露天、というものはいくつになっても好奇心を刺激するものらしい。
たまたま通りがかった市場の脇の広場では、ちょうど半月に一度の露天の日だったらしく
ありとあらゆる人たちがそれぞれに目を輝かせていた。
おれの連れも、そんなうちのひとり。
「ほら、これもかわいいよねぇ」
「これ、クレイに似合うよ、きっと」
そんな風に言いながら人混みの中をはしゃぎ回っている。

けれども、見て回るだけでそれなりに満足するのか、一向に財布の紐がゆるむ気配はなかった。
そういえば、思い起こせばいつからかルーミィはあまりものをねだらなくなったと思う。
けれどもそれは小遣いをもらうようになってを金銭感覚がしっかりしてきたと言うよりは、
ひたすら買い食いのためだったような気もする。

身の回りの品は基本的にすべてパステルのお下がりであったし、
後これはルーミィ自身の人徳なのか、やけに人からプレゼントをもらう機会が多かった気がする。
今来ているワンピースも、確か古着屋の奥さんが「あまりにも似合うから」とかいって半額以下で
押しつけられたものだったはずだ。

おれも、恥ずかしながら人徳はある方だと思いたいのだけれども、
どうにも押しつけられる人徳のばかりのような気がしてならない。
一体、その差はどこから来るんだろう。
「また、なにかいらないことまで考え込んでない?」
あっさりと、その思考は中断された。
「いや、別に大したことじゃないんだけどな」
「ふうん、ま、いいんだけどね」
ルーミィはいつものことなので、あまり気にもした様子もなく、たった今覗いていた露天の店先にあった小さなブレスレットをくるくると回す。
小さなサンゴのかけらで出来ているそれは薄いピンク色。

「そういえば、ずっと昔にルーミィに買ってやったよな」
「え?」
驚いたようにこちらを見上げるルーミィ、まあ覚えていないのも無理はないか。
あれはもうずいぶんと前の事だったし。

ある休日のいつもの食事時、突然ルーミィが騒ぎ出したんだ。
何事かと思えば原因はパステルの指先にあった。
決して目立つものではなかったけれども、アメジストの細い指輪、
白い指に小さく輝いていたそれは、確かに奴からのプレゼントだったようで、
やっぱり見つかっちゃったか、と彼女は軽く照れ笑いをしていた。
その姿がよっぽどうらやましかったのか、そのときのルーミィのごねかたはいつも以上で、
さんざん困り果ててしまったパステルを助けてやろうと俺が出した助け船が、ルーミィにもおもちゃの小さな指輪を買ってやることだった。
その翌日、ふたりで近くの雑貨屋に向かい、似たようなデザインのものを探したもののなかなか紫色のものが見つからなくて、結局買ってあげたのが、サンゴ色のものだった。
本人曰く「女の子の色」だということで、大変気に入り、ずいぶんとそのときはほっとしたことを覚えている。
「あの指輪、どこに行ったんだろうな」
しばらくの間は毎日あのぽよぽよとした指先につけていたみたいだったけれども、いつの間にか意識しなくなり、今思い出すまですっかりと忘れていた。
もちろん、今現在のルーミィの指にそれは、ない
「クレイは、パステルがいつまであの指輪つけてたのか覚えてる?」
「え?」
今度はおれが驚く番だった。

「ええと、確か1週間ほどして突然、つけなくなったからどうしてなのか聞いてみたんだ」
ルーミィがそのことを、覚えていた意外性と、なぜそんなことを突然聞いてきたのか、多少うろたえながらもなんとか答える。
「そうしたら、冒険には邪魔になるし、大切なものだから落とすと大変だって…」

「うん、そうだったね…」
おれの答えに、ルーミィはなぜだか少し悲しそうな顔をした。
「つまりはそういうことなんだよ」
そう言って手に取っていた腕輪を店先に戻した。
「そういうこと?」

またまた訳が分からなくて、聞いてみたけどルーミィは答えない。
そのかわりに、今度は小さなイヤリングを手に取った。

「そういえば、昨日の答え聞いてなかったね」
何かをごまかすように話題を変えたことに気がついたけれどあえてそれには触れないでおく。
それを今聞いてしまったらなんだかすべてが壊れそうな気がしたからだ、
長年培ってきた信頼関係に自信がないわけではない、でも絶対などこの世には存在しないとよくわかっていた。
「…ふたりは出会えなかったわけじゃあないんだろう?」
「それじゃ、答えになってないよ?」
一晩考えて、気になったのは問題の答えよりもその結末だった。
ただのたとえ話のはずなのに、妙に心に引っかかるのはなぜなんだろう。

「答えはおれにはわからなかったからね、だからそっちの方が気になって」
ひっかかりの糸口はみえないまま適当な理由を付ける、でも答えがわからなかったのは本当のことだった。
何度もすれ違いを繰り返すその悪循環を止めるのに必要なものはあまりに多くありすぎて、おれにはとても一つに絞れそうになかった。

「……ゆうき…」
「え?」

「答えは”勇気”なんだって」

追いつけない背中も、見えなくなったわけじゃない、消えてしまったわけじゃない
だから勇気を出して呼びかければ良いんだって
”わたしを待ってください、振り向いてください”
待ってもらうことは決して悪い事じゃない
呼びかけて、振り向いて貰えなかったらそれはとても悲しいことだけれども
でも追いかけてるだけじゃいつまでたっても追いつけないから
大きな声で気持ちを伝えなさいって。

「自分の力の無さを認めることも勇気だよ」
それだけを一気に言い終わるとルーミィはおれをまっすぐに見上げた、
澄み切ったブルーアイにはとまどいの表情を隠せないおれが映っている。
「偉いな、ルーミィは」
すべてを真摯に受け止めることが出来るのはルーミィの最大の長所だろう
そんな彼女がうらやましくてつい頭をクシャクシャと撫でた。

「でもね、わたしはそれはずいぶんとお気軽な勇気だと思ったの、何でもかんでもそんな簡単に一言で済むのかって」
「パステルはなんていったんだい?」
「ぱーるぅは何も言わなかった、そのかわりにトラップがね、クレイに聞いてみろって」
「また、アイツはいい加減なことを…」

どうしてアイツはこう昔からやっかいなことをおれに押しつけようとするんだろう
「違うよ!トラップはちゃんと考えて言ってくれたんだよ?クレイならたぶんわたしの一番納得する答えをくれるだろうからって」
よっぽど顔にでていたんだろう、考えを射抜かれたようにルーミィが続けた。

「…そうだな、”勇気”ってのは結構ピンからキリまで色々あるんだよ」
苦笑しつつおれは話し始めた。

「おれもずっと昔から、”勇気”が欲しいと願い続けてきたんだ、こんな臆病でて情けない自分は嫌だ、もっと勇敢で、勇気のある人間になりたいとね」
「クレイは臆病なんかじゃないよ」
「そうか?ありがとう」
それは、あこがれていた自分の理想像だった。
何者にも負けず、いつでも強くありたい

さながら、ひいじいさんや、物語の騎士のように…
けれども、それはやっぱりただの憧れに過ぎなくて、現実はいつだってうまくいかない出来ない自分へのもどかしさでいっぱいだった。

「わたしたちは今までずっとクレイに守ってきてもらったし、助けてきてもらったんだもの」
目をやると見透かされたかのようにルーミィが笑っていた。
伊達に長年いたわけじゃないと言うことか。
「クレイしゃんはずーっとボクたちのリーダデシ!」
人に聞かれないように小声だったが、シロからも太鼓判をもらうことが出来た。
「リーダー…か、そうだな、少なくともおれはパーティの面々のまえだけでも勇敢でいたかったんだ」

露天を行き交う多くの人々、皆それぞれがそれぞれの目的を持って歩いていく、
中には、目的を見いだすこともなく、ただぶらぶらと歩いている者たちもいる。
「昔は、そうして気負ってばかりいた気がするよ、それこそかちこちに体が固まるくらいにね、
できること、できないこと、やらなければいけないこと、全部を一緒くたにして気がつかないうちに背負い込んじゃってたんだろうな」

今までの自分、思い出すのも赤面するようなこともあれば、未だに色あせず、輝き続ける想い出もある。
少なくとも、今のおれはそれらを懐かしく振り返ることも出来るし、良い経験だったと思うことも出来る。
そしてこれから先に待っているだろう幾多の出来事に対しても、すべて受け止められるように。

「ルーミィは自分のことを勇気のある人間だと思うかい?」

この質問が予想外だったのか、ルーミィは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐさまむっと口をとがらせた後に続ける。
「…わかんない…でも、ルーミィは負けないよ!おっきなトンジャンが襲ってきたって、クレイはルーミィが守ってあげるんだから!」
すでに空想の中ではノルをも越える巨大トンジャンと戦っているのだろう。
果たして、青野菜のトンジャンがどんな攻撃を仕掛けてくるのかおれには解らないが、ルーミィはなにやらえいやあと勇ましくポーズを取っている。

そんなルーミィがなんだか愛おしくて、その頭に手を載せた
「こらこら、こんなところで暴れるんじゃないよ」
そして、まだ手に持っていたイヤリングを取ると、彼女の耳に付けてやる。
「でも、ありがとうな、すみません、これ、いただけますか?」
にこやかな笑顔を浮かべてこちらを見ていた露天の主らしき初老の男に声を掛けた。

「おやまぁ、勇敢なお嬢さん、あんたエルフだったんかい」
小銭を受け取りながら男は嬉しそうに言う
「エルフつうもんは皆森の奥深くでひっそりと隠れ住んでるものと思ったんだが、最近はそうでもないらしいなぁ」

「こんにちわ、おじいさん、エルフを見るのは初めて?」
自分に対する羨望の視線を感じたのかルーミィはその男に向かうとくるりと軽やかに1回転した。
「昔はな。物語に出てくるエルフを聞いていつか会ってみたいと思っていたけれども、それはずっと叶わなかった、あんたと、それからつい1週間前にエルフの団体さんを見かけるまではな」

そのとき、誰の目にも明らかにルーミィの様子が変わった。
なにせ、この数年間いろんなところを旅してきたが、彼女以外の一族のものに出会ったことは一度もなかったから。
元々、エルフというものはルーミィの一族がそうであったように、森の奥深く、よぽどの用がなければ人との関わりを持たないものである。
それでも、彼らを訪ねて森を訪れれば会うことは出来たかもしれない。
なのに、今までおれ達はそれをしようとしなかった。
決して忘れていたわけではないのに、だれもそのことを口に出そうとはしなかった。
口の端に載せることはあっても、決してそれを実行に移そうとはしなかった。

「もっと、詳しい話を聞かせて貰えませんか?」
それは何故なのか、考えるよりも先におれはそう尋ねていた。
「——ああ、でも話してあげようにもわしは今言ったこと以上のことは何も知らんよ、
あの方々について知りたいのならこの市場の奴らに聞いて回ると良い。あの方々は山ほど買い物をしていったからね。」
その間、ルーミィはずっと体をこわばらせたままだった。

それから、おれたちはその市場をぐるりと順番に聞いて回ったが、あまり期待はもてないようだった。
大した情報がなかったわけではない、反対に十分すぎるくらいのことを知ることが出来たのではないかと思う。
彼らは海を渡り、もう二度とこの地には帰ってこないのだという。
一族が揃って生まれた土地を離れるような何かがあったことは容易に予想できる。

ルーミィは夕焼けに染まりながら、荷物をまとめる商人達をただぼーっと眺めていた。
あれほどにぎやかだった人の流れも、いまは川の澱みのようにあてのない人々だけがたむろっているだけになる。

「あんた、ちいさいときにはぐれちまったんだってなぁ」
事情を聞いた、ひとりの恰幅の良いおばさんがこちらにやってきた。
「まだ若いのに、苦労も多いんだろう」
なにやら意味ありげな視線をこちらに向けるが、とりあえずおれは会釈をして返した。
「これはさ、代金の代わりにってくれたもんなんだけど、よければお嬢ちゃんに上げておくれ」
声を掛けようとして、ためらったのか、かわりに俺へと小さな石を手渡す。
磨き上げられた碧石。エルフ達が好んで装飾具に使う石だ。

実物を見るのは初めてだったが、確かにその深い青緑は彼らの住んでいるであろう美しい森を連想させた。