ちょっと一言。
-2024年9月29日-
今日は朝から曇り空で、「ちょっと一言」を書き始めた14時位から小雨が降り出しました。
今月は、お彼岸月でもあったので、供養的な仕事をメインとして過ごしていました。
私は普段の生活の中で、昨日まで元気だったのに、今日になると急に身体が重く感じたり、痛みがあったり、息苦しい感覚がある時、何でだろう?と考えていると、テレビのニュースなどで、
何年か前に大きな災害のあった日や、その前日であったりする事が多いです。
大きな事故や災害などは、亡くなられた人の遺族や、亡くなった人の想いなどが大きな念の意識の塊となって意識エネルギーなので、そのエネルギーをキャッチして、自分の意識や体に変調が出やすくなります。 そうなると、その日は一日しんどくなるので、私を指導して下さる神仏様に力を貸して貰って、全体供養をしていく中で、遺族の方々や、亡くなられた魂達の気持ちが
少しでも楽になるように願いながら浄化をしていきます。
浄化の最中では、その災害などで亡くなられた人々の魂達に、真理の話(魂と肉体の関係や、この世への執着、生まれ変わり等)の話をして成仏への道を示し、過去の出来事に縛られ、その時点で固くなって前に進めなくなってしまった心に希望を与えながら和らげていきます。
全体を明るい光で包んだ状態で行っていくと、次第に一つ一つの魂に光が出だし、それらがフワッと軽い感じで浮き上がります。
そうして、全体供養をして楽な世界(淡く金色に光った空間)へ導くように上げてあげると、沢山の魂達が吸い込まれる様に上の方へ上がって行き、金色の空間の中に入って消えて行かれます。
それらを全部見届けると、それまで重かった身体が軽く楽になって、ようやく普段通りの身体の感覚に戻ります。
年月は経っていても、亡くなられた魂達の心には、まだまだ苦しい部分が深く残っているんだなと、何時もながらに感じます。
そうして、普段の生活の中でも、何かある度に、色んな供養や、浄化等をして過ごす事が日常です。 これらは霊的な存在からの依頼の様な感じです。
その合間(最近は仕事の依頼よりも、普段の浄化や祓いや供養が多いです)に、相談者さんからの依頼で、相談や供養や祓いの仕事が入るという感じです。
相談者さんからの依頼で行う供養や指導は、問題の解決から希望を見出したり、祓い等により苦しみから解放された対価として金銭を受け取り、私の生活を支えて頂いてるお陰で、
好きな仕事を続けていく事が出来ています。
霊界の魂達に向けてする供養や指導は、魂達が救われたと思う感謝の心が対価となって、私の心に積まれています。
どちらも、大変ありがたい事ですm(__)m これからも自分の使命をしっかり果たせる様に精進していこうと思います。
困った人を導く為の真理指導は、亡くなられた魂としても成仏の切っ掛けとして聞きたい事なので、私が相談者さんに向かって真理の話をしている時に、その人の後ろで人間の姿をした魂が聞いてたりします。
それで、私の話を聴いている人が理解が進んできても、後ろで聴いている魂が真理の話を理解できない時、頭では解ったような感じなのに、何故か心の部分(感情や考え方など)で、しっくりこない感覚があったりします。
それで暫く話を進めていくと、時間差で後ろの魂の理解が進んできて、「なるほどー! そういう事なんだ!」って魂の心が開いた時、それまで薄暗く見えていた魂の中から光が出始めて、
魂全体を明るく照らし出します。 これで、ある程度、自分の進むべき道が判ったようなので、先に上の世界へ上げてあげます。
そうすると、私の話を直接聞いていた人の心が急に開いたかのように、目を見開いて、「何か急に腑に落ちました!」って、急に悟ったようになられます。 ちょっとビックリします(^_^;)
それで、進むべき道が見えたので、真理の教えを基にしながら頑張ってみますという事になって、話が前向きにどんどん進んで行きます。
後ろに憑いてた霊が居なくなったので、我に返ったような感じで、元の元気な状態の気持ちに戻られて、表情も明るくなります。 心に明かりが点る(元気が出る)ので、表情も明るさが出ます。 あんなに、ぐずぐず言ってたのが何だったかのようです。
苦しい時は、同じ様な悩みを持つ魂が近くに居たり、先祖が助けを求めていたり、色んなパターンの霊的影響があったりするので、自分の気持ちが前向きになり難いとか、ネガティブ思考に引っ張られている感覚がある時などは、自分の思考パターンの偏りの部分を見直す事で気付きを得れば、その部分に引き寄せられていた霊を引き離す事も出来ます。 先ずは、あれ?おかしいぞ!って気付く事で、自覚は無いかも知れませんが半分くらいはマシになってます。 あと残り半分を引っ張りにくるので、そこを耐えつつ、真理の教えから気付きを進めて行けば、少しずつ楽な方へ進んで行けます。
霊界は、想いの世界なので、それぞれの魂ごとに持つ、一番強い想いと同通した世界へ導かれる様に赴きます。
今、自分の心の奥の重い記憶や辛い感情等があり、思い出す度に苦しければ、生きてる間に改善しておかないと、それらの想いは死後、霊界(意識の世界、心の世界)へ戻った時に全部、表に出て来ます。 そして、その想いの中で過ごさないといけなくなる可能性があります。 成仏してない魂は、こういった部分での執着が強いため、なかなか過去の気持ちが清算されてないので、未だに過去の世界の中に居て、その時代で苦しんでいるんです。
そういった事を、苦しんでる魂達に真理の教えとして伝えてあげると、今の現状から、考えを切り替えて貰えたりするので、やはり正しい知識は必要だと再認識する事が多く、生きてる時に学ばれた方は、何かの時に真理の教えを思い出す事が出来るので、幸いだと思います。
魂の心に残った想いは、生きていた時に世間の常識にとらわれ過ぎて、やりたい事をやれなかった後悔も多いです。
前回の「ちょっと一言」に書いた、「べき思考」も、その一つです。
こうあるべきとして、色んなものも我慢したり、色んな事を犠牲にして、自分なりに頑張って正しく生きたつもりでも、心の中では、やりたい事をやれなかった後悔の念が大きく残ってる事が多いんです。
世間の常識や、自分の中にある常識の「べき」に心の自由を囚われず、楽な自分で過ごすにはどうすれば良いかを考え、自由と理性のバランスを取って過ごしていきましょう。
世間の常識は、時代と共に変化していきます。
今まで常識は、新しい時代に入り、変化しつつあるので、新しい常識を取り入れる自由な心を持つ事も、これからの時代を楽に生きていく事に繋がります。
旧き良きものは残し、改善したり、新しいものを生み出し、それらを受け入れる柔軟な心でありましょう。
人間界でも霊界でも、過去の事で苦しむことが殆どです。 過去に縛られると、過去の記憶や感情や不満や憎しみから、ずっとその想いを引きずる事になるので、未来の自分を見つめて、前に進んで行きましょうね。
みんな、苦しい時はあります。 それぞれ、自分に合った苦しみが来るのが普通なので、乗り越えられない苦しみは来ないです。 途中で止めても良いんですよ。 途中で止めたらいけない!って、べき思考で思い込んで頑張り過ぎるから、潰れそうになるんです。 一旦、その考えを置いといて良いものなら置いときましょう。
乗り越えるためとして「一旦置いておく」、その意識を持つ事と、判断も必要です。 置いておけない人は、勇気が要りますね。
その考えを置くという事は、まだ改善していない部分があるので、その考えに固執してる内は、良い解決策が出ないという事です。 同じ角度で攻めてもダメな場合は、見る角度を変えましょう。 固執した角度から離れて、自由度を増した上で、新たな考えを見つけ出していく事で、何か動いて行けば良しという気持ちでいましょう。
そうしてる内に、力が付いてたりしますので、その時に置いておいたものに挑めば、意外と乗り越えたり出来るんですよ。
自分の中に楽を取り入れる心の柔軟さを養っていけば、自分の光で未来への道を照らしていけますよ。 あの世の人も、この世の人も、それぞれ新しい未来で生きてる自分をイメージして、その様になるには、過去に囚われず、新しい知識や感覚や考え方や価値観を取り入れる必要があると思っておくと良いですよ。
イメージの中で一早く未来人になれば、世界は、こんなにもゆっくり進んでるんだなと感じると思いますよ。 霊的に開けてる人は、神の視点を感じる事が出来るかも知れませんよ。
余談ですが、私は神様に聞いた時に、「もう直ぐです」と言われる事が多いですが、どれも、直ぐに叶った事は無いです。 神様の感覚が流れてくる時は、ホントに明日か明後日か、遅くても数日の様な感覚で降りて来るのですが、大体は数か月の日を要する事が多いです。 神様は、物凄く速いサイクルで動かれてるので、人間の動きは殆ど止まってる感じの様です。
人間が、瞬きしてる間に、お願い事の一仕事を終えて待ってる感じです。 それを人間が行うと、何十日、何か月と掛かる感じです。 なので、神様の言われる「もう直ぐ」は、私の中では、叶うけど結構時間の掛かる事だろうと思う様にしてます(^^;) 以前は、ワクワクして待ってましたが、忘れた頃に叶ってました(^^;)
-2024年9月16日-
9月に入っても暑い日が続いてますが、バテたりせずに元気にお過ごしでしょうか?
私の方は、体調が今一の感じが続いてましたが、少しずつ普通の状態に戻りつつあります。
そんなところで、今日は時間が空いたのと、体調もマシなので、ようやく「ちょっと一言」を書いてます。
私は色んな悩みの相談を受けている中で、世の中には、自分の幸せに繋がらない「べき」の思いを持つ人が多いんだなと思います。
それぞれ自分の中にある「べき」という思いに拘ると、後々の後悔にも繋がる事もあるので、あまり強く思い過ぎない事が大事です。
「べき」とは、「〜するべき」や「〜であるべき」、「こうであるべき」という、自分の中の理想的な正解をルール化した思いです。
これは、真面目な人や、完璧主義の人に多く見られる傾向で、常に自分が考える理想的な正解と照らし合わせて、それに合否を付けるような考え方になっています。
「べき」の思いは、それが正しいと思う心(正解思考)から出るものであり、そうでないものは間違いの様に感じているという心理が潜んでると思います。 これを「べき思考」と呼んでます。
この「べき思考」が絶対的ルールとなって自分に向けられると、自分の「べき思考」に自身が縛られてしまい、自分の中の理想のルールに対し、そうなっていない現実の自分とのギャップに悩んだり、落ち込んだりして、自分を駄目な人間と思ってしまう事もあります。
また、自分の中の「〜すべき」というルールを強く持つ人は、正しいと信じている思いを、自分だけでなく、周囲にも同じように絶対的ルールとして向ける傾向があり、自分の考えの中の
「べき思考」と照らし合わせて、それを基に相手の行動を批判したり、抑制するようにもなります。
また、自分の判断基準に自信を持っていて、その他の考え方がある事に耳を傾けられず、自分の正解が絶対であるという固定観念で通そうとするとするところに問題が起きやすいです。
そうして、相手の気持ちを思う事よりも、自分の中の正解を通す事を優先し過ぎてしまい、周囲との意見の相違から仲を悪くしてしまう事もあります。
相手は、自分の事を心配して意見してくれている場合でも、べき思考が強く出ていると、ついつい我を張ってしまい、貴重な意見も取り入れる事無く排除してしまったりします。
そうなると、多少の辛い事や我慢など、何とか自分一人で乗り越えるべき!という感じで、またまた「べき思考」が発動してしまい、独りで頑張り続ける事も多いです。
この様に、「べき思考」の強い人ほど、孤軍奮闘してしまう傾向にあります。
「べき思考」は正しさを追い求める傾向にあるので、何が正解なのかという事で物事を判断しがちです。
こうなると、自分が本当は何を求めているのか、何をしたいのか等といった心の声が聞こえなくなり、感情が置き去りにされてしまいます。
こういった本当の自分の心の声を聴かない様にして選択したものは、後々においても心の底から満たされるという事がとても難しくなります。
もし、自分の中にも「べき思考」があるなと思う部分があれば、そこに自分の人生にとってプラスになっているのか、マイナスに偏っているのか、俯瞰して考えてみる事が必要になってきます。
もし、マイナスになっているなと気付いても、全て捨ててしまう事は無いと思います。
それは、ある程度の「べき」は、その部分の思考が強かっただけの事でもあったりするので、それに気付けば、考え方の偏りの強い部分をもう少し穏やかに考えてみるという事で対処しても良いかと思います。 自分の中のルールを絶対的なものから、多少の融通は利かせられる位のものにしていくと、「なるほど、そういう意見もあるよね」と、相手の意見も取り入れてみようという心の余裕が持てます。
「べき思考」の良い点は、「〜すべき」というものは社会的に正しい場合も多いため、他人からの信用を得たり、大きな過ちを回避出来たりする事も多分にあります。
そうして、これまでの人生経験の中で、自分の支えとなっていた面もあると思います。
「べき」を上手く使って、自分の社会的地位を確立してきた人も多いと思います。
なので「べき思考」自体が悪い訳ではないですし、全て手放す必要もなく、拘りのルールに強く縛られる様になると、自分や他人を責めたりして人間関係に悪い影響を及ぼす事が、マイナス面としてあるという事を認識してもらえればと思います。 自分の心が辛くなったりしていないか、心の声を聴く余裕を持ちましょうね。
それから、今の現状としては、「〜であるべき、そうするべき」という、自分の中の固定観念化した狭い「べき思考」から、本来の「あるべき姿」を見つけるというような考え方を取り入れていくと良いと思います。 これは、「べき」に照らし合わせる考え方ではなく、何故そうなっているのか、どうしていけば良いのか、本来はどうあれば良いのか、というような視野を広げて考えてみる事で、
べき思考から離れた考え方が出来るようになってきます。
そうしていくと、これまで気付かなかった新しい考え方を見つけたり、もっと楽な考え方でも大丈夫なんだと気付いたりします。
これまでの自分縛りの考え方から、柔軟な考え方へ移行していくと、もっと自由で大きな視野で物事を見て判断していけます。
高い視点から、今の現状をみて判断していく事や、今の現状から高い視点へと考えを高めていく事も自由に出来るようになります。
心が縛られた思考に囚われず、自由な発想に思いが向きやすくなり、今の現状に色んな要素を取り込み、柔軟で、より発展性のある考えに気持ちを向けていけます。
そうすると、色んな考えの拘りから解放され、自分の中のルールに縛られない、楽な生き方に変わっていけると思いますよ。
「べき」は、その正解である部分があるがゆえに、拘りから執着にもなりやすいので、自分の中に、拘らない生き方というものを反対の部分として持っておくと良いですよ。
そうして時々、正解を追い求める自分、頑張り過ぎてる自分を緩めてあげると良いと思います。
これからの新しい時代の中を生きていくには、そういった意識改革も取り入れていく事も、生きやすさのポイントだと思います。
自分の心を楽にすると、自分にも他人にも優しくなれますし、見えなかった目の前の幸せも見えてきますよ(*^-^*)