何だか急に目が覚めてしまった。

どうしてだろうと思えば何のことはない、足下には落ちて丸まった毛布。
寒くて目が覚めてしまったらしい。

すっかり冷え切った部屋の中、なにか温かい飲み物でも飲もうと思い立って ガウンを羽織り、下への階段をそおっと降りる。

階段を下りきって、厨房に向かおうとしたところで人の気配がした。

気配はわたしの直ぐ目の前、表に続く玄関の向こう。

真夜中とはいえ、宿屋に鍵がかかっている訳もなく、その扉がやがてすうっと
… 老朽化のせいか多少不自然な動きをしながらゆっくりと開いた。

「コラ、いつまで出歩いてるのよ」

夕飯の後、出ていったのは知っていたけど。まさかこんな時間に帰ってくるなんて。

まさかわたしがおきているなんて思いも寄らなかったんだろう、首をマフラーでぐるぐる巻きにしたトラップは驚いたように体を震わせた。

昔、出逢った頃は何かあったんじゃないかと心配したっけ。

クレイには笑われたけど。
いまじゃあ、わたしが笑うほうだ、

彼に出逢ってからと言うものの、世の中にはやるだけ無駄なことだらけだとどれほど実感したことか。

「んーあーーーーんだなぁ」
返事にならない返事をして、トラップはそのままふらふらと階段を上ろうとする。
あーあ、これは相当酔っぱらってるな。階段を上る足取りの危なっかしいことと言ったらない。

「ちょっと、あぶないでしょ、せめて水くらい飲んだら?」

それでも構わずに登ろうとする彼の背中をひっつかんで、そのままずるずると食堂に引っ張っていった。
半ば無理矢理椅子に座られ、コップに冷たい水を汲んできた。
「ほら、1人で飲めるでしょ、これ飲んで、すっきりしてから眠りなよ」
コップを目の前に置く、我ながらよくまあ面倒見る物だと思う。

でもそれもここまですればもう充分だろう。
コップを机におくと、先に自分の部屋に戻ることにした、

したんだけど…

ちゃんと、飲んだかな?

そのまま、寝ちゃったりしてないかな?

あそこまで酔っぱらってしまっている以上、どうにも心配でならない
一度、途中まで上った階段を駆け下りて食堂に戻ってきてしまった。
そうしたら案の定、コップの水はそのままに、トラップ机にうつぶせになっていびきまでちゃっかりかいていた。

「わたしの安眠妨害だわ…」
こんな奴の事なんてほっといてさっさと寝てしまうのが一番賢いんだろうけど、どうにも捨て置けないんだからわたしのこの性格も仕方のない物だと思う

「ねぇ、起きてよ」

かくかくと肩をゆする、うわぁ、お酒臭い。 絶対飲みずぎだよ。

「起きろっていってるでしょう」
こうなったらヤケクソだとスリッパの角が痛いくらいに椅子を蹴り飛ばした。

どすん、と鈍い音が深夜の食堂に響く、それから、 しばらくの沈黙
…おそるおそるのぞきこんでみると あらやだ、 まさかこれ気絶してるとかじゃないでしょうね。
全く動かなくなってしまったトラップの頬をぺちぺちと叩いた

「おーい、トラップくーん、いきてますかー」

「……」

「おーい」

「………?」

あ、薄目が開いた。

「起きた?」

「……パステル?」

「ん?」

よかった、結構派手な音がしたけど、何ともなかったみたいだ、かえって良い気付けになったかも。
そんな調子の良いことを思いながら転ばした手前、助け起こそうと彼に手をさしのべる。
でもトラップは差しだした手を取るでもなく、まだどこかうつろな視線を泳がせたまま

「……ただいま」

ひとこと、それだけ言ってまた眠ろうとしてしまった。

「ちょっと、起きたんじゃないの!!」
「…うん、起きた、でも眠いから寝る」

なんだかおかしい。こんなのいつものトラップじゃないよ
急に不安になって、誰かを呼んでこようと立ち上がる と、こんどは差し出された手を強く掴まれた。
一体何が何だか判らない 混乱した頭が冷静さを取り戻すよりも早くわたしの膝の上にちょこんと乗ったトラップの頭。

…これは、つまるところ…?

なんでこんな冷たい床の上でトラップなんかに膝枕しなくちゃいけないのよ!
ふつふつと理解できない苛立ちがわき上がってくる。
「…あんたねぇ」
寝ぼけ野郎に本気で起こるのもばかばかしいと思いながらも、当のトラップはちっとも動く気配が無くて。
もうどうにでもしてよと諦めかけたころ。

「…なんだよぉ、いつもみたいに…」

 

…あっきれた! コイツ、きっとわたしをどこか他の女の子と間違えてるんだ!
だいたいなによ、その「いつも」ってのは

 

いつも!

どこで!

なにしてるんだか。

もうあったまに来たんだから。

今度は容赦してやんないんだからと肘でげしげしエルボーをかましてやる。
「んー…相変わらず乱暴だよな〜〜〜」
訳分からない寝言を言いながらさらに抱きつかれた

くやしくって、両耳を思いっきり引っ張ってみる
「んだよ、つまんねーことすんじゃねぇよ」
いったいどんな女の子の夢見てるのか、にやにやしながら首を振った

なによ、にやにや、幸せそうな顔しちゃってさ。
わたしはひとり、寒い床の上でこんな目にあってさ、
いいわよ、いつまでも夢の中でイチャイチャしてればいいんだ

なんだか、くやしくって、やるせなくって
知らないうちにトラップの耳をつかんだままのわたしの手を涙が濡らす。

「…トラップ、早く起きてよ…」
まだ相変わらず幸せそうに膝の上で寝たままのトラップの顔を覗き込む
「…もう、やだよぉ」

涙はすっかり止まらなくなって、ぽろぽろとバカみたいに転がり落ちてくる。

なんで、わたしが泣かなきゃいけないのよ
涙を拭おうとしたその手を掴まれた。

さっきとは違う、優しい力で

「…トラップ?」
やっと起きたのかと慌てて涙を拭って下を見下ろす。
「トラップ…??」

でも瞳は相変わらず閉じたまま。ただ、少し苦しそうな寝息と
「…泣くなっていつもいってんだろうが…」
規則的に動く胸は明らかに眠っている人間のもので

「うん、わかった」
起こさないように、そおっと彼の耳元に囁いてみる
涙はなぜだかすっかり引っ込んでしまった。

「ねぇ?」
「…」
「…ねぇ、トラップ?」
「…パステル…」

なぜだかは判らないけど、その時はそれが一番聞きたかった事のように思えたのだ
そして、それと同時に妙に膝枕にどうしても耐えられなくなってしまって、

 

結果 30秒後、

わたしの足下にはおおきなたんこぶを2段重ねにしたトラップが頭をさすることになったのだった。

「お前、どうしてそうガサツな起こし方しかできないんだよ」

恨みがましくわたしを見上げるトラップはいつも通りのトラップで
一体さっきの出来事が何だったのか、まるで夢の中の出来事だったかのように感じてしまう

「ホラ、文句はまた明日の朝にして、もう寝ようよ」
カラになったコップを片づけて、今度こそトラップを押しやるようにして階段に向かった。
「ちぇ、つまんねーの」
「悪かったわね、夢の中みたいには行かなくて」
「全く、ホントだよ…ってオイ!?」

あーあ。これでたんこぶ3段確定よね

そんなにいやらしい夢を見ていたことがばれて恥ずかしかったのか。
見事に階段から転がり落ちたトラップを、今度こそわたしは見捨てて部屋へと戻ったのだった。