先日からずっと部屋に籠もりっぱなしだったパステルが部屋から出てきたたのはほぼ3日ぶりのことだったのだが、その憔悴っぷりは見ていて面白いくらいだと、トラップはそう判断した。

「じゃあ、おれが代わりに届けてきてやるから、パステルはもうゆっくり眠るんだぞ」
原稿のはいった紙袋をパステルから受け取ったクレイがルーミィ達を連れて出ていく。

彼女たちがいてはゆっくり眠れないだろうとの配慮からで、窓の外は木枯らしだったがそれでも、近頃はなかなか外に出る機会も少なく、散歩と名のつくものが大好きなルーミィはマフラーで半分以上見えなくなった丸い顔をおおきくほころばせていた。

「さあ、パステル、ミルクを温めてきましたよ、滋養にいい薬草を煎じておきましたから、きっとよく眠れるはずです」
階下から、キットンが湯気の立ち上るカップをトレイにのせてやってきた。
「…うん、ありがとう」
相当眠いのだろう、ぼーっとどこを見ているのかよくわからなくなっているパステルの替わりにカップを受け取り、手渡してやる。

「ほれ、こぼすんじゃねーぞ」
自分のぶんはテーブルの上へ、かすかに香り立つハーブの臭いはやたらと柔らかい。
一口、口に運ぶとあまいはちみつ味のホットミルクのぬくもりががじわっと体中に広がった気がした。

どうせ、今日はもう外に出る気もしないし、おれも一眠りしようか
そんなことを考えながら残りのミルクも一気に飲み干すと、なんてことなしに隣で同じようにミルクをすすっていたはずのパステルに目をやり、同時に吹き出してしまった。

半分強ほど残ったミルクカップにつっぷして、パステルは眠っていた。
何も物音がしなかった所を見ると、ほとんど吸い込まれるようにして眠ってしまったのだろう。
はちみつ色の前髪はすっかりとミルクに浸ってしまっていた。

いつのまにかキットンは自分の研究に戻ってしまっていたらしい、そうでなければ普通は気が付いて、なんとかしようとするだろう。

さて、どうしたものかとトラップは思う。
べつに自分に起こしてやる義理はないのだからほっておいてもいい。
ただし、このままだとあと数十分から数時間後には悲惨な事になるのは確実だろう。

そして、そのとき当てつけがましく罵られるのはきっと自分なのだ。

そこまで考えてからやれやれと、手近なタオルを取り出すと、そっとパステルの額にあてがって、抱き起こした。
先に起こしても良いのだが、それだと驚いたパステルがさらにミルクをぶちまける可能性がある。
トラップは正直あの乾いたミルクの赤ん坊臭い臭いが苦手でもあったから、注意深くパステルの前髪についたミルクをぬぐい取ると、ぺしぺしとかるくその頬を叩く。

「寝るんならベットで寝ろ、ここで眠られても迷惑なんだよ」
言葉は荒かったものの、妙に気持ちの悪い声色になってしまったことに、トラップは自分でも気が付いていたが、もう一度繰り返す。
「こんなところで、寝るんじゃねぇ」

「う…ん」
腕の中のパステルが身じろいだことを確認するとトラップは今度はもう少し、はっきりとした口調で彼女に呼びかけた。
「ホラ、起きろや」
「なんだか、においがする…」
まだ半分以上寝ているのだろう、目をごしごしこすりながら むにゃむにゃとつぶやく
「そらそうだろ、お前ミルクに頭つっこんでねてたんだから」
「えーそんなことしないよ」
「してたんだよ」

「うん、やっぱり眠い…」
もうすでに会話にならなくなってきた。
「だから、とっとと寝ろよ」
「うん、おやすみなさい」
「まて、だからここで寝るなっていってんだろうが」
あろうことかパステルは胸元にしがみついたまま再び眠ろうとするから、トラップはまたあわててパステルを揺り起こす。
しかし、しっかりとお休みモードに入ってしまったパステルは相変わらずむにゃむにゃと訳の分からない言葉を繰り返すだけで、起き出す気配のかけらもない。
相変わらずの無自覚っぷりにどうしてやろうかとつい悪戯心が刺激された。

だから、つい軽い気持ちでパステルを抱きしめると、耳元で囁いた。
「それじゃあ、おれと寝るのか?」
わざとらしく、意味深に。

言ってしまってから、流石にこれはやめておけば良かったと思ったが、口に出してしまった物は仕方がない。
だから、どうやって誤魔化そうかと必死に悩んだけれども、結局の所それも無駄な徒労に終わってしまった。
聞いていたのか、いないのかは解らなかったが、パステルは全く無反応のまま眠りこけてしまっていたからだ。
こうなってしまうともう完全にトラップの負けである。

普通の相手だったら、これは確実に誘っていると判断するところだが、確実にパステルは普通の相手ではない。
そして、こちらはあまり認めたくないところだが、トラップにとってパステルは決して普通の相手ではない。

温めたミルクの甘い香りがやけに鼻については目眩がして
ほぼ無意識に抱き留めた腕に力が入る

柔らかい頬、はちみついろに波打つ髪、柔らかい吐息。
すべてが今この腕の中にあるのに、何一つ伝わらないもどかしさが苦しくて仕方がない。

それなのに、妙に満ち足りた気分になるのはどうしてなのだろうか。
物音一つしない、肌寒い部屋の中でただそっとトラップはパステルの髪を撫でつけていた。

パステルが次に目を覚ましたのは自分のベットの上だった。
なぜ、自分が寝てたのか、何故か少し懐かしい香りがするのかイマイチよく思い出せなかった物の、おそらく原稿を仕上げたその勢いのまま倒れ込んでしまったのだろうと独りで納得する。

ただ、なんだかとてもよい夢を見ていたような気がしてパステルは独り微笑んだ。