ちょっと一言。
-2003年2月28日-
今日は、お仏壇関係のお話しをします。
まず、お位牌ですが、亡くなられた人の戒名を刻んだものを位牌と言い、
そこに亡くなられた人の魂が入り、あの世とこの世の、出入り口とします。
簡単に言うとすると、位牌とは、ドラえもんの「どこでもドア」と同じ働きを
持つと言えます。 亡くなられた人の魂は、お墓や位牌に縛りついているのでは
ありません。 ちゃんと、天国という霊界へ還っておられます。
ですから、魂は霊界に在り、お命日やお彼岸やお盆などの、霊界からこの世に
還って来る時に、位牌という出口を目指してきます。 そして、位牌からこの世の
世界を見ているのです。 少なくともこの時期には、お仏壇の前に座り、ご先祖様
に自分達の元気に育った姿を見せて安心させてあげて下さい。
そして、「何時も守ってくれてありがとう」と感謝の念を向けてあげて下さい。
そうすれば、ご先祖様も喜ばれますし、子孫を更に守ってあげようとする気持ちが起き、
お互いどちらも、良い事が循環していきます。
これが、俗にいう「先祖のお蔭」というものです。
-2003年2月26日-
お墓参りは、一人で行かずに、家族と一緒に行くようにしましょう。
何故かと言うと、墓地には様々な不成仏霊がおり、中には参道を通る人に
憑いたり、無縁仏になった霊が、行き当たり的に憑いたりと、あまり墓地
という場所は、良い所ではありません。 自分達の墓はきちっとしていても、
周りの墓の状態や環境が悪いと、やはり良くない影響を受けやすくなります。
そして、一人が良くないというのは、悪霊が何体も寄り付いて来た時に、自分の守護霊一人では
守りきれない場合があるからです。 普段の生活環境では、別に支障は無くとも、墓地の様な
不成仏霊が沢山いる所では、よほど霊能力を持ち合わせていない限り、何らかの悪影響が身体に
起きます。 ですから、家族と一緒に参るというのは、家族一人一人の守護霊達が共同で
家族全体を守ってくれるので、少しくらい不成仏霊が寄って来ても、防いでくれるのです。
この様な、霊的力関係が見えないところで働いているのです。
あと、他人の墓に情けをかけて、余ったお供え物やお花をあげたりすると、霊が「この人達に頼ろう」
と、情けをかけた人に憑したりするので、やめておいた方が良いと思います。
この様な事は、普通の人は知らないので、これを読んだ人は自分を守る意味でも、気にかけておいて
損は無いと思います。
次回は、お仏壇関係についてお話しします。
-2003年2月23日-
今日は、もう直ぐお彼岸が近いという事で、お墓参りについてお話しします。
お墓というのは、亡くなられた人の骨を入れておく物であり、墓石には、何々家先祖代々
と、家系を刻みます。 これが、家で云う表札の代わりをするものです。
しかし、この理屈をまともに受け入れて、死後、自分のお墓に留まって、墓守の様に
墓を守っている人(霊体)がいます。 この様な、墓に執着が残っている人は、天国にも
往けずに、ずっと寂しい墓地に居なければならないので、墓参りに来てくれない家族達に
災いを起こしたりして、何とか気付かせようとしてくるのです。
また、お墓は有っても、長い間、お墓参りをしないでいると、当然お墓や、その周りが荒れてくるので、
先祖霊達は、自分の家が汚れたままだと言って怒って、また災いを起こしたりします。
これが、先祖霊達が原因で起こる霊障といわれるものです。
墓地には、この様な霊達が、大勢自分の墓にしがみ付いて、来る人来る人を睨んでいます。
そして、自分の家族がお参りに来ない霊は、他人の墓を羨ましがっていたりしながら、
自分の家族が来るのを待っていたりするのです。
この様な光景が、普段のお彼岸の墓地の様子です。
次回もお彼岸シリーズで書いていきます。
-2003年2月20日-
今日は先日、韓国で起きた地下鉄放火事件の後について少し書いてみます。
犯人の事は、私があまり言う立場ではないので控えておきますが、テレビを観ていて
事件現場が映ると、誰も居ない現場に大勢の人達が、喚きながら逃げまわっているのが
見えました。 その中で、現場中継をしている報道キャスターが、このニュースを
カメラに向かって読み上げている後ろや、周り一面に、真っ黒い煙の中、ススまみれに
なって逃げ惑う人達が見え、何か口々に大きな声を張り上げて、怒鳴っています。
そして、皆が我先に地上を目指して、階段を探すのですが黒煙がひどくて見つかりません。
その内、一人、また一人と火災の熱と煙の為に、人が倒れていきます。
それは、まるでこの世に起きた、地獄のようでした。
私は、何か起きた場所を、まるでビデオテープを再生して観るような感じで、時間をさかのぼって
観る事が出来るので、こういう場面を観てしまうのです。
その様な所を、報道陣達は入って行くので、私は、もしこの人達の中で、少し霊感があって
霊視が出来たなら、怖くて一歩も入れないだろうなと思いました。
そして、この現場が癒される事は、なかなか出来ないだろうな、とも思いました。
この様な、大きな事件や事故現場は、どこにでもあるのです。 ただ、人間がその時の事を
忘れているだけです。 ですから、この様な場所は、今でも時折、事件や事故が起こるのです。
私は怖がりなので、それ以来、この事件の関連ニュースを見ていません。
あまり一生懸命に観ていると、電波に乗って、テレビ画面から出てくるからです。
-2003年2月19日-
今日は霊界の中で「神界」と呼ばれる神様の世界へと入って行きましょう。
ここは、生前、各分野に於いて、人々や社会の発展に尽くした人達が集まった世界であります。
それは、普通の人間より秀でた才能を持ち、それを社会や他人の為に使ってきた人達です。
この世界での神様は、まだ自分の専門分野の勉強や研究をしています。
そして、自分達の得た知識内で、一段階下の霊界に住む人達に、神について説法等をしています。
言わば、学校の先生の様な役割を持っています。 この為、この世界の建物は、やはり学校や
研究所、寺院などが建っています。 そして、周りは自然美が豊かであり、世界全体が輝いて
いるような感じです。 また、この世界の人達は皆、身体からオーラが出ており、後頭部には
丸いお盆の様な光が出ています。 それと、天女なども居られます。 よく仏教画などに
画かれている絵と、同じ様な姿をされています。 昔の画人や宗教画家などは、本当にこの世界を
観て来て画いたんじゃないかと思います。 この様に神の世界があり、その世界にも段階があり、
更に上の世界があるのです。 この様に、霊界は多重構造になっており、
まだこの他にも、色々な霊界がありますが、今回で終わらせてもらいます。
次回からは、また、違う話題で書いていきます。
-2003年2月16日-
今日は、霊界の風景と云う事で話しを進めていきたいと思います。
霊界は、幾つかの次元構造になっており、次元ごとによって風景が少しづつ違ってきます。
その中で、霊界人口が多く、この世に生まれ変わる比率の高い世界を観てみましょう。
そこでの人々は、此の世の様な苦しみが無い為か、皆一様に穏やかであり、風景も田舎風
であります。 そこに住む人々の家も、小じんまりとした建物ですが、皆がとても仲良く
暮らしています。 庭には、そこに住む人の好きな花が咲いており、縁側から眺めると
とても綺麗です。 また、家の向こうには丘が広がっており、気が向けばその丘の上まで
散歩をしたりしています。 そして、桜や色とりどりの花が咲き、小川が流れる丘の芝生の上に
家族や気の合う者同士が集まって、お喋りなどを楽しんでいるようです。 こうして、思い思いの
時間を過ごし、また自分達の居場所へと戻って行き、そこで、自分なりの勉強や読書等をしています。
そして、自分の命日が来れば皆でお祝いをしてくれ、その時に自分の子孫(子や孫など)が自分の事を
思い出し、好物のお供え物などをあげてくれたりすると、霊界では皆の自慢になります。
反対に、何もしてくれない子孫を持つ先祖達は、自慢も出来ずにいて可愛そうです。
こんな場面を見ると、やはり供養は大切なんだなと、つくづく思います。
この様な事が、霊界の風景であり、日常です。 次回は少し神様の世界へ入ってみます。
-2003年2月15日-
今日は、霊界の生活について話をしていきます。
その中で、昨日はバレンタインデーという事もあり、私の先祖(女性達)からチョコレートを
貰いました。 チョコレートのまだ無い時代に、どうしてわかるのかと云うと、礼拝時に
バレンタインデーの事を説明したところ、自分達も一度やってみたいらしく、我が家の女性達
と一緒に作っておりました。 (チョッとした軽い憑依現象の様なものと考えて下さい。)
こんな感じで、私や、同じ仏同士の男性にあげて、はしゃいでおりました。
また一つ、新しい事を覚えたようです。 こんな事も、霊界では行われているのです。
普段の生活は、皆それぞれに自分達の勉強や、好きな人と会ったり、一緒に何処かに行ったりして
時間を過ごしています。 そして、礼拝やお供え物をした時などに、皆が何処からともなく
集まって来て、一緒にお経をあげたり、お供えの物を食べたりしています。 しかし、食べるというのは、
仏壇に置いてある物を本当に食べるのでは無く、お供え物自体が一種の「気」の様なものになって
霊界へ行き、先祖の目の前に現れるので、言わば、「お供え物の霊体」とでも言いましょうか。
これを、霊体(先祖)が食べます。 霊体同士ですから、食べれますしね。 これ基本です。
物質界に住む私達人間が、物質である食べ物を、食べれるという事と同じ原理ですもん。
この様に、霊界でも、時代はその人たちの時代背景ですが、新しい事を教える事によって、
現代風になって来たりもするという事です。 ややこしいかも知れませんが、事実なんです。
先祖という事は、皆が昔の人であり、最近の事柄や行事などは知らないので、仏壇の前で語りかけるように
教えてあげるといいですよ。 色んな事を知るというのも、霊界に居る人にとっては良い勉強になるのです。
こんな事が、先祖と子孫との魂同士、良い関係になっていき、普通の人では思い付かないような供養が出来ているのです。
今日はこんな感じです。 また次回に続きます。 今度は霊界の風景でも書きましょうか。
皆さんも、霊界について知りたい事があれば、メールして下さい。 このコーナーで説明させて頂きます。
-2003年2月13日-
今日は、昨日の続きで「霊界の様相」という話をしていきます。
霊界は念いの世界であり、自分が「こうしたいな」と念えば、その様になる世界です。
ですから、生前の自分の心の状態が即、形となって現れるような感じです。
この為、その人の心の状態(心の傾向性)が善ければ、全てに美しい世界が広がり
人々は皆親切であり、生前の生活より素晴らしいものになります。
しかし、生前の心の状態(心の傾向性)が悪ければ、目の前に広がる世界は、暗く、寂しい世界で
あったり、誰かに「殺されたり」「殺したり」する様な世界であったりします。 寂しい世界は、その人が生前に、人と社会
の中で疲れきってしまい、他人との接触を嫌い、一人の方(孤独を愛する事)が好きだったという人です。
また、殺害の世界に居る人は、他人を傷つける様な言葉や念い、行動などをよくしていた人であり
その人の傾向性として、心に染み付いた為にその様な世界へと振り分けられるのです。
また、霊界には気の合う者同士が集まって暮らしています。
これは、生前に仲のよかった者(夫婦や兄弟、恋人同士)などです。
しかし、気の合わない者同士は、たとえ同じ世界に居ても会いません。
心が会いたくないと思えば、会わなくて済むからです。
ですから、現在の世界は「会社などで嫌な上司と一緒に仕事をしなければならない」という
辛さがありますが、あの世(善人の世界)では、そんな気苦労はしなくて済むのです。
この様に、善人の世界は、苦しみというものが無くなっていく世界なのです。
今日は霊界の法則について簡単にお話しました。 次回は、霊界での生活についてお話します。
-2003年2月12日-
皆様、お久しぶりです。 最近の私は、神霊という「神の世界」や「神の教え」を書いた本を出版しようと
様々な「神」の御霊言や神理について、色々と書き溜めている最中です。
そして、朝から昼までの間に礼拝し、その後、夜寝るまでずっと「神」について書いております。
その為、「ちょっと一言」がお留守になってしまいました。 でも、今日少し一段落したので、
また書かせて頂きます。
今日は、その教えの中の「霊界」について簡単にお話してみたいと思います。
「霊界」とは「あの世」の事であり、人は死後、約7週間程でそれぞれ「霊界」へ旅立ちます。
この7週間が、色々な死に方があるにせよ、自分が死んだという事実を受け入れる、
この世にケジメをつけ期間であります。 しかし、未練や執着があり、自分の死を受け入れられない
人は、この世に残り自分の死んだ場所など、心に執着が残っている場所にウロウロしています。
これが、幽霊といわれるものです。 結局、自分の定まらない気持ちがある為、「霊界」へ
と旅立つ時期を外したという事なのです。
次回は「霊界」の様相についてお話ししたいと思います。