日吉東照宮日吉大社の南300米に、絢爛豪華な東照宮がある。この東照宮は、日光東照宮の雛型
として造られたものでその豪華さは西日本随―といわれ、関西の日光として広<知られている
(重要文化財)比叡山坂本ケーブル坂本駅のすぐ南、
徳川家康(1541〜]616)の死後、彼を大権現と讃えた僧天海か建てた東照宮のひとつ。
明治時代以降は日吉大社の末社になっています。唐門をくぐると透塀の中にどっしりとした社殿か建ち、
日光東照宮に劣らない素晴らしさ。前方か拝殿、後方か本殿で2つの建物を石の間でつなぐ、
いわゆる権現造の構造になつています。
社殿はいずれも総黒漆塗り・極彩色で絢爛豪華な彫刻や装飾か施されています。
御祭神は三柱で,中央には徳川家康公.向かって右側が日吉大神.向かって左側が豊臣秀吉公が祀られている。
明治の御世にいたる名で延暦寺の管轄下にあったが神仏分離令が出されるとともに日吉大社の管轄となり
明治九年(1876)に当社の末社に制定された。

全国の東照宮造営の経過としては,元和二年徳川家康公の没後その遺命により静岡久能山に祀られ,一年後には 日光に祀られている。 現在見られる様な本殿を石の間で繋ぐ,いわゆる(権現造り)の発祥はここ日吉東照宮といわれている。 徳川三代将軍家光公上洛の途次に比叡山天台宗の大僧正天海上人に命じて考えさせた権現造りは,石の間が数段低く設計され, 祭典奉仕者が将軍に背を向けて奉仕をしても非礼にならないように配慮されている。 日光東照宮の様に本殿,石の間,拝殿,向拝が一体ではなく,拝殿から本殿にのびる梁が本殿まで達しておらず 軒下で止まっている等,本殿と拝殿を如何に繋ぐかを苦心した跡が伺える。 日吉東照宮は元和九年(1623)に造営され,その後僅かの歳月にも関わらず,寛永年間に再建着工(現社殿)し 同十一年(1634)七月には勅使を迎えて盛大に正遷座が斎行されている。 その秋に日光東照宮が再建に着工され,同十三年春に正遷座されていう事を鑑みても,当社が日光の雛形として再建されたと いわれる所以である。 大正六年に東照宮社殿が国の特別保護建造物となり,昭和四年に国宝,昭和二十五年に重要文化財に指定, 同三十一年には唐門と好塀が追加指定された。 東照宮橋(権現橋)は昭和10年に水害のために流失した。

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