神霊による人生相談

ょっ言。

前ページへ戻る


-2005年6月25日-
今日は、御祓いの時に用いる御塩と、念についてお話します。   霊に関する話の中で、霊に憑かれると身体に塩を振りかけたり、すり込んだりすると、憑いていた霊が 離れてくれるというので、家庭でも実際にやっている方もいると思いますが、家庭塩だけでは霊は なかなか離れてくれないのが実情です。  しかし、中には離れてくれる気の弱い霊もいます。   家庭塩で離れていく霊は、「離れろ!」という意識で塩を振りかける人の思いが、お清めの意味もある 塩を振りかける、その行為によって、霊の方が「自分は嫌がられている。塩まで振られた。この 人に憑いていても仕方ない」と思う事で、離れていくんです。  ですから、塩自体に除霊や御祓いの 威力が有る訳ではないのです。  また、霊の方も、そんな気の弱い霊ばかりではありません。   霊は、苦しい世界から抜け出したくても、どうしたら良いのか判らないから、必死になって人にすがっ て来ます。  人に憑く霊には、自分だけ苦しい思いをするのは嫌なので、生きている人の誰かで、自分 と似た悩みを持っている人を、自分達の苦しみの世界に引きずり込もうとしてくる霊、自分の苦しみと 同じ苦しみを、生きている者に味わわせる事で、一時の安らぎ感を持つ霊、ただ単に憑依して、人を苦 しめ、それを楽しんでいる霊などがあります。  この様な、積極的に悪を働く霊などは、家庭塩なん かでは絶対と言って良いほど離れてくれません。   私の所に相談に来る人の中で、霊の声が聞こえる人がいましたが、家庭塩を身体に振りかけたところ、 「そんな塩なんか、いくらかけても何とも無いぞ! そんな塩なんかで、我らが怖がって離れるとでも 思っているのか! 馬鹿め!」と言われたそうです。  その後、さんざん笑われた後、「せいぜい頑張 っておけ!」とも言われたそうです。  霊は、念の意識体ですから、念が何も入ってない塩では、 効果がありません。  以前見たテレビの番組の中で、霊に憑かれた人が、塩を身体にこすり付けると 霊がとれますよと霊能者に言われたそうですが、毎日やっているのに全然よくならないと言ってた人が いました。  私がテレビ越しに霊視したところ、その人の後ろには、ヘラヘラ笑っている男性の霊が 憑いていました。  その霊は、塩なんか何も効かないのに、毎日しているので、だんだん面白くなっ てきた。 本当は、少ししてから離れるつもりだったけど、まだ当分離れずに憑いているつもりだ。  という意識を読みとりました。  この様に、御祓いに使う塩には、除霊の効果がある念を入れ込まないと 意味がありません。  もし、家の中に神棚があるなら、あら塩にお酒を少し混ぜてお供えし、神様に 霊を祓ってくれるように頼んだものを使うと良いでしょう。  また、家に神棚が無い場合、神社仏閣 にお参りに行った時、お酒を混ぜた御塩を神仏の前にお出しして、よく頼んでおくと良いです。   これで、本人と神仏の念が入った祓い塩が出来ます。  御塩に入る神仏の念の強さは、自分達の頑張 り次第ですから、効かないといって神仏のせいにしても駄目ですよ。       


-2005年6月18日-
今日は、「平凡の大事さ」についてのお話です。   平凡というと、何となく退屈で、変化の無い、かわりばえしない様な気がするかも知れませんが、 その変化の無い、普段と同じ様な毎日の大切さに気付いている人は、以外に少ないように思います。   日々、普段と同じ様に平穏に暮らせるからこそ、体力や知力が蓄えられますし、明日への活力も補える というものです。  これは、人生の長い道のりを歩む上で、とても大事な事であります。   人生を長距離マラソンに例えるなら、山あり谷ありのアップダウンの連続だけでは、どこかで疲れきっ てしまい、走り続ける気力も無くしてしまうというものです。  しかし、その中において、平坦な道 が続く時期があると、体力的にも、精神的にも負担が軽減され、走りながらにでも辺りの景色を見たり、 様々なものに興味を持つ等、心の余裕が出てきます。  そして、気力や体力も回復出来たりします。   そうして蓄えておいた活力を、もう直ぐ来るであろう成功へと続く登り道に活かす のです。  平坦な道で蓄えた力を、人生の運気の追い風に乗せて一気に駆け上がれるだけの力を、 平凡で平穏な時期に、様々な手段を使って自分のモノに出来た人は、運気上昇のカーブも上向きにグー ンと伸びるのです。  これが、同じ上昇の運気が来た人と比べた時、成功への上昇の具合が全然違っ てくるのです。   また、人生の中で、急な坂道を転がっていると思われる人は、ジタバタと慌てていてはい けません。  ジタバタと慌てる人は、目先の事しか見えなくなる事が多く、運気や苦の底が底で無く なり、底なし沼の様に下へ下へと落ちていってしまいます。  こうして、平坦な道のりの時に、自分 自身の欠点や基礎を補っていない人は、大抵、慌ててしまい、無駄に動いて、どんどんと泥沼にはまり 込んでいってしまいます。  これは、人生の上り坂の頂点に達している時期に、調子に乗って慢心し てしまい、周りが見えなかった人に多いです。  こういう人は、平凡な時期、時間もゆっくりと取れ るような時期に、じっくりと時間を掛けて自分を磨く事をしなかった人です。  今後、そういう時期 に差し掛かった時には、じっくりと自分自身や周りを見渡して、今の自分が、一体どの様な状況にいる のかを、いち早く掴み取る事が必要です。  そして、開き直ってじっくり考え、今出来る事を辛抱し てやり抜いていく努力を続けていく事です。  その努力の積み重ねが、少しずつでも確実に、回復への 坂道を昇って行くという事に繋がるのです。  また、普段と変わりないという事が、どれだけ大事な 事か。  変化に富んだ日々が好きな人もいるでしょうが、毎日ころころと変わるような日常では、や はり何時か疲れてしまうでしょう。  平凡な日の中で自分を見つめ直し、足りない所は吸収したり出 来るのも、落ち着いた環境であるからこそなのです。  太陽が日々変わらず、この地球を照らしてく れているのも、当たり前ではありますが、とても大切な事です。  太陽の日照サイクルが、日々変化 に富んだものであるならば、この地球上の生き物は、普通に生きていくのも大変です。  というか、 生きられないかもね。  この様に、平凡という、普段と変わりないという事が、どれだけ人間の人生 において重要な要素を占めるという事が、少しでもわかってくだされば幸いです。


-2005年6月8日-
今日のお話は、「誕生日の日には、神様はどの様な祝福をしてくれているのでしょうか」というご質問 がありましたので、それに関連するお話をしていこうと思います。   お誕生日という日は、魂が肉体に宿り、お母さんのお腹の中から、赤ちゃんとして、新しくこの世に生 まれ出たという記念日です。  新しく、一からこの世の人生を始める人間が、幾年を重ねて成長し、 大人になっていく過程で、誰にでも毎年一度は、生まれた月日に誕生日が来ます。   そして、その日を祝ってくれるのは、家族や友人など、この世の人間達ばかりではありません。   一般的な人達は、自分達のご先祖様達や、自分を護ってくれている守護霊様も、同様にお祝いしてくれて いるのです。  その仕方は様々ですが、誕生日に当たる本人を囲んで、口々に「お誕生日おめでとう」 と声を掛けて、微笑んでいるご先祖達もおられますし、本人の願い事が早く叶う様に、上位の神様に 頼んでくれたりしてくれます。  すると、上位の神様も、ご先祖達の揃っての願い事なので、それでは 本人の願いを、もう少し早く願いを叶えてやろうかという事になったりします。  そうして、一年の 内でも、少し勢いがつく時でもあったりします。   しかし、そうなる為には、今生きている自分も、お祝いされるに相応しい人間であると いう事が望まれます。  一般的には、ご先祖様も大事にし、自分も人として真っ当に生きておれば、 この世・あの世を通して、多くの人に祝福されているのです。  そして、その様な生き方を続けながら、 神仏への正しい信仰心をも持ち、日々自分自身(心)を高めながら、その才能や力を社会の為に還元し ようとする生き方をしている人には、その人の目指す分野に合った神様(高次元霊)が指導霊として、 その人の才能を伸ばす手助けをしてくれます。  そうして、自分の周りに神様をはじめ、多くの良い 霊達が集まって下さると、誕生日のお祝いも、壮大なものになってきます。  それでは、私の場合を 実際の例にとってお話してみましょう。  私の数年前の誕生日の当日、いつもの様に朝のお祈りに入 ると、何となく普段より重々しいですが、妙に明るい気持ちの雰囲気に包まれました。   そして、お祈りが終わり、神様との対話の時間に入ると、もう既に集まって来られている大勢の神様達 が見えました。  その数は、数え切れないぐらいで、地面に立っていたり、空を行き交ったりして おられます。  そんな様子を私が見ていると、空高く上がった数百メートルもあろうかという紅白の 大段幕が出現し、その両端を、天使様や、雲に乗った観音様達が引っ張って、空一面に広げられました。   そこには、私の名前と、お祝いの言葉が書いてありました。  そして、地上(霊界のです)におられる 神様達が、まるで記念の集合写真を撮る時の様に、段々になりながら集まりだしました。  それは、 横に広がり、同様の幅で、上の方にも段を組んでいるかのように上がっていかれました。   それは丁度、大きなビルを横倒しにした様な大きさという感じでもあり、また、一人一人が集まって 出来た大きな壁の様でもありました。  そうして皆が並び終わると、交響曲のような天上界の曲が 流れ出し、皆の神様が一斉に歌を歌って下さいました。  それは、聴いた事の無い曲で、神々の歌声 と一緒に、無数の光が舞っていました。  また、それらの光が虹色に輝き、とても綺麗でしたよー♪   それが終わると、皆口々にお祝いの言葉を投げ掛けてくださいました。  あっ、そうそう。 それら を見ている時は、大段幕の上に、とても綺麗な虹が掛かっていましたよ。  後は、私のお礼の言葉や 、神様達との会話で時間が過ぎていきました。  大体、こんな感じで、私の誕生日のお祝いをして頂 きましたよ。


-2005年6月1日-
今日は、前回の続きのお話です。  「お前も、一緒に踊らんか」と言われた私は、「いいです〜!」 と、少々焦りながら答えると、「何々、決まった踊りがある訳でもなく、自分の心の中にある気持ちを、 全身に出して踊れば良いんじゃよ。 それとな、我ら神々は、心が明るいので踊りも明るく楽しく踊る 事が出来るんじゃよ。 それを皆で踊りながら確認しあって、全員が明るいとな、皆もすごく幸せな気分に なるんじゃよ」と、遅れて来た神様が言われました。  どうやら、今回の神様のお祭りは、普段離れて 仕事をされている神様達が久しぶりに集まって、お互いに励まし合い、また何時もの様に明るく、心軽や かに、踊りの中で神々が気持ちを一つにして、更なる発展を呼び込むという意味がある様に思います。   私は、そんな事を考えながら立っていると、何時の間にか、踊りを終えた神様達が周りに集まっていて、 遅れて来た神様に向かって「お前も、たまには良い事を言うのぉ〜! ワハハハー!」と言って笑って いました。  遅れて来た神様も、「そりゃ〜、ワシだって、そのくらいの事は言うぞよ」と言いなが らも、照れているようでした。  私は、大勢の様々な神様達に取り囲まれながら、「神様達って、 みんな友達で、お互いを思い合うものなんだなぁ〜」って、改めて感じましたね。   「それでは、この子(私)も、随分と心の勉強をした様だし、今日の祭りは、これにて終了じゃー!」と、 一番偉そうなお年寄りの神様が皆に告げました。  私は、えっ! まだ踊りを踊ってないしー!と 思っていると、「今日は、お前の心の勉強が目的であったので、それが果たせた今、もう踊りは踊らなく て良いんじゃよ」と、神様達は言いました。  すると、その横で「ワシも、踊りを踊っとらんがのぅ」 と遅れて来た神様が言いました。  「お前は今日、神の国の祭りを見学させ、様々な神々の存在を 知らせ、その中で、この子(私)を諭しながら、心の勉強をさせる役目であったのだ」と、一番偉い神様 が、遅れて来た神様に伝えました。  「なるほど、そうであったのか!」と遅れて来た神様。   「多分お前は、今日も遅れてくるであろうと思ったので、皆と相談して、お前をその役目に選んだのだ。  これからは、集まりには遅れるでないぞよ」と一番偉い神様。   どうやら、これまでの事柄は、全て 初めから、私を諭す為に決められていたようです。   そうして、私が皆の神様にお礼を述べると、 「それでは、これにて解散じゃー!」と、何処からか掛け声が上がると、もう私の目の前には、誰も 居ませんでした。  ただ、神社の赤い鳥居が建つ広場だけがありました。  それから、意識がスーッ と薄れてきて、夢から覚めました。  後から考えると、 遅れて来た神様も、初めからそうする様に決められていて、私が大勢の神様を見て緊張しない様に、 そして、楽に考えられる様にしてくれたんだと思います。  神様がされる事は、後から考えて、 「あぁ、そうだったのか!」となる事が多いですからね。