「たっだいま〜」
「ただいまー」
ふたいろの声が恐竜やに響く。
「おかえりー」
カウンターの中から凌駕が声をかける、その前を舞はぱたぱたと走っていく。
「舞ちゃん?」
あっという間に舞は階段を駆け上がる。
首をひねる凌駕の横で、笑里はにこにこしながらエプロンをつけた。
じきに舞は階段を駆け下りてくる。
「走ると危ないよ」
凌駕のお小言に
「はーい」
と返事しながら舞は和室に飛び込んだ。
机の上になにやら箱をのせる。
「舞ちゃん、どうしたの」
凌駕がカウンターを覗くと、舞はお道具箱から折り紙やハサミを取り出していた。
「あのね、きょう、ほいくえんでたなばたのささをみんなでかざったの。かざりつくって、たんざくにおねがいごとかいたんだよ」
言いながら、さっそく折り紙にハサミを入れ始める。
「そっかー、今日は七夕かー」
凌駕はふむふむとうなずく。
「だから、今日帰ったらうちでも作ろうって言ってたんだよね」
「ねー」
笑里と舞は声を合わせて笑った。
「もう7月なんだね。…早いよね」
テーブルを拭きながららんるがつぶやく。
「なにがだ」
もくもくとジャガイモの皮をむいていた幸人が顔も上げずに言う。
「うん、みんなが出会ったのはまだ冬だったのになって…」
「まあな…」
客に恐竜カレー一式を出し終えたアスカは皆の顔を見回し、おずおずと声をあげた。
「あのー、たなばたとはなんでしょうか」
「年中行事の一つですよ。笹って植物にいろんな飾り付けをして、願い事をしたりするんですよ」
凌駕の後を受け、舞が続ける。
「あのね、きょうはね、いちねんにいちど、おりひめさまとひこぼしさまがあまのがわをわたってあえるひなんだよ」
「おりひめさまとひこぼしさま?」
「もともとは中国…この日本の隣の国の古い伝説だ。星の世界の恋人が引き裂かれて、年に一度だけ逢うことを許されるって話だ」
「はあ…」
幸人の説明にもアスカはあいまいにうなずくだけである。
「でも笹なんて手に入るかな」
らんるが脈絡無く口にすると
「紫蘇町駅のそばのホームセンターで確か売っていましたよ」
カレーの味をみていた杉下が声をかける。
「じゃあちょっと出かけ…」
「俺が行ってくる」
らんるをさえぎり、幸人がカウンターを出る。
「え?え?」
呆然とする間に幸人は外へ出てしまった。
「何だろ、あれ」
らんるがカウベルが揺れる扉を眺めていると
「らんるちゃん、よかったら手伝ってよ」
凌駕の声がかかる。
振り向くと、和室で凌駕、舞、笑里の三人がせっせと折り紙を切ったり輪につなげたりしていた。
「あいつ、逃げたな……まあ、いいか」
営業中にも関わらず別室に集まり盛り上がる若者たちに、常連客横田はため息をついた。
「まあ、もう慣れたけどね…」
「まあまあ」
杉下はにこにこと笑った。
日が傾く頃には、色とりどりの飾りを揺らした笹が恐竜やに鎮座していた。
短冊もいくつも揺れている。
『めざせアバレピンク』
『りょうちゃんがんばれ』
『舞ちゃんが元気で大きくなりますように』
『じがうまくなりますように』
「…これ書いたのアスカさんですか?」
しっかりとしたひらがなで書かれた短冊を見ながら笑里が尋ねる。
「ええ、そうです。そう書くようにって幸人さんが…」
「昔から七夕の願い事は読み書きといった学業の向上を願うものだ。まともに字も書けないのに、何か他の願い事をするなんて百年早い」
「そういえば幸人さんは書かなかったんですか?」
「…願いは自分の力でかなえるものだ。空任せにするもんじゃない」
凌駕の問いに幸人はやや憮然として答える。
「あたしも!」
大きな声をあげてから、らんるは気恥ずかしそうに続ける。
「今まで自分で願ったことはみんな自分でかなえてきたから…。これからだって、きっと何だってできないことは無いって信じてるもの」
「確かにそうですけどね」
凌駕はにっこりと笑う。
「自分の力だけじゃどうしようもないことだって確かにあって。俺は舞ちゃんを守るためなら何だってするけど、舞ちゃんがケガしたり病気したりってことは気をつけていても、絶対避けられるとは限らないから。だからそういう運みたいなことは、いくら願ったって足りないですよ」
一同が神妙な面もちになっていると、杉下が一枚の短冊を持ってやってきた。
「私の分も下げてよろしいかな」
墨痕も鮮やかなその短冊に書かれた言葉は
『大願成就』
「…ずいぶんとまた、大雑把だな」
「皆さんの願いがかなうことが、私の願いですよ」
杉下は莞爾とした。
カラン…。
新たな客が扉を開けると、入り込んできた風が笹をさわりと揺らした。