心の故郷 山王祭
旧暦とは中国では農歴と呼ぱれ新月(朔日)から数える太陰暦であり、明治5年までは日本政府の公式な暦とされると共に 農作業の目安として永らく使われておりました。
以降にとり入れられる太陽暦では2月3日が節分と決められ、翌2月4日が立春(旧正月)で一年の始まりになります。
立春から数えて八十八夜の明けた5月3日にはお米造りの準備と新茶摘み取りに入ります。則ち、昨年の稲モミを発芽させるため水に浸す日であり、同時に牛馬の力を借りて土地を耕 し、苗代造りから田植え。収穫に至ります。その間には大事な水を采配し、やがて稲の穂先に花が咲き揃うのを見てやや満足(小満)してその成長を見守ります。準備作業を終え、本格的な農作業が始まる4月1日は最も大切な区切りダ)万日であり、現 在でも日本政府の年度始めとなっています。
この日、日吉大社では稲の神と水の神を両親に持つ地主神が 鎮座される八王子山金大巌まで二基のお神輿を担ぎあげて農耕儀礼としてのお祭りが始まります。文献によれば山王祭は旧暦 卯月(干支の4番目の月)午の日から始まるとされますが、新暦の季節としては4月になります。
つまり、このお祭りこそ日本の年度始めなのです。御輿あげの日から数えて42日(モミ を水に浸して発芽し若苗に育つまでめ期間)後の5月12日には、蕨手に神の使いである鳥の中でも特に高貴とされる燕が乗ったたお神輿が双葉葵のご神紋をもつ東本宮にご降臨され、お田植えに似た仕種を入れた独特の祝詞が宮司によって南向きに奉納されます。翌13日には4月3日に摘まれた新茶を献じて、 宵には壬生狂言でも使われるお祭りの最高潮を迎えるときの” デンデンガーン”(太鼓と鉦の音が華やかに鳴り響く様子)に 田楽師が奉納する獅子舞(牛が地面を舞う事で、冬の間眠って いた土地の精霊を呼び覚ます儀式)と、ささらと呼ばれる簡素な楽器で綾織(種蒔きの様子)を奏で、小満の儀式あとには
見事に実った黄金に揺れ動く御神米の採りいれの神事で別雷神が 誕生となります。
14日の示偏に申(昔は木偏に申)の”神” の誕生を祝う神事に次いで、5月15日には双葉葵を絡ませた 桂の小枝を芯軸にして、関わる人や牛車を飾る京都上賀茂の葵祭のご祭神。賀茂別雷神となられます。
お米の語源である立春から八十八夜が明ける4月3日には坂本。下阪本中が総祭りでにぎわう中、鹿が神の農事を司ってい卜 たと伝わる苗鹿の神社から奉納された大榊が、天智天皇が都を 護る為に真南に位置する大三輪より勧請された大名牟遅命が合祀される天孫神社へとライスシャワーを受けながらお迎えにと出発します。 日吉大社の例大祭である4月14日にはこの大榊を依代に到着されるのを待って山王七基の神輿が坂本の町に御幸される事となります。との際大宮の神輿か蛇行しながら坂を 下るのは大きな蛇の神様(稲作豊穣め神)‥だからなのです。 ダ お米造りに不可欠な大切な水は、i日吉大社の和魂をお祀りす る5社全ての本殿の周りに大昔より絶える事無く常に湛え続けご ており、延暦寺の不滅の法灯(火=日)とも対比されます。 古来より春雷が多い年は豊作になるとの言い伝えは、その放電現象により空気中の窒素N
(78‘%)と酸素・O(21%)が融合し、天然肥料としての。N0 2 (直硝酸)となって雨に混ざって田に降、り注ぐからです。古人はこれを”田の上に雨”と書いて雷(神鳴り)を敬い、秋には稲穂、を見事に孕ますのは稲夫(稲妻は本来誤り)の仕業だとして収穫後の藁を撚りあわせて
雲を形取どり、恵みの基である雷を白紙で模し、藁を垂らし 「神足」(シデ)を雨とした上で、人々にとって最も神聖な場所にお飾りして神の恵みに感謝しました。
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天皇家の由緒を中心に著した書。古事記の上巻。神代の巻に「大山咋命、近淡海国の日枝の山に坐す」と数多い霊山の中でも特別に八王子の神を紹介されておりますが、天孫降臨以来お米を支配する唯一の神とされてきた天皇は、ことのほかこの お祭を大切になされました。後の50代天皇ノ桓武天皇の時代では、勅により世に初めて創り出されたとされる二基のお神輿が日吉大社に奉納されて以来、諸天子様や祇園など延暦寺と関係深い崇敬社や白山権現など次々にお神輿がご寄進され4平安時代末期には山王七社の形が整えられたとされます。以来、朝廷から公祭としての殊遇を受ける事で、身にふるえを覚える程のすぱらしいお祭りとなりました。
日吉大社と山王祭は、稲作を国造りの基本となす天皇家と共に栄え続け、天台宗総本山の守り神として3、800余りの「山王さん」の総本宮”日吉さん”は坂本の町の宝であり、我々日本人の心の原点です。