ちょっと一言。
-2003年12月30日-
今日は、マリア様に本年度、最後の「ちょっと一言」のお話をお頼みしました。
皆さま、初めまして、マリアでございます。
このたび、2003年度の最後の「ちょっと一言」のコーナーに、私のお話を
載せたいとのお頼みがありましたので、少しだけお話させていただきます。
先生に、このコーナーは、あまり難しい事は言わないで下さいと言われましたので、
ここに来させて頂いた感想などを述べさせていただきましょう。
私は、今年より、先生のお家に度々お邪魔させて頂いています。
そして、先生のお家の上には、もう一つ別の世界があります。
それは、西岡学校などの施設がある世界と、様々な神仏様方がお集まりになられる
世界があります。 その二つの世界と、この地上世界とを結ぶ役割をされているのが
先生なのです。 私は、日本の神々のお祭りの日に、先生に呼ばれると、その神々の
集う世界にやって来ます。 以前は、私も日本の地へ赴くのに少々緊張して、お供に
数十名の天使たちを連れて行きましたが、今ではもうすっかり慣れてしまって、私と
数名の天使か、またそれ以外に、私一人で赴く時があります。
そんな時は、西岡学校の可愛い子供達が、皆そろってニコニコ顔で私を迎えてくれます。
そんな天使の様な笑顔で迎えられると、私も心がウキウキしてまいります。
西岡学校の子供達は、まだ小さいながら、それぞれに役目を持っていて、自分より小さな
子供の面倒を皆でみています。 私の国の小さな天使たちも、西岡学校の子供たちのように
素直で明るく、皆良い子に育ってほしいものです。 また、何時来ても楽しいおもてなしを受け、
お供え物も珍しいお酒や、手作りのパンや、ケーキなどもお供えして下さり、皆の神達共々喜んで
おります。 また、日本の神々とお話もしますし、色んな教えを受けたり、また私の国の
教えなどもお話したりします。 ですから私達にとっては、とても有意義な時間の場を提供して
いただき感謝しております。 また帰りには、それらの物をお土産として持って帰ります。
そうして、楽しい一日を過ごさせて頂くという具合です。 この様な感じで宜しいでしょうか?
ではこれにて、私マリアのお話を終えさせていただきます。 ありがとうございました。
・・以上でアリア様のお話は終わりです。 本年もご支援を頂いた皆様、ありがとうございました。
来年も、皆さまに天上界からの御幸運が舞い降りて来ますようにお祈りいたします。 それでは皆様、
良いお年をお迎え下さいね。
-2003年12月27日-
今日は、つい二週間ほど前に私の書いた本が出版されましたので、その事について
色々と書いてみたいと思います。 まず、本の題名ですが「幸せに生きるための心の法則」と
言います。 ページ数は165ページで、二部構成になっております。
最初は、天上界の神々のお言葉と称して、諸神霊の霊言とその解説を、次は、著者自身の言葉
として、霊界の法則などを色んな角度から見て解説したものになっています。
その中には、昔からの仏教理論なども現代風に解説し直したものもあり、読者の皆さんが出来るだけ
理解しやすいように簡単な言葉で書いてあります。 また、イエス・キリスト様などの霊言もあり、
仏教だけでなく、神道の神様の霊言もあります。 病気に苦しみ悩んでいる人には、薬師如来様の
霊言がありますし、救いを求める人には阿弥陀如来様の霊言があります。
真理を学びたい人には、お釈迦如来様の霊言があり、愛の真理にはイエス・キリスト様の霊言があります。
これら全てに私の解説が付いていますので、霊言だけでは理解しにくい人は、この解説が非常に
役立ててもらえると思います。 この本は、単なる学問的な宗教書ではなく、もっと神の存在に
迫り、神の意識に迫ったものになっています。 そして、霊的悟りを得た人のみが知る事の出来る
事柄が、簡単ではありますが高次元の神理の言葉で綴られています。 信仰心を持つ人は、更に
高次元の神理を知る事が出来、初めて宗教的な本を読まれた方でも、霊界とはこういう所かとか、
人間の死後は、この様な所でこんな風に存在しているのかというものが、解っていただけると思います。
今日は、自身の本の紹介をさせて頂きました。 これを読んでご興味を持たれた方は、ぜひ御一読
して下されば幸いです。
-2003年12月24日-
今日は、人間の性格と憑依の関係についてお話します。
人間にも色んな性格があるように、霊にもやはり色んな性格があります。
霊とは、人間としてこの世に生きていた者が、肉体の死後に魂だけの存在となり、
あの世の世界の住人となる訳ですが、この世の悩みや執着などが心の中に
一杯残っている人の魂は、成仏出来ずに未練一杯の迷える霊として、執着の残るこの世に
残ってしまうのです。 その様な人達の霊魂が、この世で生きている人達の中で、
同じ様に苦悩したり執着心の強い人を見つけると、すごく仲間意識を持ってしまい
この人と一緒に居ようとします。 これが憑依現象です。
苦悩する霊に憑かれ易い性格とは、その人自身、何時も同じ様な悩みを抱えている人です。
例えば、病気で何時も悩んでいる人には、同じ様に病気で亡くなられた人の霊が憑きます。
何時も、生きるのに希望が無く絶望感が在る様な人には、自殺した人の霊が憑きます。
人との接触が苦手な人には、人間関係で上手くいかなくなって亡くなられた霊が憑きます。
すぐに怒ったり人を傷付けたりする人には、地獄の修羅界の霊が憑いたりします。
でも、人の良い人、何でも断り切れない性格の人、それでいて落ち込むと深く悩んでしまう
タイプの人が、一番憑依されやすい人です。 魂自体が迷える霊を断り切れないんですね。
この様に、一つの事を長く心に持ち越して悩んでしまうタイプの人、お人よしと言われる人は、
霊に憑かれ易い立場にいるのです。 ですから、出来るだけ心に執着心を持たず、確りした心を
持つ努力をする事が霊に憑かれにくくする方法です。 お金に対して必要以上に執着を持つ人は、
あの世でも相変わらずお金を追い求めているのです。 その様な霊と、自分の心の波長が合うと、
本当に「我利我利亡者」と呼ばれる霊の欲望のまま、お金の為なら何でもする様な人間に
なってしまうのです。 またこの時期は、お酒を良く飲む時期でもあるので、霊に憑かれ易い
時期にもなります。 何故かと言うと、お酒は心を開放しやすくする作用がありますので、
普段は理性が押さえている事でも表に出てしまったりします。 それは同時に、確りした意識が
薄れるという事であり、心のバリアーも緩みがちになるという事です。 そうすると心が
緩み、無防備になった身体に霊が憑依しやすい条件を作る事になります。 ですから、
お酒の席は霊に憑かれやすい環境であるという事が言えます。 実際、お酒の席には、
悩みや愚痴をこぼす人が多く、様々なこの世的欲望(お金話や、男女問題など)の想念が
渦巻く場所なので、憑かれ易い性格に当てはまる人は注意が必要です。
-2003年12月21日-
今日は、精神的悩みと憑依の関係についてお話します。
私は時々、インターネット上での精神的悩みの掲示板や、相談事のページを
見たりしますが、その時にその悩み事を書かれた人の気を読んだりする時が
あります。 そうすると約半分近くが何らかの憑依現象であります。
その憑依が原因であると思われる、精神的悩みを持つ人の多くは、人生の何処かの時点をきっかけに
悩み事が拡大しています。 自分では気づいていないようですが、悩み事を読んでいると、「あぁ。
ここの時点で何かに憑依されたな」という事が解ります。 その後は、薬を飲んで治そうとしても、
他人の忠告を聞いても全然治りません。 治らないはずです、自分の心の状態を悪い方向へ引っ張る
霊的存在を排除しない限り、完治という事には程遠いのです。 それには、自分の心の状態を
客観的に見る事によって、自分の心の向きがどういう方向へ向いているのか知る事です。
そうすると、自分の性格の一部に必ず偏りを発見するはずです。 その偏りを治すために
心を改善していく努力をするのです。 そうしないと、その偏りの部分が、どんどん
大きくなって自分でも制御出来ない程になってきます。 そうすると、それが普通の人と違って
自分だけ特殊なんだという気になってきます。 そうして自分の中で悩みとして確立されると、
頭の中はその悩みで一杯になってしまいます。 それで、一日中悩んでいたり、他人と自分は
違うのだという考えを持ったりします。 そうして、段々自分の中で不幸感が強まってきます。
その様な、不幸感や孤立した精神状態に陥った時に、同じ様な悩みを持って亡くなられた人の霊に
憑依されたりするのです。 こうなった時は、余程自分の精神力を鍛えていない限り、霊を振りほどく
事は難しいのです。 霊に憑かれると、今までの不幸感や無気力感や絶望感が、更に強まる傾向に
あります。 ですから、その様な人は、正しい心の持ち方や生き方を指導してくれる所へ行ってみる
事も一つの手です。 確りした人について指導してもらわないと、余計に悪くなる可能性があります。
よく同じ悩みを持つ者同士が集まって慰め合っていますが、悩みを聞いている者自体が救われていないのに、
相手の悩みを解決出来るはずがありません。 それは、一時の心の慰めにしかならないのです。
精神的悩みは、心の不幸を呼び、不幸は悪霊を呼びます。 そして、悪霊に憑かれた人は身も心も
本当に病気の様になってしまいます。 こういう、連鎖反応が知らない内に起きているのです。
これも、現代人の社会的ストレスが原因であったり、性格によるものがあったりします。
憑依された霊を取り除けば、比較的楽に精神的な不安は治まりますので、後は意識改善を実行していけば
元通りの自分に戻す事が出来ます。 次回は、性格と憑依についてお話します。
-2003年12月18日-
今日は「気」について少しお話します。
「気」は生活の中で、色々感じられる事があると思います。
例えば、友達同士で話をしていても、お互いの言葉や感情を認識しながら互いの「気」を
やり取りしている訳ですし、その話がこじれて喧嘩になれば互いの憎しみの「気」を
やり取りするのです。 そして、和解して元通り仲良くなれば、それまでの憎しみの
荒い「気」が今度は、親しみのこもった穏やかな「気」になります。
また、悩んでいる人の話を聞いていると、何だか自分まで気分が滅入ってしまう事が
よくありますが、これも悩んだ人の「気」を貰ってしまっている為です。
あと、楽しい事に従事している時の心は晴々としており、そこから生み出される「気」も
楽しくウキウキした「気」です。 また、その「気」を一緒に受けた人も、心がウキウキと楽しく
なるはずです。
この様に、普段何気なく生活していても、他人の「気」を受け、また自分でも「気」を出しているのです。
いつも受ける「気」が、良い「気」ならいいですが、悪い「気」なら身体にどんどん悪い
「気」が溜まっていき、神経や体調まで不調をきたしてしまうのです。
神経の敏感な人は、街中で飛び交う乱れた「気」を拾ってしまいやすいので、気分が
悪くなったりします。 その様な事が度々あると、街へ出て人ごみの中を歩いているだけで
パニックになったりして、精神的に不安定な状態になってしまいます。
「気」は、自分の中で良くも悪くもなるので、心の状態を見直し、悩みや取り越し苦労などを
あまり長く持ち越さないようにして、自分の中に出来るだけ悪い「気」を作り出さない
様にしましょう。 そうすると、少し位の乱れた「気」を受けても、それを身体がはねのける
事が出来るのです。 それが、自分自身を守る事にも繋がります。
また「気」は、自分の身に着ける物にも移ります。 その人の持ち物の気を読めば、その人の
想いの一部が読み取れます。 ですから、よくテレビなどで特集を組んだりしていますが、
ある事件があり、被害者の持ち物を見て、その本人が今何処に居るのかとか、どの様な状態で
あるのかという事を推測している場面がありますが、あれは本人の持ち物に残された「気」を
感じ取っているのです。 そして、持ち物と同じ本人の「気」の出所を探す訳です。
「気」は、この様な使い方もあるのです。 ですから、人間の数が多ければ多いほど「気」は
その数に比例して多くなり、その種類も増えてくるのです。 人ごみに出て何だか疲れたように
感じるのは、一杯飛び交った「気」を散々受けて帰って来るので、「気」を受けるアンテナである
精神が疲れてしまい、身体までだるく感じるのです。 これが、自然の中でなら同じ時間を過ごしても、
精神はリラックスし、身体は使った分だけの心地よい疲労感が残るだけでしょう。 自然は、
乱れた人間の心の「気」を癒す作用があります。 現代社会の人間は、まず「気」を休め、心の
浄化をするべきだと思います。 そうして、出来るだけ良い「気」を出す時間を増やしていく
習慣をつける事が、これからは必要になってくると思います。
-2003年12月15日-
今日は、この前の続きをお話します。
私が、光の中で天使や私に向かって飛んで来るような光の粒を不思議そうに見ていると、
今まで私を見ておられた大天使様が、すごく親しげに言葉を掛けて下さいました。
その話の内容は、以前から私の事を見ておられて、これから自分(大天使様)も私の
指導や助けをして下さるという内容でした。 そして「今後、何かあれば何時でも私の名を
呼びなさい。 そうすれば、きっとあなたを助けに降りてくるでしょう。」と私に
仰いました。 私は、「はい、ありがとうございます。 でも、出来るだけあなた様をお呼びする
様な事の無いようにがんばります。」とだけ言うと、「はい、それも良いでしょう。」と大天使様は
嬉しそうに微笑んでおられました。 そうしている内に少し慣れてきましたので、自分の光を出してみようと思い
出しましたところ、まだ光の輝きの度合いが小さい(魂の器が小さいと光量も小さい)ので、
どうしたもんかと考えますと、すぐに大天使様は「では、あなたの心の器を見せなさい。」と言われるので、
私が自分の心の器をお見せすると、宇宙規模ではありますがまだ小さなものでした。
この世的に言うと、太陽系は範疇に納めても銀河系を統括するほどではないという範囲です。
ですから、私の心の中心にある光の光源の威力を高める事が必要になりました。
大天使様は、その光の光源に入って行かれ私も続いて入りました。 (これは、自分の心の内に
入るという事です) そして、そこで初めて自分の光の光源を見ました。 それは、小さな
太陽の様な光の塊でした。 そこから無数の光の粒が、四方に拡散しています。 その光の粒は、
自分の細胞の一つ一つにまで染み込んでいく様です。 正に元気になる光のエネルギーです。
大天使様と私とで、その光の光源に向かって、光源である光の塊が拡大する様に祈りました。
すると、核爆発でもしたかのような光の爆発(無音です)があり、辺りは真っ白に輝く光で何も
見えなくなりました。 ようやく眼が慣れてきますと、数倍に膨らんだ光の塊がありました。
大天使様は、「本当はあの光源の中にも世界があるのだよ」と仰いましたが、その時はもう十分
でしたので、私がもういいかなと思うと、大天使様は「そうか、ではこれまでにしよう」と言って
終わり、私がお礼を述べると「うむ、ではまたな」と言って一瞬でお消えになりました。
その後、私の心の器は以前よりも増して大きくなりました。
-2003年12月12日-
今日は、大天使様の御降臨の様子をお話します。
それは私の瞑想中に、天上界の遥か高みより一際明るく輝く光が射して来たところから
始まりました。 その光は何故かサッと一度に射さず、ゆっくりと周りを明るく照らしながら
降りてきます。 そして、光に照らされた空間は白金色に輝き、その輝きがあまりに強くて
何も見えない位です。 その光の輝きが、天の頂上からゆっくりと半分位まで降りて来た時、
頂上の輝く光の中から何やら人の顔の様なものが見え出しました。 その間も光り輝くカーテンが
降りて来る様な感じで私のもとへ迫ってきます。 すると、段々天の頂上付近の光が薄くなって来
たかと思うと、先程の人の顔が男性の顔であり、輝く金髪をなびかせて私を見ているのです。
そのお顔は、面長で鼻筋が通り、唇は微笑を浮べ、キリッとした眉に涼しそうな眼差しではありますが、
その眼にはとても力強さが表れておりました。
そして、お顔全体から光が出てピカピカと輝いています。
まるで、やわらかな太陽の日差しを直に見上げている様な感じを受けます。
そうしているだけで、何故か心が癒されていく様な感覚になり、このままずっと見ていたい気分に
なります。 でも、私に近づいて来る光のカーテンが気になりますので、そちらの方を見てみると、
その光のカーテンから大勢の天使達が一緒に降りて来ます。
光の天使という言葉がピッタリの様な、皆がそれぞれに輝いていて本当に天使の翼が背中に付いています。
私は本で見た天使と同じだなぁ〜と思っていると、既に私は光の中に包まれておりました。
あたたかい光でした。 そして、魂が喜ぶ光でした。 「感謝」という気持ちが自然と湧く光でした。
あの光の色は、地上には無いでしょうし、
また表現出来ない光です。 何故なら、その輝く光自体は単なる光ではなく、
それぞれに意識を持つ無数の光の粒の集まりであるからなのです。
次回に続く。
-2003年12月9日-
今日は、霊言能力についてお話します。
霊言能力とは、霊の言う言葉を人体を通して声に出して言う能力です。
それには、大きく分けて二通りのタイプがあります。
一つは、受けた霊の言葉をそのまま声に出していう霊言です。
これは、霊を受けて話す側の霊格にもよりますが、その辺の浮遊霊から先祖霊、神様と呼ばれる
霊体まで、その人の言語能力に限らず、霊自体が生前使用していた言葉を喋る事です。
例えば、話す側が日本人であり、外国語を知らなくとも、外国の霊を受けた場合は英語で喋る
という事が起きます。 そして、霊が離れた瞬間から、その人は英語は話せません。
それは、その人が受けた霊自体が英語を母国語として話していた外国人である為、英語を話していたに
すぎず、その霊自体が離れると英語を話せなくなるのは、受ける側の人間が英語を知らないからであります。
また、霊本人しか知らない秘密をスラスラと話せるのも、この霊の言葉をそのまま話すタイプの霊言の特徴です。
もう一つは、霊を受ける側の人を守り指導する役目の指導霊が、霊の言葉の内容の良し悪し
を判断し、受ける側の言語能力の範囲で話せるように調整するタイプです。
このタイプの人は、霊が良くない事を言おうとした場合、それが社会を混乱に導く様な事であれば、
自分の意思でそれを言わなく済ませる事が出来る能力を兼ね備えます。
ですから、日本人の能力者が外国人の霊を受けた場合、言葉は受ける側の日本語を話すという事に
なります。 そして、自ら指導霊と話の善悪を判断しながら話す事が出来ますので、余計な
他人の混乱を防ぐ事が出来るのです。 悪霊などの言葉をそのまま話すと、聞いた本人の人生まで
狂わしてしまう可能性がある為に、この能力は必要であると思うのです。
本来、このタイプの能力者は、高次元の神とのコンタクトを専門としているので、低級霊とは指導という
形式をとって導く事をします。
霊能者や一般の霊的能力を持つ人でも、大体どちらかのタイプに分ける事が出来ると思います。
言葉の意味の良し悪しに関係なく、何でもかんでも霊の言葉を話してしまう人と、神様と相談しながら
言葉を選んで言ってくれる人とがあるのです。 それが、聞く側の人にとって、その時期はそれが
一番良いと神様が判断したからです。
しかし、何も知らずに判断すると、何でも構わずに霊の言うなりになって、霊の生前の国の言葉で話す事が
出来る能力を持つ人の方が優れていると思われがちです。 しかし、それは天国に還っている霊なら
ともかく、悪霊であった場合どうなるかです。 この辺を総合的に判断する必要があります。
-2003年12月6日-
今日は、霊視能力についてお話します。
霊視とは字の如く、霊を見る能力です。
霊を見ると言っても、幽霊などを見てしまう様な、自分の意志とは
関係なく見せられるものを霊視とは呼びません。
霊視は見ようという意識のもとに霊を見る事の出来る霊眼能力であり、目の裏に映し出されるように
見えるという感じです。 また、先日書いた霊聴と同じくらいの割合で、一般の人々の間にもこの能力を
持つ人が見受けられます。 あとは、能力の度合いで見れる範囲が変わって
きます。 ただ霊の顔などが見れるというものから、その霊が居る周りの景色、
またその霊の只今の状況、そしてその霊の生前の所業などが、まるでビデオを見るように
見れるのです。 そして、霊眼から更に高度な心眼(心で観る)になると、必要な所だけを
ピックアップして見る事も出来、重要な所を更に細かく見ることも出来るのです。
更には、その霊自体の心の様子まで見る事も出来るのです。 もうちょっと高度になりますと、
霊界を観る事も出来ます。 下は地獄界から上は天上界まで幅広く観る事が出来ます。
それには、ある程度の見る側の霊格が必要です。 霊格が低いと、天上界までは見え無い事もあり、見えても
外側だけの差し障りの無いものだけを見るという感じです。 霊格が上がると見える範囲も
情報量も増してきます。 天上界の神々なども見れますし、霊聴と組み合わせれば神と対面
しながら、ためになる話を聴く事も出来ます。 そうして、どんどん霊格が上がってくると
神の光を「感じる」ではなく、実際に見る事も出来る様になります。 そうすると神の姿は、本当は
光の塊であるという事実が理解出来る様になります。 神は、輝く光の意識の存在であり、
下の者達に解りやすく見せる為に、人間の様な姿を見せているだけなのです。
霊視も見る側の霊格次第でここまで見る事が出来る様になるのです。
あとはもっと重要な事を見る事も出来ますが、霊視を超えた超次元霊視という
ものになりますので今回は書きませんが、霊視にはその様な段階があるという事です。
-2003年12月3日-
今日は、霊能力の中の一つである、霊聴能力について簡単にお話します。
霊聴能力は、簡単に言うと霊の声を聞く事が出来る能力です。
でも、その能力には色々有って、直接的に耳元で囁くような声が聞こえるものや、
心の中に声の様な感覚で聞こえるというのがあります。 また、聞きたくなくても
聞こえる場合や、聞きたい時だけ聞ける人も居ります。 耳元で聞こえる場合は、
霊的能力を持つ人なら普段の生活の中でもよくあります。
霊的能力を段階的に判断すると、まず最初の段階は、聞きたくなくても耳元で囁かれる段階です。
これは、低次元霊の霊的作用によって引き起こされる霊的現象段階です。
次は、聞きたい時に耳元で聞こえるようにするという段階です。 これには更に上中下の段階があって、
下段階は気を許すと聞こえてくる場合があるもの。 中段階は意識の統制が出来てきて、自分である程度
調節出来る段階。 上段階は、聞く意識を持って聞く事が出来、その相手と話のやり取りが多少出来るという
段階です。 次に、心の中で声がして、それを聞くという段階があります。 これは、霊的レベルが
上がってきている証拠です。 この声の主は自分の守護霊様の場合が多く、自分に必要な指導的内容や、
簡単な未来的判断も聞けます。 その上の段階が、心の中に響いてくるような重々しい声が聞こえる場合です。
これは、人にもよりますが守護霊様の霊格や、その他の神様的なお告げの様なものの霊的意味合いが含まれます。
また、この声を一方的に聞き役専門でいる人は、この段階での下段階です。 そして、もう少し霊的能力が
上がってくると、自分から声の主に対して、質問なども聞けるようになります。 更にその上の段階では、
自分以外の事に付いても、声の主に質問出来、アドバイスや簡単な未来的予想なども聞けます。
霊的能力の幅が広がって、物事の重要性や聞ける範囲が拡大します。
更に、この遥か上の段階では、神々との交信があります。 そして、上は地球最高神霊までの間の
神々のお言葉を聞く事が出来るのです。 これが、霊聴能力というものです。