ちょっと一言。
-2003年5月29日-
今日は、針の山でのお話です。
私が針を折りながら登った所が細い道の様になり、そこを一列になって罪人が笑顔で登って来るので、
下にいる鬼が「これでは修行にならん!」と言って怒っています。
私は、どうしたら良いのか分からず、「折れた針が元に戻らないかなぁ」と思ったところ、目の前で
今まで折れていた針が、全部元の状態に戻ってしまいました。 慌てたのは、今まで笑顔で登って来た
罪人達です。 自分達の足元の針が、急に元の状態に戻ったので、足やら尻やら、中には驚いてひっくり返った
時に、腹や背中に針が刺さった罪人もおりました。 そして、私に向かって怒りの文句を言いたいだけ
言っています。 私も、さっきまでは申し訳ないなと思っていましたが、悪言をいっぱい言ってきたので、
申し訳なさも無くなりました。 結局、針山を越えるのが修行なので仕方がないのです。
その様子を、先程から見ていた(私より先に登っていた)人が、「あなたは、この世界の修行者ではないな、
わしらが履けない鉄下駄も履いているじゃないか。」と言ってきました。
私は「はぁ」とだけ曖昧に答えた後、「どうしてこんな世界へ来たのですか?」と相手に問いかけると、
相手(中年の男性)は、「わしは以前に大きな店の番頭をしていたが、客や店の者にも、よく嘘をついて
お金を多く騙し取っていた。 店のお客などは、商品を店の売値より高く買わせて、その差額を番頭である
私が自分のものにしていた。 騙されて気付かない相手が悪いんであって、別に自分が悪いとは
思わなかった。 まあ、小さい頃からよく嘘をついて人を騙してばかりいた。」とこの様な事を言って
いました。 私は、ここの世界は生前に嘘を付いて人を騙してばかりいた人が来る地獄界なんだと
気付きました。 番頭であった男は、私に「その鉄下駄を貸してくれ。足が穴だらけになった」と
言うので、その男の足を見ると、直径5センチ程の尖った針が刺さって、針先が足の甲から突き出ています。
その足は血だらけで、乾いた所が、どす黒い血でまみれていました。 この針山は、針の長さが50センチ
位あり、体重が掛かると重みでより深く刺さっていくので、痛さで気絶している人もいます。
私は、番頭であった男に鉄下駄を貸してあげる事にしました。
この後、思いもしない事が起こりました。 次回も、この話の続きをお話します。
-2003年5月26日-
今日は、針の山地獄のお話をします。
これも、今から約10年程前に実際に見てきた、霊界体験のお話です。
それは暗く続く山々の先に、薄明かりの下で赤っぽく光る異様な雰囲気の山がありました。
私が、ゆっくりその山に近づいて行くと、丁度、お椀を逆さまにした様な丸い半円状の山でした。
そして、山の全体に大きな太い針や小さな針などが、びっしりと突き出ていました。
「この山を登るのか」と思っていると、先に登っている人がいます。
その下では、鬼が「早く登れ」と言って怒鳴っています。
仕方なくその人は、裸足で針の山を登っています。 登るたびに裸足の足に針が刺さっていき、
その度に全身がビクッと震え、その人は涙を流しています。
次の足を出し、また針が刺さり、もう片方の針の刺さった足を針から引き抜いて、また針に刺す。
こうして、一歩一歩、針の山を登って行くのです。 私は、その光景を山の下から見ていると、
さっきまで怒鳴っていた鬼が、「試しにお前も登ってみるか?」と聞いてきたので、何故か登ってみよう
という気になって「ハイ!」と言ってしまいました。 その後、やっぱり針が刺されば痛いよなぁ〜。
と思い、何か履物があればいいのに。と思って足元を見ると、鉄下駄がいつの間にか置いてあります。
その時は、まだ「霊界の法則」について、あまり詳しくは知らなかったので、念いが即、実体として
現れると言う事が解りませんでした。 私は、その鉄下駄を履いて、ゆっくりと針山へ登っていきました。
さすがに鉄下駄だけあって、踏んでも踏んでも針は折れて、足には刺さりません。
あまり私が針を折って登っているので、後から続く人達が蟻の行列の様に、折れた針の道を登ってきます。
山の下では、鬼が針を折るなと叫んでいます。 山の半分くらいまで針を折って登っていたようです。
その様にして、私は調子良く先に登っていた人のところに追いついてしまいました。
-2003年5月23日-
今日は、私が実際に見て来た地獄の様子についてお話します。
それは、エレベーターの様に暗い地下の世界へ降りて行く様な感覚で始まりました。
下降感覚が止まると、私は暗い世界の上空で浮いて止まっていました。
最初は、暗くて周囲の様子が判りませんでしたが、遠く向こうに時折、稲光の様に不気味に赤く光る空
が見え、その明かりで下に山が連なっているのが見えました。 そして暫くキョロキョロしている内に
目が慣れてきて、辺りの景色が少しづつ判り始めてきました。 足元を見ると、土は赤黒く建物も
無く、山は岩山の様で木々も無く、所々から火山にある様な煙が立ち昇っておりました。
私は、山の向こうに何があるのか興味があったので、空中をスーッと移動する感じで山の反対側へ周りました。
そこには、どろどろに熔けた火山の溶岩の中に、人間が放り込まれている情景がありました。
そして、よく見ると溶岩の溜め池の様な所に放り込まれた人は、顔や身体が溶けて中の骨が見えていました。
それでも、悲痛な叫び声を上げながら浮いたり沈んだりしていました。
その向こうに長い棒を持った大きな鬼の様な者が何人かおり、人を片手でつかみ石ころでも捨てる様に
、ポンポンと熱い溶岩の中に投げ入れています。 そして、上がろうとする人に向かって怒鳴りつけながら、
長い棒で溶けて骨の見えた頭や胸などを突いて沈めていました。
そしてある程度溶けて骨だけになると、つかみ出され焼けた地面に放り出されます。
そうやって何分かすると、また肉がつき皮膚が出来て元に戻ります。
この人達は、死んで魂の状態で、あの世(この場合は地獄)に来ているので、何をされても死なないのです。
魂は永遠の命である為に死なないので、地獄の苦しみが何十、何百年もの間続くのです。
その光景を見ている、次に自分が放り込まれるであろう人は、手を後ろ手に縛られています。 その人達の足元は裸足であり、溶岩の熱で
赤く焼けた石の上に立たされたり、座らされたりしていました。 元に戻った人達は、この列の最後に並ばされて、順番が来るとまた、
溶岩の池に放り込まれるといった具合です。
私は、これが地獄なんだと思い、もう見ているのが嫌になると、自己の意識の上のほうから
「よく見たか。 よく覚えて於けよ。 それでは上がって来い。」という声が聞こえ、上がろうと
する意識を持つと同時に、私の身体が上昇を始め、ついに明るい日の射す世界へと出ました。
これが、一つ目に見た地獄の様子です。 次回は、針の山の地獄のお話です。
-2003年5月20日-
今日は、大男との話についてお話します。
別室に通された私は、大男のさっきまでの応対や顔の表情が、今は全然違ったものになっているのに
驚きながら、私は「なんだぁ〜。この人は本当は結構優しいのかも?」と思いました。
そう思うと、さっきまでの緊張がほぐれて、自然と親しく話しやすい雰囲気に変わりました。
そして私は、帽子に「王」と書いてある意味を尋ねたところ、「お前も知っての通り、わしは仁王じゃ!」
と答えてくれました。 やっぱり仁王さんなんやと思っていると、「お前、さっきからずうっと
、その事を気にしておったじゃろう!」と言われ、さすがに人の心を見通す力があるんだなと思っていると、
「そうじや!」と、また言われてしまい、それなら、こそこそ考えずに思ったとおりの事を正直に言おうと
決めました。 「それでよし!」そう言って「仁王さん」は、あの怖い顔が崩れるほどの満面の笑みを
私に向けてくれました。 それから「仁王さん」は、私に「昔はこんなに多くの人間達が地獄に落ちんかった。」
と、少々の愚痴交じりで嘆いておられました。 そして急に、「お前、何か飲むか?」と聞いてこられたので、
「はぁ。」とだけ言うと、この世界には不釣合いな「缶コーヒー」が出てきました。
仁王さんは「最近は特に地獄へ行く奴が多くて、休憩もできん!」と不満そうに「缶コーヒー」を
一気飲みし、たて続けにもう一缶も一気飲みしてしまいました。 余程、疲れているんだなと思う私に、
「そうなんじゃ。」と答える「仁王さん」は、本当に気のいい親方のようでした。
そして「まだ勤務中なんでな、酒は飲めんのじゃ。」と少々がっかりした様にも見えました。
しかし、私の思った事に対して直ぐ答えてくるので、「喋る」という感覚は当てはまり難いと思います。
多分、意思疎通(テレパシイー)での会話の様なものであると思います。
そうする内に、他の役人が「そろそろお願いします。」と言って来たので、「仁王さん」は
「よし!わかった!」と言って立ち上がり、私に「今日はご苦労であった。 久しぶりに話が出来る奴と
会えて嬉しかった。 また来いよ。」と言って、別れ際に「わしも、話し相手が欲しいんでな」と言って、
また、あの壇上に上って行かれました。 以上で、このシリーズの話は終わりです。
この話は、今から10年以上前の、私の実際の体験をそのまま書いてみたものです。
次回は、地獄の様子の話です。
-2003年5月17日-
今日は、男の体験の最終回のお話です。
その後、地獄界へ行く前に、私が「壇上の偉い大男」と話たことを書きます。
私は、男の少し離れた所で見ていると、男に「お裁き」が下りました。
男は「これでは、天国等という所へは行けない。 自分の生前の思想や行いの悪かった点を、
もう一度反省したい。」と言って、後悔の念と他人への申し訳なさで、男はその場で泣き崩れ
ていました。 それを聞いて大男は、「よし、お前の過去の映像を見て自分自身の悪しき心が
よく解ったであろう。 これからは、お前の心に生前に刻み込まれた想いに見合った世界へ行く
であろう。 その世界でよく反省するがよい!」と、大男は男に言い渡しました。
そうして、周りに控えていた役人達にどこかに連れて行かれました。
私が、この男を見たのは、これが最後でした。 多分、男の悪しき想いに同通した世界(地獄界)
へ行ったと思われます。 そこで、しっかりと反省行を終えて、天上界の光の導きを受けて、天国へ
昇っていけばよいのです。 それまで、この男が苦しみのあまり自暴自棄にならずにいればいいのです。
地獄は何十、何百年も同じ苦しみを味わわされるので、何時しか自分の決心で来たのを忘れ、「誰々の
せいでこんな苦しい世界へ落とされた」と思い込むようになってしまう事があるのです。
地獄の苦しみを何百年間経験する事で、男の生前の罪が清算されていくのです。
ですから、地獄で何百年も苦しみたくなければ、この世で生きている間の数十年間を、人間として恥ず
かしくない様な生き方をすれば良いのです。 自己の悪しき心を、生きている内に少しでも反省する事です。
反省は死んでからでは遅いのです。
この後、私は「壇上の大男」と少しの間、話しをしました。
壇上から降りてきた大男は、私に「少し話でもしようか。」と言って、多分、大男の次の位であろう
役職の役人に、「後は、お前が話しを聞いておけ!」と言い渡して、大男は私を別室に通してくれました。
大男を初めて間近で見た私は、大男の被っている帽子の様なものに、「王」と書いてあるのに気付きました。
次回は、大男と別室での話しをします。 地獄の様子は、その次にお話します。
-2003年5月14日-
今日も前回の続きで、男の人生を見終わるまでの話です。
男は、これからスクリーンに映し出されるであろう事が、過去の記憶で思い出しながら
「あっ、もう直ぐあれをやるな。 あぁ、やっぱりやってる。 あれは相手にひどい事をしたな。」
と後悔しながら「なぜ、あの時思いとどまっておかなかったのか」と悔やんでいましたが、それで映像が
止まる訳でもなく、依然と男の悪事を映し出しています。 そして、男にひどい事をされた人が
会社を追われ、借金や生活苦に苦しみ、男を恨みながら死んでいった場面が映し出されると、男は
それ以上見ていられなくなり、壇上の大男を見上げると、さっきまで苦い顔をしていたのが、この場面を見て
、凄い怒りの表情になっていました。 男はこれで、「俺も地獄に真っ逆さまだな」と観念し、
やはり生きている内にもう少し善い事もしておけばよかったと思いました。
でも時折、そんな男にも人間らしい優しい場面が映し出されると、気が楽になります。
そして、男の周りにいる見物人が、その時ばかりは、今までの言っていた「やじ」を止め、
「少しは善いところがあるじゃないか。 それを続けてさえいれば良かったのに。」と言い、「でも
直ぐまた悪い事をするぞ」と言っています。 その後、見物人の言うとおり、また自分の利己主義的な
事を繰り返して、他人を物の様に扱っております。 結局、この男は、優しい両親の想いも届かずに
自分の利益のみに生きて来たひとであり、他人に対しての優しさなどは、この物質世界で生きて行くには
必要ないと考えていた感がありました。 そして、信仰心を持たず、神も仏もある筈がなく、人間は
死ねば終わりであると考え、生きている内に楽しもうという考えの人でありました。
その結果が、この様な所(あの世)で自分の人生を反省させられているのです。
人間には「魂」があります。 ですから、魂の出所である霊界へと帰っていくのは自然の事なのです。
次回は、地獄の様相について少しお話します。
-2003年5月11日-
今日は、男の人生がスクリーンに映し出される場面からお話します。
男が、スクリーンの正面に向かうと同時に、母親の胎内に宿る以前の、男のこの世での修行の
決意と希望の想いが映し出された時、男は自分の本当の使命を思い出しました。
その後、男の魂は母親の胎内に宿り、出産されました。
スクリーンの中には、その当時の両親の喜ぶ顔があり、一生懸命に我が子を育てる両親のもとで
、とても大切にされていた事が、男には痛いほど分かりました。
そして、幸せな気持ちと両親に対する感謝の念が男の心を満たしていきました。
それから、スクリーンの中では年齢を重ね小学校から中学、高校へと進む男の姿が映し出されて
いきました。 そして、社会人になり、世間的にも善くない事もしました。 それらがスクリーン
には過去の映像として、しっかり映し出されています。 男は、自分の覚えのある場面が来ると、
あぁ、もう直ぐ悪い事をする場面だなと思うと、しっかり悪い事をしでかしているのが映ります。
また、悪事は悪事を呼び、更に深い悪事へと、男を誘っていきます。
男は、もう悪い事をするのはやめようかと思いますが、一度染まった悪の色はなかなか落ちません。
その当時、男は自分一人で罪を犯し、悩んでいたと思っていましたが、男の両親も同じ様に息子の
行く末に対して悩み苦しんでおりました。 親は、どんなに自分の子供が悪かろうと、子に対する
愛情は変わりません。 しかも、子の悪事を自分の悪事の様に悩み、早く善なる道へ戻ってほしい。
その様に思っております。 しかし、男はその様な両親の悩みなど知る由も無く、悪事を重ねています。
この愚かな自分の行為を見て、男は両親に対しての申し訳なさで、胸が張り裂けそうでした。
しかし、スクリーンは、まだまだ男が他人に対して情け容赦の無い事をやってきた事が、これから
どんどん映し出されていくのです。 私は、この人は一体どこまで悪事を重ねるのか心配になりました。
これ以上、悪を重ねる事は、更に深い地獄へと落ちる可能性が出てくるからです。
次回は、この続きでスクリーンの映像が終了するまでのお話をします。
-2003年5月8日-
今日は、これから男の身に起こる事についてお話します。
前者のお裁きを見ていた男は、これから自分に起きるであろう事が、薄々分かり始めてきました。
それで男は、自分の名前が呼ばれるまで、これまでの人生を振り返ってみましたが、どう見ても
欲に絡んだものばかりが思い浮かばれます。 男は、「あぁ、死後に、こんな世界があるのなら、
少しは生き方を考えたのに」と思いましたが、やはり死んでからは遅すぎました。
そうしている内に、男の名前が呼ばれました。 男は、本殿の様な所の前まで来て、その壇上を
見上げると偉そうな大男が、真ん中に「どかっと」座っています。 そして、男に「そこで色々
と後悔しておったが、もう観念せい! 皆、ここへ来てから後悔したり、反省したりしとるが、
既に遅いのじゃ! そんな事は、生きている内にするもんじゃぞ!」と言い放ちました。
男は、ますます後悔の念が湧きましたが、もうどうする事も出来ないので、不安な気持ちのまま
大男の問いただしに答えていました。 男は、大男の質問に対して、ある程度正直に答えておりましたが、
途中から少しごまかしたり、嘘もつきながら答えておりました。 大男があまり反論してこないので、
少しは嘘をついても分からないだろうと思ったからでした。 その様にして、男の生前の思想や行いに
対しての質問が終わると、大男が、「それでは、お前が今ここで言った事が本当であるか見てみよう。」
と言いました。 そして、大男に「横を向け」と言われ、男が横を向くと、そこには大きな鏡の様な
スクリーンが、いつの間にか立っています。 大男は「これから、お前の先の答えが本当か、そのスクリーンに
お前の生前の行いや考えを映し出す。」と男に向かって言いました。 私は、前者のように、結局は
自分の人生を見せられていたのだから、ここへ来てまで嘘を付かなくてもいいのに。 と思いました。
そして、人間と言うものは、懲りない生き物だなーと、つくづく感じました。
次回は、男の人生がスクリーンに映し出される場面のお話です。
-2003年5月5日-
今日も前回に引き続いて、道の先に在るものについてお話します。
お婆さんに言われるままに道を歩いていた男は、やがて自分の進む道の先に、赤い大きな門が建っている
のを見つけます。 そして、自分一人で歩いて来たと思っていたところが、何人か別の人達も、
あらゆる方向から自分と同じ赤い門を目指して歩いて来ている事に気付きます。
そして、その大きな門の前まで来ると、既に何人かの人達が並んでいます。
男は、その列に加わり待っていると、後から来た人が「あなたは生前、何をしていた人ですか?」と
尋ねられ、男は自分の職業などをその人に話すと、相手は「あぁ、そうですか、私なんか結構、悪どく
商売をやっていましてね、あまりいい所へ行けそうにもないですなー。」と、少々観念した様な口調で
言ってきました。 男は、どうやらこの大きな門の中では、生前の行い等に対して何らかの裁きが
行われる様だなと感じはじめるのです。 そうしている内に、男の順番が回ってきました。
男の目の前で、大きな赤門が開かれ、門番の人に中に入るように促されるまま、男は門をくぐりました。
そこには、一番偉いと思われる大きな男の人が、神社の本殿の様な所の壇上に座っています。
そして、その下には、先に入った人が大きな鏡の様なスクリーンの前で、うずくまって泣いていました。
しばらくして、その人が「自分の生前の思想や行いは、決して善きものではなかった。 これでは、
自分は天国へはいけません。 しっかりと反省してきます。」と言うと、一番偉い大男が「そうか、
お前は生前、この様な過ちを多く犯していたので、こっちの世界で反省するがよい。」と言うと、
周りに控えていた役人の様な人が、この人を連れて行きました。 この光景は、後から体験する人に
わざと見せているようです。 私は、これは昔から言われる「仁王さん」の、お裁きの様だなと思いました。
次回は、男の身に起こる、お裁きについてお話します。
-2003年5月3日-
今日は、前回に引き続き、三途の川を渡ってからについてお話します。
男性が川で溺れかけ、ずぶ濡れになりながら、ようやく向こう岸まで渡り終えると、それらの人を
待ち構えている者がおります。 それは、一本の木の横で焚き火をしている、一人のお婆さんで
あります。 そして、ずぶ濡れになった男の人は、これからどこへ行ったら良いのか分からずにいます。
しかし、まずその前に、自分の濡れた服を乾かして貰おうと、焚き火をしているお婆さんの方へ歩いて
行きます。 お婆さんは、「こっちへおいで。服を乾かしてあげよう。」と言って、男の服を乾かす為に
横の木の枝に引っ掛けます。 すると、木の枝が折れそうな位ぐにゃ〜っと曲がって、お婆さんが「ニヤッ」と
笑って言います。 「お前は生前、あまり善くない人生を送ったようだね。」 お前の行く道は、
ここを右に曲がって真っ直ぐ行きなさい。 と、男に告げて、また何も無かったように焚き火を
しています。 このお婆さんは、水に濡れた服の重さで、この男の心に残った執着を量っているのです。
(当然、木の枝がきつく曲がるほど、その人の持つ罪の重さや、執着が大きいと言う事です。)
こうしてお婆さんは、一人づつの行き先案内人役を勤めているのです。 こうして男の人は、お婆さんに言われた通りの道を、
進んで行きます。 これが、人それぞれの行く世界に続く道にもなるのです。
この男の人は、木の枝が結構きつく曲がったので、罪人や欲の亡者が集まる場所へと続く道を行くでしょう。
私は、このお婆さんに興味があったので、話しかけたところ、「お前さんは、まだ死んでいないので、
ここへ来ても仕方ないよ。 死んでからおいで。 でも、お前さんは死んでも、ここには
来ないだろうけどね。」と言われました。 そして、「見学が終わったら早く帰っておくれ。」と
言われたので、これ位にして、この場所を離れました。 次回は、この道の先に、自己の一生を
見せられる場所が在るという話をします。