神霊による人生相談

ょっ言。

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-2005年1月30日-
今日は、それぞれの心の中にある次元観についてお話します。   人は、何かに悩んだり、人生の進路等について思い悩む事が多々あると思います。   その時に、今までの自分の経験や認識力に応じた、見識や判断力というものがあります。   その見識や判断力等を具えた心の状態が、その人のこの世的な心の次元というものであると考えても良いと思います。   この次元というのは、この世的なものに例えると、何階建てかのビルの階ごとの(フロア)ようです。   今の自分の心の状態を通して、進む道を考え判断して行こうとする時に、いつも目先のものしか映らな かったり、行き当たりばったりであるならば、それはビルの1階に相当すると思います。


-2005年1月24日-
今日は、今の寒い時期に流行る「風邪」について、私が霊的な側面から見たお話をします。   風邪をひくと、身体も重く、咳や鼻水、喉の痛みや関節痛に発熱等があります。   これは、一種の憑依現象とも言える事です。  特に、高熱が出る症状は霊的作用がキツイ場合です。   一般的にひく風邪と、風邪の菌ウイルスに憑依した微小な霊体(人間ではないです)が起こす風邪が あります。  薬を飲んでも治り難かったり、風邪から違う病気になったりするのも、霊的作用の大小 に係わってくるんです。   霊的作用を持つ風邪のウイルスは、霊的に見ると、大量の小さな細かい粒々のようなものです。   丁度、春先に流行る花粉症の花粉のようです。  その様な極小の粒々が、それぞれに霊的作用を 起こす要因を持ちながら、いたる所で飛び交っています。   それを、人間が呼吸の際に吸ったり、身体に浴びたりしています。    そうして、その人の体に付いて(憑依して)、影響を受けた人の体の弱っている部分や、体質的に元々弱 い部分などに偏って憑く訳です。  そうすると、その人に風邪独特の症状が出てくるんです。   私が、風邪をひいた家族の者に対して、御祓いや 御祈祷すると、風邪をひいた者の体から、無数の粒々状のものが、煙の様にブワーッと出てきます。   それを、法力の力で霊界の輝く光を当てて、キラキラ光る粒々に変えて霊界へ戻します。  その時に、 風邪をひいた本人の体は、一旦熱くなってからスーッと熱が引いてくる様な感じを受け、その後にフッと 楽になります。  そうすると、風邪の症状は随分緩和されます。  残っているのは、ただの風邪の 症状か、風邪かも知れない程度に緩和された症状くらいです。  こうなると、市販の薬で短期間に十分 治りますし、一日ゆっくりしていれば治まってしまったりします。  でも、体的にもウイルスに犯され てたので、薬も飲んで、肉体的にも治すのがより良い方法です。  霊的作用が取れた体には、薬はと てもよく効きます。  本当は、霊的作用を含めた医学の進歩があると、霊的作用と医療が上手くミック スして、患者さんの回復力は増す事になると思います。  現に、医学で治らないと言われた患者さんや、 病気の原因が判らず、お薬も効かなくて困っている人が、私の所で治ったりしていますから、霊と医学の 関係を考えていく余地はあると思うんです。  今の時点では、残念ながら、まだまだ難しいでしょうね。


-2005年1月19日-
今日は、病気と憑依についてお話します。   人は、人生の中で必ずと言って良いほど、一度位は何かの病気にかかる事があります。   その中で、なかなか治らない病気や、身体的には正常なのに、病気の症状があるという事などがあります。   また、病院の医師が病名を特定出来ない、または、判らない場合などがあります。  でも実際、本人は 苦しくて悩んでいるので、いろいろと病院を変えてみるけど、どこも同じ様な事を言われるだけでハッキリ しないという事があるのです。  これ、結構多いですよね。  それで、あちこち行っても駄目なので 、これは病気以外に何かあるんじゃないかと不安になって、私の様な所に来られる訳です。   そして見てみると、相談に来られた人の後ろの背中や、頭や腰などに病気で亡くなられた人の霊が憑いて いるんですね。  それで私が、この人は背中に霊を背負ってるから「あなた、背中が重くて首や頭の後 ろが痛いでしょ」なんて言うと、相手はまだ自分の症状を事を言っていないのに、言い当てられたので ビックリされるという事があります。  そして、その霊を、除霊によって取り払ってあげると、頭や首 や肩などが軽くなり、頭も冴えてきて、視界がスッキリしてきます。  辛い症状も軽減されて、あまり 気にならなくなってきます。  それで、数日後にでも病院で診て貰うと、何かの病名があった場合でも 、何故だか判らないけど治りましたね、という事になったりします。   この様に、病気で亡くなられた人の霊が憑くと、病気で無い人も病気にかかったり、病気の症状が 出るという事はよくある事です。  また、先祖の中で病気で亡くなられた人の魂が成仏されていないが 為に、自分(霊)がまだこんなに苦しんでいるから助けて欲しいという事で、子孫の誰かに憑いたり、 大分前に死んでも、未だに家の中をうろうろして、家族の誰かに寄り添っていたりすると、寄り添われた 本人は、とても苦しくなってきます。  それで、家族の中で憑かれた方は病気だと思い込んで、病院へ 行ったりして検査を繰り返す事になっていったりするのです。  でも、霊の方は、自分(霊)が家族の 誰かと一緒にくっついているだけで、その様な事になっているとは気付いてくれない場合があります。   これは、成仏していない人の魂が、まだ生きている人に与える霊的作用をよく知らない為に起こる現象で す。  こういう事も、霊と話をしてよく理解させてあげる事で初めて、自分(霊)のとった行動が、 家族や、その他の者を苦しめていた事に気付く訳です。  そして、自分はもう死んで魂だけの状態に なっている事、生きていた時の肉体の痛みは、肉体が無くなれば消えてしまう事。  これらをよく言っ て聞かせる事が大事です。  そして、あとは成仏させてあげれば、亡くなられた魂も、憑かれた本人も 、楽になれるのです。  こういう事が、私達の見えない世界で現実に起こっているのです。  何度、 病院で診て貰っても、病名がハッキリしなかったり、治りにくかったりする場合は、霊的なかかわりが あると疑ってみた方が良いかも知れません。  その方が、結果的に早く治ったりする事がありますから ね。  でも、憑かれる側の人も、自分の心に憑かれるだけの悩みや、反省点があるから憑かれるのです。   これは、霊が出す苦悩の波長と、生きている人が出す苦悩の波長やマイナスの波長とが似ている為に呼び 寄せたり、仲間意識を持たれたりするので、憑かれる可能性が高いです。  ですから、その心を改心す る努力をして行かないと、またどこかで憑かれる事もあります。  生きている人が、自分の悪かった事 をよく反省し、前向きに考えられるようになっていくと、霊とは波長が合わない為に寄って来る事が出来 ないので、憑かれるという可能性が少なくなってくるのです。  これは、病気以外にも言える事です。  


-2005年1月12日-
少し更新が遅くなりましたね。  今日は、我が家のお正月の神様の様子をお話しましょう。   お正月が明けて直ぐに、我が家は、家族全員で新年のお祈りを始めます。   毎年、12月28日の不動明王様のご縁日の日から、新年を祝う為に、多くの神様が来られます。   そして、神様達は時々自分の持ち場に帰られたり、また来られたりしながら、我が家の神様の世界で 一緒に新年を祝われます。  中には、忙しい神様も居られますので、途中から来られる場合もあります。   新年のお祈りが終わると、神様達はまたそれぞれにお酒を飲んだり、お喋りをしたり、歌を歌ったり しながら楽しく過ごされます。  神様のお役目が様々に分かれている様に、住まわれている世界も 様々です。  ですから当然、神様同士のお話も、いつも好きな時に集まって出来る訳ではありません。   お正月の今の時期ならではのものです。  不動様は、お酒のビンを小脇に抱えながらお酒を飲んで ご機嫌ですし、白菊じぃーじはお酒をチビチビ飲みながら、同じ様なお年寄りの神様達と、甘い物を つっついてます。  白龍様は、マリア様にお供えしたワインを、マリア様や卑弥呼様達と飲みながら、 女性談義をしています。  話のネタになるのは、いつも決まって私の事の話で盛り上がるらしいです。   私にしてみると、その話の内容がさだかでは無いので、果たして良いのか悪いのか分かりませんが、 どうなんでしょうね〜(^^ゞ  あっ、それから、宴会している神様の世界にお邪魔しに行った時、 不動様が「めでたい正月じゃから、お前も飲め!」って言われ、大皿にお酒を注ごうとした時、 七福神の弁天様が、「先生は、お酒をあまり飲まれませんから、少しだけにしてあげてくださいな」と 不動様に忠告して下さいました。  不動様は渋々、大皿に半分より少し少ない位のお酒を入れて、私に 差し出して下さいました。  私は、弁天様に向かって「助かりました」と心で思うと、「いえいえ、 先生、お気になさらずに」と念が帰ってきました。  それから、大皿に注がれた少しのお酒を飲み 干すと、すごく甘い味で、良い香りが体中に行き渡る様な感じを受け、体中が新年を祝う、とても幸福感 のある気分になりました。  不動様が、「どうじゃ!先生! 酒の味は?!」と聞かれたので、私は、 「何か、とてもめでたい気分の味です!」と言うと、そこに居られた神様達が、皆一斉に「そうかー! わはははー!」 と言って笑っていました。  その後、2杯程のお酒を頂きましたが、2杯ともそれぞれに味が違いました。   2杯目のお酒は、スッキリした味わいの感じがした後、体が熱くなってくるもので、最後のお酒は、 スッキリした水の様な味わいのお酒ですが、何ともいえないまろやかさが後からきて、とても幸福感に 包まれるお酒でした。  こんなお酒なら、時々飲んでもいいなぁ〜と思いましたが、この世には売って ないでしょうから残念です。  こうして、我が家に集まられた神様達の正月は、皆仲良く楽しい時間を 過ごされていました。


-2005年1月3日-
あけまして おめでとうございます。  本年も どうぞ宜しくお願い致します。   新年を迎え、我が家の神様達の所にも、様々な神様達が集まられています。   神道系の神様、仏教系の仏様、西洋の神様や天使達など、我が家には宗教の隔てはありませんから、 我が教えに賛同される神々様達が、新年を我が家で楽しく穏やかに過ごそうとやって来られるのです。   そして、昨年にも増して今年は、より多くの神々様達が我が元へ集い来られるようです。   私は、今の時点での能力を、もっと高めていく事によって、この先、より多くの神々との交信が可能に なります。  それは、今よりさらにバラエティーに富んだ教えを説ける様になるという事であり、 教えの幅、教えの内容、質共にさらに向上するという事になります。   その結果、より多くの悩める人達への救済に力を発揮出来るようになるでしょう。   今まで以上に、皆様のお力になれる日が来ると思います。  人生、立ち止まっていては進歩があり ません。  私は、どんどん進化していきます。  その為に、今出来る事を地道にでもいいから、 やり続けます。  何でも、一足飛びには行かないものですからね。  神様は、ちゃんと見ています。   そして、私の知らない内に、色んな事が神々の国で取り決められているようです。   神様の期待に応え、皆の期待に応えられる様に、努力精進して行くつもりです。   神様は私に、毎日が修行であり、毎日が勉強であると仰いました。   昨日より、今日は何を学んだ? 昨日を過ごして、今日はどう生きるのか。  今日一日、人の為に 何をした? そして、より多くの人の為に、自分をどう進化させ役立てていくのか? そして、 お前が歳を取って、もう直ぐ息を引き取ろうとしている時にも、私達(神々)は、お前に対して、今、この世の 人生を閉じようとしている中で、今日一日を誰の為にどう過ごしたか、どんな役立つ事が出来たのか、これからの 未来の為に、何をして息を引き取ろうとしているのか聞きに来るから、ちゃんと答えを用意しておけよと 前から言われております。  内心、それを聞いた時は、ヒェ〜ッ!と思いましたよ。   しかし、そうしていく事が私の使命ですからね。  人を導き、救い、魂をも救って行く事が、私の 喜びの一つであるからね。  その喜びを、一つ一つ実現させていく中には、苦労心というものは無いで すよ。  疲れる事はあるけど、苦労とは感じないです。  私は、のん気なので、苦労を苦労と感じな いから出来てるのかも知れませんね。  相談に来てくれた人が言うには、私の京都弁で、のほほ〜んと 話している中で、自分が悩んでいる事自体が、悩みでなくなっていく感じがしたり、私と話している だけで癒されていくと言ってくれます。  とても、ありがたいです。  私は、そうして皆さんに、 逆に力を貰っている、勉強させて頂いていると思っています。  そして、今日を反省し、明日の発展に 繋げていきます。  明日は、今日の積み重ねですからね。   少し、自分の事を書いてみました。   つまんないかな?