ちょっと一言。
-2004年10月31日-
今日も前回からの続きで、水車小屋の近くで会った子供たちのお話から進めていきたいと
思います。 まだ幼い子供たちは、3〜4人ほど居たと思います。
それぞれに、風車や何処かで摘んだお花を何本か手に持っていました。
そして、私の姿を見ると、ニコッと笑って丁寧にお辞儀をしてくれました。
それから、皆で何か小声でヒソヒソと話しています。 そして、時々私の顔を見ながら、またヒソヒソ
とやっています。 時々、その子達の声がもれて聞こえてくるのを聞いていると、どうも私の事を
言っているようです。 聞こえて来るのは、今日はあの日だったっけ?とか、何でここに居るんだろう?
でも服が違うよとか、お前、ちょっとじい様の所へ行って聞いて来いよ!とか言っています。
私は、どういう事か聞きたかったけれども、まだ小さな子供たちなので、あまり立ち入った事は聞かない
事にして、その子達に、何処から来たのかだけを尋ねました。 すると、この水車小屋の先に、自分達の
仲間が集まる集会所の様な所があるらしく、自分達はそこから来たと言っています。 そして近じか、
その集会所に、ありがたいお話をする為に、もっと上の世界から偉い人が来るらしい事も分かりました。
色々と話している内に、その子達と次第に打ち解けて仲良くなってきました。 私は、子供たちに
好かれるのかな〜なんて思いながら一緒に遊んでいると、「おにーちゃんの頭の後ろにも、輪っかが
あるんだねー!」と子供たちの内の一人が言うので、「あっ、そうなの?」と言うと、「そんな事も
知らないの?」と言われてしまいました。 そうこうしている内に、「もう帰らないといけない」と
子供たちが言うので、「一緒について行ってもいい?」と聞くと、「うん、いいよー!」って言ってくれ
ました。 私は、子供たちと手を繋いで、子供たちが「自分達の家」と呼ぶ集会所の方へ歩いて行きました。
集会所は、道の先が少し開けた所に建っていました。 その戸口のそばには、白く長いヒゲをはやした
老人が立っていました。 「じい様ー!」と叫びながら、私と手を繋いでいた子供が、その老人の
ところに走って行きました。 次回は、その老人に会ってからのお話です。
-2004年10月26日-
今日は前回からの続きで、暗闇の世界から明るい世界へ出た時からのお話です。
光の矢となって明るい世界へ出た私は、一瞬何処か分からずに、そのままの状態で暫く空間に止まっていました。
そして、気を取り直して、自分が出て来たトンネルは何処かなと思いながら、足の下に見える地上の
ビルやトンネルを探そうとしました。 すると、下に見えている世界は、さっきまで見ていた都市ではなく、
ビル群も人々も、電車が入っていったトンネルも何も無くなっていました。
私の真下に見えるのは、荒涼とした風景の中に、赤茶色の土がむき出しになっている山があるだけでした。
私は、どうやらトンネルと思って入ったのは、その山の中だったようです。
だから、洞窟の様な感じを受けたんだと気が付きました。 それだけ理解すると、今まで見えていた
風景が、一瞬で消えてしまいました。 どうやらこの世界は、しっかり今ある状態を認識すれば、
もう用は無くなり、次の世界へ行ける資格が出るようです。 私は、「もう少し上へ上がらねば」と
いう気持ちになり、「上へ!」と念じました。 すると、私の意識体であるものから光が溢れ、
それに包まれる様な形で光の玉となり、凄いスピードで上昇して行きました。 そして、この辺だな
と思う所で止まり、光の玉から普通の意識体に戻りました。 視界が開けたので見渡すと、どこかで
見た様な、田舎によくある様な、のどかな風景が広がっていました。 そこは、少し寂しい感じがする
農村という感じで、好きな者、気の合う者同士が集まって出来た村という感じでした。
道を歩いている人や、畑に出ている人は、私の姿を見て何やらワイワイと騒いでいますので、
大きな騒ぎにならない内に、ここは退散しました。 退散する時に、また光の玉になりましたので、
村人がビックリして腰を抜かしている人が見えました。 ビックリさす気は無かったのですが、
こうしないと次の上の世界へ行けませんので、「ゴメンねー!」と心の中で言いながら、先よりだいぶん
明るくなった、空の様な空間に向けて、また更に速いスピードで上昇しました。 次は、少しだけ長く
飛びました。 もういいかなと思う所で、また意識体に戻りました。 そこは、山間に広がる田舎の
風景で、見るからにキレイな水が流れる小川があり、その川には水車小屋もありました。
その近くで、3〜5歳位の可愛い子供たちが、数人で遊んでいました。 手には、夜店で売っている様な
昔ながらの風車を持っています。 その子達は、私の姿を見ても、先程の村人の様に驚きもせずに、
私に向かって丁寧にお辞儀をしてくれました。 私は、やっと自分を認めてくれる人が居る世界に
来たんだなと思い、嬉しくなってしまいました。 次回は、この子達との会話などを紹介しながら話を
進めていきましょう。
-2004年10月21日-
今日は、ちょっと霊界散歩でもしてみましょうか。
それでは、ちょっと私の意識を、この世とあの世との狭間に焦点を当ててみましょう。
すると、道路を昔の着物を着て歩いている人もあれば、家の中、空き地などで、ドスンと
居座って腕組みをしている不機嫌そうな霊もいます。
道端でお喋りをしている人の横を、スーッと音も無く霊が通り過ぎて行きます。
そして、何処かの家の塀辺りでフワッと消えていきます。 あぁ、神社の大きな木の葉が
茂っているところに、果物の実がなる様に、何体かの霊の顔が見えます。
あまり気持ちの良いものではないので、もう少し上の次元に焦点を当ててみましょう。
すると、先程よりだいぶ明るく感じられるというか、先程見た世界が夕方ならば、今の世界は
昼前の午前中という感じでしょうか。 未だ明るくなる要素を持っているという、そんな感じがします。
ここは、先程と同じ様なところを見ているのですが、先程いた霊達は見えなくなりました。
これは、先程見ていた次元から、もう少し上の次元に私の意識が移動した為で、次元によって
見えてくる霊や風景が違ってくる為です。 そうすると、先程お喋りしていた人達の背中より少し上
に、その人の守護霊様や、ご先祖霊が見えます。 この人は、こういう人達の霊に護られているから、
先程の世界の霊が通った時に、憑かれなかったんだという事がわかります。
それでは、この世を通して見ていた世界から、あの世の霊界まで意識を移してみましょう。
まずは、霊界でも次元の低い世界(まだ、この世的な生活習慣が抜け切らない)へ焦点を合わせましょう。
あぁ、これは大きな都市のようですね。 多くの人がビルの合間を足早に歩いています。
その人達の心を読んでみますと、「今日も、嫌な仕事をしないといけない、でも会社に行かないとい
けない」という思いが溢れてきます。 この人達は死んでも、意識がこの世にいた時のままの様で、
未だに通勤しているようです。 満員電車がトンネルに入っていきます。 私の意識も、同じ様に
トンネルに入って行きます。 一変して、真っ暗闇になりました。 満員電車も消えてしまいました。
誰も居なくなりました。 トンネルというより、地下壕の様な感じです。 目を凝らしていると、
私の周りにユラユラト揺れながら人が迫ってきます。 この人達は、人との接触が嫌になり、真っ暗な
洞穴の様な所で、自分の世界に閉じ篭っている人の霊達です。 でも長い間、光を見ていないので、
私から発する光を目指して、ゆっくりとやって来るのです。 さすがに気持ち悪いので、私の意識体か
ら発する光を拡散させて、霊達をひるましてから、「上の世界へ!」という念のもと、私は光の矢に
なって、その暗闇から一気に光の溢れる世界へ出ました。 次回は、その世界の様子をお話します。
-2004年10月15日-
今日は前回の続きで、守護霊様開運方法のお話をします。
守護霊様開運方法は、守護霊様の力の援助を受けながら、精神的にも物質的にも
発展していく事が出来る方法です。 この方法は、自分自身を向上させながら、
同時に守護霊様も使命を存分に果たせるので、結果的に「開運」という事に繋がっていきます。
私の真理からいう「開運」という事ですから、運が開けた後、その運を多くの人のために使う事が条件
です。 そうなるには、自分の守護霊様からの霊的指導を受けるために、守護霊様の波動と自分の波動とを
同通させる事が必要不可欠になります。 守護霊様の出す良い波動と同通するには、自分の心の状態を
真理に適った心にしようとする心構えが必要です。 そして日々、自分を護って頂いている守護霊様
の働きに感謝し、自分はどういう人物になりたいか、どう社会に貢献していきたいのか等を、自分の出来
る範囲で努力しながら、よき指導が入るように明確な意志を持ってお願いし続ける事です。
そうすると守護霊様の方も、守護霊の使命とされる、護っている本人の将来の事について、あれこれと
考えているので、本人が努力しながら自分の希望に向かって頑張ってるのだから、出来るだけ希望に
沿うように願いを達成させてやろうという気になります。 そうなると、運命的な道筋であっても、
本人の努力次第で、人生の中で多少の変更は許され、選ぶ道数(進路)も増えてきます。
そして新たな進路、新たな希望に向かって進んで行けるのです。 それには本人が、こういう点が
まだまだ弱いとか、この辺りが不足しているというところを守護霊様は分かっているので、そこを
補う様に指導してくれます。 また、他人からの援助や、引き立てなども出てくるのがこの頃です。
本人は気付かない内にでも、守護霊様は色んなところに働きかけ、本人がその意志を実行し易いように
応援してくれます。 人は、黙々と努力していると、見る人は見てくれているものですから、
その内に応援してやろう、援助してやろうと思う人が現れるんです。 そうして自力の中から、他力という
応援を受けて、その人は飛躍的に発展していく事が出来るのです。
また、努力の無い発展は、長続きし難いですが、努力の末に他力の援助を受けた発展は、必ず社会の発展や
貢献に繋がります。 そうなると、その人には守護霊を通じて「神格」という位を持つ霊(神様)からの、
の応援も加わって、益々、社会貢献度が上がっていきます。 そして、人物的にも社会的にも
一流と認められる人となるのです。 あとは、各個人の努力と魂の器に相応した発展段階が用意されて
いるという事です。
これが、守護霊開運方法です。
-2004年10月9日-
今日は、最近あったリクエストの中から、「神霊的見地による開運」という事についてお話します。
現代社会では、いたる所で様々な開運方法や開運グッズなどが紹介されています。
それはそれで、試してみて効果が有ったりするものもあるでしょうが、神霊的な見方からすると、
それらは本人の持つ意志や意識によって随分と変わってきます。
まず、本人が明確な意志を持って運を開いて行こうと、ある開運方法をする時、その意思が非常に
利己的な場合、開運方法の効き目が無かったり、一時運が上昇し、調子付いていたかと思うと、
少ししてから急にストーンと運を落とされてしまいます。 これは、応援してくれるものが、霊的に
善なる者の場合、あえて効き目を無くし、利己的な考えでは運は掴めないよと教えてくれているのです。
しかし、霊的にそうでない応援者の場合、その人の運を上げておいて、よい思いをさせておいてから
急に落としてしまうという事があります。 そうして更に信心させ、アリ地獄のような深みに入らせようと
してきます。 そうすると、もう少しで運が上がるとか、それでお金が儲かるとか、色んな欲的な
思いがどんどん湧いて来るようになりますから、その心情から逃れられなくなってしまいます。
また、ただ自分は何もしなくても、この開運グッズを持っているから、その内、運が向いてくるだろう
と思って、普通に暮らしていても何も起こりません。 ここで大切なのは、そういう物を持った時、
そういう方法をしようとする時、自分の心も前向きになる様に変えていく事です。
そういう物を持った時、自分もそれをきっかけに、願いに向けて頑張ってみる、努力してみるという
日々の姿勢が必要です。 そうした努力の中に、運を掴み取るチャンスが色んな場面で巡って来るの
です。 また、神霊という神格を持つ霊(神様)から見た時、まず最初に見られるのが、開運を願うそ
の人、本人の心の中です。 運が開け、自分の願いが叶った時、その人はどうしていきたいのか。
お金持ちになって裕福にくらし、贅沢だけをしたいのか。 お金持ちになって、裕福に暮らす事は別に
悪い事ではありませんが、その有り余るお金を、困っている人々や社会の為に役立てようとする心、
その願いが念頭にあって初めて、その願いが成就したりするのです。 だから、裕福に贅沢に暮らす
事を念頭に置いて、色んな方法を試しても叶わないか、叶っても一時的なもので、後で後悔することの方が
多いです。 これは、神社仏閣でのお願い事にも共通します。
私は、神霊的見地から言うと、正しい心を持って、開運しようとする努力の中に、他力という見えない
力が加わって運が開けるという事が言えると思うのです。 ですから、その方法やグッズは、自分の
想いを良い方向へと変える、一つのアイテムであると考えておくべきだと思います。 でないと、
それらを100%頼り切っていた場合、もしそれらが無くなった時、一気に不安に駆られてしまう事も
あります。 こうして、心の頼りを求めて暮らす人も多いのです。
最後に、私がお勧めするのは、自分の守護霊様に願いを明確に伝えておく事です。
守護霊様は、絶対に自分を裏切りません。 裏切るのは、この世で生きている自分の方です。
これが、お金も掛からず安心して開運出来る方法です。 次回は、それについて少しお話します。
-2004年10月4日-
今日は、動物霊界の先生役である観音様のお世話で、また私の愛犬に会いに行った
時のお話です。 前回、様々な犬が集まった世界を見て来ましたが、それらの犬達は、皆どこかの
飼い主のもとで愛情を一杯受けて飼われていた犬達です。 だから、元の飼い主が名前を呼べば振
り向いてくれます。 でも、野山で生活していた動物達は、そういう事も無く本能のみで生活
していたので、動物の種類別に振り分けられた「霊団」と言うべき、まとまった意識体の中に取り込まれ
、大きな霊的意識体を形成する中の、各個体の霊として存在するようになります。
しかし、犬と違った種族である、人間という進化した魂を持つ存在に愛情をかけられて育った犬や、
盲導犬や介護犬等に代表される、人間の役に立つ事で感謝されて寿命を終えた犬などは、各魂の性格を
そのまま残した個体霊として、また別の動物霊界で暮らしています。
今回、私が愛犬と再会した場所は、地平線まで続く緑の芝生の先に小さく山並みが見える様な場所でした。
暫くその風景を眺めていると、観音様が上から降りて来られて「それでは、今からあなたの犬に逢わせて
あげましょう」と言われました。 私が「お願いします」と言うと、私が立つ場所から数メートル先に
愛犬の姿が、何時の間にか現れていました。 あれっ?と思いましたが、これが霊界における現象の
常なので、何時もの事とそうは気になりません。 それよりも、また愛犬に逢えたのが嬉しくて、
生前の名前を呼ぶと、ダダダァーッ!と勢いよく走って来て、ポーンと私の胸に飛び込みました。
そして、私が抱える腕の中から落ちる位に、はしゃいでいました。 何故か、前回逢った時より、
感情の出方が大きく、尻尾を勢いよく回転させて、嬉しさを体全体で表しています。
( 犬を飼った方は分かるかも知れませんが、私の犬は嬉しい時、尻尾を左右に振りますが、嬉しさが増す
ほど尻尾の振りは激しくなって、最後は尻尾をクルクルと高速回転させます。) 今回の場所は前回と違い、
各自が自由に気持ちや感情を表現出来る特別な場所らしいです。
私はとても嬉しかったので、
お前も嬉しいか?と心の中でそう言うと、私の頭の中に「嬉しい」という言葉がフッと浮かびました。
そうかー!嬉しいのかー!と言うと、またまた頭の中に「嬉しい」
という言葉が大きく浮かんだ途端、「嬉しい!嬉しい!嬉しい!嬉しい!嬉しい!」と、頭の中に
「嬉しい」という言葉が連続で出て来て、それで頭の中が一杯になりました。
これが、動物の感情表現なんだなーと妙に感心しました。
それから、芝生で気が済むまで走り回ったりして楽しく時間を過ごし、最後に「西岡学校に来るか?」
と愛犬に聞くと、「行きたい」という念が来ましたが、私の横におられる観音様の顔をチラッと見て、
迷っているようでした。 観音様は、私と愛犬の様子を見て「もう暫くすれば、その願いも叶う
でしょう」と仰いました。 私は、そうだな〜、観音様がそう仰るなら、次は西岡学校で逢えるだろう。
と思い、愛犬に逢わせてくれたお礼を述べて別れました。 帰り際、愛犬は観音様の足元に寄り添って
白金色に光る雲に乗って空高く上がっていき、雲間でフッと消えました。 この後、数週間後に、
神様の特別の計らいで、我が愛犬を西岡学校に呼ぶ事が出来、今では西岡学校の小さな新入生が、
私の愛犬の世話をする係りになっています。