sleeping

 夕陽が空と海を金色に染め上げる時間はほんのわずかで、またたく間に辺りは藍色のベールを被せたようになる。
 「…さすがにこれだけ暗くなってきちゃうとヤバいかな…?」
 らんるがひきつり笑い気味につぶやくと、幸人が続ける。
 「ったく、世話の焼ける」
 遊歩道の階段の壁に背を預けて眠るアスカに、凌駕がとてとてと近付いた。
 「アスカさーん、起きないと風邪ひきますよー」
 かがみ込んでアスカの耳元で呼びかける。
 二人の間に幸人が割って入った。
 「おい、起きろ」
 アスカの頬をぴたぴたとはたく。
 「ちょっとぉ、乱暴しないで!」
 らんるの抗議にも振り向かない。
 「風邪をひかれると困るんだろう…。おい、いいかげんにしろ」
 今度は肩を揺する。
 と、アスカの体がずるりと横に倒れ込んだ。
 「「「………」」」
 三人は顔を見合わせる。
 つかの間、金縛り状態になっていた三人の中で、最初に動いたのはらんるだった。
 「アスカさん、大丈夫!?アスカさん!」
 駆け寄り叫ぶらんるに幸人が顔をしかめる。
 「うるさい、ちょっと黙れ」
 幸人は手早くアスカの顔や首筋に手を当てた。
 「脈や呼吸は正常だ」
 「とにかく、恐竜やに運びましょう」
 凌駕の一言の後、三人はまた沈黙することになる。
 恐竜やからここまでは普通に歩いても十分少々だが、大の男一人抱えて帰るとなると話は別だった。しかもアスカはこの中の誰よりも大柄だ。
 「サイドカーを取ってくる」
 幸人は一言言い残すと、後の二人の反応を確かめずに歩き出した。

 幸人が恐竜やの前に着くと、笑里が飛び出してきた。
 「アスカさんは?アスカさんはどうなんです?」
 「寝ているだけだ。どうもしない」
 サイドカーのエンジンをかけながら、幸人が振り向く。
 「でも…」
 「石頭の心配でもしてろ」
 幸人はサイドカーを発進させた。
 笑里は恐竜やの中に入り、カゴの中で寝息を立てているバキケロナグルスの上にそっと手を置いた。
 「だって…心配だよね、バキちゃん」


 「おっはよーございまーす」
 笑里が恐竜やの戸を開けると、いつものようにいくつもの挨拶が同時に帰ってきた。
 「おっはよー」
 「おはよ」
 「おはよ、えみポン。もうすぐ朝ご飯できるよ」
 笑里は頷くと、カゴの中をのぞき込んだ。
 「バキちゃん、もうすっかり元気みたいだね」
 「みゅ〜」
 バキケロナグルスはぴょんぴょんと飛び跳ねた。
 鞄を下ろしながら笑里はたずねた。
 「アスカさんは?もうぜんぜん元気なんでしょ?」
 とたん、気まずい空気が流れる。
 「んー、実はまだ起きてこないんだよね」
 凌駕がお玉でみそ汁をよそいながらつぶやく。
 「そおなんですか?」
 笑里が首をかしげると、髪のアクセサリーが揺れる。
 「なにしろ、すっっっごく頑張っちゃったからね。しょーがないよね」
 凌駕が顔をくしゃっとさせて笑うと、笑里も笑顔になる。
 「そーですよね。アスカさん、すご〜〜っく強かったですもんね。もう、めっちゃくちゃかっこよかったですよぉ」
 「じゃあ、朝ご飯にしよっか」
 卓袱台の上のみそ汁椀は前日より一つ少なかった。


 「たっだいま〜」
 笑里は鞄を下ろすとさっそくエプロンをつける。
 まだ混み始める前の時間帯なので、客も二人ほどしかいない。
 厨房に入ると、レタスをちぎっていたらんるに声を掛けた。
 「アスカさん、どうですか?」
 らんるは一瞬気の毒そうな顔をした。
 「まだ、目を覚まさない」
 答は別方向から返ってきた。
 「……え……?なんで……?」
 「わからん」
 幸人はそれだけを口にして、ふいと向こうを向いてしまう。
 「…さっき俺、様子見にいってきたんだけどさ、まだ気持ちよさそうに寝てるからそっとしとこうと思って。たまにはこんなこともあるんじゃないの?」
 和室から凌駕の声がする。
 「……うん……そだね……」
 笑里はコクリと頷いた。


 「ただいまー」
 笑里は鞄を下ろし、エプロンをつける。
 店の中をくるりと見渡す。
 凌駕は空になった容器を下げ、幸人はうずらのゆで卵の殻を剥き、らんるはコップを洗っている。和室では舞が、傍目にはオモチャにしか見えないバキケロナグルスに話しかけながら絵を描いている。
 笑里はきゅっと口元を曲げて、らんるの横に立ち、コップを拭き始めた。


 閉店後。
 「今日は忙しかったから片付け遅くなっちゃったねー。えみポン、送っていこうか?」
 声を掛ける凌駕の顔を、笑里はキッと見上げた。
 「アスカさんに会わせてください!」
 凌駕の眉がしゅんと垂れる。
 「まだ寝たままなんだ」
 「だったら下につれてきてください!」
 「そんなことして何になる」
 幸人が割り込む。
 「だって!心配なのに!様子知りたいのに!」
 笑里は手を握りしめる。
 「うら若き乙女が男の人の部屋に勝手に上がるわけにいかないじゃないですか〜!」
 幸人は小さく息を吐く。
 「俺が見る限り、身体的には異常がない。こいつらに聞いても…」
 幸人は腕のブレスを指す。
 「前例がないので、対処しようがない。連れてきたところでどうしようもないぞ」
 「でも、あたしも!」
 突然飛んだ声はらんるのものだった。
 「あたしもアスカさんの顔見たいよ。顔見て心配させてよ」
 「そうだよね、仲間なんだし」
 凌駕の声に、幸人は苦い顔をしたが、ふいと向きを変えると階段を上り始めた。
 「何してる、行くぞ」
 あわてて凌駕が続く。
 やがて、男二人がアスカを抱えて降りてきた。
 そっと和室に横たえられたアスカに、笑里とらんるが急いで近寄る。
 「「アスカさん…」」
 その表情は穏やか…と呼べるものだった。ゆっくりと胸が上下する。
 笑里はおずおずとアスカの左手に触れた。自分よりずっと大きな手を、両手で包み、ぎゅっと目をつぶる。
 「…何をしている」
 顔を上げた笑里の目の端に涙がにじんでいた。
 「私、変身できなくて一緒に戦えないけど、私にだってダイノガッツあるんですよね。アスカさんが使い果たしたんなら、私のを少しだけでも分けてあげられるかもしれないじゃないですか。…やり方は知らないけど、強く願えばもしかしたらって…」
 「えみポン…」
 凌駕が笑顔とも顔を顰めたとも取れる表情を浮かべる。
 「実は俺もやってみたんだ…。でもやっぱ変わらなくってさ」
 「そんなぁ…」
 幸人は黙って明後日の方向を向いた。
 「…りょうちゃん…?」
 不意に幼い声が響いた。
 「ああ、ごめん舞ちゃん。遅くなっちゃったけど、すぐ一緒にお風呂入るから待ってて」
 舞はとことこと近付いてきた。
 「…アスカさん、びょうきなの?」
 「うーん、病気っていうか…」
 舞は笑里の横に座ると、アスカの額に小さな手を置いた。
 「はやく、よくなーあれ」
 「舞ちゃん?」
 「まいがかぜひくと、りょうちゃんこうするよ?」
 舞はにっこり笑って繰り返した。
 「アスカさん、はやくよくなーあれ」
 らんるがするりとその向かいに座り、アスカの右手を取った。
 「アスカさん、早く良くなあれ」
 歌うように唱えると、幸人たちの方に向き直る。
 「ねえ、このままアスカさん、下にいられないかな」
 「…何言ってる」
 「一度には無理かもしれないけれど、あたしたちが少しずつダイノガッツをあげていったら状況変わるかもしれないじゃない」
 笑里の顔がぱっと輝く。
 「ですよねですよね!それに、みんなの声聞いたら目が覚めるかもしれないし」
 「ずっとひとりでねてたら、アスカさんかわいそうだよ」
 舞も声をあげる。
 凌駕はちらっと横を向いて笑った。
 幸人は肩をすくめた。
 「たしかに。ここはやたらとうるさいからな」


 「おっはよーございま〜っす!」
 「おはよー!」
 「今日は早いね、えみポン。朝ご飯もうちょっと待っててね」
 「今からトレーニングですから!腕立て腹筋50回、3セット。アバレピンク、まだまだあきらめてませんからね〜」
 舞より大きくなったバキケロナグルスを加え、恐竜やの朝食は毎度にぎやかである。
 「そろそろ時間だよー」
 「じゃ行こっか、舞ちゃん」
 「うん、いってきます、りょうちゃん!」
 「いってらっしゃーい」
 「いってきまーす」
 笑里はモニター室の方に目を向けた。
 「いってきます、アスカさん!」

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