…どんどんどんどん

 

遠くの方で太鼓の音がする。
しばらくぼんやりとその音を聞いていたわたしだったけれど、見慣れない天井が目に入って、自分が今まで眠っていたのだということに気が付いた。
もそもそとベットから起き出して、寝間着から着替える、季節はもうすっかり秋の毛色を帯びてきて少し肌寒いくらい。
窓を開けると、下ではこんな朝早くだというのに珍しく起きていたトラップと、そしてクレイがなにやら談笑していた。
「おはよう!クレイ!トラップ!」

窓枠に両手をかけて声を掛ける。
それに気が付いたクレイがこちらを見上げた
「やあ!パステル昨夜はよく眠れたかい?」
「んー実は興奮してなかなか寝付けなかったんだけど、2人ともどうしたの?」
あ、クレイがわたしに気を取られているうちにトラップってばそおっと逃げだそうとしている。
わたしがこそっと目配せをすると、珍しくクレイは振り向きもせずにトラップの首根っこをガッチリとつかまた。
どうやらクレイにも予想通りの行動だったらしい。
「今日こそ逃がさないからな」
そのままクレイはずるずるとトラップを引きずって行こうとする。
「それじゃあ、パステル、おれ達は準備に向かうからルーミィ連れて後から来いよ!」
「わかったから手を離せよ!」
苦しそうに首を押さえながらトラップがぼやいている
「ダメだ!そう言って手を離したらまた直ぐ逃げ出すんだろうが」

やっぱり、トラップってばまた逃げだそうとしてたんだ、昨日の夕食の時マリーナが随分と愚痴ってたものね、しかも本人の目の前で!
まあそんなこと気にするような奴じゃあないと言ったらそうなんだけど。
2人は相変わらずギャアギャア何かを言い合いながら街中の方へ歩いていった
通りの向こうにクレイ達を見送った後、わたしがとんとんと階段を下りていくと下の食堂からはなんともいい匂いが漂ってくる。

「おはようございます」
机の上には今日のために作られた数々のごちそうが並んでいて、ふちにはよだれを垂らしたまんまのルーミィ。
机のはじをかじかじとかじりながら必死に我慢していたみたい
「おはようさん、ほら、ルーミィちゃんよく我慢したわね、もう食べて良いよ」
そう言われるや否やよだれで顔をべたべたにしながら目の前のカラアゲにかぶりつき始める。
それをなんとも言えない表情でわたしと、トラップのお母さんは見ていたのだった。

わたしたちパーティがドーマに着いたのが5日ほど前のこと、10年に一度だけ行われるお祭りがあるというので皆で招待されてきたんだ。
招待と言えば聞こえは良いけど、本当のところは少しでも多くの人手が欲しかったらしくて、着いたその日からわたしとルーミィを除く男どもはお父さん達に連れられて町の広場に引きずられていった。
でも、トラップだけはちゃっかりしたものでちょっとした隙を見つけてはすぐに逃げ出してしまっていたみたい。
ノルなんて町の人たちが驚くほどの木材を1人で運んでは喝采を浴びていたというのに、ノルだけじゃない、キットンも小屋の設置設計のお手伝いをしていたりしたし、クレイはもちろんのこと、わたしとマリーナもずうっと衣装作りにてんてこ舞いだったのだ。
いよいよ明日がお祭り当日で今日はこれから夜に向けてわたしたちはごちそう作りの予定だ。
それこそブーツ一家みんなでも食べ尽くせないほどのごちそうを作るつもり。

それ以外にもブーツ家としての出店に出すクッキーやマフィンもたっぷり作った。
お祭りではそれそれのお家で出店を出すんだそうで、食べ物屋さんの他にも骨董市や植木市古着市、果ては靴の底市なんていう一体誰が買うんだというようなものまであるそうな。
ブーツ一家もコレクションの中から数点オークション形式で販売するそうだし
おっと、随分と話がずれてしまったけれども そう、いよいよ本番直前ということで今日という今日こそは手伝わせてやろうと昨夜からクレイは泊まり込んでトラップを見張っていたってわけ。
一体いつもどこでさぼっているんだか、いつもいつのまにかふらっと消えては夕ご飯頃になるとちゃっかり帰って来るんだよね。
まあ今日は絶対にクレイが目を離さないことだろうし、今までさぼっていたぶんきっちりと働かされることだろう。

お昼を過ぎて、何とか一段落付いてきた。
わたしたちの間をお皿や袋を持ってちょこまか走っていたルーミィも、すっかりくたびれたのか、おやつのクッキーを抱えたまま満足げにすやすやと眠ってしまっている 。
「ああ、ちょっとパステルいいかい?」
なにやら沢山のハギレのようなものを抱えたトラップのお母さんに呼び止められた
「それ、何なんですか?」
「うん、これはね、みんなの古着で作った…まあお守りみたいなものだね、これを教会まで届けて欲しいんだ」
10年分の古着で作られたそれはまるで色とりどりのリボンのよう
「何せうちはこの大所帯だからねえ、この通り、これじゃあリボンと言うよりはほとんど不格好なはたきもいいところだけど」
「あはは、でもとっても綺麗ですよ、教会までで良いんですよね」
一抱えもありそうなハギレの束を袋に入れるとわたしは家を出ようとする
「と、教会までいくらなんでも迷わないよね?」
「…大丈夫ですってば…」

確かに、おとといリビングストン家に行く途中見事に道に迷ってしまい、ジンジャーに大笑いされたんだけど…それはあのお屋敷が町はずれなんかに建っているのが悪いのであって…
そんなわたしを見て不安になったのかトラップのお母さんはわたしに教会までの地図を持たせてくれた。
本当に情けない話だけど、これならいくらわたしでも迷うわけがない。
「こっちの仕事はもう一段落付いたからね、散歩がてらのんびり言ってきたらいいよ」
そう言うトラップのお母さんのありがた〜い言葉を聞きながらわたしは言われたとおりにてくてくとのんびり教会へと向かうことにしたのだった。

教会へは結構あっさりと着いた、ってゆうか小さな街の中でわざわざ地図まで持って迷う方がおかしいと言えばおかしいんだけど。
教会にはもう他のお家から運び込まれたハギレが山盛りになっていて、普段質素な教会内が春先の花壇のごとく色とりどりに飾られ、目がちかちかしてくるほどだ。
「町の人だけじゃなくて、よその街に出ていってしまった家族や、親戚のぶんも集めてくる人が多いんですよ」
集められたハギレを一本一本たぐり寄せながらシスターがそう教えてくれた。
「これを祭りの間街中で配っては、あちこちに結びつけるんです、かつて身につけていたもので、自分と他人との結びつきを確認するのだとも言われているんですけどね」
いつか、誰かが着ていた服の切れ端、
すり切れ、色あせた布はきっと長い間その主人を守っていたのだろう、
沢山の思い出が詰まった優しい色。
このハギレ達が風にそよぐ姿を眺めながら、皆遠く離れてしまった大切な誰かに想いを馳せるのかも知れない。

ふと、目をやると幼いルーミィくらいの女の子がそのハギレの山に半ばつっこんで布きれを引っぱり出しては何かを探しているようだった。
「何を探しているの?」
すっかり埋もれてしまっていた頭の上のハギレを持ち上げて上げてそう聞いてみた。
「んーんー…綺麗なの、探してるの」
しばらくの後、さらに深く潜っていた女の子は頭じゅう糸くずだらけになりながらぴょこんと飛び出す
「これ!」
手にしていたのは、ピンクの花がちりばめられた一本のハギレ。
エプロンかなにかだったのだろうか?すこし厚手の丈夫な布だった。
「お姉ちゃん、結んでくれる?」
「えっ?」
にこにこと嬉しそうに笑いながら女の子はわたしに布を差しだしてくるっと後ろを向く
「ああ、リボンにするのね?」
「うん!」
そう言うと女の子は嬉しそうに首をぶんぶんと振った。そんなに頭振ったら髪の毛がぐしゃぐしゃになっちゃう
手櫛を通して軽く整えた後、後ろでひとまとめにしてシッカリとリボンを結んだ。
女の子の髪は明るい灰色。
ちょっと色落ちしたグレィッシュピンクの花が小さく揺れた。

「うん、可愛い可愛い」
そう言ってあげると女の子はさらに嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。
「お姉ちゃんも、リボンしてるからお揃いだね」
そう言われて何となく自分のリボンに手をやった、
「これはね、元気になれるおまじない」
「おまじない?」
「悲しいとき、寂しいとき、強くなれるおまじない」

…泣くな
泣いてちゃいけない、泣いていても仕方がない。それは解っているのだけれども涙は一向にとまってくれなくて。
「泣いてちゃ、だめだ」
そう言ってこのリボンを結んでくれた暖かい手は

 

「お姉ちゃん?」
目の前に小さな笑顔
「え、ああ、なんかぼーっとしてたみたい」
さっき結んで上げたばかりのリボン頭をそっとなで、笑いかける。
「これ、ありがとうね、わたしお姉ちゃんの分も探してあげる!」
そう言って女の子は再びハギレの海へと頭をつっこんでいった。
色とりどりの海なのかで、小さなリボンがもそもそと動いている。
「…ぷはぁつ…」
飛び込んだときと同じように、飛び出した笑顔、その手にはしっかりと一本のハギレが握られていた。
「お姉ちゃんにはね、あたしとお揃いで黄色のお花!」
得意満面に差しだしたのは彼女に結んで上げものよりも少し小さめに花のちりばめられたリボンだった。
「とっても素敵なの探してくれたのね」
そう言ってそのリボンを受け取ろうとしたんだけど
「ダメ!わたしが結んであげるの!」
といってそれを止められてしまった。
「 ふふ、結んでくれるの?ありがとう」

そのままハギレの山の横に座り込んでしゅるりとままで結んでいた自分のリボンを外す
さらりと落ちた髪の毛を小さな手が一生懸命にまとめていた。
その不器用な手つきが何だか愛おしくて、ついつい笑みがこぼれそうになる
「笑っちゃダメ!」
笑いをこらえるうちに肩を揺らしてしまったわたしはぷうっとむくれた女の子にたしなめられてしまった。
「はい!出来た!」

やっとの事で完成はしたもののお世辞にも「上手」とはいえないちょうちょ結び。それでも女の子には会心の出来だったんだろう、得意そうにわたしを見上げていた。
「ありがとう、とっても嬉しいよ」
これは本当、結ばれたリボンから、何だか暖かいものが溢れてきたみたいだ。

「今日の午後からもう結び初めても良いですよ」
そう言われたのでまあ、適当に一掴みほどのハギレを持って教会を後にする。もう正午はとっくに過ぎていたし。
よく見ればわたしだけじゃない、ぽつぽつと数本のハギレを持った人たちが教会から出てきている。
リボンにしてしまって良かったのかと尋ねたら、本当にどこに結んでもよくって、髪の毛はもちろん、山羊の角にも沢山のリボンがグルグル巻きにされていた。
お相伴にあずかったのか山羊の口から生成色のハギレが飛び出しているのを見かけたり。

どこにつけようかな?
辺りをキョロキョロと見回しながらもと来た道を戻っていくけれど、みんな目当ての場所を決めていたみたいでなかなか「ここだ!」って所がないんだよね。
まあ、お母さんもゆっくりしておいでって言ってくれたし、どこかいい場所を探して少しうろついてみることした
それでも、並木の枝にも。角の看板にも、ずっと楽しみにしていたらしい誰かのリボンがすでに結んであって、なかなか良いところが見つからない。
あきらめて、適当なところに結ぼうかと一瞬考えもしたけれども、それはなんだか悔しいような気がして、ここまで来るともう半ば意地になって場所探しに躍起になってしまっていた。
だから、帰り道のことを思い出したころには、とっくにもう自分がどこにいるのか判別できなくなってしまっていた。
小さな町だからといって侮った私が悪いのか、いくら見ても辺りは畑と林があるばかりで、人家の屋根すら見えない。
どうやら町のはずれまで来てしまったようなのだ。

お祭り気分に浮かれてて、迂闊だったとしか言いようがない。
幸い、日もまだ高かったから、その辺りをうろうろしているうちになんとか帰れると思いたかった。でも、ここでこのままじっとしている方がそんなに遠くまできたとも思えないし、きっとそのうち誰か人が来るかもしれない。
どうしようかと立ちすくしてあれこれ悩んでいたら、木々の向こう、獣道に見慣れた頭を見つけた。

間違いない。あの赤毛はトラップだ。
またあれこれ言われると思うと気が重くなるけれど、ここで延々と迷っているよりかは絶対にましだとすぐ声を掛けたのに、よっぽど急いでいたのかその一瞬の迷いの間に随分と遠くに行ってしまった。
ここで見失ってたまるかと慌てて後を追いかける。
それにしても一体どうしてこんな獣道なんて歩いているんだろう?背の高い雑草なんかが足に絡まって歩きにくいったらない。
がさがさとしばらくそれらをかき分けていくと、急に目の前が開けた。
さらさらと水の流れる音が聞こえる。

「川にでたんだ…」

ドーマの近くにこんな綺麗な小川があるなんて知らなかった。
河原には花水木と桜の並木が並んで、まるで小川に寄り添っているようだった。
いけない、わたしトラップをおいかけてきたんだっけ。
思い出して、辺りをキョロキョロと見回してみたけど、彼の姿は見あたらない。
「ちょっと、嘘でしょう!」
これで帰れる!と思いこんでやみくもにここまで来たのだ。
道もないこんな所から1人で帰れるはずがない。
もう、考える力もなくなって、その場にヘナヘナと座り込む
ぼーっと何もできすにただ、目の前を流れる川を眺めていた。
こんな事をしている場合じゃ無いというのはよく分かっているんだけど、放っておいてくれ、人間だれしも自暴自棄になるときだってあるのよ。

ずうっとむかしにも、道に散々迷ったあげくに。とうとう迷子だと言うことも忘れて、遊びまくったあげくに、結局お父さんに迎えに来て貰ったこともあったっけ、
あのときもこんな綺麗な河原で途方にくれていた気がする。
そのうち、だんだんと日も暮れてきて、寒くて、心細くて、木の下で震えていたっけ、
よくあのとき泣かなかったものだ…普段なら絶対に泣きじゃくっていたのに
あれはどれくらい前の事だったんだろう、気にはなるけど、こうしていても家に帰れるわけでもなし。
とりあえずは進むしかないかと膝をはたいて立ち上がったその時

「お前こんなところで何してるんだ」
ぽんと背後から頭におかれた手。
びっくりしたのとほっとしたのとちょうど半々。
「トラップ!」
わたしを見下ろす、赤毛頭。
「なにって、トラップこそこんなところで何してるのよ、おかげでひどい目にあっちやったじゃないの」
「何してようが俺の勝手だろう?」
「……勝手じゃないわよ、あなた毎日準備サボってるとおもったらこんなところにいたなんて!」
そうだった、本当なら今ごろこいつは町の広場でクレイたちにこき使われていたはずなんだった。
まったく、油断も隙もあったもんじゃない。
「ほら。さっさと帰ろう?今ごろみんな大変なんだから!」
トラップの手を引っ張って歩き出そうとする…が、どっちに向かって歩けば帰れるのか、
わたしにはてんでわかりゃあしない。
「………」
急に立ち止まったわたしを、トラップはにやにやと笑いながら見ていた。
「ん?どうしたパステル、おれを連れて帰るんじぁなかったのか?」
「か、帰るわよ、帰るけど…」
本当にトラップは意地が悪いとわたしは思う。 なんでこんなに腹たつんだか
「トラップちょっと耳貸してよ」
このままじゃあなんだか腹の虫が収まらない、なんとか一泡吹かせてやろうとちょいちょいとトラップを手招きする。
彼の耳がわたしのすぐそばまできたとき、
すばやく差し出したはずの腕は簡単に受け止められてしまっていた。
「パステルちゃーん、いったい何をたくらんでいたのかなぁ?」
うう、完全に読まれきっている、本当に悔しい
「お前、何持ってるんだ?」
「トラップ、知らないの?」
つかまれたままの手に握っていたのは勿論、例のリボン。
「ああ、祭りのあれか、お前どこまで結びに行くつもりだったんだ?」
「え、じゃあここって町の外?」
「たりめーだろ?こんなところまでひょこひょこ来やがっていいかげん自分の方向音痴自覚しろよ」
「なによ、仕事サボってこんなところまで遊びにきてる人にいわれたくないわよっ」
腹が立って、ぷいっとそっぽをむく …でもここで彼を怒らすと、わたしが家に帰れなくなってしまう。

「…一緒に、結ばない?」
「はぁ?」
「わたしひとりじゃいつまでたっても決められないんだもん、ここはひとつトラップがぱーっと決めちゃってよ」
振り返って彼の腕をぐんぐんと揺すった。
「… 面倒くせえなぁ…じゃあ、あここの木の枝」
「却下」
すぐ目の前の木を指差していたトラップ
「んだよ、お前が決めていいって言ったんだろう!」
「そうはいったけど、そんな適当なのは駄目なの!」
「ならどうならいいんだよ、どれだって同じだろう」
「違うよー!木なら大きくて、見晴らしがよくて、怖くなくて…」

われながら結構無茶な注文だと思ったけど、まあでも言うだけ言ってみようとだらだら続けてみる。
「いいにおいで、座り心地もよくって、ええと、それから」
しばらくはあきれたようにそれを聞いていたトラップだったけど、突然何かを思い立ったようにわたしの腕を掴んでずんずんと歩き始めた。
「ちょっ、ちょっと、どこ行くのよ」
もしかして、私があんまりにもわがまま言うものだから、トラップ怒っちゃったのかな?
表情を読み取ろうにもひっらぱれている私から彼の顔は見えない。
おまけに河原ってのは岩ばっかりで、転ばないように後をついていくのがやっとだ。
「ホラ、ここなら文句はねえだろ?」
たどり着いたのは河原にある一本の大木。
空におおきく広がった梢と、一抱え以上もありそうな太い幹

「これ、何の木なのかな?」
不意にそんな疑問が浮かび上がって、尋ねてみた
「さあな、でも、おれが子供のころからずうっとあるんだぜ」
そう答えたトラップは妙になんだか自慢げだった。
「登れるかな?」
返事を聞くよりも早く、目線の高さにあった枝に手をかける。
大きな木だけあって、枝も、ウロもしっかりしていて意外と登りやすそうだった。
「おい、お前待てよ」
「ほら、トラップも登ってきなよ」
わたしがするすると登っていくと、トラップも仕方なさそうに後から登ってきた。
「うっわー、ほら、すごく綺麗だよ、本当こういったところ見つけるのだけは上手いんだから」
「ん、…ああ、本当だな」

妙な返事だ。

「トラップ、もしかしてここ登ったの初めて?」
返事はなかったんだけど、きっと初めてだったんだろう、彼は、わたしと同じよう、ううん、それ以上にぼーっとここから見える景色に見とれていた。
なんてことない、山々の景色。
どこまでも続く尾根は少しずつ秋の色に彩られ、耳を澄ませばかすかに
秋の実りの恩恵を集めようとする鳥達のさえずりや、生き物達のざわめき。
なんてことない当り前の風景だけど、それがどれほど大切なことなのか、わたしも、トラップもきっとわかってる。
不意にまだ握り締めたままだったリボンのことを思い出して 、まだぼーっとどこかを眺めているトラップのリボンをさっと取ってしまう。

「てめっ、なにすんだっ」
あわてて振り返ったけど、もうおそいもんね。彼のリボンはわたしのポケットの中だ。
取り替えそうにもこんなに狭い木の上ではそれもかなわない。
「わたし、ここに結ぶことに決めたわ」
トラップが反論するよりも早く、手ぐしで髪の毛をまとめると、いつもよりほんの高い位置にリボンを結ぶ。
それをはずそうとするトラップの手を捕まえると、わざとらしく真剣な顔でじっと顔を見つめた。

「だめよ、これは大切なおまじないなんだから」
「…おまじない?」

トラップに話しているうちにだんだんとおぼろげだった記憶の輪郭がはっきりと浮かび上がってきた。
ずうっとむかし、わたしはまだ大好きなおとうさんとおかあさんに引っ付いてばかりだったころ。
連れてこられたそこは、とてもにぎやかで、楽しかったんだけれども…

「そのときもわたし案の定迷子になっちやったみたいなのよね」
「みたい、じゃなくてなったんだろうが」
「うるさいわね、で、帰り方もわからないし、歩き疲れちゃって、とうとう途方にくれてたの」
「今と同じじゃんか」
「だからうるさいって言ってるでしょう!」
そうしてコイツはこう余計な茶々をいれてばかりなんだろう、 ひとが感傷的になっているというのに、少しくらい付き合ってくれてもいいのにと思うけど
でもまあ、そんなトラップ、かえって不気味かもしれないか。

話を続けることをあきらめるしかなさそうだけど、まあリボンはしっかり結べたからいいよね。
そう思って再び景色に目をむけたら。
「で、なんのおまじないなんだ?」
散々人の話の腰を折っておいていまさらら何言い出すんだか。
ため息混じりに続けた。
「泣いちゃだめだよって、そういうおまじない」
「なんだよ、わけわかんねぇなぁ」
まあ、確かににトラップからすればなにがなんだかだろうとは思うけど
「途方にくれてたら、今度は日まで暮れてきちゃって、とうとう泣き出しそうになったときにね、急に後ろから声がしたの」

そう、怖くて、寂しくて、泣き出しそうになったとき、寄りかかっていた大きな木の裏からひょっこり彼は現れたんだ。
わたしより、一回り大きいくらいの男の子。
その子は。わたしが目に涙を浮かべているのを見つけると、理由を聞くよりも先に「泣くな!」って怒鳴りつけたんだ。
まさか人がいるなんて思ってなくて、びっくりしたのと、いきなり怒鳴られたのとで今度は別の意味で泣きそうになっちゃったら、
よほど彼も慌てたんだろう。
「泣かないでって優しく言ってわたしにリボンを結んでくれたのよ、だれかさんとは違ってね」
「……」
怒るかなぁと思ったけどトラップはむっつりと黙ったままだ。
「だからトラップも泣いちゃダメだよ?」
「なんでおれが泣くんだっ!」

今度はさすがに腹に据えかねたらしい、顔を真っ赤にして言い返してきた。
当然怒るだろうなとは思ったけれども、押し黙ったままのトラップを見ていたら、なんだか妙に胸騒ぎがして、ごまかさずにはいられなかったんだ。

「一本、かせよ」
「え?」
「リボン、まだ持ってるんだろう?」
「あ、うん」
ポケットをごそごそとあさって残りのリボンを取り出す。
トラップは無造作にそのなかの一本を掴み取ると、するするとさらに上のほうへと登っていった
さすがにこれ以上上に私はついていくことは出来ない。
梢の隙間から一気に小さくなるトラップの後ろ姿を見ていた。
しばらくして戻ってきたトラップに聞いてみる
「てっぺんまで登ったの?」
「おうよ、てっぺんもてっぺん、いっちゃん上に結んできたぜ」
「ずっるーい、わたしのぶんも結んできてよ」
わたしはそういってトラップの袖をぐいぐい引っ張った

「ばーか自分でむすばねえと意味ねえだろ?」
にやにや笑いながら言い換えされた。
「え、そうなの?」
「おめえはなんか勘違いしてるみてえだけどな、これおまじないじゃなくて”約束”なんだぜ」
そして突然そんなことを言い出す。
「まあ、まじないっちやいえばそうかもしんねーけど…」
また、黙り込んだ。
「叶わない願いじゃなくて、叶える為の約束をかけて、こいつは結ぶもんなんだぜ?」
「そんなの、初めて聞いたよ」
「で、おまえは何を約束してくれるんだ?」

そう言ってちょいちょいとわたしが結んだ自分のリボンを指さす
「ええ、そんなの考えてないよ!」
「おいおい、大丈夫かよお、こいつをなんの約束もしないで適当に結んだり、途中であきらめた奴は嫁き遅れるという呪いがだなぁ…」
「嘘でしょ、それ」
「ん、嘘だ」
あっさりと白状するトラップ、いつものことだけどどこまでが本気なんだかよくわからない奴だ。
「いいよ、もうトラップを立派に更正させることで…」
ため息がてらに吐き出した言葉は案の定お気に召さなかったようで、後ろから景気よく殴られる。

「いったーい、加減しなかったでしょ」
「加減なんかするか、バカ」
「あんたねぇ、それが女の子に対する態度?」
「女は女でも相手によるだろうが、つうかお前は女じゃねぇな。色気も胸もないし」
コイツ、蹴り落としてやろうか…というか蹴り落とした。
まあ、わたしでも簡単に上れるくらいの高さだったから、トラップはケガもなく、敷き詰められた枯れ葉の上に着地する。
「いきなりなにすんだよ!」
当然の報復が不満だったのか、足下でわめき散らすトラップに声をかける
「そういえばトラップは何か約束したの?あれだけ言ったんだからそりゃあ立派なものなんでしょうね」
するとトラップはなぜか苦々しい表情、しばらく黙り込んだ後
「おれ、嫁き遅れるかもしんねぇ…」
とだけ苦笑しながら言った。

見下ろしているせいなのか、妙にかわいらしい笑顔だった。
まるで、幼い少年のようなその横顔を秋の夕日が照らしている。
「あ、太鼓の音」
宵宮が始まったのだろうか、遠くの山々に響く祭りの太鼓の音
目を凝らせば遠くの空が夕焼けとはまた違った赤に染まっていた。

「あっちが町なんだね」
自慢げに下のトラップに話しかける
「 偉そうに言えるこっちゃないだろ」
「うるさいわね、どうしてそういつもいつも余計な茶々入れるのよ 」
「じゃあ、もうお前一人で帰れるよな」
おまけにそういってさっさと帰ろうとする じゃないの
「ちょっと!待ってよ!」
あわててわたしも降りようとしたけど、トラップと違ってひらりと飛び降りるわけにも行かない、もしょもしょと木のうろにへばりつきながらのたりのたりと降りていく。
降りきった頃にはもうすでにトラップの背中は小さくなってしまっていた。
あわてて後を追いかけて、やっとのことで追いついた。

「ケーキ1個おごりね」
「はぁ、なんでだよ」
「言ったでしょう?トラップを立派に更正させるんだって」
「で、それと、おれがおごるのとなんの関係があるんだよ」
「そりゃあ、ペナルティに決まってるじゃないの、紳士らしかぬ態度につき1点減点♪」 「はぁ?!」
ひときわ大きな声で不満の声を上げるトラップ、でも聞く耳なんて持たないもんね。
さっさとトラップの腕をとって歩き出した。

「わたしが嫁き遅れるかどうかトラップにかかってるんだから、しっかりしてよね」
「………」
「トラップ?」
見上げようとしたら頭を思いっきり押し下げられる
「ちょっと、何よ」
「……へーへー善処します。これでいいんだろ」
半ばやけくそ気味のその台詞。
再び、彼はわたしをおいて走り出す
「コラ!待ちなさいって言ってるでしょ!」
まずは、その逃げ足の早さから何とかしないとね。

 

その背中を追いかけて、ふたり走り出す。
遠くに祭りのにぎやかな喧噪を聞きながら