ちょっと一言。
-2003年3月28日-
今日も、神様についてお話します。
神様といっても、以前は人間であるのです。
それは生前、世の為に人力を尽くした人であったり、人々に大変尊敬されていた人物であったり、
人間業とは思えない様な神がかった力を発揮したりと、様々な偉業を残すような、人より並外れて
大きな能力を持っていた人が、後の世の人達に「神仏」として神社仏閣などに祀られていたりするのです。
この様な人の、生前の心の善なる想いや生き方、世の中に対しての善き影響力などを合わせて総合判断した
結果、神の領域段階にまで入った人が、霊界の中の「神」の次元に入る人であり、「神様」と呼ばれる
存在になるのです。 こうして、「神」と呼ばれるにふさわしくなった人が「神界」に入界するのです。
そして、自分の最も得意な分野に於いて、今度は後世の人々を指導していかれるのです。
この指導に叶う事が、ご利益というものであり、神社仏閣に於いて様々な願い事が叶うとされている根本で
あるという事です。 そうして、神様は何百、何千年という月日を、世の中の発展や平和の為に
、天上界より我々人間に対して指導して下さっているのです。 この事実が、現在も続いているのです。
今回は「神様」の誕生について簡単に書いてみました。 神の世界「神界」に入るには、この他にも
幾つかの条件がありますが、まず自分を磨き成長させ、次に他人や社会を善くする為に自己の能力を
発揮していく。 これらを繰り返し積み重ねていく事が「神界」への道なのです。
でも、その前に信仰心を持つ善人で一生を終えるという事が、第一条件ですが。
-2003年3月25日-
今日は「神様」についての話をしていきます。
人は神様というと、人間より遥か遠くに離れた存在の様な感じを受けるのではないでしょうか?
神様といっても、様々な役割を持ち、それに従って人間達を指導しているのです。
ですから、恋愛を司る神もいれば、厄除けを専門に扱う神もいるのです。
この様に、神様の世界には多くの専門職を持った神様が居られるのです。
この為、神社や仏閣にお参りした時は、ちゃんと自分の願いに合った神様を祀った所を選びましょう。
そして、お願い事も、決して神様だけに頼って自分は何もしないというのは、ご利益がありません。
神様が願いを聞くというのは、参拝者が「この様にしたいとか」、「この様になりたい」とかいう願い
に対して、本人がどれだけ真剣に自分の願いに向かって、これから想いや行動を起こしていこうとしているのか、
そして、その願いが時期尚早ではないか、また、自己の利益のみを願っていないか等を総合判断して
決めます。 これが、各個人の間で、願いの達成期間が違ってくる原因なのです。
願いが叶わなかった人は、自己努力が足りなかったか、自分に都合の良い願いではなかったか、
また、今は願いが叶う時期ではない等です。 神様は、それぞれの役割を果たす中に於いて、
人々の幸福を願い、社会や人類の発展に貢献する、大きな使命を持つ存在でおられるのです。
ですから、人間の願いも、この神様の願いに沿ったものでなければなりません。
広い意味で、自分の願いも、他人や社会のためになるような願いが良いのです。
今日は、神様の役割と人々の願いについて、書きました。 次回も神様についての話をします。
-2003年3月21日-
今日が悪霊の最後のパターンである、第三のパターンについて書きます。
何故、第三のパターンが一番厄介なのかというと、このタイプの悪霊は、悪霊として「悪」を楽しんで
いるからです。 これは、どういう人かと言うと、生前にかなりの修行をされた人など(宗教家が多い)が、
仏に仕える身の本分を忘れ、念力や法力のみの有り難さに走り、自己の慢心や自己の利益の為に他人を
利用した為に地獄に落とされた人です。 最初は何故、自分が地獄に落とされたのか分からずに不満を
持っていたりするのですが、時が経つに連れて、自己の念力によって他の多くの悪霊達をも恐れさせ、
支配するようになっていきます。 そして、地獄は力の大きい方が、より偉そうに出来ますので、
子分も増えてきたりして段々と地獄の世界の居心地が良くなってきます。
そして、大勢の悪霊から親分などと言われ、更に気分も良くなり悪霊の中の大悪霊になっていきます。
この様な悪霊が、人間の出す悪念を吸いにやって来ます。 そして、真理を学ぼうとする人にも
容赦なく襲ってきます。 何故なら、真理を学ぶ人が増えると、自分達悪霊の活動範囲が狭められ、
また、悪霊に憑かれた人が立ち直ってしまうので、それを阻止する為に襲って来るのです。
ですから、よほど自己の意識や、真理学習が自己の心に入っていないと、このタイプの悪霊には歯が立ちません。
除霊も、相当の力のある人でないと、逆に霊能者の方がやられてしまいかねません。
ですから、この第三のパターンの悪霊が、一番怖いのです。
しかし、しっかりと真理を心の盾としていれば、自分の心を悪霊に奪われる事も無いのです。
以上で、三日間に渡り、悪霊について大まかに説明をしました。
次回は、神様についてのお話しをします。
-2003年3月20日-
今日は、悪霊の第二パターンについて書いてみます。
第一のパターンは、悪霊仲間を増やす事でしたが、第二のパターンは、親しい人(家族や友人等)を
排除していく事です。 こうする事によって、憑依された人は孤独になり、他人からの干渉を何も
受ける事無く過ごせるようになり、悪霊にとっては、その人(憑かれた人)を非常に支配しやすい状況に
置ける訳です。 この悪霊の特徴は、他人に対してすぐに怒ったり、暴力を振るったり、酒癖が悪かったり
します。 そして、家族の者や友人などが心配して声を掛けると、すぐに怒り出して言う事を聞かない
ので、段々と皆から敬遠されていくのです。 また、他人の忠告を聞かず、何時も独りで家の中に
閉じこもっていたり、たまに外出しても近所の人に挨拶もしない等、性格も暗くなってきます。
この様に、どちらも独りで勝手に好きな事をして、他人を寄せ付けなくしていきます。
第一のパターンも、第二のパターンも、悪霊に憑かれた人を立ち直らせるのは容易な事ではありません。
しかし、悪霊に憑かれた人も元は大切な家族の一員なのです。 その家族や友人等が、本当に心から
その人を立ち直らせようとするなら、悪霊の曇った心を晴らす事が出来るのです。
それには、立ち直らせようとする者が、自分も悪霊にそそのかされない様に、確りとした真理を身につけ、
悪霊に憑かれた人に、自分達から良い生活の見本を見せてあげるのです。 そして、愛情を持って
接し、真理を伝えてあげる事です。 その積み重ねによって、自分の過ちに気付き改心していくのです。
これは、とても根気のいる作業になりますが、悪い時期など一生続くものでは無いのですから、希望を
持って対処していく事です。
次回は、悪霊パターンの最後となる、一番厄介な第三のパターンに入って行きたいと思います。
-2003年3月19日-
今日は、昨日に書いた「幽霊」と「悪霊」について、その続きを書きます。
悪霊は、周りの環境をどんどん悪くするというところで、昨日は終わりましたので、
今日は、悪霊が周りに及ぼす影響を、お話しします。
悪霊は、取り憑いた人の一番身近な人達から少しづつ悪影響を及ぼします。
身近な人達とは「家族」の者であり、また、一緒に同居する人(友人や恋人)も当てはまります。
これらの人達は、その人(悪霊に憑かれた人)と同じ屋根の下で暮らす訳ですから、当然、悪霊の
出す悪い波動を何時も身に受けているのです。 そして、知らず知らずに、体が重く感じたり、
肩がこったり、腰が痛くなったりしてきます。 次に、今まで以上に、些細な事で怒ったり、
落ち込んだりと、精神的に不安定になってきます。 その内、自分が持っている持病などが出てきたり、
何時までたっても体の何処かが痛い、ちょっとした病気がなかなか治らない等という症状が出てきます。
これは、病気の原因は悪霊の憑依にあるので、薬などでは治りません。 医者も原因が解らない事が多いです。
そして、色々と悩むにつれ、良くない想いが心に充満してきます。 これが悪霊の「思う壺」状態なのです。
そうしておいて、今度は病気で死んだ人の霊などを呼び寄せて、その人に取り憑かせます。
この様に、その家にどんどん様々な悪霊が磁石に吸い付けられるように寄って来るのです。
これは、気の弱い人や子供などから、標的にされます。 仲間にしやすいからです。
こうして、少しづつ周りの人間に悪い影響を与え、仲間を増やしていくのです。
これが、第一のパターンです。 次回は、悪霊の第二のパターンをお話しします。
-2003年3月16日-
神様と悪霊は本当に存在するのか?
この疑問について何日かに分けて書いていきたいと思います。
まず、霊体というのは、人間の肉体としての命が終わると、それまで肉体の中に閉じ込められていた
魂が表に出ます。 魂は肉体のような固形物質ではなく、空気のような意識体なので、
焼き場で焼かれても無くなりません。 その為、普通の人間の目には見えません。
魂は、その体に「幽体」という人の形をした薄い膜に覆われており、肉体の死後この膜を脱ぐと、やっと
霊体として天国なりの霊界へ還れるのです。 この幽体という薄膜を脱ぐ作業というのが、この世
での様々な執着というものを、捨てる事です。 これは、生前の自分のお金や、仕事、地位、名誉、残された者への想い
等があり、天国の霊界に還るには、これらの執着を捨てていかねばなりません。
そして、この世に何らかの未練や想い(執着)を捨てきれずにいた為、成仏出来なかった者は、
幽体の薄膜に付いたその人なりの執着の塊、すなわち「幽霊」となってこの世に出てきたりします。
この現象が、時たま、どこ其処に「幽霊が出た」という事になるのです。
幽霊は怨念や執着の塊であり、私達生きている人間に自分の恨みや、し残した事など、
自分の言いたい事を一方的に訴えてきます。 これが更に顕著に表れるのが「悪霊」です。
悪霊は、自分の不満を解消する為に、人間に取り憑いて憂さ晴らしをしています。
そして、人間が苦しむほどに、機嫌が良くなるのです。
これが「悪霊」であり、人間の出す悪念を吸って成長するので、悪霊は憑かれた人を
どんどん悪くさせて、悪念を出させるように仕向け、自分達の養分である悪念を吸っているのです。
そして、憑かれた人の周りの人をも悪くさせ、自分達の住みやすい環境に変えていこうとします。
ですから、憑かれた人を元に戻すには、自分の心の状態を見直すと同時に、周りの人の協力も大事なのです。
長くなったので、今日は、これ位にしておきます。 また、続きを書いていきますので興味があれば、読んで下さい。
-2003年3月15日-
もう直ぐ、お彼岸という事で色々と書いてきましたが、皆さんはどの様に感じられたでしょうか?
あの世の霊達は、お彼岸やお盆の初日から、大体2〜3日位前には、この世との行き来が
活発になってきます。 そうして、当日を迎える訳です。
ですから、そろそろ各家庭に於いて、ご先祖様が「どこでもドア」である、お位牌を通して
あの世から、こちらの世界へ出たり入ったりを繰り返しているでしょう。
そして、自分の「息子や孫達の様子はどうかな?」という感じで、家の中を見物しているのです。
この期間に、先祖供養の事など忘れて、自分達の利欲の為の生活や、争い事の絶えない家庭など
を先祖達に見せていると、先祖達は心配し、悲しみ、苦悩され、その結果、天国へ上がって行こうとする
者の足を引っ張る事になってしまいます。 そして、子孫に対しても、不満が募ってきます。
これが、先祖の起こす「障り」の一つとして、家庭に良くない事が続き、病気や事故等の不運が
相次いで起こるのです。 これは、良くない生活を続ける子孫に対しての警告であり、これを止めさせるには、
子孫がその事に気付き、先祖に謝って、自分たちの生活を改善していくより他はありません。
これが、なかなか出来ないでいる人が多いのです。 私の役割は、この様な問題を抱える人達に、
しっかりと真実を伝え、より良い対処の方法を教える事でもあるのです。
-2003年3月12日-
今日は、お線香について書きます。(ロウソクと線香はセットアイテムだしね。)
線香は身を清める為や、仏様の三種供養として古くからあります。
この三種とは、仏に供える「花」「香り」「火」というもので、先日の「ロウソクの火」と共に
三種類の供養物の事なのです。 そして「香り」は、線香の香りであり、仏の食事とされるものから、
良い香りを選ぶようになったようです。 実際、線香の香りは霊界へ届きますし、線香の香りで
迷える人の魂を導く事が出来ます。 これは、ロウソクの火と線香の香りによって、こちらの世界
から供養する人の方向へ、気持ちを向かせる為です。 そして、子孫が先祖に対する感謝の
念や、良い世界(仏様のお近く)へいって欲しいという想い等が、先祖には供養になるのです。
ですから、線香の香りは、お供え物の香りとして、あの世へ届けますが、我が家のように先祖が皆天国へいって
おられる場合は、別に線香の香りが無いと供養にならないという事はありません。
要は、物に頼るより、供養する側の「心」が大事であると言えます。
我が家の先祖で、子供がおりますが、その子いわく、「しぇんこう(線香)は、くちゃい、くちゃい」と
言って、「別に無くてもいいよ」とも言っております。 まあこんな感じで、昔の認識と実際の
霊界における役割というのは、必ずしも一致しないのが現状のようです。
-2003年3月9日-
今日から、また「お仏壇シリーズ」に戻ってみたいと思います。
その中で、今日は「ロウソク」について、書いてみましょう。
ロウソクの役目は、あの世の住人の為に明かりをともす事です。
これは、先祖が暗い世界(霊的に低い次元)に落ちている場合は、ロウソクの明かりだけが
「この世」の子孫との繋がりになるのです。 そして、このロウソクの明かりに照らし出される
「この世」の子孫の顔が見れ、また、お供えの品々がロウソクの明かりのお蔭で照らし出され、
あの世に居る先祖の元まで、浮かび上がってくるのです。 ですから、暗い世界に明かりをともす
意味に於いても、ロウソクの燈をともす事は大切な事であり、一種の救いにもなるのです。
ですから、ロウソクの明かりも無いお仏壇というのは、あの世の世界の住人からすると、暗闇の中、
何時、自分達に明かりを点けてくれるのかという心配をしています。 また、何時もお仏壇を閉めっ放しに
している家庭の先祖は大抵、不満があり、文句を言っています。
また、霊界の上位の世界におられる先祖は、光溢れる世界ではありますが、やはり子孫がともす
明かりが欲しいのです。 ロウソクの光は、子孫の供養する気持ちと共に、あの世でも光り続け、
自分達のいる所が明るく照らし出され、心の支えになっているのです。
-2003年3月7日-
どーも、一週間のご無沙汰でした。 月の初めは神様の御祭りが多くて、なかなか
文章を書く余裕が無いので、「ちょい書き」を楽しみにしておられる方には、申し訳ないです。
先月に引き続き、お仏壇関係のお話しをしようと思いましたが、今日は「お雛様」の話しを
したいと思います。 今週の、3月3日に「ひな祭り」がありました。
我が家では、ひな祭りの日より、丁度一ヶ月前の2月3日に雛人形を出します。
そして、お雛様に一ヶ月間ゆっくりと、こちらの世界で楽しんでもらいます。
毎日、お水とお酒、それにお供え物をしています。 何故かというと、お人形にもちゃんと
魂が宿っているからです。 お雛様の様な、家人を守り、繁栄を願う役割の人形は、言わば特殊な
神様のようなもので、何年も家に置いてあると、次第に「気」が入ってくるのです。
ですから、人間の様に喜んだり、悲しんだりもするのです。
特に、どの様な人形でも、とても大事にしてあげると、何か雰囲気が人間の様になってきたり、
「人形の気持ちが分かる」という人がいる様に、「気」が入ってくるのです。
だから、我が家の雛人形は、おもいっきり「気」が入っているので、人間同様にしてあげるのです。
今月は4日に還られたので、その日はとても悲しんで、還りたくないようでした。
しかし、お迎えも来ているので、皆にお礼を言って還られました。
その後のお雛様の人形は、もう「気」が抜けているので、生き生きした表情は消え、普通のお雛人形に
なっていました。 この様な霊的現象は、皆さんの所にも本当に起きているのです。