神霊による人生相談

ょっ言。

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-2003年1月31日-
今日は私の住む家の中を、無縁仏(身寄りが無く、うかばれない霊)さんの団体が通っていたという話です。
これは、家の敷地の角から、対角線上に真っ直ぐ家の中を通って出て行かれていたようです。 その通り道に両親の部屋があり、夜寝ていると、うなされたり、金縛りに遭ったりするそうで 「あまり良く寝られない」と言っていました。  そこで、私は礼拝時にその無縁仏さん達に、 家の中を通らないよう通り道を変えてくれるように頼みました。  そして、長年通り道として いた所(家の中)を変更してもらうので、礼儀として私の所で供養させてもらう事にしました。 皆さん(無縁仏さん)も心良く通り道の変更を承知してくれ、自分達が供養をしてもらえるという 事で喜んでいる様子でした。  そして、部屋の四隅に「お清めの盛り塩」を置かせてもらいました。 すると、今まで陰気で暗かった部屋が妙に明るくなり、スカッとした感じになりました。 今では、もう金縛り等には遭う事も無くなり、ゆっくり寝られるそうです。 無縁仏さんも私のお経を毎日聞き、説法をする事で、今では自分達も「この世でうろうろして いてはいけない」と回心し、早く上の世界(天国)へ行けるように努力されています。 この様な例は、何処の家にもあるような事で、住んでいる人が気付いていないだけの事です。
*決して素人の人は真似(盛り塩)しないで下さい。 霊体と話をして和解した上で実行しないと、 逆に怒らせてしまい家の住人に霊障が起こりますから。


-2003年1月24日-
今日は結婚問題の悩みについて、ある例を少しお話します。
この方は女性であり、年齢も20代後半の方で婚期についてのご相談でした。 この方は男性との縁が無いのは、何故だか自分でもわからないらしく、少しあきらめているようでした。   この方は女性としての母性本能が多く、親の面倒や他人の面倒を良く看てあげられる人で、 簡単に言うと世話好きな性格を持っています。 そして他人の事はよくわかるのに、自分の事に関しては よくわからない。 また、真面目な性格なので、「遊び半分では男性と付き合わない」という自分内 での決め事があり、自分の心を締め付けているようです。 あと、潔癖症の感もあり、金銭感覚が 厳しく男性にもそれを求めます。
この様な本質を、この方は持ち合わせていると言うことが、その人を見た瞬間にわかります。  また、更に深くその人自身を霊的に観れば、前世や今後の運命などもある程度は判断出来ます。  そして総合的に判断して、その人なりのアドバイスをさせてもらいます。  しかし、この文章を読んだ方は、ある程度「こうしたら良いのに」と思われたと思いますが、 本人にすれば自分の性格を他人に指摘されて、今一度考え直す様な事が無かった為、男性に対する 対処の仕方が解らなかったのです。 この方は、もう少し心に余裕を持ち、自分の理想を追求する あまり、男性に対しあまりシビアにならないように、芯は強い方ですが自分の弱い面も見せて、 たまには人に頼るくらいの気楽さでね。と、アドバイスしました。 後は、前世からの 因縁などを含めた、これからの人生に対するアドバイスをしました。


-2003年1月21日-
最近、TV番組で放映している心霊特集がありますが、あのような心霊という低次元の 浮遊霊や地縛霊などの地獄霊達は、生前での執着(物欲、名誉欲、愛欲等の欲望)や苦しみ (憎しみ、病気による痛み、殺害された)等がとれず、未だに霊として逝く所にも逝けずに この地上をさ迷っています。 これらの霊達に憑依された人の場合、憑依した霊と同じ苦しみや 痛みを経験する事になります。 ですから、病気で亡くなられた人の霊に憑依された場合、憑依した 霊と同じ身体の部分が痛くなったり、同じ症状の病気にかかったりするという事が起こります。 また精神的に錯乱している地獄霊に憑依されると、精神異常などの病的症状が現れる事があります。 この様に、悪霊に憑依されるという事は非常に苦しみを伴うものであります。 そして、恐ろしいのは、この悪霊達は霊体という体を利用し、電波に乗ってお茶の間のTV画面より 憑依する相手を探しに出て来るという事です。 以前、私の所にも迷って何体か出て来られたので、 何度か追い払った事があります。 この様な事にならない為には、あまり真剣にその様な番組を見ない 事です。 見るなという意味でなく、気を入れて見ないようにするという事です。 つい番組内容に引き込まれて、気をいれて見ていると悪霊と波長が合って、離れていても憑依されて しまうからです。 これに気を付けて下さい。 霊には距離は関係ありません。 波長が合うかどうかです。


-2003年1月20日-
皆様、久しぶりですいません。 我が家のパソコンが調子悪く修理していた為、 書きたくても書けない状態が続いてしまい、今日久しぶりに書きました。
では、今日は家の鬼門についてのお話をしたいと思います。
家の建っている土地の四隅には、表鬼門や裏鬼門という方位から定められた場所が在り、 その土地の上に何かを置いたり、小屋を建てたり等すると、必ずその家の住人に災いが起こると 言われています。 現に私の所へ相談に来る人の中には、まず本人は気付いていない事が多いですが、 鬼門関係での悩み相談が何割かあります。 だいたい似通っているのは、相談者宅の住人の誰かに 怪我が絶えないとか、事故にたて続けに遭っているとか、病気がちであるとか、身体の一部が常に痛い 等の症状で悩んでおられます。 その時に原因が鬼門であると判断した時に私がする事は、何故その家の 住人を苦しめるのか、その訳を鬼門の神に聞き出す事です。 そしてこれを改善し、鬼門の神に対し今まで知らずに迷惑を かけていた事を家族の皆が反省し、鬼門の神に「本当に今まで申し訳なかった」と心の中で謝る事です。 そうする事により、鬼門の神の怒りを鎮める事が出来、事故や病気等の災いから逃れる事が出来るのです。 そして平穏な生活を取り戻す事が出来るのです。
ですから皆さんのお宅も一度、家の四隅(鬼門)に何か汚いもの(ゴミ等)や要らない物等が、長く 放置したままになっていないかよく見て、動かせるなら移動しておいた方が良いと思います。


-2003年1月14日-
今日は神社仏閣で販売している御札やお守りについて、又それに関わる神職の立場を交えてお話しをしましょう。
神社仏閣の御札やお守りは、神主様や御住職がそれらを御神仏の前に置き、祝詞や経文をあげて「念入り の御札やお守り」とします。 この時に行なう祝詞や経文は、神様達にとっては「あぁ、あの言葉は 自分達の霊徳を(御札やお守りに)授ける為の言葉だな。」というように受け取ります。
神職達が本当の意味での霊力が無くても神様自身の判断により御力を授けてくれるのです。 ですからこの念入れの儀式を執り行う時の、神主や住職の心の念いと神の念いとが、相通じていなければ 良い念を入れる事が出来ません。 
神職達の本分は、何時も時分達の神仏様と言葉を交わし、数々の教えを受け、益々の精進を重ね 、庶民の良き相談者となり人々を救っていくというのが役割なのです。 これら神職達の徳と神の徳をあわせ持った物が一番良い物だという事になります。 しかし御札やお守りは、貰う人の心の状態によって、本来の霊徳が発揮されるかが変わってきます。 (御札やお守り=神)が受け取る人の手に渡り、その人の信仰心が日々試されます。 それにより神様が、その人を引き続き応援して行くかを決め、そうでない場合は神の念は抜け出ます。 御札やお守りは、受け取る側の心も試されるという事になり、一年間乃至、永久に効くという事 が少ないと感じるのは、この為によるものなのです。 しっかりと心を神に向けておく事が大事です。 大まかに言えば、これが真実です。


-2003年1月13日-
今日は悪霊に憑依されたかどうかを、自分なりに判断出来るようなやり方を少し話しておきましょう。 まず霊的なものに憑依されると、感覚として身体が重く感じられたり、だるさや、原因不明の痛み等 の身体的特徴があります。 精神的には、やる気が出ない、物事や想いなどの執着(深く考える、こだわる) が増す、他人が自分に対する言葉や考えが、やけに気になり出す。 自分の世界に入り込み、他人の意見を 聞かなくなってきた。 また、気にいらない等、この様な排他的精神や行動をとってきます。
この様な事柄が、自分を客観的に見た時に当てはまっていたら、何らかの霊的な影響を受けていると思われます。
自分が気が短く怒りやすい性格ならば、自分に対する他人の言葉が何時もより気に障り、結果として 怒ったり暴力をふるったりするのです。感情にまかせて他人を傷つけやすくなります。
また、自分は内向的な性格の人ならば、自分に対する他人の言葉が何時もより重く気にかかり、人と 話すのが億劫になったり、自分の殻に閉じこもる等、結果として友人が離れていってしまいます。
この様に自分に対して、良き友人であり良きアドバイスをしてくれる人を、引き離そうとしてきます。 そうして、悪霊の思うように、又、やりたい様に憑依した人を操作しょうとしてきますので、この様な 事柄が自分に起きてきたら要注意です。 これらが憑依されてから数ヶ月間で起こる現象です。


-2003年1月11日-
今日は皆さんに(悪)についての質問をし、その後に、道理を説明します。
*質問: 「悪い事を、悪い事だと知っていてやった人」と「悪い事を、悪い事だと知らないでやった人」では、どちらの罪が重いでしょうか?
 皆さんどうですか? ちゃんと説明が出来ますか?
*答えは、悪い事だと知らないでやった人の方が罪が重いのです。
何故かと言うと、悪い事を悪い事だと知らない、思わないと言う人は結局、自己の犯した罪に対しての反省の仕様が無いからです。 懇々と説明しても悪いと思っていないから全然聞きません。この様な人が一番厄介で、自分に都合の良い理由で次々と悪事を重ね、後に取り返しのつかないような事(戦争等)を引き起こしたりするのです。 知らない、考えない、思わないというのが重大な罪を招くのです。その様な人は、地獄に於いて自己の罪に気づくまで修行してもらうしかありません。
 では次に、悪い事だと知ってやった人というのは、本人が悪いと思っているのですから、既に自分の反省点はわかっているのです。 気づいているのです。 ですから後は自己の罪をよく反省し、今後、その様な行いをしない為に自分はどうすれば良いのか、どう生きて行けば良いのか、悪い事をした相手には償いをし、謝り、今後は自分の経験を糧として生かし、他の迷える人達の為に尽くして行く事です。 世の社会的犯罪を犯す人は、やはりこの法則がわからないのです。


-2003年1月9日-
今日は私がこれまでに神より戴いた御霊言を、一つお聞かせ致します。
「 諸人よ、自分の命を大切に生きなさい。 神の意志により生かされているという事実を知った時、自ら命を絶つという事は、神に対しての反逆であり、死後の行き先は生前より更に苦しい地獄の世界である。」
この御霊言は去年の3月7日に戴いたものです。
これを解説しますと、私達人間は、親から産まれ、育てられ、やがて自らの意志で生きている様に感じておられると思います。 しかし真理面から言うと、あの世に於いて自分の犯した過去を反省し、今度生まれ変る時、自分は前世のような過ちを繰り返さないよう、今回自分をやり直す為の人生計画を立て、人生をまっとうする事を神に誓うのです。 そして神より生まれ変りのお許しを戴いて、この世に産まれてくるのです。 ですから、自ら進んで命を絶つという事は、あの世に於いて神と約束した事を、人生計画半ばに於いて放棄する事であり、神達が最も悲しむ事でもあるのです。 これらの人達が死後行き着く先は地獄世界しかなく、その世界の中で何度も何度も生前のように苦しみ、自殺します。 もちろん痛さもあります。そしてまた起き上がり、死ねない事に絶望し苦しみやがて又、自殺すると言う事を繰り返します。あの世は肉体は無くなっても、魂は生き続けるので本人が「悪かった」と自覚し反省するまで永遠にこの地獄の苦しみから逃れる事は出来ないのです。
ですから決して「死んだら楽になる」と言う事は無いのです。 


-2003年1月8日-
今回は、私の御先祖様の話をします。
今日は、私が以前に住んでいた京都の長岡天満宮へ御参りに行きました。私の御先祖様は、何時も御参りに行く時は必ず一緒について来ます。この場合のついて来るというのは、私の体の極近いところ(身体に乗っかる)か、周りを好きなようにうろついているかですが、それは御先祖の気まぐれでどの様にもなります。何か言いたい事が有れば身体に入りますし、興味の引く物が有ればそっちの方へ行くという感じです。まあ、こんな感じで何時も私達は、あっちこっちへ行っております。ご先祖様の中で、3歳の時に亡くなられた男の子がおり、この子がまた「やんちゃ」で人懐っこくて、好奇心がおおせいで、何でもしたくなるみたいです。(幼くして亡くなった為、普通の子供がする遊びが出来なかった為だと思います。)そしてお正月に、凧とコマとケン玉を御供えし、今回それを持って来て神社の広場で遊んでいました。 本人は、すっごく満足して帰る時間になってもまだ遊んでいました。遊び方さえ教えてあげれば、普段は自分達の世界で遊んでいるみたいです。こうして生前に出来なかった事をさせてあげるのも、少し形の変わった供養ではないかと思うのです。
 あっ。そうそう、御先祖本人の名誉の為に言っておきますが、神様の御参りは、きっちりと一生懸命に拝んでおります。 こういう事が一つの修行にもなるのです。 小さい子供なのに感心します。


-2003年1月5日-
お正月の三が日も終わり、明日から初出勤という方が多いと思います。
その中で今年の私は、皆さんが休んでおられる間は初詣には行かない事にしました。ただ行った所は、地元の氏神様と近くのお不動様だけにしました。
 何故かと言うと、私達が拝んでいる時間は普通の人の何倍にもなり、神様も気を使って御霊言の言葉も短く切り上げたりと余計な気を使わせ、又多くの参拝者の迷惑にもなるので今年は1月6日以降に変更しました。 その時に私達の今年の運気や気を付ける事、そして神より霊的指導を受けたりします。 その点では一般の人達より恵まれているかもしれません。
神様と親密にお付き合いしていると、私の身体の調子まで気遣ってくれ、身体のある部分に「気を付けろ」と注意され、私がその事を忘れ気を付けずにいると、しばらくして痛くなったり、お腹をこわしたりします。神様は、私がこのままいくと体調を崩すと思えば的確な注意をしてくれます。 ですから私はこの何年か、病気らしい病気や怪我をした事がありません。この様に信仰とは、自分の身を守る役目も果してくれるという事が言えると思います。


-2003年1月1日-
皆様、あけまして おめでとうございます。
本年も神の教えにしたがい、日々精進して、皆様に良きアドバイスが出来る様に、そして信仰という名の「勇気と希望」を享受し、皆様が更に発展されるように努力していきたいと思います。
 1月1日の我が家は例年に無く、多くの神様達が寄って来られ、皆が其々のグループを組んでお供えのお神酒やおせち料理、それにお菓子類なんかを皆でわいわいと賑やかに、食べたり飲んだりして騒いでいました。 毎年、何人かの神様が、新たに私の指導霊になってくださるので、近頃の我が家の指導霊団はかなりの人数になりました。 こうして私の意志に賛同して下さる神様が、私を応援するべく我が家の指導霊団の仲間に入って来られるのです。 そうした神様達が、楽しそうに騒いでいるのを見ると、私までも楽しくなってきます。 こんな感じで我が家は、神と人間が一緒にお正月を祝うのです。 また、男性の神様はお酒ばかり飲んでいて、女性の神様は料理を摘みながらお喋りを楽しんでおられるようです。 神様でも其々の楽しみ方があるみたいです。