LUNCH TIME



 しん、と張りつめた空気が穏やかな陽射しに温められ、緩やかに流れ始める日の曜日の朝。私は自分に提供された宿舎を出て、通い慣れた道を歩き、王立研究院へ向かった。
 普段忙しく立ち働く研究員の姿はなく、機械の低い唸りだけが私を出迎える。
 何十年、もしかすると何百年に一度、女王試験の時のみ設けられる奇跡のような場所に私は足を踏み入れていた。
 今まで渡り歩いたどの研究院よりも整った設備を持ち、読みたくてもなかなか入手出来なかった貴重な資料が大量に揃っている。特に信仰を持たない私が口にするのもおかしいが、あえていうなら、そう、天国のような場所だ。

 女王試験開始以来ほぼ毎週、私は休日もこの場所に足を運んでいた。新宇宙の観測、育成状況の把握、安定度の測定、女王候補たちの状態と育成効率の計算など、行うべき業務は山のようにあり、少しでも進めておきたかった。それに、私のライフワークである「宇宙創生の謎」の解明に、女王試験への協力から得るものは大きかった。日の曜日はつい本来の業務の枠を越えてさまざまな資料に目を通してしまう。が、プライベートな時間を使っているのだから少々のことは許されると思いたい。
 ともかく、休めといわれて宿舎で無為に時間を過ごすようなもったいないことは、私には出来なかった。

 今日も以前から喉から手が出るほど見たかった貴重な資料にひたすら目を通していた。ふと顔を上げ、時計を見ると11時45分だった。もうすぐ昼だ。
 研究に没頭しているとつい時間を忘れてしまう。
 それほど空腹を覚えていたわけではないが、うっかりするとまた何も口にしないまま夕方になってしまいそうなので、机の中に常備している栄養補助食品に手を伸ばそうとした。
 そのとき自動ドアが開閉する軽い音が聞こえた。
 顔を上げ、入り口の方を見ると、女王候補アンジェリークが立っていた。
 「これは…。どうしました、アンジェリーク」
 予期せぬ訪問者の姿に私は腰を浮かせる。休日にここを訪れるなど、育成に関してなんらかの問題が発生したのだろうか。
 「こんにちは、エルンストさん」
 だが、アンジェリークはにこやかに挨拶をする。
 「日の曜日も、エルンストさんは研究院に出てこられることが多いって聞いたので、寄ってみたんですけど。…あの、お昼ごはん、まだですよね」
 彼女の意図をくみ取れないまま、
 「ええ、まあ」
曖昧に頷いた。
 アンジェリークはさらにニッコリとする。
 「ちょっと作ってきたんですけど、いかがですか」
 言われてみれば、アンジェリークはやや大きめのバスケットを提げている。
 「…私は食事に時間を取られることを好まないのですが…」
 やや戸惑いながら口にする。
 アンジェリークは笑顔を絶やさず、バスケットを少し高く持ち上げた。
 「そう思ってサンドイッチにしたんです。これならすぐ食べられますよ」
 そういうと、私の返事も待たず、こちらに小走りにやってきて机の上にバスケットを置いた。
 私はあわてて読みかけの資料を隣の机に移動させる。
 アンジェリークはバスケットの蓋を開け、布を取り出し、机の上に敷く。次いで、皿に盛られたサンドイッチを取り出す。正直、お世辞にも形がよいとは言えなかった。
 「どうぞ」
 勧められるままに一切れ手に取り、口に運んだ。
 「どう…ですか?」
 上目遣いにこちらを覗き込み、語尾を上げて訊ねてくる様子に、感想を求められているのだと気付いた私は、食品の品評などという慣れない行為に及んだ。
 「パンが水分を吸ってしまっていますね。具をのせる前に、あらかじめバターなどを塗っておけば防げたでしょう。それに、キュウリが不揃いで少々分厚くすぎるようです。玉子焼きも少し火が通りすぎているようですが…」
 そこまで言いかけて、ふと気付くと、アンジェリークは眉を寄せ、口の端をぎゅっと下げていた。
 「お口に合わないものを持ってきてすみませんでした。どうぞ、処分しちゃってください」
 いささか乱暴にバスケットをつかむと、ぱたぱたと駆けだしていった。
 …私は「それでもそれなりに美味しい」と言葉を続けようとしていたのだが…。
 いきなりサンドイッチを前に一人取り残されて、私は呆然とアンジェリークの去った方を見ていた。
 私の言葉で気を悪くしてしまったのだろうか。思ったところを正直に口にしただけだったのだが。
 そういえば彼女に対して礼も言っていなかったことに気がついた。
 私はため息をつき、目の前の、私一人にはいささか多すぎるサンドイッチに手を伸ばした。今度こそ、ろくに味を感じなかった。
 私はもそもそと口に押し込み、水で流し込んだ。
 肩の辺りになにやら重い空気がのしかかっているような感じだ。惨めな気分…とでもいうのだろうか。なぜ私が彼女のためにこのような気持ちを味わなければならないのだろう。
 半分ほどを消費したところで私はあきらめ、気持ちを切り替えて資料の続きに取り組むことにした。聖地の研究院にいるという貴重な時間を少しでも無駄にする訳にはいかない。

 次の週、胸の片隅にかすかな引っかかりが残っていたが、相変わらず忙しい業務に取り紛れて時間は過ぎていった。
 データを見る限りアンジェリークの育成や学習の状況に取りたてて変わったところはない。
 土の曜日、私はどんな顔をして彼女に会えばいいか、さすがに少し悩んだが、アンジェリークはいつもと変わらぬ朗らかな笑顔で研究院を訪れ、私に丁寧に挨拶し、新宇宙の意思の具現化である聖獣と対話すべく次元の扉をくぐっていった。

 明けて日の曜日。
 机に向かっている私の前に不意に影が落ち、私はびくりと顔を上げた。
 目の前にアンジェリークが立っていた。
 「こ、これはようこそ、アンジェリーク。全然気がつきませんでしたよ」
 「熱心に何か見ていらっしゃったから」
 アンジェリークはニコッと微笑む。
 私は目の端で時計を確認した。いつのまにか11時45分を指している。
 「どのようなご用件ですか」
 妙に間が悪く感じられて、私は少しだけ慌てた調子で口を開く。
 アンジェリークは手に提げていたバスケットを持ち上げてみせた。
 「また、お昼を作ってきたんです。…今度はちょっとはましな食べ物になっていると思うんですけど」
 先週の一件で傷つき、懲りただろうと思っていたのに、アンジェリークは笑顔を浮かべていそいそと私の机の上に布を敷き、サンドイッチを取り出し始めた。明らかに見た目が先週よりも整っている。
 「…練習…したのですか」
 「ええ、まあ。本を見たり、お母さんに手紙で聞いたりしたんですけど」
 アンジェリークは屈託なく言葉を返す。
 「…そんなことに無駄な時間を費やしている暇が、貴女にあるのですか」
 「え?」
 私の低い声にアンジェリークは手を止めた。
 「女王候補である貴女に与えられた時間は貴重です。育成や学習など、貴女にはやらなければならないことがいくらでもあるはずです。休日なら休日で、疲れを取ったり、聖地の方々と親睦を深めたりするために用いるべきです。私などに構っている場合ではないでしょう」
 試験のためというよりはむしろ自分自身のために、好き好んでこの場所に出てきている私などのために、アンジェリークの手を煩わせたくない一心で口にした言葉だったのだが…。
 アンジェリークは碧い目を見開き、口元を引き結んだ。
 「…すみませんでした。失礼します」
 震える声でバスケットを手に持ち、くるりと背を向けるとすたすたと歩き出した。
 「待ってください!」
 私は慌てて立ち上がった。
 アンジェリークは立ち止まり振り返った。
 私は彼女の前に立った。
 「そんな…つもりではなかったのです。貴女を非難するつもりなどなかった。貴女の心遣いは有り難いと思います。ただ、私などのために貴女の時間を使わせることを、心苦しく思っただけなのです」
 アンジェリークは黙って私を見上げていたが、不意にその目からぼろぼろっと涙がこぼれ落ちた。
 「え?あ、アンジェリーク?」
 私はどうしてよいかわからなくなった。
 「ちょっ…あの…どうしました?」
 「…なんで…も…ありま…せ…」
 彼女は肩を震わせ、口元に拳を当ててしゃくり上げながら答えようとしたが
 「…ごめ…なさ…」
そこまで言うと突然駆けだした。
 取り残された私の頭の中は真っ白だった。
 ふらふらと自分の机に戻り、腰掛けた。
 サンドイッチを一切れ手に取り、頬張ってみる。
 パンにはバターが塗られていたし、キュウリの厚さは均一で、玉子の火の通り具合もまずまずだった。
 私は…彼女の努力を踏みつけにしてしまったのだろうか。
 理に外れたことは言っていないつもりだし、協力者としての立場上、女王候補に対して忠告する時はすべきなのだが…。
 またしても私の言葉が彼女を傷つけてしまったことに、私は深くため息をついた。

 次の週、私はアンジェリークに関するデータを普段以上に気に掛けていたのだが…。育成も学習も順調だった。むしろ従来以上に…といってよかった。今までどちらかといえば苦手としていた分野の学習を積極的に進めるなど、努力の跡が見受けられた。
 …私が心配することなど、何もなかったのだろうか?
 土の曜日、私は先週のことを彼女にあやまろうと思っていた。だが、研究院にはアンジェリークとレイチェル二人揃って訪れ、私は声を掛けそびれた。少なくとも表面上は、アンジェリークの態度は普段と少しも変わらなかった。
 次元の扉から戻ってきた彼女に私はぎこちなく
 「聖獣は元気でしたか?」
と訊ねた。
 「はい!」
 彼女は嬉しそうに、そして少し誇らしげに笑った。

 日の曜日、私はいつものように研究院で過ごしていた。
 シュオン。
 自動扉が開く音に顔を上げる。
 「…アンジェリーク…」
 私はそれ以上何も言えなかった。
 「あっ、あの、また作ってきちゃいました」
 こちらへ走り寄り、さっそくバスケットを開けて支度する。
 「えっとですね、私が好きでやっていることなんで、エルンストさんが気にすることはないです。もう、そんなに時間もかからなくなりましたし」
 私がまた何か言うことを恐れてか、早口で立て続けに言う。
 「これっていい気分転換になりますし」
 「…気分転換、ですか…」
 私は思わず、目を細めた。
 彼女の気晴らしに私は付き合わされていた、ということなのだろうか。
 アンジェリークはハッとした顔で私を見た。
 今度こそ、私は余計なことは何も言っていないはずだが…彼女は口元に手を当てて、小さな声を紡ぎ出す。
 「あ、あの、私、別にそんな、そういうつもりじゃなくて…ごめんなさい…っ!」
 背を向けて駆け出そうとする。
 私は即座に立ち上がり、追いかけた。
 あのような苦い思いは2回で充分だ。
 ドアの手前で彼女の前に回り込むことに成功する。
 「エルンストさん…?」
 私は弾む息を必死で押さえ込む。
 「まだ、お礼を言っていませんでしたね」
 「え?」
 「ありがとうございます」
 私は深く頭を下げた。
 「あ、あの」
 「もし、昼食を作るということで、少しでも貴女の気が晴れるのならば、いくらでもお付き合いしますよ」
 私は彼女に向けて微笑んでみせた。
 「貴女がたの役に立つために、私はここにいるのですから」
 その言葉は、少なくとも今は嘘ではなかった。今までいささか自分本位であった己に対する自戒の気持ちが胸に湧く。
 「それで、ですね」
 私は、目を見開いてこちらを見上げるアンジェリークを覗き込むようにする。
 「実を言いますと、いつも持ってきてくださるサンドイッチの量が、私一人には少し多いのです。もし、貴女さえよろしければ一緒にいただきませんか」
 よし、上出来だ。
 「え、ええ…」
 アンジェリークはまだ少し戸惑いながらも、小さく頷いた。

 隣からイスを引き寄せて、アンジェリークは私の机の横に座った。
 私がサンドイッチを手に取り、口に運ぶ様子を息を詰めるようにして見つめている。
 あまりにもはっきりとした彼女の期待の視線に、私は苦笑を抑えながら、彼女が望んでいるであろう言葉を口にした。
 「美味しい、ですよ」
 彼女はパッと顔をほころばせる。
 「ホントですか?」
 「ええ、本当に」
 それは決して嘘ではなかった。この数週間の内にずいぶんと上達していた。
 「どうぞ、貴女も召し上がってください」
 「はい、それではいただきます」
 一切れ頬張ると、彼女は満足げに頷いた。
 その様子を眺めながら、私の口からそっと言葉がこぼれる。
 「この間はすみませんでした」
 彼女の目が見開かれる。
 「貴女の好意をきちんと受け止めずに、貴女を傷つけてしまった」
 「いっ、いえ…!そんな、エルンストさんのいう通りですもの。でも、ホント、負担とかぜんぜんそんなことないですから…」
 ふっとアンジェリークは黙り込む。
 私は黙って彼女の次の言葉を待つ。
 彼女は何かを決意したような瞳で顔を上げる。
 「あのですね、本当はエルンストさんにお礼がしたかったんです」
 「お礼?」
 私は馬鹿のように繰り返す。
 「いつもお世話になっていますから、感謝の気持ちを伝えたいと思ったんです。守護聖様や教官方には、日の曜日にお会いして、お好きな品物を渡すこともできるんですけど、エルンストさんにはそれもできなかったから…」
 「アンジェリーク…」
 私はすっかり困ってしまって、それでも彼女を傷つけないように、できるだけ静かに声を掛ける。
 「私が貴女がた女王候補に協力するのは当然のことなのですよ。私たち協力者はそのためにここに呼ばれたのですから。お礼を言われるようなことは何もありません」
 「それでも、エルンストさんのおかげで、私、すごく助かってますから、だから…」
 アンジェリークは私の目をしっかりと見つめて言い返したが、ふいに声の調子が弱くなる。
 「でも、何を渡したら気に入ってもらえるか、とかぜんぜんわからなくて、こういう事しか思いつかなくて…。でも、かえってご迷惑かけたみたいで…」
 最後の方は消え入りそうな声になる。
 「そう、だったんですか…」
 私は目の前のサンドイッチをあらためて見る。
 「…ありがとうございます」
 再び感謝の言葉を口にする。
 「…エルンストさん?」
 「貴女のお気持ち、しっかり受け取らせていただきましたよ。…充分に」
 もう気を遣わなくてもいい、と、言外に告げたつもりだった。
 「さあ、いただいてしまいましょう。出しっぱなしにしていたら、乾いてしまいます」
 「そうですね」
 アンジェリークはニコッと笑った。

 前のときは持て余したサンドイッチも、二人掛かりだとあっという間に片付いた。
 空のバスケットを提げて、アンジェリークが足取り軽く帰っていくのを見届けると、私は深く息をついた。
 これでようやく、彼女も気が済んだだろう。もう、このように訪れることもないに違いない。

 次の週も、アンジェリークの育成状況は上々だった。天才少女との呼び声高いもう一人の女王候補レイチェルにも、決して引けを取っていない。これなら誰も文句の付けようが無いだろう。
 文句の付けようが無い…?
 女王候補たちのデータを見ながら、私は不意に浮かんだ考えに愕然とする。
 近頃のアンジェリークの頑張りは、私が彼女に無神経な忠告をしたことに対して、彼女が休日に何をしようと試験に響くことはない、と私に証明してみせたのだ…とは…私の考えすぎだろうか。
 彼女の笑顔を思い出しながら、胸がしくりと痛んだ。

 日の曜日。
 臨界を迎えて望みが大きく変化した新宇宙のデータを必死で整理していて…。気がつくと午後2時を過ぎていた。
 机の引き出しから栄養補助食品を取り出した。固形タイプと水に溶かして飲むタイプの2種類だ。それらを口に運びながら、こんなに味気なかっただろうかという思いがふっとよぎる。全宇宙で幅広く売られているその製品は、万人向けのオーソドックスな味付けだし、胃の余り大きくない私にとっては量も充分なはずだ。あまり深く考えないことにして、私はすぐ仕事の続きに取りかかった。

 次の週も忙しかった。だが、華奢な身体で必死に頑張る女王候補たちのために、自分が為せることが、まだまだ足りないように思えて、気が焦る。
 自分は本当に彼女たちの役に立っているだろうか。試験に取り組む彼女たちの、なんらかの支えになりえるだろうか。

 日の曜日。
 データと格闘している私の耳に、自動扉の開く音が聞こえた。
 まさか…。
 もうここへ来る必要は無いはずだ。
 だが、目の前にあらわれたのは間違いなくアンジェリーク。手にはバスケットを提げている。
 「ごめんなさいね、エルンストさん」
 口もきけないでいる私に向かい、彼女は謝罪の言葉を口にする。
 「先週は、用事があって、来られなかったんです」
 「…な…」
 なぜ、また来たのか、そう訊ねかけて止めた。
 それが彼女の望みならば、かまわないではないか。私はただ、彼女の好意をありがたく受け入れるとしよう。
 「何ですか、エルンストさん?」
 アンジェリークが小首を傾げる。
 「いえ、何でもありません。ありがとうございます、アンジェリーク」
 彼女は嬉しそうに笑った。

 温かい色の布が敷かれ、無機質な机はたちまち食卓に変わる。
 「今日は飲み物も用意したんですよ。今まで気が利かなくてすみません」
 ポットから注がれるコーヒーはブラックで…。
 「お砂糖やクリームはいりますか?」
 「いえ、このままいただきます」
 湯気越しに見える彼女の笑顔と、その気遣いが、素直に嬉しかった。
 サンドイッチを一切れつまむ。
 「もう、どこに出しても恥ずかしくないですね」
 私の賞賛の言葉に彼女は頬を染めた。
 決して世辞ではない。そもそも私は世辞を言えるほど器用ではない。このひと月余りの間に、アンジェリークのサンドイッチ作りの腕前に関しては飛躍的に向上したといってよいだろう。

 二人で食べる昼食は瞬く間に済んだ。
 片付けをするアンジェリークの姿を見ながら、私は、この時間が終わることを淋しく思っている自分に気がついていた。
 空になった皿と布をバスケットに直し込み、アンジェリークは立ち上がった。
 「それでは」
 彼女は私に笑顔を向ける。
 私は自分の感情をうまく把握しきれていなかった。
 だが、今ためらえば後悔することになる、と心のどこかで気付いていたから…。
 私は自分の中の勇気を総動員した。
 「あ、あのですね、アンジェリーク…」
 「…はい?」
 彼女は小首を傾げて私の次の言葉を待った。
 「…実は、今日の分の仕事はほとんど片付いているので、その、もし貴女さえよろしければ、もう少しここで話をしていきませんか」
 アンジェリークは目を丸くしたが、次の瞬間にっこりと微笑んだ。
 「ええ、喜んで」
 よかった…。
 私は大きく息をついた。
 ふと自分に向けられるアンジェリークの視線を感じる。
 「エルンストさんってそういう風に笑うんですね」
 「え?」
 とっさに頭が反応しきれない。
 「…初めて、見ました」
 彼女は嬉しそうに目を細めた。
 「そう…ですか?」
 そういえば人前で自然に笑ったことなど、もうずいぶんなかったかもしれない。
 「そうかもしれませんね」
 再び口元が緩んだことを、今度は自覚することが出来た。

 …たまには、このように時を過ごすのも良いかもしれない…。







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