服出来る様な念入れが必要だという事や、どういった指導方法が良いか、 援助して下さる神仏に頼む念の種類も、お伝えする事が出来ます。 

腕輪には、神仏の念も入れ込んであるので、見た目は物ですが、中には意識が宿っています。 
腕輪は頼れるお友達のような感覚で、親しみを込めて扱っていただけると良いなと思います(*^-^*)