これは、やばいかもしんねぇ…
トラップはつくづくそう思った。

はじめはほんの些細な悪戯心からだったのだ。
相変わらず、反省しているのかしていないのか、ちょっと他に気を取られていたその瞬間に姿を消した方向音痴のマッパー。
やれやれと思いながらもなんとか無事に見つけだし、さあさ皆の所へ戻ろうとしたのだが、この女ときたら「今回は迷子になったわけじゃない」とかなんとかぬかしやがる。

「これをどう見たらいったい迷子じゃないっていうんだよ」
「だからぁ、今回はちゃんと目的があって離れたんだってば!」
ぷっくりと頬を膨らませた顔はどこから見てもお子さまで、ちっとも説得力がない。
「へえ、どんな?」
せいぜい嫌みったらしく聞きかえすと、パステルはむっとした顔をしながら堪えた。
「向こうのほうに、なんだか奇麗な花が咲いてるのが見えたから、ルーミィに摘んであげようとおもって…」
「で?」
表情はそのままで、先を促す。
「そうして、花を摘んだ迄は良かったんだけど、気が付いたらみんなどこにいっちゃったのかわからなくなって…それで…」
「普通、そういうのを”迷子”っていわねぇか?」
「違うの!いつもはなんか気が付いたら一人になっちやってるんだもの」
どっちも結果的に帰れなくなってたら同じ事だろうとトラップは思ったが、それすら突っ込むのがばかばかしく思えて、かわりにパステルの頭をベシッと叩いた。
かなりの派手な音がしたので、相当痛かったのだろう、パステルはくうっと頭を押さえて座り込む。
少し、力を入れすぎたかな?と一瞬不安になったが、謝るのもいやだったので反対に馬言を浴びせることにする。

「おまえはもう、曲がるな、歩くな、家から出るな!」
「そんなの、無理だってば」
「じゃあ、すぐフラフラ出歩くのはやめろ」
「そんなのトラップに言われたくないよ、自分だってすぐフラフラとどこかに行っちゃう癖に」
「宿からフラフラ出るのとクエスト中にフラフラするのじゃ全然違うだろ…ってまあ、お前の場合はどっちも迷子になるには変わりねぇかもしんねぇけどな」
さすがにぐうの音も出ないのか、パステルはしばらく黙り込んだ後、ずんずんと歩き出す。
「どこ行くんだよ」
「みんなの所に戻るに決まってるでしょう」
「そっち、反対」

笑いをこらえながら歩き出すと、パステルは顔を真っ赤にしたまま追い抜いて、2メートルほど先の所からまた歩き出す。
その時、不意に悪趣味な考えが浮かんでくると、悩む前にそれを実行に移す。
砂利道から足音立てずそっと離れ、適当な木立へと姿を隠す。
もともと普段から足音は立てないように気遣っているからなのか、もしくは鈍感だからなのか、しばらくパステルはちっとも気付かぬ様子で歩いていたのだけれど、
しばらくの後振り返ると、見事にそのまま固まった。
その様子が余りにおかしくて、隠れながらも吹き出しそうになってしまう。

「…トラップ?」
信じられないといった顔、それからまさか、といった素振り。
あわててあたりをきょろきょろと見回したが、元々こちらは見つからないように隠れているのだから見つかるわけがない。
それでも、先刻のやりとりがあったせいか、声を上げるような事はせず、パステルはもう一度控え目にトラップの名前を呼んだ。
「ねぇ?トラップ?」

「嘘でしょう…?」
まあ、たしかに信じられないだろう、普通は。
でも、それでも心当たりがあるのか、パステルは今度は不安な顔で辺りを見回した。
トラップにしてみてもまさか本当に引っかかるとは思わなかったのだが、どうやらこの間抜けなマッパーはまんまとトラップのしかけた罠にハマってくれたらしい。
きょろきょろとしながら不安な表情を隠そうともしない。
そんなおろおろとするパステルの様子をしばらくの間はクックッと笑いながら見ていたのだが、そのうちにすっかりと出ていくタイミングを逃してしまっていることに気がつけなかった。

本格的に迷ってしまったのだと判断したパステルは、止めておけばいいものの、あてもなく歩き出そうとする。
出て行くなら今しかない、そう思ったがその先に待っているであろう悪言の数々を思い浮かべるとどうしても足は止まってしまう。
そんな風にトラップがつまらないことで迷っている間にもパステルはズンドコとまた明後日の方向に歩き出そうとしていた。

ここで見失ってしまったら、それこそ何が起きるか解らない。
それでも、どうにも声をかけるのが悔しくて、気が付かれないように後を付けていく。
木々の間を縫いながら、がざがざと足音を立てて歩いていくパステルの背中を眺めつつ、どうしようかとトラップは考え倦ねていた。
直ぐに出ていったら、きっとパステルはおれのしたことに対して怒るだろう。
けれども、もう少し待って、パステルが心細くなったところに出ていけばそれも感謝の言葉になるのではないか。そう思った。
都合の良い考えだとは解っていたものの、トラップはそう無理矢理納得することにして、パステルの後を付けていく。

それくらい歩いただろうか。不意にパステルが立ち止まった。
もしかしたら、本人も明後日の向きに歩いていることに気が付いたのかも知れない。
そんな甘い考えとはうらはらに、パステルは手頃な木の下へと座り込んだ。
正確には、座り込んだというよりは、へたり込んだというほうが正しいのかもしれない。

乱れたコートの裾もそのままに、無言のまま目の前の枯れ葉をひっちゃかめっちゃかにかき回してはむすっとした顔をしていたのだが、次第に口元が下がり始めた。

「トラップの、バカ…」

バカはお前だと出ていこうとして、またもや踏みとどまる。

「……トラップぅ…」
微妙にろれつのまわらない、今にも泣き出しそうな顔。
それでも、泣くわけには行かないと必死に耐えながら自分の名を呼んでいる。

「こんなんで出ていけるかよ…バカ…」
顔を押さえながら幹にもたれかかると明らかに顔が熱い。
今すぐ、飛び出していって彼女を抱きしめることが出来たらどんなにいいだろうか。
しかし、その一方ではそんなパステルの呼び声をもっと聞いていたいとも思う。
どちらも叶わない夢でしかないとも思うのに。

「こんな所で勝手に遭難してんじゃねぇよ」
トラップはほんの少しだけ手加減をして、パステルのリュックめがけ蹴りを入れた。

突如、背中に受けた余りの衝撃に、パステルは前につんのめるだけに終わらず、頭から枯れ葉の山に突っ込むハメになる。
それと同時に、どこまでも不機嫌そうな声がかけられて、つい、今までの不安な気持ちなどどこか遠いところへ飛んでいってしまった。
後に残ったのは、なんともいえない理不尽な怒り。
「………」
しかし、それすら痛みのせいでなかなか声にならない。
パステルがトラップの顔を見上げるよりも早く、腕をつかまれ、引き上げられる。
「まーたく、いい加減にしろよお前、探し出すこっちの苦労もちったぁ味合わせてやりたいもんだぜ」
不機嫌ありありに続けるトラップは顔も合わせようとせず、どんどん進んでいく。
「迷子なんかじゃ…ないもん…」
最後の抵抗にパステルはそれだけしか口には出せなかった。
もしかしなくても見られていたのではないか。そう思うと恥ずかしくて頭がクラクラしてくるのだけれども、どうしようかと悩むよりも前に、トラップがぐいぐいと腕を引っ張るものだから。転ばないように付いていくのにパステルは必死で、
トラップがどんな顔をしているのかすら伺うこともできない。

もし、パステルがもう少し辺りをよく見ていればトラップがやけにグネグネと曲がりながら森を進んでいることに気が付いたのかもしれないのだが。
だから、トラップの気持ちにも気が付くはずがない。

いつまでも、この特権が自分だけのものでありますように。

我ながら、馬鹿げた考えだと回り道をしながらトラップはそう思った。

 

endles..