Interview with Linda Thompson
リンダ・トンプソン・インタビュー

From "Essential Elvis" Magazine (2001)
(Last modified: Aug.21, 2024)


Q: まず、どのような経緯で エルヴィスに会うことになったのか、 そのあたりから お話し願えますか? 確か RCA の ビル・ブローダーという人物が 引き会わせた ということですが?

リンダ: そう、ビル・ブローダーでした。彼はその後、T・G・シェパードという名前の カントリー歌手として、 「デビル・イン・ア・ボトル」 という曲を ヒットさせました。 で、当時の私は ミス・テネシーで、 ミスUSAの大会で 相部屋だった ミス・ロードアイランドの ジニー・ルメイという子が、 彼女はメンフィスに 来たばかりでした。
 それで ある日、 街を歩いていて、 彼女が 「フライデーズで 何か食べましょう」と 中に入ると ビル・ブローダーがいたのです。 「一緒に お昼を食べませんか」と誘われて、 「いまエルヴィスが 帰ってるんだけど 会いたくないですか」って。
 もしジニーが いなかったら、 エルヴィスには 会わなかったかも 知れません。 私は とても保守的でしたから。 あの日の夜、 モデルの仕事が 入ってたので、 私たちは 忙しいからって 断ろうとしたら、 ジニーが、 「会いたいから 仕事をキャンセルします」って 言ったのです。

Q: 当時のあなたは エルヴィス・ファン だったのですか?

リンダ: えぇ、 ずーっとファンでした。 あの時は モデルの仕事が入ってて、 別にそれは 嫌じゃなかったんですよ。 でも ジニーが、「エルヴィスに会えるなら、 そっちにする」と言ったの。 それで 私達は モデルの仕事を キャンセルして、 他の人に 代わってもらったのです。 メンフィアン劇場へは 真夜中に 行きました。 ドアは閉まっていて、 エルヴィスが 借り切っていたのです。

Q: 彼はどんな感じでしたか? 彼の第一印象は?

リンダ: 私たちがロビーで 取り巻きの人や だれかれなく 話していたその時、ドアがバーンと開いて、 そう、 あの光景です。 7月半ばのメンフィスだから、 とても 蒸し暑く、 うだってました。 彼は、あの 襟が高くて 裏が赤いサテンの、 黒いマントを 着けていました。 私は「なんだか ドラキュラみたいだね」と 言ったものです。
 分かるでしょ、 私たちのユーモアのセンスは、 お互いに そっくりでした。 すぐに 気が合いました。 だって、ふたりとも メンフィス育ちで、 同じ宗教だし、 同じように 家族思いで、 父母を敬う。 忠誠心という点でも 同じだったの。 お料理だって同じ。 ふたりとも 南部の人間ですから。

Q: もう必然的に、なるべくしてなったと いうことですか?

リンダ: えぇ そうです。本当の親戚みたいというか、 心底 気が合いました。 彼が「君はどこで・・・」と 言えば、 私が「育ったの?」って 続けられるほどに。

Q: ふたりが 初めて会った時、彼はプリシラと 別れたばかりじゃ なかったですか?

リンダ: それが 可笑しいんですよ。だって、メンフィアン劇場で会った時、 彼は「別居したばかり」と 言ったのです。 私達が会ったのは 7月6日で、 彼は1月の初めから 別居していたのです。

Q: 彼とデイトし始めてからすぐに リサ・マリーと 会ってますね。 リサは 父親の新しいパートナーとしての あなたを 受け入れるのに、 どのくらい かかりましたか?

リンダ: 彼女は素敵な女の子で、とても受け入れやすくて、 ちょっと 恥ずかしがりやでした。 でも私は 子供が好きですし、 私たちはとても 仲よしになりました。
 彼女に 最初に会ったのは、ロスの家で、私はプールの側にいました。 彼女は、 ちょっと恥ずかしそうに やってきて 「ハイ」と言ったの。 で、 おしゃべりして、 とても親しくなりました。 彼女と一緒にいるのが 好きでした。
 ご存知のように、 エルヴィスには子供っぽいところがあって、 私も同じなんですが、 子供っぽいことを、 時には 子供のレベルまで降りて するのが 好きだったのです。 リサと私は とても親しくなりました。

Q: 彼女とは 今でも親しいですか?

リンダ: えぇ。

Q: エルヴィスが 亡くなったことを あなたに知らせたのは リサでしたね?

リンダ: 彼女が 電話してきたのです。 まだ9才だったのに 落ち着いて 電話してきて、 何が起こったのか 話してくれました。

Q: それはあなたにとって 本当にショックでしたか? それとも、 起こるべくして 起こったことだと?

リンダ: いいですか、あなたの知っている誰かが、 たとえ回復の見込みが なかったとしても、 最終的に 亡くなった時は、 常に ショックなのです。 はい、 それはショックでした。

Q: 彼の命を 1,2度 救ったことがあるって 本当ですか?

リンダ: えぇ、何度か。

Q: 2人で 結婚について話し合ったことが ありましたか?

リンダ: よく話しました。 子供のことについても 話しました。 エルヴィスが 肺炎や その他の 健康上の問題で 2度入院した時、 私も1度は 2週間半もの間、 彼と一緒に 病院にいました。
 私専用のベッドを並べて、 私も病院食を 食べてました。 私は若くて、 健康で、 活発な女の子だったのに、 病院のベッドを、 ベッドのボタンを押して 上げたり 下げたりしていました。
 夜はテレビが 見られません。 今みたいに 24時間やってませんし、 そこで モニターを 育児室に切り替えて、 こんな子がいいわ なんて見ていたものです。(笑)

Q: それじゃ、彼の病室に 院内のTVモニターが あったのですか? 彼の希望か何かで?

リンダ: 私たちの病室のTVモニターは 育児室にも つながっていました。 エルヴィスが 頼んだ訳じゃないでしょう。 プライバシーを守るために 育児室のフロアの 近くにいたのです。

Q: エルヴィスの 取り巻き連中とは どうでしたか? 彼らと うまく行きました?

リンダ: 本当に うまく行ってました。今でも 何人かとは 親しくしています。

Q: 辛い時を 慰め合える、特別な人は いましたか? デビッド・ブリッグス (当時のエルヴィスの ピアノ担当) と 親しくなったのですよね。

リンダ: そうです。私達は2年半以上、ロマンチックな 関係でした。 今でも友達です。
 分かるでしょ、 正直なところ、 他の誰とも会える状況では なかったのです。 そこは エルヴィスの世界でしたから。 私達は 夜中に起きて 昼間に眠る、 そんな 逆さまの生活を 送っていました。 周りは いつも同じ人達しか いませんでしたし。 ですから、 彼と別れた時、 身近にいて 親しかった人に 惹かれるのは 自然な成り行きでした。
 私たちふたりとも、エルヴィスへの愛がありました。 ふたりとも 彼が大好きでしたので、 彼が 自滅していくのを見るのは 悲しいことでした。

Q: あなたが エルヴィスの元を去って、彼が 亡くなるまでの間に、 コンタクトは あったのですか?

リンダ: 私が去って ほんの8ヶ月後に 彼は亡くなりました。 1、2度 電話で話しました。 彼のことが心配で 電話したのです。
 グレイスランドに 2度電話して 彼がどんな具合なのか 確かめました。 心配だったからです。 私は チャーリー・ホッジか リッキー・スタンレーか、 とにかく そばにいる人に、 彼の様子を 見てくるように 頼みました。 彼らは エルヴィスは 元気だよと 言い張るのですが、 私は待ってるから、 とにかく 2階に上がって 見てきてから、 彼は元気か 知らせてほしいと 頼みました。 そんなことが 数回はありましたし、 彼とも実際に 2度ほど 話しました。 私たちはお互いに とても愛情を 感じてましたし、 愛しあっていました。 エルヴィスは 私の気持ちを 理解してくれてると 分かってましたし、 本当に心から 彼を愛していました。

Q: その通りだと思います。 ひとつ、 難しい質問があります。 もしあなたが 1977年8月に まだ彼と一緒だったら、 彼の命を救えたかもしれない と思われますか?

リンダ: そうですね、 確かに それまで数回、 彼の命を 助けるようなことが ありました。 難しい質問です。 というのも、 彼の父親も含め 周りの人から、 もし私がそばにいたら 彼はまだ 生きていたかもしれないと 言われました。 彼の父親は お葬式の夜に そう言いました。 彼の友人たちも 親族の人たちも 同じことを 私に言いました。
 でもそれは、 今では 誰にもわかりません。 私がそこに 留まって、 あと10年 彼を長生きさせられたかもしれないし、 ジンジャーと同じように、 死んでる彼を 発見することに なったかもしれません。 私なら 何かできたのに ということより、 もっと大変な どうしようもない事態に なったかもしれません。 神様は 物事を清算する方法を ご存知なのだと 思います。 神様は、 私にできることは 何もないと考え、 私をその場から 引き離されたのです。

Q: 歴史の流れは 変えられない ということでしょうか
 ところで、 あなたに ひとつ確かめたいことがあるのですが、 聞いた話で、 とても面白いので 本当だったらなと 思っています。 あなたとエルヴィスが マクドナルドで 食べていて、 誰かが彼を ソックリさんと 勘違いしたとか・・・

リンダ: その話は本当ですが、 細かい所では ちょっと違うわね。 私たちは、 マクドナルドでは 食べたことないんです。 私たちは夜中に 映画を見ようと メンフィアン劇場に 向っていました。 中に入ろうとした時、 彼は私の 少し前にいたのですが、 誰かが彼に 近づいてきて、 「あらっ、まぁ、 エルヴィスだわ。 あなた、エルヴィスでしょ?」 って言ったのです。 彼が 「えぇ、エルヴィスです」と 答えると、 みんなが 大騒ぎして、 サインと 写真が欲しいって 言い出したのです。
 私は、 近づきながら 「チャーリー 、 あなた、もう そのエルヴィスの真似するの 止めなさい。 いいかげんにしなさい。 2度と自分はエルヴィスだなんて 言わないでよ」って 言いました。 そこの人たちに 「いつもこうやって、 みなさんを 混乱させてるんですよ」 と言いました。 彼らが 「エルヴィスのはずないよね」 と言うと、 彼は 「でもそうなの。 ねぇ、言ってやってよ」 と言ったので、 私は 「もう、チャーリーったら、 遅れちゃうわよ」 と引き離したのです。

Q: それは 可笑しかったでしょうね。

リンダ: 彼は 素晴らしい ユーモアのセンスの持ち主で、 私たちはそれを 分かち合いました。 一緒に笑うことができる 人となら、 長く一緒に 暮らすことができます。 多くの事を許せるし、 多くの事を 見逃せます。

Q: 1974年に、 メンフィスの あなたの家で、 エルヴィスが詠んだ 「コマドリの詩」を 覚えてますか?

リンダ: 出てるの?

Q: CDになって出てますよ。もう1度 聴きたいのでしたら、 CDを 送りますよ。

リンダ: お願いするわ。 RCAが 買いたいって 言ってきたのですが 断りました。 海賊盤でしょ。 でもいい、聴きたいわ。 つい先日、 子供たちがそのことを 訊いてきたので、 テープを探してたとこなの。 小さなカセット・テープで どこかにあるはずなのよ。
 けさ目覚めてみれば、愛しきものたちの誕生の時
 1羽のコマドリが 窓辺にとまり、新しい朝に ごあいさつ

 この詩でしょ?

Q: そうです。 よければ、その続きを・・・(笑)

リンダ: 小鳥はそれほどに 愛らしく歌い、そして 一瞬のためらい
 そーっと窓を持ち上げて 「うるさい」 頭をグシャッ!
(笑)。
 心を込めた詩に、彼はひどい言葉を 付け加えるのです。 この詩は 彼のお気に入りでした。

Q: エルヴィスほどのカリスマの持ち主と 他に出会ったことは ありますか?

リンダ: あのような 魅力のある人と 出会えるとは 思えません。 エルヴィスは比類のない人でした。 それに、彼は壊し屋でした。 祖母が 「彼が壊したのよ」 とよく言ってました。

Q: TLCネックレスを、 まだお持ちですか?

リンダ: えぇ、持ってます。 私が これまでに愛した人から 遠ざからないように、 今でも時折 着けますよ。 誰もが それぞれに魅力があります。 私たちはみんな 雪片みたいに、 生まれ方が ユニークで。 私達は とてもよく似ていて、 みんな 人生をさまよってる。 でも、 独自の性格があり、 形をしています。 エルヴィスは ほんとにユニークで、 信じられないほど 官能的で、 優しかった。 彼は面白くて、 いい人でした。 彼は 人生のあらゆる場面で 極端でした。

Q: ラスベガスで、エルヴィスの銃弾が あなたを かすめた時は どうでした?

リンダ: 彼はまるで 小さい子供のようでした。 彼の銃の 扱い方を考えると ぞっとしますよ。 今では 銃規制とか ピストルの危険性は よく知られています。 あの頃を振り返ると、 彼の銃には 弾丸が入ってましたし、 子供もそばにいました。 それで、 リサには 銃に近づかないように 言ってましたし、 触りませんでした。 でも、もし 彼女が 言うことを訊かない子で、 もっと 好奇心の強い子だったら どうだったでしょう。 恐ろしいわ。 その責任の所在について考えると ぞっとします。

Q: 誰も亡くなったり 怪我をしなかったのは 奇跡ですね。 でも、 あなたの事件は 本当に 危なかったのでしょ?

リンダ: そのとおりです。 私は丁度、 ラスベガス・ヒルトンの プレジデンシャル・ スイートの シャワールームから 出てきたところでした。 彼はソファに 横たわっていました。 あの頃のヒルトンには、 とても大きな 標的の広告板がありました。 エルヴィスが 出演中のベガスは 活気づいていて、 広告板や、 ポスターや、 プラカードで いっぱいでした。 彼は部屋の中に その大きな 標的みたいなのを ひとつ持ち込んで、 それを的に 撃とうと決めたのです。 その看板は、 彼の名前が切り抜かれた ボール紙か何かで、 中心に的中させて エルヴィスに会おう みたいな事が 書かれていました。
 そして、エルヴィスが銃を抜いて、 的を狙って 撃ったら、 弾丸が バスルーム側の壁を 貫通したのです。 壁を突き抜けた弾丸は、 金属製の ペーパーホルダーに 当たって、 鏡張りのドアを 貫通し、 ドアは粉々になりました。 私は 洗面台の前に 立っていたのですが、 カチカチと聞こえて、 ガラスの割れる音が しました。 足の後ろの 空気が動いたように感じました。 下を見ると、 後ろのドアに 穴があいていました。 そのドアを開けると、 さらに1枚の ガラスドアも 粉々になっていて、 弾丸が落ちていました。
 私は何が起こったのか、 はっきり分かりました。 ジェームズ・コーリーが 入ってきて 「リンダ、大丈夫?」と 訊くので、 私が 「えぇ、 一体どうしたのよ?」 と 言うと、 「エルヴィスがちょっと 射撃訓練をしてた」とか 言うのです。 私は急いで バスローブを着て、 タオルを頭に巻いて 出て行き、 「何やってるか わかってるの? 私を撃つところだったのよ!」 と言うと、 彼は青くなりました。 誰かが彼に、 弾が壁を突き抜けて 私に当たったと 言ったかのようでした。 彼は 立ち上がることができないほど 震えていました。

Q: なるほど、それが あなたが先ほど言われた 彼の子供っぽさですね。 彼は 軽蔑されましたね。

リンダ: そうなんです、私が叱ったので、彼は うなだれていました。 彼は 「何てことだ。 君がそこにいるとは 知らなかったんだ。 壁を突き抜けるとは 思わなかった。 あそこで止まると 思ったんだ」と 言いました。 「私を殺すとこだったのよ」 と言うと、 彼は 実家に帰りたいのかと 訊いたので、 「そうね、 少なくとも、 あそこでは 撃たれたりしないでしょうよ!」 と言ってやりました。 彼はすごく 申し訳なさそうに してました。 本当に 気が動転していて、 青ざめていました。

Q: その銃弾の話は、TV映画 「エルヴィスと ミスコンの女王」 (Elvis and the Beauty Queen) に 出てきますが、 あの映画は どう思われましたか?

リンダ: あれは少々 不満の残るものでした。だって、私とエルヴィスとの 密度の濃い 5年間の生活を、 2時間に要約するなんて 不可能ですもの。 実際にあったことに すごく近いから、 全く客観的には見られないし・・・。
 あの映画は、エルヴィスの感受性・寛大さ・遊び心や才能よりも、 薬物使用のような問題を 多く取り上げていたように 思いました。 分かるでしょう。 私は長い時間をかけて 話したんです。 彼の 寛大さゆえの行動、 霊性、 優しさについて、 私は 事細かに話しました。 もちろん薬物中毒や 自己破滅もありましたが、 あの映画が取り上げたものは その面だけでした。 それは 作家の 個人的な偏見では 済ませられないものであると 感じました。 しかし、 私については 大変良心的で、 実際より良く描くこともなく、 その点は 感謝しています。
 あの映画の中で、もっと多くの彼の良さが描かれなかったことが 残念です。 良いところが いっぱいありましたから。 あれがミニ・シリーズだったら、 人々は 「うわぁ、彼って 何て凄い人なんだろう、 打ちのめされたり、 悩んだりもする。 でも 何て素晴らしい 凄い人なんだろう」って 考えるように なったことでしょう。

Q: 最後に 何か おっしゃりたいことが おありですか?

リンダ: これだけは お話ししたいと 思います。 エルヴィスと 一緒にいた間、 私はずっと 詩を書いてました。 私は9歳の時、 メンフィスの バプテスト教会で 洗礼を受けたのですが、 神様が私に 与えてくださった才能は 詩を書くことであると いつも 感じていました。 ですから、 私は9歳の時に、 父や母、 それに家族みんなのために 詩を書き始めました。 それが歌詞を書き始める きっかけだったのです。 私がエルヴィスと 一緒だった時には、 愛の詩を書きました。 彼が私を 傷つけたりすることがあれば、 私は思いの丈を、 詩を通して 彼に伝えました。
 彼は よく 「ねぇ、この詩 素敵だから、 誰かに メロディーを 付けてもらっても かまわないかい? そして僕が レコーディングする。 とっても良いから」と 言ってくれましたが、 私は断りました。 個人的なものと 感じていたからです。 今になって思えば、 愚かでしたね。 印税のことなんか 考えもしなかったですから。(笑)
 でも、彼が亡くなった時、私がそばにいたのは、 お金儲けのためとか、 そんなことのため ではなかったと、 彼は分かっていたと 信じています。 私がそばにいたのは、 ただ、彼を本当に 愛していたからなのです。

Q: 思い出や気持ちに 値段は 付けられませんよね。

リンダ: その通りです。私が作詞家として成功したこと。 あのような詩を うまく歌に取り入れることができ、レコードを 作ったりしていることを、 彼はとても 喜んでくれると思います。

Q: 全くそのとおりですね。 あなたがホイットニー・ ヒューストンや セリーヌ・ディオンの ヒット曲を 書かれたと知って 驚いています。

リンダ: デビッド・フォスターの 音楽は、エルヴィスにとっても 多いに楽しめるもの であるはずです。 エルヴィスは ミュージシャンが 好きでした。 デビッド・ブリッグスが好きでした。 ブリッグスの音楽が 好きでした。 ですから、 彼はきっと 私の夫の音楽も 理解したであろうと 私は確信しています。

Q: 彼はあなたに感謝していたと思います。 そして 世界中のファンは そのことを知っています。

リンダ: それが、私にとって何よりの慰めとなっています。 世界中の人々と 同じ愛を感じる ということが。 全てのファン雑誌や タブロイド紙は、 いつも私のことを とても親切に 取り上げてくれています。 そのことに 何よりも 満足しています。 私がどれほど エルヴィスを愛していたか、 皆さんが 本当に 理解してくださっていると 分かってますし、 彼を愛する人々が そのことを 認めてくださっていると 私に知らせてくれますから。

Q: あなたとエルヴィスが一緒の 未発表の写真を お持ちでありませんか? 良い写真が なかなか見つからなくて。

リンダ: 何故だか 分かりますか? 誰にも写真を 撮らせなかったからです。 私は 彼のプライバシーを 尊重してましたし、 彼は 写真を撮る人達に対して とても用心深かったのです。 だから、 ふたり一緒の写真は、 あんまりないんです。

Q: 70年代のあなたの写真を 何枚か見たことがありますが、 睫毛がとても長いのですね?

リンダ: (笑)そうなんです。子供たちもですよ。 母方の家族は、 みんな睫毛が長いのです。 付け睫毛だと 思われがちですが、 したことないんですよ。

Q: このインタビュー記事と 一緒に載せる写真が 気に入っていただけると いいのですが。

リンダ: えぇ、 気に入るでしょう。 エルヴィスを 愛し続けてくださる 全てのファンの方々に 感謝します。

Q: 私もです。 ファンの方たちも、 きっと同じ言葉を あなたに返すと思います。 インタビューを 受けてくださって、 ありがとうございました。

リンダ: 良いお仕事を続けてください。 また連絡してくださいね。

Q: ありがとう、リンダ。デビッドやご家族に、よろしくお伝え下さい。

リンダ: わかりました。それでは、バイ。