ちょっと一言。
-2004年5月30日-
今日は、「諸行無常」についてのお話です。
「諸行無常」という言葉は、皆さんも何処かで一度位は聞いたことがある言葉だと思います。
それは、仏教の教えの中で「三法印」という三つの教えがありますが、その教えの中の一つであり、
時間的無常を説いた教えであります。 これの他に、「諸法無我」と「涅槃寂静」という
二つの教えを含めて、「三法印」の教えと言います。
「諸行無常」は、最初に教わる法印であり、これは特別に修行して悟っていなくとも、
理解し易いものであります。 それは、時間的無常という教えは、時間の中で生きている我々に
とっては、まだ理解し易く、この世に展開される諸々の出来事や物質、想いなどもまた、常なるものは無しと
いという事が、潜在的に理解できるからです。 時間が流れ去っていく中では、今は親子であっても時間とともに
親は親でなくなり、子も何時までも子ではなくなり、大事にしていた新車も時とともに古くなってしまう。
永遠の時の流れの中では、何時までも同じ様態のまま、新しいままではないのです。
しかし、人間は固定化されたものや、形ある物に値打ちを付けて執着しがちですが、変転していく人生の
中においては、あまりそれらに執らわれすぎると、それらが執着となってしまい、生きていく中で「苦」が心の
中に生じてきます。 特に、肉体の死後、魂だけの状態になって霊界へ還ろうとする時に、
その心に残っている執着(高価な物、財産、地位や名誉、残された家族や恋人への想い等)が
取れないと、それらが心の錘となって成仏を妨げる結果となってしまいます。
ですから、「諸行無常」というのは、全ての諸事情は流れさって行くものであり、その流れ去るものに
何時までも心を奪われ、止めておいてはいけないという事を知る事です。 この世のどんな物も、
永遠に自分の物では無くなるのです。 そうして、この世的な価値の物から心の執着を取りやすくする事です。
これが、解るだけでも随分と心が楽になるはずです。 この心の教えが解らないから、死んでから三途の川で、
お金や地位などに価値を置いている人が、その重みで溺れそうになって、慌ててお金や肩書き等を投げ捨てるから、
川の底にはキラキラと光るお金や、様々な肩書き等が沈んでいるのです。 この世的な価値から抜け出せない人が、
最後に捨てるのが執着です。 この教えは、時間という流れの中で、様々に変転していく人生の中で、
自分を見失わず、どの様に自分を見出していくかにあります。
その神理を、その真実を、しっかりと心に留めて人生を歩んでいってほしいと思います。
-2004年5月24日-
今日は、霊が家に棲みついている時に、影響の出易い場所(部屋など)や、棲み易い場所等を
説明していこうと思います。 もし、家に何かの霊が棲みついている場合、影響の出易い部屋は、
東北(表鬼門)の方向から南西(裏鬼門)の方向にかけて該当する部屋に多く現れます。
また、その線上にかかる部屋の場所や、その近辺に嫌な感じのする所があれば、その辺りは霊の通り道
である可能性があります。 部屋の照明も、点けているのに何故か暗く感じます。
これも、部屋にいる霊の想念体が部屋を覆っているので、
何となく電灯のワット数の割りには明るく感じないという事があるのです。 あと、部屋の中でいうと、
部屋の四隅の何処かに霊は「じぃ〜っと」していて、そこから、その部屋にいる人間を見ています。
この世に出るような霊は、その習性として暗い所や、隅っこや、汚れて汚い所、あまり使わなくて
人の出入りの少ない場所などを、自分の場所としている事があります。
そして、そこから家中の色んなところをぐるぐると徘徊します。 また、霊の性質として、壁や物等は
通り抜けてしまいますので、壁から出てきた霊がそのままスーッと移動していって、向かいの押入れや
壁等に消えていくという事もよくあります。 トイレやその周りなんかも、霊のよく出る場所ですね。
ですから、トイレは何時も綺麗に明るくしておけば、霊は自然と寄り付けなくなります。
この様に、家の中も明るくスッキリとさせておくと、霊は段々棲みにくくなってきて、その内に居なくなって
いきます。 この場合、そこに住む人間達の心も、じめじめとした心や他人を悪く言う癖、自分の利益
ばかり考える心、人の意見をあまり聞かない、何事もマイナス思考で考えてしまう等、この様な性質を
改善していかない限り、家の中を明るく綺麗にしても、霊達は出て行きません。
何故なら、そこに住む人間の心の内の良くない部分が、地獄で迷える霊達の出す波動と共感してしまう為
に、知らず知らずに霊を引き止めてしまっているのです。 この事に気付かない内は、霊障害も治まりませんし、
家の中がスッキリとした感じにはなりにくいものです。 迷える霊は、心も暗くてマイナス思考ですので、
その様な心に同通しないようにする事が大事です。 その為には、自分の心の持ち方を、反省する
ところがあれば反省し、それによって明るく前向きで、正しい考えを持つ様にする事です。
私は、家に棲む霊を取り除く事が出来ますが、その後の家族の心が明るく前向きに、正しい方向へと
向けて生活しなければ、また何処からかの出先で霊を憑けて、家に持ち帰るという事を繰り返す可能性が
あるので、気をつけなければなりません。
-2004年5月20日-
今日は前回に引き続き、あの世での生まれ変わりについてのお話です。
あの世で魂の成長と発展を遂げていくという生活にも慣れ、もうこれ以上の進展は
望めないと判断された時や、本人があの世で反省した事を、生まれ変わった時に
活かし、新たに人生をやり直そうと決意した時などに、生まれ変わりの手続きを取ります。
これは、霊界の次元によってやり方が少し違ってきます。
次元(魂の認識度による世界観)の段階が低い場合の生まれ変わりは、指導役の霊人に付き添われて、
生まれ変わり専用の場所(この場所も次元によって違います)へ連れて行かれます。
そして、自分の想いに同通する様な人間の家庭を探し、本人(魂)の了解の上に、地上にいるお母さんの
お腹の中の胎児の魂として宿ります。 この時(霊界から人間界へ降りて来る時)は、肉体の死後、
この世からあの世へと戻って行く時の様に、覚悟と踏ん切りが必要になります。 これは、
高い所(霊界)から、地面(この世である地上世界)へ飛び降りるという、その位の覚悟と勇気が
必要になります。 その位の経験を経て、この世に生まれ出てきます。
また、霊界も次元が高くなると、生まれ変わりについても、ある程度の決め事が出来ます。
例えば、生まれ変わり先の両親をある程度、どの様な家庭であるのか、貧乏であるのか裕福な家庭
であるのか、そこで育つ自分はどの様な使命を持って、どの様な人生を送ろうとするのか等を希望して、
それに見合う家庭に生まれる事が出来るのです。 この様に、霊界に住む次元も高くなると、
しっかりとした計画を持って生まれ出てきますので、そう的外れな人生を送って失敗するという事が、
自然と少なくなってきます。 でも、霊界にいた時の魂の状態では解っていた事が、この世に
生まれ出た時には潜在意識の中に隠されてしまい、思い出せなくなってしまうので、自分が
どの様な霊界にいたのか、どんな使命を持ってこの世に生まれ出たのか等は、思い出せないで
いるのです。 これが、現在の私達人間の状態であります。 このサイクルを永遠と繰り返しながら、
私達は魂修行をしているのです。 現在は過去からの繋がりの上に成り立ち、未来は現在の延長線上に
展開します。 これは、魂的に見ると「永遠の生命」と言う事が出来るでしょう。
-2004年5月16日-
今日は、生まれ変わり「転生輪廻」についてお話します。
人間の魂が、あの世(霊界)から、この世へと生まれ変わり、肉体の死後、またあの世へと
戻っていく、この繰り返し(生まれ変わりのサイクル)を「転生輪廻」といいます。
人間は皆、それぞれに肉体の中に「魂」を持った存在であります。 それは「この世」という
三次元世界(物質界)で、四次元以降の意識体である「魂」のままでは、肉体を持っての活動(修行)
は出来ないのです。 それで、お母さんのお腹にいる胎児の身体に魂が入り込み、出産後に赤ちゃんとして
この世に出て、それぞれの人生を送っています。 そうして幾十年の人生の歩みの後、肉体は老化して
死を向かえます。 その時に魂は肉体を抜け出て霊界へ還って行きます。 この様に、今生きている
私達も、肉体の死後には「魂」として自分で霊界へと還っていかなければなりません。
そして霊界へ還った後、生前の自分の行いや思想の悪かった点を反省し、心の浄化を目指して新たな
修行に入っていきます。 この反省が、人によって千差万別であり、反省点(心のマイナス点)が
多いほど、地獄などの世界でじっくりと苦しみながら反省させられます。 それは、自分の行いや考え
などの悪かった事に気付き、心から反省し、今後の正しい自己のあり方に気付くまで続けられます。
また、生前に少々の悪い事をしたが、生きている内に反省して、残りの人生を善い人で過ごした人や、
そう他人にも迷惑をかけず、人なりの人生を生きた人達などは、成仏した人の世界である「幽界」や
「精霊界」などで、心の浄化を目指しての修行に入ります。 これらの世界は、この世の世界と
よく似ており、建物もありますし、仕事もしております。 少し違うのは、色んな時代の人達が
同じ世界にごっちゃになって住んでいることです。 その上には上位霊界があり、霊界での心の修行や、
生前の行いや考えの良かった人達の善い魂が集まった世界があります。 これらの世界で、心の修行を
行い、正しい考え方が身に付いた人が、「それでは、自分の前世での過ちを克服する為に、もう一度生まれ
変わって人生をやり直そう」そう決めた人が、霊界からこの世に生まれ変わってくるのです。
この間、一般的な人の魂で二百年位かかります。 もっと早い人もおりますが、もっと遅い人もおります。
全て、心の修行次第、自分が生まれ変わりたいという想い次第です。 案外、霊界は楽しくて住み良い世界
なので、長く居たいと思う人も少なくないです。 でも、生まれ変わりの審査があります。
この辺は、次回にお話したいと思います。
-2004年5月13日-
今日は、私の所で相談者の皆さんが、どの様な感じでお話されているのか、
また、除霊はどの様に行われるのかという基本的な質問についてお話します。
まず、相談依頼をメールや電話で受け、日時が決まったら、当日は南草津駅(家から約1.5キロ)
まで車でお迎えに上がります。 私の所は、自宅の一軒家でやっていますので、お寺や教会等を
想像して来られると、がっかりされるかも知れませんね。 家では、相談部屋に入ってもらいます。
ここで、私と一対一で色々とお話する事になります。 相談部屋といっても普通の居間ですから、
私の所に来たお友達として、相談に乗るといった感じですね。 皆さん最初は緊張されますが、
30分、1時間とお話しする内に、悩みが笑い話に変わってしまって、悩みじゃなくなっていたりします。
それは、しっかりと悩みの対処方法を教える為に、自分に自信と希望が出て来るためです。
これが、悩みを悩みとして考えなくする秘訣です。
その横に神棚がある部屋がありますが、ここが除霊や御祈祷をする部屋になります。
ここでは、悩みの元になる霊的作用が働いている場合、浄霊や祈祷を行い、悩みの根源を絶ちます。
経文を唱える場合もありますし、相談者の人と対話しながら霊障害を取り除いて行く場合もあります。
時間も、短い人で10分程度で終わります。 浄霊の平均時間は15〜20分位です。
霊障害が取れた時は、身体が軽くなったとか、視界が明るくなった等の自己感覚がありますから、
皆さんビックリされ、納得されてます。 終了後は、皆さんの顔が明るくなっています。 これは、
霊障害が取れて、自分のオーラの光が強くなった為に、そう見えるのです。
また当日は、じゅうぶん時間を取ってありますので、お好きなだけお話下さい。
皆さん大体、2〜3時間は話されますし、気分が落ち着くと言って、長居される方が多いですよ。
相談者の話の内容は、自分の家族や友人、ご先祖や自分の過去の事など多種多様に話されます。
それは、相談者の疑問が私の答えでどんどん解けて来るので、あれもこれもと質問されるからです。
それで今迄分からなかった事や、自分の考えの正誤がはっきりと確認出来ていきます。
それから、これからの考え方の指導に入っていきます。 案外、皆さんマイナス思考を
知らず知らずに持っている事に気が付いていません。 取り越し苦労や、不安だから薬を飲む等という事は、
考えの中の先にあるものが、良くない事(叱られるとか、病気になるとか、全て悪い事が起きる)という
前提のうえで物事を考えて行動しています。 これでは、頭の中にあるものは、良くない事に向かっての
不安と焦りなどの念しか出てきません。 念頭に考える事がマイナス思考なら、あなたはマイナスの
人生に向かって進んでいるとしかいえません。 これを、プラスの思考に変える必要があるのです。
相談は、これからの事についてのアドバイスや、真理指導を含めて色んな角度からの対処法や、
心の持ち方を指導していきます。 また、私の本の内容について質問されたりしますよ。
相談される方の年齢も、高校生からお年寄りまで幅広いですよ。 最近は、若い女性の方が多いですね。
「最初は、神霊なんて聞くと何だか怖い印象があったけど、来てみると楽しくなって、お友達感覚でお話してしまいました」
その様な事を言われる方が多いのも特徴ですね。 多分、悩みが薄れて自信と希望が出てきた為に、
気分が楽になってそう感じるんでしょうね。 まあ、こんな感じで毎日やってます。
-2004年5月8日-
皆様、長らくお待たせしました。 ゴールデンウイーク中は忙しくて、
ちょっと一言を書く間がありませんでした。 また、明日以降も出張等が
続きますので、頑張って今日書き上げる事にしました。
本日は、守護霊についてお話します。
守護霊というのは、一人の人間に必ず一人の守護霊がついており、その人間を
様々な困難や災難から護ってくれる役割や、人間として正しい生き方を
指導していくという役割があります。
私達が普段の生活の中で、悩み事や新たな事に向かって挑戦している時などに、フッと
良い考えや希望が持てる様な考えが浮かぶ時があると思います。 また、外出先などで
事故や危うい事に巻き込まれそうになった時に、未然に防いでくれたり、大難を小難に
まで抑えてくれたりします。 「もうちょっと何々していたら危なかった」と
思える時などは、大抵は自分の守護霊のお蔭である事が多いのです。
これらの事は、人間である私達の方が、その様な守護霊の働きに気付く事が少ない為に、
助けてもらったという感情が持てない事が多いのです。 その為に、守護霊に対しての感謝の
念も持てずにいます。 守護霊の方も、その様な事は既に承知していますので、いちいち
自分に感謝しろとは言いません。 それでも、真理を学んでいる人は、その様な道理が解るので、
危機や災難を防ぐ事が出来たのは、自分の対応が良かったので切り抜けられたとは思わず、
上手くいったのは自分を応援してくれている守護霊の、自分に対する良き指導のお蔭と感謝します。
そして守護霊の指導に対して、上手く感応(対応)出来た自分にも自信がつき、益々守護霊との
良き交流が増えてくるのです。
そうする事で、守護霊の方も感謝されないより、感謝される方が気分が良いに決まっていますし、
今後もまた何かあれば護ってやろうという気持ちが大きくなります。 そうして、次第に守護霊と
自分との係わり合い(意識の通じ合い)が、太く大きくなってきます。
そうの様な人は、勉強でも事業でも、運(勝負運、金運、恋愛運など)を伴う事でも、
守護霊の大きなバックアップが期待出来るので、何かにつけて自分以外の力(他人の助け、援助など)も
加わって、大きな仕事が出来るのです。
そして信仰心を持ち、神仏を敬い正しい道を歩まんとする者には、守護霊を通して指導霊という
もう一段高い霊格を持つ、「神」という存在の指導も受ける事が出来るのです。
この世で、大事業家や多くの人を導く仕事などをしている人は、大抵は指導霊と言われる神の位の
力を教授してもらっていますので、大発展されるのです。
この様に守護霊は、いつも皆を見守ってくれているのと
いう事を忘れないでいてほしいと思います。