神霊による人生相談

ょっ言。

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-2023年12月26日-

今年も、残り5日となりましたね。 今年も色々とありましたが、神仏様のご援助の中、色々と自己改善の努力を進めながら、何とか無事に乗り越えて来れたなと思います。 

日々、色んな影響を受けながら、自分の意識改革を進めて行くのは結構大変でしたが、時代の移り変わりの中で適応していく思考形態に移行させるのも、新たな時代の中で悩める人を導くためには必要な事だと思っています。 

今までに無かった知識を取り入れていくと、思考の方向性に幅が出来て、それまで気付けなかった、新たな事に気付く事も増え、成長に繋げる事も出来ますが、その一方では、自分の中での偏りにも気付かされて、一時は気落ちしそうになる時もあり、 まだまだ修行が足りないなと感じる事もあります。  そういった良い点も、悪い点も、見つけられた事に感謝し、今後の成長の幅と将来の進歩に繋がる切っ掛けを与えて貰ったと思っています。 

新たな知識は、先ず頭で理解したものを整理しながら、色んな側面から真理に繋げられるように引き上げていき、霊界知識と合わせて次元アップさせたものを心の中に持てるようにしていきます。 これは目的別瞑想の時に行います。  後々、記憶として忘れても、心の中の記録に残ってるので、心の奥にある記録場所に訪れると、沢山の引き出しから必要な情報が引き出されるという感じで、それが心の奥から湧いてくるように思い出す感じです。

瞑想時では、潜在意識の拡大と共に、大きな神理の領域に入っていくと、全てイメージの中のやり取りになるので、それに慣れるまでは、ついつい文字や言葉を連想して、肉体人間としての部分で対応してましたので時間が掛かり、神仏様を待たす事も多かったです。  そういう事も、年々歳を取るにつれ、少しずつ慣れて来て、大きなイメージを投げ掛けると、それに対して大容量のイメージで返して下さるので、宇宙的な神理の中における地球的神理についても、多く(私が理解できる範囲)を学ばせてもらいました。 
瞑想時では、肉体と魂の繋がりの不安定さを感じる時もあります。 
瞑想が深く入っていくと、肉体の感覚はあまり感じられず、意識体の感覚になっているので、瞑想の初期段階の頃には、自分が死んで霊体になったら、こういう意識の状態になって浮かんでるのかな〜っと思う事もありました。  また、そういった時は、肉体的感覚が無くなっているので、自分の身体の重さも感じられず、手足の感覚も無くなって、体が消えているかのようで、以前は不安になって目を開けて体がある事を確認したりしてました。 

その次に、自分の中に起きているイメージとしては、光の中に浮かんでる体の細胞と細胞との繋がりの間隔が開いて行って、その間に大きな意識を伴う光が流れていく感じがありました。 細胞の一つ一つが光で浄化されて、とても気持ちよく感じられます。 
その細胞と思っていたものは、よく見てみると、一つ一つが光の粒子の様であり、それらが沢山集まって肉体というものを形成しているんだなと感じ取りました。  肉体は、光の粒子という細胞たちが沢山繋がって固定化しているようですが、繋がりとしては案外と隙間だらけであり、その隙間から霊的な波動も出ています。  幽体離脱のように、肉体から魂がすり抜けたりします。 

高次元の意識と繋げる瞑想時では、これまで理解した知識を基にして、新たな気付きに変えながら昇華させていくと、高次元の霊的感覚にまで広げていく事が出来るので、神理の領域に溶け込んだ理が感覚として理解出来て行きます。 
そして、段々自分の肉体が拡散していって、魂が全体神理(宇宙神理)に融合していくのが、とても幸福な感覚を伴って体全体を包み込んで行きます。 
その時の感覚としては、大きな宇宙の意識の中に浮かびながら、全ての意識に繋がっているという感覚があります。 

例えるなら、大きな意識体というものを大きな水槽、自分の意識を一滴の水とします。 その大きな水槽の水の中に、自分という一滴の水が垂れて入ってみると、水槽の中の水に溶け込んで一体になったような感じと似ています。  大きな水槽の水に電流(意識エネルギー)を流すと、水槽の中の自分という一滴の水にも同じ電流(意識エネルギー)が流れますね。  自分という意識を持つ水は、大きな水槽という大きな意識体の中の一つとして、電流(意識エネルギー)の供給を受ける事が出来ます。 
これが、大きな意識体の中に浮かんでいる、自分という、小さな意識体の全ての面が、大きな意識と触れ合っている(繋がってる)という事になり、色んな情報や意識を取り込む事が出来るんです。 

大きな意識体という認識を、もう少し深く入ると、先程の水槽の水にも、水の粒子の大小があります。  水槽の水の中をよく見ると、粒子の大小、粒子としての質の違いなど、色んな個性の水の粒子があり、水槽の水の約7割が小さな粒子、2割が中位の大きさの粒子、残り1割が大きな粒子達で構成されている感じです。  そして、中位の粒子と大きな粒子が、数の多い小さな粒子の中に、まばらに分布している感じです。  それが水槽を全体的に見た場合、一面の水に見えるという事です。 

なので、水槽の中に一滴の水の粒子として入っても、水の中の一員として、それぞれが独立した意識を持つ存在として、全体的な意識エネルギーの中で一体となり、あまねく生かされているという事でもあります。  霊界は、水槽という器(空間)が無ければ存在せず、その中に流れる大きな意識の存在や、それらが動く事の出来る時間というものが在る事により安定して存在しています。
 
一番数が多い小さな粒子は、一般的な魂です。 大きな意識体の中では小さくても、それぞれの個性があり、その個性を発揮しながら進化していく中で、それぞれが独自の光を放っています。  どんどん自分を磨いていく過程の中にあり、まだまだ成長していける段階の粒子とも言えます。

中位の粒子は、自分の為の進化を乗り越えてきたので、自分以外の為になるような働きがメインの目的となり、それを果たす事により、更なる進化を得て、大きな粒子になる可能性がある粒子達です。  社会貢献や人を導くためや、愛の精神を色んな分野に適応させ、発展させていく為に、更に自分を磨いていこうとする魂です。

大きな粒子は、エネルギー量も多いので、沢山のエネルギーを出す事が出来るので、水槽の中を奇麗な状態に保つ役目もしています。 自分の為とか誰の為という進化目的は無く、全体の進化発展、人間界と霊界の大調和など、その魂が在るだけで安泰に なるような存在です。 
また、数少ない大きな粒子は、神仏の粒子や、過去に偉大な功績を上げた魂であり、その粒子が転生すると、偉大な宗教者や、大科学者や、平和や調和を基に社会の発展に力を尽くす魂として活躍し、時代に名を残すような偉人になるような魂達です。  大きな愛の精神は、人間に向いたり、社会に向いたり、自然に向いたり、発展に向いたり、調和に向いたり、全ての動植物に向いたり、全ての生き物の命に向いたり、地球全体に向いたりします。  大きな粒子である魂は、転生自体が非常に少ないです。

こうした色んな個性や能力を持つ粒子達が、それぞれ大きな水槽(大きな意識体)から、一滴の水(魂)として出ると、人間の肉体に入り、人間界(大霊界の中の一部である肉体を持つ世界)の中で、切磋琢磨しながら生き抜いたり、愛や正しさを心に持って、自分も他人をも幸せにしたり、社会の為に自分の力を発揮したり、大きな愛をもって人々を救い導くような大きな仕事をするという、それぞれの役目を果たそうと頑張っていくんです。

こうして、人間界でそれぞれの役割を果たしながら生き、そして肉体の死後、また肉体から抜け出た魂(一滴の水)は、大きな意識(大きな水槽)の元へ戻っていきます。  こういう事から、大きな水槽という大きな意識体=大霊界となり、これが輪廻転生というループで永遠の時間の中で繰り返されているという事です。 

今回は、以前、私が瞑想時に得た霊界情報の一部を、簡単な部分だけですが、お話してみました。 


今年も「ちょっと一言」を読んで下さり、大変ありがとうござましたm(__)m
また来年以降も、頑張って更新していきたいと思いますので、今後とも よろしくお願い致しますm(__)m

本年の仕事納めは28日です。

新年は、1月6日から始めます。

それでは皆様、お風邪などひかれませんように。 

良い年をお迎えくださいね〜(*^▽^*)


-2023年12月2日-

先月末は、「ちょっと一言」を書き始めていたんですが、何かと用事が立て込んで入ってしまい、月末の更新が出来ず すいませんでした。 

忙しい時は、日々のお祈りの時間すら取れない事もあります。 
そういう時は、神棚の前でパンパンと柏手を打って、お祈りが出来ない理由を伝えて、日々の感謝と今日一日の無事を祈願し、頭を下げて祈りの代わりとしています。 これだけで日々2時間かかるお祈りが、約1分程で終わります。 

毎日のお祈りが、2時間位掛かるのは、家の中にお祈りする場所が三か所あるのと、お経(真言等も含む)を唱える時間と、その後の目的別瞑想も含めての合計時間だからです。  目的別瞑想は、霊的な対処方法や、神仏との対話により新たな気付きを得たり、今後の方針を定めていくのに自分の中で必要であったりします。 

瞑想の中では、より深い祓い(末端の繋がりから根源を見つける時など)を必要とする時に、色んな霊域を広範囲で探りながら祓いをします。 海外の方の祓いをする時は、日本霊域の枠を飛び越えて、その国の霊域で良くない部分を見つけて祓います。

こういう事から、私的にはお祈りの時間を使って、神仏より色んな教えを受けたり、作業したりしていますので、ついつい時間が長くなってしまいがちですが、そう毎日、教えを受ける訳でもないので、時間の無い時は、お経を上げるのみで瞑想はせずに終わります。 

急な用事が入ったりして出掛けないといけない時や、緊急性の高い依頼が入ったりした時は、先に書いたように1分ほどで終わらせる日が続く時もありますが、それでも神様は、「先生も大変じゃな〜。わしらも手伝ってやるからな〜」と言ってくださいます。 

急いでる時は、お祈り後に、やる事が控えてるので、お経を唱える口調が、めっちゃ早口になってしまう時もあります。 後の事に気を取られると気持ち焦りますので、ただ唱えるだけの「気が入ってないお経」になってしまい、自己都合のお経になってしまいます。 

先ずは、自分の唱えるお経の調子が早まると、それを耳で聴いて自覚するので、お経を唱える最中に早まる気持ちを切り替えて、今やるべき事に専念しようと思い直し、気を入れ直して集中し直して唱えます。 それでも、お経の半分くらい後ですけどね。  私も、まだまだ気持ちの調整が出来てないなと感じる時でもあります。 
そんな時でも、神仏様からは何の催促をされる事もなく、こちらの事は見通しておられるので、無理な事は言われません。 逆に気遣って下さることの方が多いです。 

やる事やって落ち着いたら、ゆっくりと感謝のお経を唱えたりしています。  あっ、それと、お経には、先に書いた「感謝のお経」の他に、祈願のお経とか、自分や家族や先祖さまの為のお経や、祓いや浄化の為のお経、社会の為のお経などがあります。 それら、唱える相手に向けて方向性を変え、お経の真理を言葉の波動に乗せながら 唱える対象に伝えていくというやり方をしています。 お経には、良い波動が含まれているので、それを声に出して唱える際には、更にエネルギー補充や浄化の作用も含ませ、念の入れ方や作用を考えながら効果を高めて唱えています。 

あと、お経は唱える方向性を持たないと、ただスピーカーで漠然と鳴らしてるだけのものになりますので、その辺に居るかもしれない、お経を聴きたい霊を呼び寄せる事にもなります。  お経は、誰のために唱えるのか、何の目的で唱えるのか、お経に方向性を決めて唱えましょう。 そうした思いで唱える方が効果があります。

一般的には、お祈りをされる時、目の前に神仏様が立たれているというイメージを持って祈られると良いですよ。 そうすれば、適度な緊張状態で祈る事が出来ますよ。  その緊張状態は、素直な心から出るものなので、しっかりと本心で祈る事が出来ますよ。 

神仏様に対して、自分の思いや考えなどを発信する事(気持ちを伝えたり、お願いする事)は誰でも出来ますが、神仏様からのメッセージを受信をする事は、一般的には難しいと思われています。 
それも、神仏様から返事が来るはずがないと思っていれば、そうなります。 神様の声をイメージして、やり取りしてるイメージの瞑想をしてみると、心の扉が開きやすくなります。 

それを感じ取るには、本心で願い、その中で自分の出来る事をイメージしたり、そのイメージを神仏様に問いかけてみたりと、積極的な問いかけにより、自分の心の中では、自然と受信状態にもなってます。 
そして、思いを伝えて、それを自分なりの答えとして思い浮かべる事を繰り返していると、自分の考えのような感覚で、誰かの考えが降りて来る感覚があります。 

それは最初、自分で考えたように感じるのですが、祈りの回数を重ねていく内に、自分の知識の中に無い考えや、教え的なものが含まれている事に気付く事が増えてきます。  そうなってきた時に、何となく、この感覚は、神仏様と話したいという自分の願望が、そう思わせているのか?  また、自分の独りよがりで、そう思いたいだけなのか? という疑問を感じながらも、でも、これは自分の中に気付いて無かった部分、知らなかったが、始めからそうあるべきだと知っていたかのような、そういった感覚が大きくなってきます。 

そして、その自分に無かった考えに対して、また質問をしていくと、またその返事が、これまた自分の中に無かった教えの様なものが含めれてる事に驚く事もあります。 これが、神仏様や、指導して下さる守護霊様の言葉であったりするんですよ。  そうして、少しずつ、祈りの中で気付かされたりしながら、尊い教えの一端を受け取っていくんです。 また、正しい指導を受けるには、心の状態も見直す事も大事です。  素直な心で神仏様と向き合う姿勢をつくる事は、神仏様の指導を受け入れる心の準備を整える事です。 

こういった事に気を留めて、祈る姿勢と真理に沿った考えを基本に、祈りで受け取った感覚を自分のものにしながら、自分と向き合っていく事が大事です。 そうした自分の心に向き合い、気付きや、時に反省等も含めて、それらを自らの向上へと繋げ、 より高めていく事が、より高い世界に居られる神仏様の思い(心)にも向き合っていく事に繋がります。  神仏と向き合うという事は、あまり認識されていないと思いますが、自分と神仏に向き合う心を持つ事、そういう気持ちが湧いてくる事が大事です。   そうして自らの心から発した念いが、心の世界を通じて、神仏様の世界にまで届いていくんです。 今の状態から、より高いものを目指して努力していく心、それが真理で言う魂の向上であり、正当な実践方法です。 

「ちょっと一言」を読まれてる皆さんも、日々、神仏様と向き合って、気持ちを伝えて(心を通わせて)いれば、神仏様とは信頼関係が築けていますよ。 
日々、自分発信の一方通行の祈りの様に感じているかもしれませんが、神仏様は、あなたの心の中にお言葉を返されているんですよ。
先ずは、そういった思いを持って、普段のお祈りの質を高めていくと良いと思います。