煤けたスクリーンに無彩色で映し出されるのは、豪雨の中を走り回り、ぶつかり合い、泥の中をのたうち回る夥しい人馬。スピーカーからわれ鐘のように響くのは激しい怒号の重なりだった。
(あれ、ときどきわかる言葉あるぞ)
ビリー・カーンは胸の中でつぶやいた。
ホリディ・シーズンも終盤というやたらと気ぜわしい時期というのに、ハワードコネクション総帥は半日留守にすると言い残して街へと繰り出した。新米用心棒一人を連れて。
車から降りて風を切り歩く雇い主の背を追いながら、ビリーは普段人の目を引かずにいられない人物が見事に人混みに溶けて居ることに感心していた。
細い路地をいくつか折れ曲がり、着いたのは小さながたぴしの映画館だった。白黒のポスターにはひげ面で半裸の面構えの良い男が映り、やたら肉太の外国文字が躍っている。
受付の初老の男はギースの姿を見ると心得たように頷き、無言で中へと促したのだった。
すでに暗くなっている場内には意外にも十人程度の先客が座っていて、まもなく腹に響く音楽が流れ始めた。
(ケ、ケツが痛くて立てねえ)
硬い椅子に呪いの言葉をそっと吐きながらビリーは尻をさすっていた。
周りの客たちは皆コートやマフラーを身につけて外へ出てしまっている。
「どうだった」
三つほど離れた席に座っていたギースが問いかける。彼の言葉は常に簡潔だった。
「……なんだか思っていたサムライのイメージとずいぶん違いましたね。格好良く斬り合うのじゃなくて、ずっと不格好で泥臭いというか。でも妙に迫力がありました」
もう少し感じた何かがある気もするのだけれど、うまく言葉にすることはできない。つまらない答えを返したと思ったが、雇い主は満足そうに頷いた。
「何度も観ているが、戦闘力も熟練度も違う集団の戦闘のシミュレーションとして参考になるな」
「そういうものですか」
やっぱり観るところが違うな、と納得していると
「ビリー」
不意に名を呼ばれた。
「次のキング・オブ・ファイターズに出てみないか」
「え?」
あまりにさりげなく言葉を投げかけられて、ビリーは一瞬意味を掴み損ねた。
「おれ……自分がですか?」
ギースはずっと以前からの決まり事だったかのような涼しい顔をしている。
「開催まであとひと月ありませんよ?」
「手続きならリッパーあたりにやらせる」
そういうことじゃなくて、とのどまで出かかった言葉を飲み込む。
「……自分はようやく護衛の仕事を任されるようになったところで、正直自分の実力の程なんてまるでわかりません。ギース様に恥をかかせることになるかもしれませんが……」
「力は今度の大会で試せ。負けたら鍛えることだ」
ギースはこともなげに言い放つ。
「申し訳ありません。少し考えさせてください」
主がこうと言ったものは、すべて諾とするべきであった。だが無謀にもビリーはそう答えた。
ギースはアイス・ブルーの瞳でビリーを見遣ったが何も言わなかった。
間近に迫ったクリスマスに向けて、部屋の中もささやかに飾り付けられていた。リリィも心なしか普段よりうきうきとしているようだ。
テレビがこの時期お決まりの白黒映画を流している前で、ビリーは考えにふけっていた。
キング・オブ・ファイターズに出場するのが嫌なわけではない。不安というのも少し違う。
ただ、自分に直接関わりのあることだと思っていなくて、突然すぎて戸惑っただけなのだ。
試合に出る自分というものが想像できなかった。
確かに、自分は腕を見込まれて拾い上げられた。棒術の修行にも2年ほど通い続けているのでそろそろ一通りは身に付いてきた。だが、とりあえず「いっちょまえ」の用心棒になることを目指してきたので、人前で立ち回りを晒すことは念頭になかった。
もし自分がキング・オブ・ファイターズに出れば、リリィが自分が荒事に手を染めている事を知るだろう。妹には仕事の内容についてはほとんど話していなかった。
(悲しませるかも知れないな)
夕食後の洗い物をする後ろ姿を眺めつつ思いながらも、ビリーは皮膚の裏側になにか熱い物が湧いてくるのを感じていた。激しい映画を観た影響があるのかもしれない。
(通じるかどうかは知らねえが、ギース様が試してみろってんなら、俺に出来る限り、やってみるしかねえよな)
さっそく明日返事をしよう、と決めると、ビリーは食後のコーヒーを淹れるために立ち上がったのだった。