「おーい、エルンスト!」
自動ドアの開く音とともに響く聞き慣れた陽気な声に、エルンストは手元の資料から顔を上げる。
彼の同僚が大きな長い包みを肩に担いで入ってきた。
金の髪と鳶色の瞳をしたこの年長の昔馴染みとエルンストの身の上には、女王試験以降様々なことが降りかかったが、今はこの寒冷な惑星で机を並べて静かに(?)仕事をしている。
「いきなり半日休を取ったかと思えば、いったいその大荷物はなんですか、ロキシー」
他の研究員たちがざわめくのを牽制するようにエルンストは声をかけた。
「いーいものさ」
よっ、と声をかけながらロキシーは肩の荷を床に降ろす。
「…ロキシー」
エルンストの声が低まると、ロキシーは顔を上げニヤリと笑った。
「心配するなって。危ないものなんて持ち込みやしないさ」
言いながら包みをほどき始める。
「手に入れるのにちょいと苦労したけどな」
研究員たちが席を立ち、のぞき込み始めるなか、包みから緑色のものが姿をあらわした。
「…?」
「植物か?」
ざわめきが広がるなか、エルンストはすっと自分の眼鏡に指を添えた。
「これは…笹ですね」
「ご名答。さすがだな」
「聖地でも見ましたから」
「ほう」
ロキシーは再びニヤリとする。
「標準暦で明日は7月7日だからな。星に願いをっていうのもいいだろうさ」
「あのー、それはいったい…」
二人の会話がさっぱ見えないといったふうに、研究員の一人が声をかける。
「とある惑星の風習で、この笹という植物に飾り付けをして季節の節目を迎えるのです」
「クリスマスツリーのようなものですか?」
「いえ、似て異なるものなのですが…」
「ま、一種の星祭りでな」
苦笑いしながらロキシーが引き継ぐ。
「ちょっとした伝説が背景にあるんだが、ともかく、飾り付けと一緒に笹に願い事を書いて下げると、星がかなえてくれるそうだ」
その言葉に、研究院全体がざわりと浮つく。
「その星祭りを、この研究院で行うつもりですか、ロキシー」
エルンストの声はあくまで低い。
「ああ、飾り付けのための道具も揃えたんだけどな」
ロキシーは包みから色紙の束を取り出す。
エルンストは硬質なレンズ越しに同僚を無言で見つめる。
「星々の神秘をまつる行事を、宇宙に縁深きこの王立研究院で執り行うわけにはいかないでしょうかね、エルンスト主任」
口元に、あと一歩で不敵ととられかねない緩やかな微笑みを浮かべる旧友の姿に、エルンストは溜め息をついた。
「あと24分で終業時間です。それ以降、おのおのの業務の終了した研究員から、取りかかればいいでしょう」
院内に歓声があがりかかる。
「ただし!笹は業務および通行の邪魔にならない場所に立ててください、ロキシー。それから、建物の中を汚さないように。紙の切りくずや葉っぱなどを散らさないでください」
「了解」
笑いをかみ殺すような顔でロキシーはうなずいた。
結局、終業時間と同時にほぼ研究員全員が笹の周りに群がった。ロキシーはどこで入手したものやら、こよりのついた短冊を手に手に配ったり、紙製の飾りの例を見せたりと忙しい。
エルンストは大きな溜め息を三度繰り返すと机の上のものをすべて仕舞い、その側に寄った。
「飾りは足りそうですか?」
「ああ、短冊は溜まったが、他がな。今、鎖を作っているが」
女性職員の一人が細く切った色紙を少しずつ色調を変えながら輪にして繋げている。
「まだ少し種類が足りないようですね。貸してください」
エルンストは色紙を一枚とハサミを手に取った。色紙を何度も折りたたみ、何カ所も切り込みを入れる。広げると幾何学模様が浮かび上がった。
「ほう、見事なもんだな」
「初めてではありませんから」
エルンストはもう一枚色紙を手にし、今度は縦に何度も折ると、細かく交互に切り込み始める。
「聖地でルヴァ様…地の守護聖様が七夕の祭りを企画されましてね。あの方にしてはずいぶんと積極的で。年少の方々を巻き込んで…結局聖地総出の騒ぎになりましたよ。私も占い師のメルに飾り作りを手伝わされました」
切り込みを入れた色紙を広げ、両端をもって引くと、網状にぐんと伸びる。
感嘆の声を上げた研究員の一人がさっそく真似を始める。
まもなく笹は色とりどりの飾りを細い枝のそこかしこに結びつけられる。
「さて、やっぱり表に立てるかな」
笹を立てるための空き容器と重しとロープをあらかじめ用意して、ロキシーは笹を担ぐ。笹全体がゆさりと揺らぎ、何人か悲鳴を上げる。
「これはこう、しなるもんなんだって、心配しなさんな」
研究院の入り口に立てられた笹はわずかな風にも揺らぎ、下げられた飾りや短冊もゆらゆらと揺れた。
外はすっかりと暗くなり、空には砂を撒いたように星が輝いている。
「さて、星祭りの本番は明日だ。せいぜい雨が降らないように祈らなきゃな」
ロキシーが夜空を見上げ、言う。
「ええ、そうですね」
エルンストも夜空を見上げながら答える。
研究員たちは三々五々帰りはじめ、入り口でエルンストとロキシーはその都度挨拶を交わす。
そして、いつのまにか二人だけになっていた。
「なあ、エルンスト。お前は、七夕の伝説の内容を知っているんだろう」
ロキシーが普段より幾分低い声で訊ねる。
「…ええ…」
エルンストは静かにうなずく。
「天の大河に引き裂かれた男女が一年に一度出会うことを祝う祭りです」
「そうだ…。だから…かなう願い事というのも本当はきっと、な…」
ロキシーはポケットから短冊を取り出した。
「お前、まだ願い事を書いていないだろう」
エルンストは短冊を受け取るとじっと見つめた。
やがて、ペンを取りだし、何事か書き付けた。
差し出された短冊を受け取り、ロキシーは目を細める。
そこに書かれていた言葉。
『貴女をいつも見守っています』
「これは、願い事じゃないな」
「いいのですよ、それで」
エルンストはわずかに微笑んだ。
「私はあの時、あのひとに、『貴女の宇宙をいつも見ていよう』と言いました。これは私の想いであり…私の誓いが変わらず果たされることを祈るものなのです」
エルンストはロキシーの手から短冊を取ると、笹に腕を伸ばした。
「ルヴァ様が七夕を執り行った話はしましたよね」
短冊を結びながら言う。
「本当はあの方は自分をはじめとする聖地の方々の、もう会うことのできない人々に対する想いのために、祭りを行ったのだと後で聞きました」
「そうか…そうだったな」
ロキシーは新たに結わえられた薄青色の短冊を見つめた。
「生きていれば…いつか想いは届きますから」
エルンストも笹を眺めた。が、ふいにくるりと振り返る。
「ところでロキシー、こうやって私に気を遣ってくれますが、貴方はどうなのです」
「へ?」
「貴方だって、その…会いたいと思う人はいないのですか?」
一瞬呆然とした後、ロキシーは顔に手を当ててくつくつと笑い出した。
「…ロキシー」
エルンストは憮然とする。
「いや、すまん。いやはや、まったく、まさかお前にそんなことを訊かれる日が来るとは、夢にも思わなかったよ」
ようやく笑いを収めると、ロキシーの瞳に柔和な色が宿った。
「そうだな。俺たちはこんな因果な仕事をしているから、寂しい思いをさせているひとはいる…」
「ロキシー…」
「だがな」
ロキシーはポンとエルンストの肩を叩いた。
「俺はお前よりず〜っと器用で手回しもいいからな。なんとかうまくやってるさ!」
「そうですか」
エルンストは安心したように息をついた。
「…離れていても気持ちはつながっている。少なくとも俺はそのつもりだ」
「そう…ですね…」
エルンストは再び笹を見つめた。
やがて二人は星空を見上げる。
「…届くといいな」
「ええ…」
さらさらと夜風が笹を揺らした。
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