神霊による人生相談

ょっ言。

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-2023年11月17日-

今日は、「思い」の種類と作用についお話します。
人は、普段から色んな思いの中で日々過ごしています。 それは、自分自身が色んな事を思ったり考えたりする事の他に、他人の思いや考え方から出た言葉などを受けて、それを思い返し、考えたりしています。  そうして、自他それぞれの思いや考え方を巡らせていく中で、自信を深めたり、逆に不安になったり、そうなる中で気持ちが定まったり、揺らいだりするので、自己肯定感が上がったり下がったりもします。 

人の思いは、色んな方向へ繋がって飛んで行きます。  気持ちが安定して向上心がある時は、思考は自分が成長していく方向(明るい未来)へ向かいます。 その中で、他人からのアドバイスの他に、指摘なども取り入れる気持ちの余裕があれば、自分の見直しも掛けていけるので、 更に人間的成長が見込めます。 自分に自信が出てくるので、自己肯定感もキープしやすいです。  自利利他の精神(自分が幸せになると同時に、他人をも幸せにしていこうとする精神です)が湧いて来たりして、強い心は持っていても、丸く穏やかな人間性を発揮出来たりします。  これは、私が心に留めている「上求菩提・下化衆生」(上に向かっては無上の悟りを求め続けると同時に、下に向かっては衆生を教化・救済していこうとする)という大乗仏教の精神にも繋がります。

逆に、不満や怒り、不安や寂しさ等で、心が苦しい時などは、その思いの方向性は、苦しい世界(地獄的な世界)に向いてへ飛んで行きます。  それが、長時間考えたり、長い日数をかけて考えていたりすると、益々その思考傾向が偏ってくるので、苦しい世界との繋がりが太く離れ難くなります。  そうして自分の置かれた環境に対して、不平不満や愚痴を言う事が多くなり、他人に対しては妬みや嫉妬の感情が出てしまうようにもなります。 そうして、人間性が変わってきてしまうと、対人関係も上手くいかなくなるので、周囲から浮いた存在となったりして、更に心の中は狭く暗く寂しくなります。 そうした孤独感の中でやる事と言えば、歪んだ正当性や他責の念を持つ事などで、一時の苦しみを解消しながら過ごすようになってしまう事もあります。 

こうして、人の思いは、その時々の感情や精神状態などにより、色んな方向へ飛んでしまう事がありますが、早めに気付いて方向修正をするように心掛けていれば、特に問題となるまではいきません。  良くない方向だった思いは、いくらでも修正は出来ますし、自分の考えの弱い部分を知るという点でも、悪い事ではありません。 後で良い思いに変換していけるので、それだけ思いを練ったという事で、思考の幅も広がります。  なので、延々と悪い方向へ繋がり続けるという点だけ気を付けて貰えると、それは一時の心の病気だけだったという事で、また心が健康になれば良いだけなんです。  過去に囚われず、未来を向いて取り組む気持ちが大切だということです。


それから、これまで書いてきた「思い」は、論理的・主観的な思考の事で、頭の中で考えた事と、心の中での感情と互いに関係し合うものです。 
次に「想い」というものがあります。 想いは、心の中で浮かび上がって来る感情やイメージというものです。 
それら「思い」と「想い」を、さらに心の中で強い強い意志や願望や信念にしていくと、「念い」というものになります。 
「念い」は、心に留めた考えを信念として、一貫とした強い気持ちが込められています。  この強い気持ちは、自分を惑わすような色んな誘惑や非難や妬みなどから自分の心を護る役目をしてくれるので、思ったこと考えた事を心の中で「信念」として高め持つ事で、人生を楽に過ごせるようになります。

私が「念入れ」する腕輪や錫杖などは、こういった信念のもとに、念願として入れ込みたい事を、神仏との繋がり(光の念)を通して、強い意志(念の力)で腕輪などに入れ込んだものです。 

こういう事から、思いという論理的な考えを、心の中から出て来るイメージと合わせて、更に強い気持ちで「念」にまで引き上げたものが、念の力と言われるもので、「念力」という言葉でも表現されています。 

この念にまで引き上げた強い信念の力は、良い方向へ向けると神仏にも繋がるものですが、逆に悪い方向へ向けると、他人を苦しめるものにもなります。  もし、「念」にまで引き上げられた憎しみの念などが、その相手に飛んでしまうと、その人は原因不明の痛みや苦しみが出る事もあります。 

この悪い方向へ流れる念を利用しに来るのが、悪霊という地獄霊です。   この念を、更に強く持続性を持たせるために、悪霊は念を出す人に、更に悪い考え方を流していきます。  そうすると、良くない心の状態であればある程、偏った悪い考えを受け取りやすくなってしまい、どんどんと相手を悪く思う様になってきます。  霊に取り憑かれると、常に霊は背後から、そうした念を浴びせかけて来るので、次第に悪い考えが当たり前のように考えてしまうくらいに、心を取り込まれてしまいます。 
こういう事から、心の状態を健康にしておく事に気を付けておくだけでも、更に良くない方向へ偏ってしまう事を防ぐ手段になります。 

こうして、「思い」を「念」の段階まで上げていく事で、念力や法力というものにまで達成させていく事を修行者はやっていったりしますが、必ずそこには魔の侵入が入り込んできます。  それに負けない様に、心の中に強い信念を持って対処していく事が修行者にとって大事な事になります。  また、修行者でなくても、この「ちょっと一言」を読まれている方の様に、日々心の修行をされている人は沢山居ますので、自分の心の中の信念をしっかりさせておくことが大事なんですよ。  そうして、心の中に侵入した偏りのある考え、マイナス方向の考えなどを、早めに見つけて、まだ小さいうちに修正していく事が、心の修行でもあります。 

私の所にも、「魔の念」は日々飛んできています。 魔は、神仏に繋がる様な人や、光の使者を倒そうとして、ちょっとした心の隙や、心身の疲れなどを利用して、魔の念をねじ込んで来ようとしてきます。  心が苦しいと思う事があれば、それは知らず知らずの内に、自分の拘りに縛られて心の自由が減っていたり、他人からの色んな言葉などでストレスがかかり、心が狭くなったりする事からきていたりします。  皆さんも、時々ふっと嫌な考えが起きる事もあると思いますが、それは少し心が疲れ始めてるという事なので、心と体を休めてリフレッシュしてくださいね。  そうでないと、思っていた事、気にしていた事などの考えが長く続き、いつの間にか執着となっていって、念にまで考えが強くなってるかも知れませんからね。 

皆さんも、心の中で思い考えた事を、真理に則して判断し、認識を重ねてきた事を自分の信念として心に強く持っていれば、何に対しても奢らず素直に自己肯定感を持って過ごして行けるようになりますよ。  あとは、心の余裕を持つ事です。 そして一旦、何々する「〜するべき」とか「〜だから」という自分の中の拘りを一旦置いておいて、人の意見を聴いてみようというような、素直で慢心しない心を忘れずに居ましょうね。 
そして、良い感じの念いに仕上げて、その念いを、自分自身の未来を拓けていく強い力としていきましょうね。