並木道



 日の曜日の午後の陽射しは幾分そのまぶしさを弱め、街路樹や道行く人の影を長く伸ばしていた。その中で前後に並んで動いていた二つの影の間が徐々に開いていく。 後ろを歩いていた栗色の髪の少女の歩みがだんだんと遅くなり、ついに立ち止まった。前を進んでいた背の高い青年は振り返り、彼女の所まで戻った。
 首をかしげるようにして少女の顔を覗き込む。
 「アンジェリーク、どうしました。体の具合でも悪いのですか?貴女の家まで一緒に戻りましょうか。シャトルの発着場までの道ならわかりますので、私一人でも帰れますから」
 アンジェリークのうつむいた顔の、その口元はぎゅっと引き結ばれていた。
 「…アンジェリーク?」
 静かに自分を呼ぶ声に少女は顔を上げた。
 湖の色をした大きな瞳が青年に向けられる。
 「私…そんなに重荷かしら」
 「…………………は?」
 ようやく青年の口から出された声はすっかり裏返っていた。
 「さっき、エルンストさんが私の両親にしていた話のことよ。お詫びするとか、責任を取るとかって…。私が女王を辞退したのは自分で決めたことなのよ。エルンストさんの責任じゃないわ。私と一緒になるって、そんなに負担に思う事なの…?」
 「そ、そんな」
 エルンストは眼鏡に手をやり、あわただしく動かした。
 「そんなつもりではありません、あくまでも私の心構えの話でして、貴女が負担だなんて、そんなまさか…」
あたふたとそう言いかけて、すっと肩を落とし、うなだれた。
 「やはり…私は駄目ですね。不用意な発言で、また貴女を傷つけてしまった…」
 「それに…」
 「え?」
 「それに、私、絶対心変わりなんてしないわ。エルンストさん以外の男性を好きになるなんて、そんなこと、ありえないのに」
 アンジェリークの非難めいた視線に、エルンストは再び泡を食った。
 「あれは言葉のあやというものです。もちろん、貴女のことを信じていますよ。ただ、私は何よりも貴女の幸せを第一に考えたいと思っているだけなのです」
 「私の幸せ…?私の幸せはエルンストさんのそばにしか無いわ。私…私やっぱり家には戻らない。聖地でずっと貴方のそばにいるわ!!」
 「アンジェリーク…」
 エルンストの眉根がかすかに寄せられた。それを目にしたアンジェリークの頬がさっと紅潮する。
 「エルンストさんは私とずっと会えなくても平気なの!?」
 そう叫んでから、はっと口元に手を当て、うつむいた。
 「…ごめんなさい…」
 しばらくの沈黙の後、
 「アンジェリーク…」
そう呼びかける声は穏やかだった。
 「もちろん、貴女と会えなければ寂しいですよ。私だってできることなら、ずっと貴女のことをそばに感じていたい。でも、貴女にとって今一番大切なことは何ですか?自分自身のために勉強する事。そして人生の中でほんのわずかな期間となる輝かしい季節を、大切な友人達と共有する事ではないのですか?」
 湖の色の瞳の少女は顔を上げた。
 「貴女はいつでも自分が今為さねばならない事は何なのか、何が大切なのか、しっかりと見つめて、それを実現するために全力で取り組んできたではありませんか。私は…そんな貴女の姿勢に、まず惹かれたのですから…」
 「エルンストさん…」
 大きく見開かれ、自分を見つめる瞳に、彼は一旦うつむいたが、再び顔を上げ、その緑色の瞳で見つめ返した。
 「…私はいつのまにか貴女に惹かれていました。けれど貴女は女王候補で…。それに聖地には綺羅星のように魅力的な男性がひしめいていました。貴女が守護聖や教官の方々の元に足しげく通っていることに、あるいは公園などで誰かと二人で過ごしている貴女の姿に、私がどのような気持ちでいたか、貴女にわかっていただけるでしょうか。…いえ、知らないほうがいいのでしょうね」
 アンジェリークにハッとした表情が浮かんだが、エルンストの口調はあくまで穏やかだった。
 「私は…臆病でした。女王候補が守護聖や教官と親しくすることは育成を効果的に進めるうえで有効だが、自分はいかなる時も公正かつ冷静でなければならないのだから、そんな必要はないのだと自分に言い聞かせていた。けれど、貴女はそんな私に歩み寄ってくれました。私が自分自身にはめていた枠を軽々と乗り越えて…。二人で過ごした時間は決して多くはなかったけれど、私たちは少しずつお互いの気持ちを育んできたのだと信じます。そして、あの時、貴女は他の何よりも私のことを選んでくださった。ですから、貴女の気持ちを疑うことなどけっしてありません。だから…」
 柔らかい微笑が広がる。
 「私たちはゆっくりと進んでいきましょう。私たちのこのかけがえのない気持ちは、たやすく移ろったり、失われたりするはずがない。これからもあせらずに、大切に育てていきましょう」
 アンジェリークは頬を薄紅色に染め、こくりとうなずいた。エルンストは腕を伸ばし、彼の恋人をその広い胸の中にそっと包み込んだ。
 色付き始めた休日の午後の陽光を惜しむように出歩く人々は、その少女が一つの宇宙を育て上げた女性であるなどと思いも及ばずに、幸せな恋人たちの抱擁を、あるいは微笑みながら、あるいは歓声を伴って眺め、通りすぎてゆくのだった。







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