神霊による人生相談

ょっ言。

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-2003年6月28日-
今日は、八正道の中の「正語」についての説明です。
正語とは、「正しく語る」という事であり、他人に対してお世辞や悪口、嘘や偽り等を 言わない事です。  言葉は正しく使わないと、不用意な言葉によって人を傷つけたり、 惑わしたり、また使い方によると、他人の人生をも狂わしてしまう事があるのです。   ですから、私達は知らない間に友人や家族や社会の中で、人を傷つけたりしている事が あるのです。  また、悪心を起こして、わざと他人を言葉で傷つけたり、陥れたりと いう様に、言葉は悪く使えば一人の人間のみならず、多くの人間達をも不幸にするほどの 力があるのです。  これは、独裁者的な人物が、国民に対して発言する時などがあります。   この時に、発言者の心が悪の思想に染まっていれば、当然、発言の中に悪の意識を含んだ言葉が出て来ます。   そして、この発言のもと、国中に誤った悪の思想が充満し、悪魔の政策や悪の思想を持った 国家として破滅の道をたどるのです。  神理に対して、誤った思想を含む言葉は、地獄の 悪の念を受けて更に発展していきます。  ですから、上記の様な事が実際に起きてしまうのです。   また、言葉は、正しく語れば、落ち込んでいた人間を希望の淵へといざなう事が出来るのです。   本当に、その人の為に発した言葉には、天国の希望と勇気の力が宿り、人を助ける事が出来るのです。   この為、ある時は人を立ち直らせる為に、勇気を持って叱らねばならない時もあるでしょう。   しかし、叱るという事が、その人に「立ち直ってほしい」と願う、愛の表われでもあるのです。    勇気ある愛の言葉は、迷える人の心に一条の希望の光を投げ掛け、暗闇から救い出す事が 出来るのです。  この様に、愛ある言葉は人を救い、悩める人に希望と勇気を与える事が出来るのです。   今日は、正語という言葉の善悪について、人々に与える影響を書いてみました。    次回は、「正業」について書きます。 


-2003年6月25日-
今日から、「人間として正しく生きる」というテーマで書いていきたいと思います。   その中で、「正しく生きる」を実践する為に、お釈迦様が説いた「八正道」という 教えがあります。  これは、正見・正語・正業・正命・正思・正精進・正念・正定という 八つの正しい道の教えの事です。  それでは、まず最初に「正見」とは、一体どんな教えなのか 現代風に解釈して説明していきましょう。  「正見」とは、正しく見ると書く様に、人間の五感 の中で一番重要な役割を果たす「目」という感覚器官を通して入って来る様々な情報を、正しく判断 する為に「正しく見る」という意識が必要になってくるのです。   人間は、ともすれば自分の都合のいい様に物事を見てしまい、都合のいい様に解釈、判断して しまいがちです。  あと、自分の好き嫌いで他人を見たり、初めから疑いの目で人を見たりと 言う様に、誤った目で捉えたものは、この後に正しい判断をする事が難しいのです。   ですから、人や物事を見る時には、偏見や間違った思想を持って見てはいけません。   この事を、しっかりと頭の中に入れておかないと、最初の時点で、もう既に間違いを起こしかねません。   日々の生活の中で、自分の考えを神理の面(神の目)から見た時に、「一体、自分はどうであるのか。 自分が、神理(神の目)で他人を見た時はどうであるのか。」  この事を常に心に留めておく事です。   つまり、この「正見」は、他人や物事を「神理の目」で見るという事を実践する修行であり、その教えで あるのです。  次回は「正語」の説明をします。


-2003年6月22日-
今日は、我が家の色々な神様についてお話します。
前回の不動明王さんの他には、稲荷系の白菊様や白龍様の巳や竜神系の神様。   それに、私の法的な指導霊であられるお釈迦様や阿弥陀様、病気関係の事をお願いする時の 薬師如来様、守護・護衛をして下さっている四天王様達、観音様達はよき話し相手です。   あと、天部の神様達も数多く来られます。  神道系では、天照大神様や卑弥呼様などの女神様 達。  あと、天女様達は皆、とても気さくで美しい神様です。  これらの神様達は、我が家の 神様のお祭りの日に、日本各地から集まって来られます。  そして、我が家の神達と一緒に、お祭り の日を祝い、共に語り合いながら楽しく一日を過ごされます。  そして、次の日の日の出と共に 自分達のお社やお堂に帰って行かれます。  この他にも、まだまだ書き切れないほどの 色々な神様達がおられ、相談者の色々な悩みに対応してくれます。   ですから、霊界の事や法則の事など、色々と学べるので、詳しくお話出来るのです。   霊界の法則や人間としての正しい生き方などを書いたものが、今年の12月頃に一冊の本として 出版しますので、興味のある人は半年後をしみにしていて下さい。   今見たいと言う方は、私の所へ来て下されば、教材として書き残してある物をお見せ出来ます。   悩みの相談以外でも、霊界について詳しく知りたい人なども気軽に来て下さい。   結構、本やテレビでも言わない事まで奥深く説明するので、皆さん一様にビックリされますが、 満足されて帰られます。  それ以来、毎月来て下さる信心深い方もおられます。   それでは、今日はこんな感じで終わりにします。    


-2003年6月18日-
今日は、我が家におられる神様の事をお話します。
まず最初は、不動明王様です。  家族の者は皆、不動さんと呼んでます。   不動さんは、顔はとっても怖いですが、情け深いお方です。   地獄に落ちた悪人でも、あの怖い顔で怒鳴りつけながらも回心させ、地獄から救い出して くれるのです。  悪人達は、優しく悟してもなかなか聞かないので、叱り付けながらも 慈愛をもって救わねばなりません。  ですから、わざわざ神の国から地獄の世界まで降りて 行って、救済活動をしておられるのです。  とっても大変な役割を持つ神様なんです。   その為か、気が強くて情け深い、父親の様な存在です。  あと、お酒が大好物です。   それも、辛口のものが良いみたいです。  我が家では、不動さんのお供えのお酒は、辛口と 決めております。  「修行の後、辛口のお酒を「キューッ」と飲むと美味いわ!」と言って おられます。  この辺りは、気の良い親父がご機嫌でお酒を飲んでいるといった感じです。   また、不動さんは悪霊を振り払い、成仏させて下さるので、私の所へ相談に来た人達は皆、 この不動さんのお蔭で、霊の憑依による様々な悩みから開放されているのです。   この事を知っている人達は、月々や自分の思い思いの時に、我が家の神様達(不動さん等)に お供えのお酒を持って来て下さいます。  その時に、不動さんは「おおきに。わざわざ、 酒持って来てくれてすまんのう。」と、持って来てくれた人にお礼を言ってます。   普通の人には、このお礼の言葉は聞こえませんので、私の方から「今、不動様があなたにお礼を 言っておられましたよ。」と言ってあげます。  すると、人間と神との間に、両者の感謝の気持 ちを主体とした意志の疎通が出来るのです。  簡単に言うと、「気持ちが伝わった」と言う事です。   こうして神様のお話をすると、一般の人達にも神様の事が少しは身近に感じられる様になるでしょう。   このホームページ上では、あまり多くは話せませんが、実際に私の所へ来て頂いた人達には、もっと おもしろい霊界の話をしています。   悩みの相談半分、神様や霊界の話が半分と言った感じです。  最近は、私の所へ来て話をしている だけでも、神様の気を身体に受けられるので、「身体が楽になる」と言って帰られます。   中には、自分の家より落ち着くと言う人もいます。  第二の実家みたいと言ってくれる人もいます。   こんな感じで気楽にやってますので、相談以外に、私と話をしたい人もどうぞお越し下さいね。        


-2003年6月15日-
今日は、父の日という事もあり、我が家のご先祖さん達にも父の日のプレゼントがありました。   それは、あの世で仲良く暮らす、ご先祖家族の中では子供も何人かいます。  その子達の 父親や、お爺さん達に父の日のプレゼントをあげたのです。   そのプレゼンとを買いに行く時は、ご先祖の子供の霊がワクワクして、早く行きたそうにします。   そして、店に着くと、一生懸命に自分の父親に合う様な服を探して、あっちこっちを、うろうろ しながら見て歩いています。  そして、気に入った物があると、私の所へ来て「良いもの見つけたよ。  あれ、きっとお父しゃんに似合うと思うわ!」と言って、私に見せようと、そこまで案内してくれます。   そこで私が、「ええんちゃう! 良く似合うと思うわ。」と言うと、すっごく嬉しそうな顔で、「じゃー、 しぇんしぇー(先生)、僕これにする。」と言って決めました。  そして、「しぇんしぇ〜のお父しゃん にも似合うと思うよー!」とも言ってました。  多分、二人にプレゼントするつもりでしょう。    後は、商品をレジまで私が持って行き、お金を払います。  その間、ずっと子供は私の横について、店員さんが服を父の日用の箱に入れてくれる のを、ワクワクしながら見ています。  その様子は、霊視が出来る人が見れば、小さな子が一人の大人と 一緒に買い物をしている様に見えるでしょう。  こうして、今日の父の日の本番を迎えたわけです。   ご先祖霊である子供が選んだ服は、お供えする事で、あの世の自分の父親の物にもなり、その後は私の父の 着る服となる訳です。(俗に言う、お下がりの事です)  こうして、我が家では何でも、まず最初に神様や仏様にお供えしてから、自分達が食べたり、 身に着けたりするという具合です。  この姿勢が、本来の信仰のあり方であると思うのです。   こうして、私達は神様や仏様を、敬う気持ちと感謝する気持ちを何時も持つ事で、代々から長く信頼関係を 保って来たのです。  皆さんも、お供え物は決まっておりませんので、何でも自分達が持つて嬉しい物や、 食べて美味しい物なんかを、お供えすれば良いと思います。   一緒に、ご先祖様も喜んでくれるはずです。    


-2003年6月11日-
今日は、最近流行りの「健康水」といものがありますが、我が家にも14年間貰い続けている 自然水があります。  場所は、福井県の敦賀市から海岸線に出て、越前海岸方面に約10分程、 車で走った所にあります。  そこの専用タンク(20リットル)を買えば(横の専用売店)お水代は無料です。    (我が家では1タンク、約1ヶ月くらい持ち、それを5タンク汲みます。)   そして、名前も「延命観音水」と言って、水汲み場の後ろに観音さんをお祀りされています。   また、この水は地下の岩盤から湧いた水で、数多くの種類のミネラルを含む水なのだそうです。   我が家では、その水の事を「神さんの水」と言って、残り少なくなると車にタンクを積んで出掛けます。   この水を飲むと、腸内に溜まった便を出してくれるので、お通じがよくなり、便秘症の人によく効き ます。  味も、サッパリしていて美味しく、地元の喫茶店や料理屋などから、 この水を貰いに人がやって来ます。  また、さすが神さんの水だけあって、この水を飲んで持病が 治った、身体の調子が良くなった等の話をよく聞きます。  それは、観音さんに病気や、身体の具合の 悪い所を、この水を飲む事で浄化してもらい、悪いものを体外へ流し出してもらう様に頼むと良いと 言う事です。  私達家族もその内の一人で、それぞれの身体の調子を整えてもらっています。   そして、ありがたいお水を貰った後は、必ず水汲み場の後ろの観音様にお礼を言って帰ります。   その時に、何時も言われるのが、「遠い所からわざわざ水を汲みに来ているんだから、ジュースばっかり 飲まんと、この水をよく飲んでおけよ。」です。  どうしても、味が付いているジュースやコーヒーなんか ばっかり飲んでいるので、よく怒られます。  身体の事を考えると、きれいな水を飲む方が良いので、 最近は「健康水」が流行るんでしょうけどね。  まあ、こんな感じで、我が家は年に3回程、汲みに行きます。     最近は貰いに来る人が多いので、待ち時間が長くなりましたが、平日なら空いてます。   月曜日は定休日です。  私の所へ相談に来られた人には、この水で作った飲み物や、お菓子などを 出しており、皆さんに好評です。  今日は、こんな「ちょっと情報」の話でした。


-2003年6月8日-
今日は、私がまだ現在の様な霊力を発揮していない頃の話です。
その頃は、まだ自分の霊力の方向が判らず、念力の方向へ興味がありました。   今では、その様な事は無いのですが、結果が現象として表れるので、面白がっていました。   どの様な事かと言うと、テレビでやってる様な「鍵」を曲げたり、鉄板に指を押し当てて凹ましたり して遊んでいました。  あと、念力で虫なんかを自分の思う様に歩かせたりもしていました。   また、空に浮かぶ雲の塊を念力で散らしたりしていて、あまり良いとは言えない方向へ進んでいました。   しかし、ある程度その様な事が出来ると、それ以上は興味が湧いて来ませんでしたので、 これ以上の念力世界には深入りするとまずいなという気になり、念力開発はやめてしまったのです。   それは、やっている時は面白いですが、終わってみると何故か、後味が悪いと言うか、あぁ、またやって しまったと言う気になってしまうからです。  そして、私に感応して来る「気」が、自分に合わない 様に感じてきたからです。  その時に、鉄で出来た鍵や、鉄板などが、私のせいで本来の使命を 果たせなくなってしまう事に、深く申し訳ない気持ちで一杯になりました。  (その頃は、曲げた物を元に戻す事が 上手く出来ませんでした。)  私は、生き物や、石などの鉱物や、人工物にもそれぞれに自己の役割を持って 生まれて来ている事に気が付いたのです。  その役割というか使命を持つものに対して、私の勝手な 自己満足の為に、形を変えたりして、本来の役割を果たせ無い状態にしてしまっては、神理に反するのでは ないかと思ったのです。  そうして、それ以来、一度もその様な念力を使っていません。   現在は、以前の様な自己満足の霊力ではなく、人の為に自己の霊力を、神理に適った形で発揮しております。   また、そうする事により、天上界の神々からの霊的指導で正しい方向への道を歩む事が出来、 その進む道が私の使命であったようです。  皆さんの中にも、念力遊びをしているのであれば、一度は こういう事も考えてみて下さい。  決して、霊力は自己満足の為だけに使う事の無いようにしたいものです。       


-2003年6月5日-
今日から、また新たに違うお話をしていきたいと思います。
今日の話題は、我が家に約一ヶ月間の間、ある有名寺院の御本尊の神様が居られたという 話をしたいと思います。  それは、先月の初めにその寺を御参りさせて頂いた時、そこの 御本尊様の御姿が写った写真を貰って帰って、家の神棚に置いておいたのです。   それから、家の者がその写真に、お水やお酒を御供えしていると、その写真の神様からお礼の言葉が かかりました。  それから、我が家で他の神様と一緒に色々な事を話したり、私の書いた神理の 書物を読んで勉強したりと、お堂の中では出来ない様な、様々な経験をされました。   この前は、私の車で少し遠出をして、お参りにも一緒に行かれました。   そして、初めての外出先でのお寺では、そこの御本尊様と、とても楽しげにお話をされていました。   車の中では、見る景色や食べ物などが、とても珍しかったらしく「わし、色々珍しいもの見て目が回りそうじゃ!」と 言っておられました。  また、帰りに食べた「昆布味のソフトクリーム」はとても気に入られたみたいで、 「あの、ソフトクリームというやつは、ちめた〜てうまいのぅ〜。」と言って喜んでおられました。   そんな神様も、6月4日の我が家の神様のお祭りの日が終わると次の日には帰られてしまわれます。   これも、仕方の無い事なのです。  我が家に来られた神様は、私の家族達や家の雰囲気などを気に入られ、 皆一様に帰りたくないという気になられます。  何より、皆の神が暗いお堂の中にいて、自分達に話しかけて くれる人間がいない事に寂しさを持っていたのが、我が家では毎日誰ともなしに声を掛けたり、手作りの ケーキなんかもお供えしたり、お礼の最中にお話したりと、見るもの聞くものが初めての事ばかりだった ようでした。  あっ、そうそう。 神様は自分の事を、「西岡家の居候です。」と言ってました。   私達は、神様を「お客さん」とお呼びしていたのですが、大分遠慮されていたようです。   この様にして、我が家へ来られた神様たちは、寂しい気持ちを振り払って自分達のお堂へ帰って行かれるのです。   でも、また我が家の神様のお祭りの日には、ちゃんと来てくれます。  そして、西岡家の指導役 の神として、ずっと私達を見守ってくれています。  そして、様々な霊的指導を行ってくれるのです。   こうして、私達は多くの偉大な神々によって守られているのです。  


-2003年6月3日-
今日は、先月に引き続きまして、針山でのお話です。
私の履いていた鉄下駄を、試しにその男が履いて針を踏んでみますと、「ギャー」という悲鳴と共に 太い針が男の足を貫通し、足の甲から針が突き出ました。  男は、はぁはぁと、肩で息をつきながら やっと足から針を抜くと、「やっぱり、この鉄下駄は、お前さんしか用を足さないみたいだ。」と 不満そうに言いました。  そして「お前も下駄を履かずに、この針山を登ってみろ」と悔し紛れの様な 感じで私に言ってきましたので、「じゃあ、不公平の無い様に私も裸足で登りましょう。」と言いました。   男は、まさか私が裸足で登るとは言わないだろうと思っていたのか、とても驚いた様子でした。   でも私は、何故かその時に、自分には針が刺さらないだろう、という思いが頭の中にありました。   でも、実際に尖った針に自分の足を乗せるのには勇気がいりました。   しかし、ここで悩んでいても仕方が無いので、針先に自分の足を、ぐっと乗せました。   すると、鉄で出来ているような針が、ぐにゃ〜っと私の体重で曲がってしまいました。   あれっ?と思い、もう片方の足を次の針先に乗せると、また体の重みで、針はぐにゃ〜っと曲がって しまいます。  それは、柔らかいゴムの様でした。  太い針は、私の足の裏で、丁度良い足ツボマッサージ をしてくれているようです。  細い針は、足の裏がくすぐったい感じがします。  そうして、どんどん山の頂上へ向かって 足ツボマッサージをしながら進んで行くと、またもや後ろで、ギャーと言う声がしました。  私が後ろを向くと、さっきの男が 私が踏んで行った針を踏んで行こうとして、太い針が足の裏を貫通して、腹まで刺さっておりました。   私は、その光景を見て、   この世界(地獄)は、自分の犯した罪を反省する為に在る世界なんだなと気付きました。   その様に考えていると、上の方で「そろそろ戻って来なさい」と言う声が聞こえてきました。   私も、この世界の事は、もういいかなという気がありましたので、「帰ろう」と思った瞬間に、 明るい世界へと出ていました。  声の主は、「また今度、勉強しにいくぞ」と言って消えました。   すると、私の意識も元の状態へ戻りました。  これが、針の山地獄でのお話でした。   他には、色情地獄や無間地獄、身体を切り刻まれる地獄など、まだ沢山の地獄がありますが、 この辺で終わりにしたいと思います。  次回は、また違う話題でお話します。