ちょっと一言。
-2003年8月31日-
今日は、白菊大神様という稲荷の神様と、霊界で魚釣りをしたお話をします。
白菊様は稲荷の年寄りの神様で、ゆっくり、のんびりと魚を釣るのが好きです。
それで、今度一緒に海釣りでもしようかという事になったので、数日前に竜宮界
で魚釣りをしてきました。 白菊様の釣りのスタイルは、浦島太郎の様な格好でしたので、
私は今時、こんな格好をしなくてもと思っていたら、「お前もそうしなさい」と言われ、まあ
神様の言う事だから仕方ないかと思った瞬間、もう同じ様な格好になっていました。
「うん、よしよし」と満足そうな白菊様です。 私は、この様に何でも思った瞬間に、
姿かたちが変わる事に慣れましたが、以前は、やはり現実的に違和感もありました。
まだ、衣装を出されて、自分で服を着て終了というこの世的動作が全く無く、「服を着る」と
思った瞬間に着ていた。という感じです。 そして、「あっそうだ、釣り竿が無いな」と、また
思った瞬間には既に手に釣竿を握っています。 全てがこんな感じで物事が進んでいきます。
そうして、準備が整うと白菊様は、「それでは、良い所に連れて行ってやるわい」と言われた瞬間、
神様と私の二人は、浦島太郎の格好で高い崖の上に立っていました。 そこは、目の前一面に大海原が
広がっていて、日の光に照らされて海面が青くキラキラ輝いておりました。
と言うより、海自体が輝いているようでした。 そして、波飛沫が風にあおられて金色に輝いて
おりました。 霊界の風景や建物、また次元によっては、その場(空間自体)が光の様に輝いている
所もあります。 全て、この世にある物と変わりない形であるが、そのもの自体が光っているのには
驚きます。 まあ、こうして、白菊様と私は二人並んで釣りを始めました。
今日は、ここまでにします。 次回は、この続きで魚を釣るところまでお話します。
-2003年8月28日-
今日は、人間は皆、あの世からの生まれ変わりであるというお話しです。
人間は、あの世といわれる世界(霊界)から魂として、この世の人間の肉体に
入り、人生修業(魂修業)をしに来たのであります。
ですから、人間に前世があるのはこの為です。 肉体は死後、焼かれて無くなっても、人間の
魂はあの世(霊界)へ還り、何百年後に、またこの世に生まれ変わってきますので、
今、生きて存在しているという事は、私達はそれぞれに前世を持った存在であるという事です。
こうして、このサイクルが過去から延々と続いているのです。
また、私達は日本人ですが、あなたの前世は日本人ではないかも知れません。 例えば、
日本人は、日本の国ばかり生まれ変わっているわけでもなく、アメリカや中国、インドやヨーロッパ
等の諸外国で生きていた魂が、今の日本に生まれ変わって来ているかも知れないのです。
そういう可能性があるという事です。 これらの魂の生まれ変わりを「転生輪廻」といい、仏教を
志す人達には、馴染みのある言葉ではないかと思います。
皆さんの中にも、自分の前世を少しは覚えている、または霊能者に観てもらった。 などという人も
居られると思います。 また、自分は過去に、こういう場所に住んでいた様な気がする、という人も
居られるでしょう。 それらは、自分の潜在意識の奥深くに秘められている前世の記憶を、少し思い出した
ものであり、誰もが
自由に見たり、思い出したりする訳ではありません。 だから、その様な話は、嘘かデタラメであると
言われてしまうのです。 霊界を信じない人は、結局、自分が死んでから、信じていなかった
霊界に於いて、どうしたらよいのか解らずに、一人ぼっちで苦しんでいるのです。
その様な人は、霊界の中に於いて、自分の間違いに気付くまで、何も無い暗い世界で悩んでいます。
霊界は、念いが現実になる世界ですから、霊界が無いと思えば自分の周りには、ただの暗黒空間があるのみ
です。 明るい、魂の世界が在ると思えば、その様になるのに、霊界を否定していますから、そうなりません。
当然の事ながら、自分が過ちを認めなければ助かりません。 霊界とはそういう所です。
-2003年8月25日-
今日は、悪霊と言われる霊についてお話します。
悪霊も、何も自分から進んで悪霊になった訳ではありません。
そして、最初から悪霊になろうと思っていた訳でもありません。
人生の中で過ちを犯し、心が悪の方向へ傾いたまま、どうしたら良いのか解らない霊
なのです。 迷っているのです。 悩んで、苦しくて、どうしたら良いのか解らず、
自分の不満を他人に聞いてほしくて憑依したり、自分と同じ立場に誘い込もうとします。
結局、迷っているから色々な事をしでかすのです。
駄々っ子なのです。 霊的に、成人していないのです。 やって良い事と悪い事が、
自分の中で判断出来ないでいるのです。 怒りや、憎しみや、数々の欲望が、正常な
判断を狂わせているのです。 元々、悪霊と言われる者も、もとは普通の人間であった
訳で、初めから悪人ではありません。 ですから、私は悪霊に対して悪者とは思いません。
ちゃんと、神理を説いてあげれば、はっ!と気付いてくれます。
あぁーそうなんだ!と気付いたそれまでの悪霊の怖い顔が、段々普通の人間の顔に
戻ってきます。 そして、自分の過ちを詫び、反省し出します。 また、頑張って
私に抵抗してくる霊もありますが、そこは教導の怒りをもって強く指導します。
私は、いつも神と共にあります。 その光の霊力の前では、抵抗する霊も長くは持ちません。
その後、ゆっくり説教し自己の過ちを思い出させ、執着を取り去るよう説得していきます。
この様にして、一時だけ「悪」という病に侵された為に、苦しんでいる霊を救う為に、今の
私があります。 悪霊も改心して、本来の心の輝きを取り戻せば、普通の人の霊の様に
天国へ戻れるのです。 神は、悪霊達に早くその事をわかってほしいのです。
そして、皆が楽しく笑い合える、明るい世界で共に過ごせる事を常に願っておられるのです。
-2003年8月22日-
あれ〜? 一日、間隔が開いてる! これまで3日毎に更新してたのに。
最近は、神理の本を出版する為に、自分の原稿を手直したりで、「ちょい書きの
更新をするのを忘れていました。 それで、今日は自宅前で花火をしている時、
携帯のカメラで撮った画像に、先祖の霊がたくさん写っていた事の話をします。
それは、花火の光が白っぽく光って写っている横に、赤い人間大の光が写っていました。
よく見ると、その中に着物を着た女の子が写っています。 これ、誰だろう? と話していると
「先生ー! わたしやん! わ・た・し!」と、いきなり妹の口を借りて女の子の霊が出て来ました。
「今日は、皆で楽しく花火をしてるから、私、出て来ちゃった!」と、すっごく楽しそうに言います。
そして、「先生、ほら見て! だんだん私の姿が、はっきり浮き出て来たでしょ!」と言いますので、
もう一度よく見てみると、先程より鮮明な輪郭で浮き上がってきていて、誰が見ても解るほどに
なっています。 「ほらね。ちゃんと見えたでしょ! でも私が帰ったら、段々薄くなって見えなくなるよ。」
と言っていました。 この後、さんざん自分の話をして、スキップしながら帰って行きました。
そして、今日の朝、もう一度、画像を見てみると、赤っぽい光の中にモヤっとしたものがあるだけで、
何か解らなくなっていました。 今日、初めて見た人には、解らないだろうと思います。
あと、私の頭の上に背丈の半分ほどの、ロウソクのような形の光が噴出していました。
その火の上に、顔が浮んでいました。 これには、「お兄ちゃんの頭が火を噴いてるー!」と
家族中に笑われました。 こんな感じで、我が家の心霊写真騒動は、すっごく楽しいものに
なりました。 (追加):あまり、霊はむやみに写真などに写ってはいけないそうです。
と、女の子は言っていました。 今日は、神様に許してもらって特別に写ったそうです。
今後は、もうしないそうです。 霊の世界にも、その様な決まりがあるようです。
-2003年8月18日-
今日は、お盆も終わり、また明日からお仕事を始められる人も多いと思います。
皆さん、これまでのお盆シリーズに書いた事を見て、参考になりましたでしょうか?
お盆に、あの世からかえってこられる霊達の心情や、各家庭での霊なりの過ごし方が
多少なりとも理解していただければ嬉しいですし、これからの生活にも役立つと思います。
また、残念ながら自分の御先祖は、これまでの文章を読んで判断すると、あまり良い所へ逝って
ないなと思われた場合は、今からでも遅くは無いので、十分に御先祖供養をしてあげた方が良いでしょう。
そして、早く天国の明るい場所へ連れて行ってあげましょう。
そうすれば、暗い世界で長い時間を反省のために過ごす事無く、明るい世界で自分や皆の為に
時間を使う事が出来るのです。 それが、天国の住人の時間の使い方なのです。
そうして人間は、輪廻のサイクルに乗って来世に転生(生まれ変わる事)をする事が出来るのです。
これが、仏教用語で「転生輪廻」と言われるものです。 人間は、この世で人生修業をして、自己の
魂を磨き、あの世に帰っても数百年間、霊界で暮らす中で神理の学習や霊界の法則などを学びます。
こうして人それぞれに、ある時期が来ると、またこの世に転生してくるのです。
しかし、今尚、暗い所にいる霊は、この転生輪廻のサイクルに乗れないので、生まれ変わっても
来れないのです。 これは、その人の魂にとっても、大変なマイナス条件なのです。
人間は、進歩発展していくものでありながら、暗い所でずっと時間を過ごしていては、魂的には後退
している様なものです。 しかし、自己の反省による努力と、子孫の供養のお蔭で、天国に上がる事が
出来たのなら、もう一度天国でしっかり学べば、輪廻のサイクルに乗る事が出来るのです。
これがちゃんと出来ているから、私達は今、この世に生まれて来ているのです。
私達は、偶然ではなく、霊的必然性によって生まれて来たのです。 ですから、この世に生まれたという事は、
とても幸せな事なのです。 「生まれて来た事を幸せに思え」と言われる意味は、こういう深い意味も
あるのだと私は思うのです。
-2003年8月15日-
今日は、お盆も半分を過ぎましたが、まだお盆休み中という家庭が多いと思います。
皆様の御家庭でも、お仏壇があれば御先祖達が皆さんの家族と一緒に生活しています。
霊感の無い人には解り難いかも知れませんが、皆で話している時や、食事をしている時、
テレビを見ている時や寝ている時など、生きていた時の様に家の中で暮らしています。
そして、久しぶりに見た家族や子孫などの生活が、幸せで安定した生活を送っておれば、
御先祖も安心して楽しくお盆の期間を過ごせるのです。
この様に、自分達の幸せな暮らしを見せる事も、先祖に対しての供養になるのです。
御先祖が、安心して成仏出来ている様なお仏壇は、一見して、何か「パッ」と明るいような
雰囲気がする。 または、お仏壇の周りの空気が澄んでいる感じがする様なお仏壇は、
御先祖が喜んでいるしるしです。 その様なお仏壇のある家は、これからも御先祖達が
しっかりと護っていってくれる事でしょう。 それとは逆に、お仏壇の周りが何か暗く、
ゾッとする様なお仏壇のある家は、御先祖の内の誰かが成仏していないか、何か言いたい事が
溜まっているのかという事が、考えられます。 その様なお仏壇は、普段から家族の皆が、
少し怖く感じられるので、あまりお世話の方も滞りがちなので、益々御先祖の不満が溜まって
きます。 こうして、御先祖の不満の念が、お仏壇の中から出て来ますので、感の良い人には
何となくわかるのです。 皆様のご家庭でも、一度試してみてはどうでしょうか。
心を無心にしてみた時、お仏壇の雰囲気が明るいか暗いか、周りの空気がスカッと澄んでいるか、
重く淀んでいるか、これが御先祖が成仏しているか、していないかの目安にもなります。
-2003年8月12日-
今日は、明日からお盆ということで、霊界からやって来る御先祖達の心情についてお話します。
今日位になると、一般的な霊界に居られる御先祖達は、ワクワクして明日のお盆を楽しみにしています。
何故、霊界に居る先祖達にお盆の日が判るのかと言うと、日本全国的にお盆という日が、カレンダー
にも設定されている様に、人間達にもお盆という日は頭の中に常識として入っています。
この為、お盆という日が近づいて来ると、人々の意識の中に「あぁー、もう直ぐお盆だなー。」という
想いが出始めます。 この集団的な想いが、全国的な念となって、あの世(霊界)まで届くのです。
これを、あの世の先祖達が受け止めて、「あぁー、下界ではもう直ぐお盆なんだな。」と判るのです。
そして、お盆当日になると、「さあ、今日はお盆だ」という事で、親戚達が集まり、お坊さんなんかがお経を
上げに来たりと、普段は隅に追いやられていた様な御先祖でも、この時ばかりは主役です。
お仏壇の前に家族で座ると、自然と皆の念が御先祖に向けて放出されますので、御先祖の方もそれを受けて、
あの世から位牌を通して、家族のもとへ出て来られるのです。 ただ、普通の人達には、自分の横で
微笑んでいる御先祖の霊に気が付かないだけなのです。 これが、霊的観念から観た、一般的な家族の
お盆の様子です。 ですから、普段でもお仏壇に向かって御先祖に家族の悩みや、お願い事などを
話して(念じても良いし、話し掛けても良い)おけば、何とか力になってくれるはずです。
その為には、普段からのお世話が肝心です。 御先祖に対して、普段からのお世話が出来て初めて、
自分の願い事を頼むのが正当な道なのです。 お盆という日を、御先祖に楽しく過ごして貰う為には、
子孫の普段からの心掛けが必要であり、そうする事によって、御先祖も子孫に対して感謝され、子孫は
御先祖の力(お蔭)をかりて、発展していくのです。 これが、正しい子孫と御先祖の関係です。
御先祖達は、子孫達がこの様にしてくれるのを待っているのです。
お盆に来られる御先祖の大部分は、この様な心情を持って来られるのです。
-2003年8月9日-
今日は、「霊体となった魂は何処にでも行けるのか?」について、霊界の次元をふまえながら簡単に説明します。
人間の死後の環境は、地上に生きていた時の「魂」の成長具合いによって決定されます。
これが、良ければ天国、悪ければ地獄という事にもなります。
そして、地獄に居る者は原則として天上界へは上がれません。
上がれるのは、せいぜい地上の人間界までです。 これが、怨念や苦しみを伴った
悪霊と呼ばれる者達が地上の人間に憑依するのです。 これも、地上界までの話です。
また、段階で言えば、地獄、幽界、人間界、精霊界〜といった霊層があり、
その中で自分達の意識の程度に合った者達が集まっています。
(精霊界以上は、人間として完全に成仏した人達の世界であり霊というものを確りと認識しています)
一応、簡単に挙げておくと上、中、下位霊界、天界(神界ともいう)、菩薩界、如来界、太陽界などです。
これ以外にも細かく各段階に分かれております。
そして、成仏した霊体も原則として上には勝手に上がれません。 先導役の上級霊が一緒だと行けます。
下に降りるのは出来ますが、まあ普通はその様な事はしないでしょう。
もし、やってみても、人間界までです。 それより下は、成仏した者にとっても、怖い世界だからです。
この怖い世界へわざわざ行かれるのは、菩薩といわれる人達です。
菩薩は、自分の身を挺して迷い苦しんでいる者達の為に、暗く危険な怨念の世界へ降りて行かれるのです。
この様に、上位(天界より上)の者は、自己の使命により自由に下の世界へ降りて行けます。
霊は、何処にでも行けそうですが、天上界の法則によって制限されており、人間界から観れば、
下の世界の霊は人間界まで上がってきて、精霊界や霊界の者は人間界まで降りてくるので、
霊感を持っている人には、霊は自由に何処でも行ける様に感じられるでしょう。
あと、霊達も地上は何処にでも自由に行けます。 これは、あくまで、霊の世界を中心に観たもの
であり、行動の自由は霊格の差によるものが、かなりあります。
-2003年8月6日-
今日は、霊障について少しお話します。 霊は、一般的に憑依等の現象によって、霊障を
憑依した人に起こしていきます。 それは、憑かれる人間の方にも原因があるのです。
悪霊は、人間の出すマイナスの悪い想念や感情等を自己のエネルギーとしている為、その様な心の波長を
出す人に、まるで磁石に吸い付けられる様に寄り集まって来るのです。
そして、それらの悪霊達の中で一番、人間の出す念の波長に合った悪霊がその人間に憑依
するのです。 そして、悪霊に憑かれた人間は、様々な霊障害に遭いながら更に心の状態が
暗く不安定になってきます。 そうしている内に、悩みは更に深くなり、心の中に不安が
溜まり、それが引き金となって別の不安が出始めます。 そして、心が暗く閉じている状態で
は、明るい思想は出るはずも無く、疑いや、悲観や、恐怖感などに心を占領されてくると、
心にまた別のマイナス想念の波長が出てきて、今度は違う性質の悪霊に憑依されてしまいます。
これで、この人は二体の悪霊に憑依された事になる訳です。
こうして、人によっては二体も三体も憑依されている人がいるのです。
これらの人は、自分の心を調和しようとしないので、何時まででも悪霊に憑かれたままです。
悪霊に憑かれると言う事は、自分の心の波長と悪霊の出す波長とが合っている為であり、
それは自分の心の悪い所を反省によって改善していけば、次第に心が浄化されて悪霊と波長が
合わなくなり、悪霊が憑いていられなくなってある日、その人の体から離れていってしまいます。
これが、悪霊の憑依現象と、心の念(波長)との関係です。 簡単に書くと、こういう事ですが、
なかなか出来ない事でもあり、まず自分の心の状態を悪霊に憑かれた時点で
チェックする事自体が、普通の人では難しい面でもあります。
これには、やはり日々の心の状態をチェックする習慣を身に付けておく必要があり、そうすれば
滅多に悪霊などに憑依されるという様な事は起きないはずです。 要は、何時もあまりマイナス思考を
持たない様にする事が、悪霊を自分に寄せ付けないようにする秘訣です。
これは、「何故、憑依されるのか」にも書いてあると思います。
-2003年8月3日-
今日は、お盆が近いという事もあるので、お盆の時期によく起きる現象等に
ついてお話します。 お盆が近づいて来ると、決まって家族の誰かが金縛りに
あったり、体が妙に重く感じられたりする人がいますが、その場合の原因として、
ご先祖様の成仏出来ていない不満や、言いたい事が言えない等の欲求が原因である
事が多いです。 ご先祖の霊達は、その表現の仕方が解らないので、子孫の夢枕に
立ったり、夢の中で不満を訴えたりします。 また、子孫の身体に病気で亡くなった
先祖が憑依して、「私は、まだここが痛いのよぉ〜!」という感じで、訴えると
病気の先祖と同じ様な痛みが、憑依された子孫の身体に起こります。
これも、先祖がまだ成仏出来ずに苦しんでいるという自分の事を、分かってもらおうと
する行為の内の一つです。 この様な事が、先祖の子孫の中に起きてくると、それも
お盆の様な時期に起きるとなると、「これはちょっとおかしいぞ。 もしかしたら先祖が
成仏出来ずに、自分達子孫に何か訴えているのではないか? だから、自分に霊障の様な
ものが現れるのではないか?」と考える様になってきます。 まさしく、これが先祖の
狙い目になる訳です。 そして、子孫達が今までしなかった様な供養なんかを
やり始めるのです。 そうしている内に、子孫の霊障もおさまってきたりするのです。
おさまらない場合は、供養の方向が違っているのです。 その場合、しっかり先祖霊と
コンタクトをとれる様な先生と出会う事で、その先祖に合った供養が出来ます。
そうする事によって、霊障も無くなってくるでしょう。
こう言う事が、お盆やお彼岸の時期に、よく起こる現象です。
次回も、このシリーズのお話をします。