つないだ手はとくに他意なんてないのだけれども。

 

この年頃の女性の常に従って、冷え性である冷たい自分の手にくらべて、それを握りしめる彼の手はしっとりと汗ばむくらいに暖かい。
撫でる北風があまりにも冷たく、体温を奪っていくものだからつい、それを逃がしてしまわないよう、右手に力を込めた。

「おい、痛てぇだろうが」
振り返り、掛けられた声は予想通り不機嫌な声だった。
大概、こんなときトラップはこれ以上ないといっていいくらいの不機嫌そうな顔をいつもしている。
そりゃあ、迷惑をかけているんだし、しかも懲りもせずそれを何度も繰り返しているのだからして、それでにこにこしていたら、そのほうがかえって恐ろしい。

反省、していないわけではない。それどころか、わたしとしては毎回万全の対応でもって臨んでいるつもりなのだが、どうにも結果がそれにともわないのはどうしてなのか。
それがまったく解らないのだ。

方向音痴だからという一言ですましてしまえば、それまでなんだろうけど、、
なんだかもうこうなってくると見えない敵の陰謀だとか、実は特殊能力の持ち主なのだとか他に要因があるんじゃないかと疑いたくもなってくる。

と、そこまで考えて思考がかなり違う方向にずれてしまっていたことにやっとこさ気が付いた。

「だって、寒いんだもの」
「おれだって寒いっつーの」

せめて、風さえやんでくれたら、もうすこしはましになりそうなんだけど、刺すような風は一向にやむ気配を見せなくて、安物のコートではとてもしのげそうにない。

「でも、トラップの手、あったかいよ?」
「……」

トラップは黙り込んで、 少し考えるようなそぶりのあと、

「そうかい」

と、それだけいってまたずんずんと歩いて行こうとする。
少なくとも、さっきより歩みは確実に早くなってる。

てっきり、もっとぼろくそにいわれるんだろうなぁと覚悟をしていたのに、トラップは黙り込んだままで、どうしても不安を覚えてしまう。

べつに、しかってほしいわけじゃないし、口を開けば憎まれ口しかでてこないことくらい重々承知している。

それでも、なんだろう、急にとてもさみしい気がしてたまらなくなり、手を強く握ったまま、必死にその場に立ち止まった。

すると、案の定トラップは勢いづいて前につんのめりそうになるものの、そこは流石と言うべきなのか、わたしごと転ぶこともなく、なんとか自分の体重をささえてゆっくりと振り向くいてこういった。

「寒いんだろうが、とっとと急げよ」
再び歩き出そうとするけど、わたしは動かない。
意地でも動きたくなかった。
だから、こう答えた
「いやだ」
それを、果たしてトラップはどう受け止めたのかは知らないけど、機嫌をそこねたには間違いないらしく、帰ってきた言葉はほぼ予想通りで

「じゃあ、勝手にしろよ」
そう言い捨てると、手を振りきっては、さっさと立ち去ろうとする。
「それも、イヤ」
すかさず、今度は両手でトラップの手を捕まえるとさらに力を込めて立ち止まる。
ずるずると1メートルくらい引きずられたところで立ち止まる。
「てめぇなぁ、いい加減おれをおこらせんなよな、自分で帰れもしねえくせに出歩いては案の定迷いまくったあげく、今度は帰らねえっていうのか?」
「帰らないなんて言って無いじゃないの!」
「じゃあ、なんなんだよ」
「それが解らないからいやだって言ってるのよ!」
「はぁ?なんだよ、それ」

トラップが呆れるのも無理はないと思う、自分だってなにがなんだか解らなくなってきているのだから。
でも、それでもどうしても「嫌」だった。
何が嫌なのか解らない。それでも今このままトラップと帰るのも、ひとり残されるのも、それからこの場所で凍えているのも嫌だった。
帰りたいけど、帰りたくない。

「…しまいにゃ怒るぞ、おれは」
「いつも怒ってるじゃないの」
でも、トラップは怒っていると言うよりも、戸惑っているようだった。
何が言いたいのか、自分でもわからないのだから、トラップにはそれ以上にわからないのだろう。
ただぎゅっとトラップの手を握りしめて立ちすくむことしかできない。

すると、不意にトラップが手を握り返してきた。
びっくりして、彼の顔を見上げたけど、その表情はやっぱり不機嫌そうで、何を考えているのかよくわからない。
「…おまえさ…なんでそんなにすぐ迷子になるんだ?」
「…わかんないよ、そんなの」
だいたいそんなに毎日迷子になってるわけじゃないもん、と付け足した。
今日だって、まさか迷うだなんて思っていなかった。
ちゃんと目印を確認しながら歩いてきたし。寄り道だってしていない。

「たまにでも、迷うなよ」
苦笑して、トラップがそう言ったからちょっとほっとする。
「…善処します…」
「そのうち、町中でもマッピングしてそうだな、やっぱりひいひいいいながらさ」
すぐに、どこかの路地裏で、方眼紙片手に半泣きになっているわたしの姿が思い浮かんでしまった。
「そんな恥ずかしいことするわけないでしょう!」
だいいち、入り組んだ、町中のほうがマッピングって大変なんじゃないだろうか、枝道だらけだし、通れない道も多いし。
わたしの考えていることがわかったのか、トラップの笑いはいつの間にかにやにや笑いになっていて、すっごく気持ち悪い。
「いい年して、迷子になってる方がよっぽど恥ずかしいと思うけど?」
「だから!たまにだって!」
わたしが頬をぱんぱんにさせて怒っているというのに、やっぱりトラップは笑っているだけだった。

「そういや、腹が減ったよなぁ」
「え?」
そりゃあ、もうおなかが空いてもいい頃なんだけど、ちょっと唐突。
「お前がおごれよ」
そう言うと、問答無用で、歩き出す。
「ちょっ…ちょっと待ってよ」
「んだよ、財布持ってねぇとか言うんじゃないだろうな」
「そうじゃなくてね…えと…その、交換条件」
「迎えに来てやっただけで充分だろう?」
あきれかえったようにそう言ったけど、あとで”言っとくけどおれは金ねーからな”と付け足したから、たぶん、聞く気にはなっているんだろう。

「手、離さないでね?」
そう言ったら、やっぱりトラップはものすごく変な顔をしたからあわてて言い繕う
「…だって、ほら、また置いてかれたらいやだし、寒いし…」
「ばっかじゃねーの」
それは、いつも通りのものすごく人をバカにした言い方だったんだけれど、 手はちゃんとつないだままで、わたしのつまらない我が儘を聞き入れてくれたのが結構嬉しい。
今度はすんなりと足が動いて、歩き出すことが出来た、早くもなく、遅くもない。
丁度良い早さと、歩幅で手をつないで歩く。

「せめて、動く物を目印にするのはやめろ、猫とか、あと森で木とかツルとかもあてにすんな」
「そんなの…!たまにしかしてないわよ」
「だから、たまにでもやめろって」

吹き付ける木枯らしは、凍るように冷たくて、触れるそばから体温を奪っていくけれど
握った手はやっぱり温かくて、とても安心する。

「おまえが成長しないとなぁ、苦労するのはこっちなんだよ」
「うるさいわね、そっちこそいつまでも子供みたいなくせして」
「あぁ?背中と胸がくっついてるような奴にはいわれたかないね」

これから先、何が変わろうとも、どこにいようとも
この手の温もりだけはずっと変わらないだろう。

「うー寒みぃ、こんな思いして夕飯1食じゃわりに合わねぇぜ」
「まぁまぁ、スープもおまけに付けるから、ね?」
「あと冷たいビールも」
「ついさっき寒いっていってたの誰よ」

暑い夏も、寒い夜も
きっとあなたはわたしの手を取り、やっぱりとても不機嫌そうな顔をして
迎えに来てくれるのだろうか。

もし、そうなら、それなら……

「…ありがとう」
「?なんかいったか?」
「ううん、頑張ろうって思ったの」
「頑張るならもっと早く頑張れって」
「もう、うるさい!」

振り上げた左手はあっさりと受け止められてしまったけれど、元々本気で殴ろうとしたわけじゃないから別によかった。
トラップと視線があって、なんとなくお互い笑い出す。

ちょっとだけ、わかった事があるんだけれども、今は考えないでおいてもいいよね。
一緒にごはんを食べて、満腹になってから

それからゆっくり考えようと決めて、わたしはもう一度笑った。