考えれば考えるほど、力の加減などわからない。
非難めいた視線に気がつき、トラップはあわてて腕の力を緩めた。

「…苦しいよ…」
照れと、とまどいとでパステルのほうもどうすればいいのかわからなかったらしい。
押しのける両手に微妙に力をいれて、こちらを見上げていた。

「えっと…それでだ」
なにが「それで」なのかは、自分でもよくわからない。
当然その後に何を続けて良いのかわかるはずもなく、そのまま黙り込む。

だいいちこれからどうしようっていうんだ。

一瞬、意識が白濁したと思い、次に我に返ったときには後の祭りというのか、まな板の上の鯉というのか。

とにかく後には退けない状況になっていた。
両腕はしっかりとパステルの体を抱きしめ、あごは彼女の髪に埋まり、体は半分以上座っていた安物のソファーの上に倒れ込んでいる。

いや、後に引き返せない事もないのだが、少なくとも体はそれを拒否している。

そんな風に直視したままじっと考え込んでいると、耐えきれなくなったパステルがついっと目を逸らした。
再び、頭に血が上ってくる。心臓の鼓動がさらに早くなる。

こうなるから、いままでさんざん耐えてきたのだ。
ともすればすぐに自制の効かなくなりそうな、己を必死に押さえつけて騙し騙しで来たというのに。

せめて、力一杯抵抗でもしてくれれば、すぐ退けたかもしれないのに。
そう思いもしたが、そんなものはただの責任逃れに他ならないし、
おまけにこの愛しい少女は軽く震えるだけで、トラップの体を押しのけようとはしなかった。

カーテンの隙間から覗く窓の外は、生憎の雨。
晴れ間の見えないここ数日間の鬱憤がトラップの慟哭を突き動かしたのか

理由はどうであれ、とにかくこの現状はやばかった。
なにしろ自分は健康なる18才男子で、今抱きしめているのは間違いなく自分の最愛なる少女で、おまけに長年さんざん焦らされ、やきもきしてきた相手なのだ。
もし、トラップに警報装置が付いていたのなら、今頃は頭がかち割れんばかりに鳴り響いていただろう。

「雨、やまねえな」
またどうでも良いようなことを口走ってしまった。
「…う、うん…」
”このひとはいったいなにがしたいんだろう?”
明らかにそういった具合の視線をパステルはこちらに向ける。
少なくとも、非難はされていないようだったので、少しだけ余裕が戻る。本当に少しだけだが。

思い切って、その薄桃色の唇を軽くついばんでみた。
柔らかな感触が後に残る
しばらく、その余韻を楽しんでいたかったけれども、パステルに見られるのが気にくわない。
「何みてんだよ」
「トラップ」
これだけ至近距離にいるのだから、ほかに見えるものなんてあるはずがない。
けれどもトラップが聞きたいのはそういうことではない
懇切丁寧に間違いを訂正する気にもなれなかった。

パステルの体を支えていた左腕をぱっと離す、右腕は自分の体重を支えるために使っていたので、ごく自然にパステルはソファーのクッションへと沈み込んだ。
急に離された事を非難されるよりも早く、空いた左手でパステルの鼻から上、
つまり両目を押さえ込み再び唇に触れた。

軽くあてがい、左右にゆっくりと浮かせたまま動かす。
すこしかさついた自分の唇がパステルの唇をひっかくその感触さえも気持ちがいい。
さらによく味わうべく、ちろりと舌で下唇をなめてみた。
思った通りその感触は柔らかくて、それだけでたまらなくなってくる。

そのままくわえて、強く吸い込むと、パステルの吐息が鼻にかかった。
間接的なキスの愛撫に耐えきれなくなったらしい。
両目に当てたままの左手に自分の両の手を力無く添えて、わずかばかりの身じろぎで抵抗している。

「…やだ」
なんとか聞き取れたその台詞に思わず左手をどけてしまった
わずかに涙ぐんだパステルと目が合ってしまい、さらに焦ってしまう

いままでさんざん振り回されてきただけあって「両思い」なんて言葉はすぐ陽炎のようにトラップの意識から消えて無くなりそうになる。
残るのは、いつも不安と、焦りばかりで結果、その元々の元凶であるパステルに当たってしまうのだ。

「うっせぇ」
身を起こし、ソファーの反対側へと身を離す。
さっきまで、あれほど苦労したそれが、意地という名のもとだと恐ろしく簡単になってしまうのが不思議なところだったり

ただ、照れの極致にいるだけで決してトラップ本人は怒っているわけでは無いのだけれども、この相手にそれはすぐ伝わる訳はなく。
原因も思い浮かばないまま、パステルはトラップの突然の態度の急変に唇をへの字に曲げて耐えていた。

お互い、いつだって思うようにしているだけなのに、本当に伝えたいことはなかなか相手には伝わらない。
それはいままでに何度も感じてきたこと。
本当に伝えたい言葉はいつだって鼓動にうち消されて相手に届かず。
隠された真意は風に溶けてて無くなってしまう。

それでも、諦めたくないとここまで来たのだ。

振り向けばいい、そして想いのすべてを伝えればいい
ただ、それだけの事なのに、どうしてこんなに勇気が出ないのか、
一人葛藤を続けるうちにするり、と腰に回された腕。
「すき」

再び体中の血が一気に回り始める、
呼吸が苦しい、体が熱い

背中から抱きつかれて、パステルの表情は見えない。
不意に、自分が涙ぐんでいたことに気がついた
先を越された悔しさなのか、あまりの幸福感の為なのか

それはわからなかったけれど…

回された手に自分の手を添えるとその手を握りしめた
暖かい感触がすべてを溶かしていく気がする

まったくコイツにはかなわないよな

そう結論づけて、トラップは目を伏せた。